社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

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2017年03月24日

動く

坂村真民さんの詩に「動く」というのがあるので紹介する。

動く

動くのだ
停滞してはならぬ
川や
海が
生きてるのは
いつも動いているからだ
いるからだ


人間は体が疲れたら寝る、食べ物を食べなければエネルギーが切れて動けない。
だから、動きっぱなしにはならない。
でも、目覚めたら食事を補給しながら、一日は7~8時間は寝る。
寝る前に体の汚れを取り風呂に入り、脳への刺激の情報の整理をして、シャットダウンし、
同時に真っ白な薄板のような心に書いたいろいろなこだわりを黙って坐って真っ白にする。
禅では洗心と言う。

一日一日、体の意識も心も洗い清めて生活していないのが現実だ。
論語の中で孔子のように四絶「意なく必なく固なく我なし」の実行するのは凡人の私には至難の業だ。

気力も意識もあり、体も動けるのに止ることの多いのは「迷いや悩み」「不安や妄想」するからに違いない。
仏教では現実の相対的な分別をするのが普通だが、分別するな無分別で素直に事実を見ろと解く。
これを「如実知見」というのである。
芳村思風さんは「現実絶対肯定」と表現されるのも同じ意味だ。
いきいき生きることは動く事に違いない。今・ここ・自己に真剣に!

皆さんはこだわる自分を動かすのでなく、こだわらない自分を動かしてますか?

2017年03月23日

精神をよく用いる - デカルト

鷲田 清一さんの「折々の言葉」を読むのが楽しみだ。
今朝の新聞にはルネ・デカルトの、
「よい精神を持つというだけでは十分でないのであって、
大切なことは精神をよく用いる事だ」

ルネ・デカルト

この解説が非常に素晴らしいので前文を書かせていただく。
「優れた知性は人は正しく導きもすれば、
謀略や詐欺に役たちもする。
豊かな感情は人を鼓舞もすれば、
嫉妬で狂わせもする。」
その「よく」はどういうことか、
誰にもすぐには見えない。
むしろそれを問い続けるなかに人生の意味がある。
17世紀の哲学者の「方法序説からである。

教育で言われるのは「知情意」バランスよく学ぶとともに、
他人を利する倫理観や道徳観を養っていくのが人格形成であろう。

「知育、徳育、体育」をバランスよく形成するのが目的でなく、
デカルトが言いたいのは、精神を誰にどのように使うかが重要だというプロセス重視であると感じる。

仏教の世界観では「自利利他」の行動こそ大事だと対立する「と」の関係でなく、
融合する「の」の関係にする。「あなたと私」でなく、「あなたの私」と考える事である。
仏教ではこれを無分別知と解くのである。
私のできることは、身の周りの人から感謝し利己心を押さえ、
少しでも利他行をすることから実行することだ。

皆さんは精神を誰のために用いておられますか?

2017年03月22日

道具の時代と機械の時代の違い

太陽の銀河系ができて138億年、地球ができて46億年となる。
この太陽系に星が1000億あり、宇宙にはほかに1000億の銀河系があるといわれている。

宇宙はとてつもなく広く膨張し、星は生成化育を繰り替えし、
宇宙の塵が集まり星が生まれ、何億年という寿命をへて消滅するのである。
地球の残り寿命は50億年といわれるのは天文学博士の観山 正見先生だ。

星が消滅するのは二つのパターンがある。
1.一瞬にして細かくガスのように塵となり消滅する。
2.内部のエネルギーが噴出しマグマのようになって飛散しながら消滅する。

さて、人類は50万年前に登場するのであるが、
ホモサピエンスになり二足歩行するようになった時は、
洞窟に住み、他の動物が怖くて、外に出て行って狩りしたりするのが怖かった。
ところが人間は徐々に自然の中に入って行き自分の身を維持し守るために、
道具を作り環境を自分の都合の良いように進化と退化を繰り返し、環境創造してきた。

他の動植物はもちろん環境(気候や天敵)に適合するべく少しづつ変化させて生き残った。
人間は本能の循環に、行為による歴史を作ってきたのである。

1700年の中ごろから道具が機械に取って代る画期的発明をするのが産業革命だ。
蒸気機関と言って道具が人間の手を借りず自分で動き出す機械だ。
このお陰で大量に輸送できたり、大量に生産できコストも下げられ、
なお、肉体的な苦痛も開放される事になった。
省力化と時短、生産力アップを実現したのである。
経済的側面は大変素晴らしいが、一方人間疎外という課題が起こってきた。
機械に労働が奪われるとイギリスでは機械の打ちこわしがあった。

一方、近年はさらに加速化して、
機械が人間のようにロボットとして単能から多能になり進化し続けてる。
人間が便利と思って作った機械に人間が創意工夫する頭脳も奪われてしまう結果になってきている。

比喩的に表現すると、
1.登山で山の頂上めざし自分で登る(道具の時代)
2.ロープウェイに乗って山の頂上に着く。(機械の時代)
確かに2番の方法では時短になるし頂上からの絶景は楽しめ、
肉体的苦痛はないがタフな精神ができない、人格ができないといえる。

人間のタフな精神というのは、
自然と人間が向き合い道具を作って、
自ら急斜面を登る行為の過程にできる。(プロセス思考)
ところがロープウェイという機械は結果は同じだが、
過程の創意工夫がないから心のタフな人格はできない。(結果思考)

食品で言えば冷凍食品だ。
ここに人間としての愛情が感じれるか?
結果の食事は同じだが、手間ひまかけたお母さんの料理は登山と同じだ。
登山家は「努力」「忍耐」「チームワーク」を学ぶのだ。
これこそ「徳」が身につくと言うことだ。

先日、国会の討論をテレビで見ていたとき山本太郎議員が麻生大臣に、
「人生で2番目に大事なものは何ですか?」と抽象的な質問をした。
麻生大臣は、
「朝、希望を持って目覚め
昼は懸命に働き
夜は感謝とともに眠る」と答えた。

百戦錬磨で政治の世界で舌戦してきた登山家の言葉には違いない。

皆さんは人間の「徳」をいかにして身につけられましたか? 

2017年03月13日

多様な考え方を認めるフランス

弊社の社労士のかたがフランスに学びにいかれた。
そこで感じたことをおっしゃっていたのは社会主義的な考えで、
機会の平等を重視されているという事でした。
もちろん外国人にないのは選挙権だけで、
大学卒業するまで学費は無料である。

外国人差別は全くない。
働くものにとっては最低賃金も日本より高く、
日曜日は基本的に休日で長期バカンスも取る。
ところが近年、社会保障や福祉が充実するが財政負担が増えて、失業者の失業保険も多くなり、国民がその負担を上回る経済的生産性が上がってるかといえば上がらないのが現状だ。

マルクスの思想の源泉は三つである。
ドイツの観念哲学(ヘーゲルの弁証法)それにフランスの啓蒙思想(サン・シモン、フーリエ)
それにイギリスの経済学といわれている。

中世はキリスト教内の宗教戦争で明け暮れたヨーロッパはことさら個人という価値を一方でいいながら、社会全体で子供を育て、医療や福祉も全体でやろうという眼に見えたバランスの考えが専攻している。
だからヨーロッパでは消費税(間接税)が20%前後に成っているのが現状だ。

教育の中味も自分で論理的に考えるように躾けられている。
1+1=?
これを日本では2と答える、最近は答えは一通りでないという教えもあり、
逆に10=2+8、10=3+7といった逆の答え方もあると教えるが、
実に機械的で数学的、合理的な答えだ。
たとえば雪が解けたら水になるという合理的に情緒のない答えを出すのが今の日本人だ。
雪が解けたら春になると答えるのも答えだ。
情緒があって景色が眼に浮かぶ!!!

フランスでは「解答、根拠、要件事実」弁証法的に自分で組み立てる教育がなされている。
だからいっぱい答えがあるということが、小さなときから教えられるのだ。

日本の教育は「正解」ありきの教育で柔軟心が欠如している。
日本人は「常識」や「当たり前」で深く掘り下げる教育をなされていない。

しかし、真剣に深く「常識」とはなにか?「当たり前」とは何か?
ここを掘り下げると実に日本のほうがはるかに深く意味のある学びをしているのである。

「常識」とは人間社会が決めたトレンドであり、一方では個人が体験し学んだ価値観のことである。
「当たり前」は誰が聞いてもおかしくない「良識」=良心のことを言ってるのである。
言い返ると「常識」は変化する、「良識」は普遍である。
日本人は優柔不断で、物事を決め付けないうじうじした国民のように世界では感じられてるが違う。
それは、「おもてなしの心」のように、事情事情にあった答えを考え出す達人なのだ。

まずは自分の考えのように頭で考えた「意識」で会話するのでなく、
「気」使いから相手のためになることしようと考え、
そこから「意」具体的方法論になるのである。

欧米人は逆に「意」から自分の説を訴えて、違う「意」の方法と戦って、
お互いが折れ合うという会話方法で事物の進化や進歩を見つけ出す。

議会の二院内閣制や法廷の検事と弁護士が議論して戦いあう形式を取る。
日本では戦うのは最後の手段で、
事前に気配を察するという事で戦うまでいくことを良しとしないのである。

江戸時代の武家社会では武士道といわれ武士道のような考え方が確立する。
新渡戸稲造が「外人に向け「武士道」書き、内村鑑三が「代表的日本人」を世界に問うたのである。

皆さんも戦前を学ばないで否定するのでなく、二宮金次郎や西郷隆盛の生き方を学べば、
現代を生き抜く智慧がいっぱい詰っていると察する。

皆さんはヨーロッパの中のフランスの現状の教育・福祉どのように感じてますか?

2017年03月11日

社会に適応しようというまじめな人は「性格の鎧」をかぶり「感情喪失」になる

フロイドは性的人間と行動に関係性があると精神分析学を展開する。
彼が研究すきっかけはヒステリーの女性の診察した結果社会ルールから受ける性の抑圧が原因考えた。
1917年にはソビエトがレーニンにより共産社会となったところであった。
1930年代は共産主義社会が台頭し、資本主義との対立も激しく人間疎外論が浮かび上がった。

ライヒはマルクス主義を標榜するソビエトで人間疎外の要因は、
資本家からの開放と同時に自然な人間の性も抑圧され精神が病んでるから、
自然な性の開放が来るべき共産社会の理想だと考えた。

人間の性格は社会に適合しようとして性格を作るのであるが、
社会に適合すればするほど人間としての自由や自在さが疎外される現実がある。

そこで社会に飲み込まれ自分の魂が取られないように、
自分を守るために「性格の鎧」を身につけ自己存在を守る。
さらに、社会のルールを守ろうとすればするほど人間の感情が麻痺し感情喪失するのである。

ライヒは社会変革と同時に自己変革をしてバランスの取れた人間形成と同時に、
社会的制約から来る抑圧から「人間解放」を実現したかったのだ。

自己変革をどうするかというのを性的な解放でできると考えたが成功しなかった。
自己変革は誰もが共有できる価値基準をしっかり構築する事だ。

私は常識を学び常識の縄に縛られる事から開放されることだと感じる。
誰しもわかっている命を大事に他人を思いやる行動をとればいいという当たり前。
この当たり前を自分の背骨にする。
実にシンプルで、ただそれだけである。
これを「良識」をモノサシにする事だ。
弊社では「二方良し」でなく「三方良し」、
また自然界も入れれば「四方良し」になる。

アダムスミスは国富論で「見えざる手」と表現したのは公平な観察者と言ってる。
これは「良心」のことだ。
経済では管理通貨制で「見えざる手」が調整してくれなく人間の意図が働いている。
世界中がトランプ発言に右往左往してる現実を見ればわかるであろう。

人類がもっと発展、進化して世界中の人が大人になれば、
互いに助け合い支えあう「良識」を体得した人たちが多くなって、
平和な世の中が来るに違いない。

その道のりは遠いが末来に希望の光を持って、
自分の身の回りから少しづつ、今をど真剣に笑いながら「三方良し」の行動をすることだ。

皆さんは「性格の鎧」を来て「感情喪失」になっていませんか?