社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

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2018年09月15日

日本人の宗教心

明治神宮には正月ともなれば250万人が参拝する。
勿論伊勢神宮もそうだが、お寺にも参拝する。
正月だけで有名な神社や寺のお参りは最低に見積もっても1500万人はくだらない。

一神教の欧米では信じられない光景だが現実だ。
では、アジアの国々特に日本は多神教(汎神教=山も神なら岩も神になる)の世界だ。

何が根本的に違うかというと1789年のフランス革命を見れば解る。
フランスのアンシャンレジーム(絶対王政)である。

身分は三段階ある(当時の人数)
1.第一身分は聖職者14万人
2.第二身分貴族   40万人
3.第三身分      2600万人

要するに教皇が支配して皇帝は身分が下なのだ。
教皇が政治を支配してる世界がヨーロッパの歴史だ。

そこでルネサンスを始め、どうにかキリスト教の支配から自由になりたいと考え社会は発展してきた。
絶対王政から立憲王政へ、そしてブルジュア民主主義となる。
1.法の下で平等
2.経済的な自由
3.自由な私的所有
4.人権の保障

神から人間の理性を基本に「自由、平等、博愛」といった理念を元に契約社会を考え、
神から開放される事を望んだのである。
勝に教政分離だ。人間が主人公になり神に代わってしまったのだ。

さて日本は政治が上で宗教はいつも下であった。
だから政教は分離せず共存してきた。
都合よくご利益を願って神にも仏にも時々によって参り報告したりお願慰したりする。

一神教の世界から見ると無宗教に見えるし、
日本人も宗教を問われたらほとんどの老若男女は無宗教という。

その理由は学者や政治家が理性を中心に、
外国の歴史にあわせて理性の国家が正しいというのを真似てるからだ。

60年前にはプロレタリア革命を主張する学生運動が起こった。
本気で共産主義社会が理想だと思って戦っていた学生たちの映像が懐かしい思い出される。

さて、結論的に言うと日本の宗教人口は3億になるそうだ。
私の家も西本願寺の仏壇がありお寺さんに月参りしてもらってる。
長田神社の氏子にもなっているから、神仏がダブっているのである。
昔は神棚とかまどにもオフだが張っていて水や炊き立ての米を供えてた。

おまけに娘は昨年結婚したがプロテスタントの牧師の前で結婚式をする始末である。
最近の墓じまいや樹木葬や宇宙葬、おまけに「阿弥陀経の「俱会一処」ではないが、
子供に迷惑かけたくないと「合祀」して、一代限りにしていたり、永代墓と証して、
墓があるのに子供のためにと「墓じまい」
なんと、大らかで融通無碍な宗教心だろうと感心するばかりだ。

皆さんは日本人の宗教心いかがおもいますか?

2018年09月12日

「自因自果」の法則

母親が責任感を持たせるために「他人のせいにするな」と叱られていた。
どうしても納得いかなかったので、仏教的にはどう解釈するのか調べてみた。
実に上手く解説されているので紹介したい。

仏教では行為のことを「業」という。
この業(ごう)には三つある。
1.現実の中で自業自得というように、自分が人を無視したから嫌われた。
 という自分の行為に原因があるという意味。
 (今の意識レベル)
2.現実の問題でなく、自分が過去行ってきた善悪の行為のすべてが影響すると言う意味。
 (顕在意識レベル)
3.自分の過去だけでなく、遺伝子レベルで受け継がれた先祖の行為も影響すると
 いう意味だ。
 (潜在意識レベル)

この業(行為)が原因だと言い切る。
たとえば、好きになって結婚する。
しかし、旦那がアルコール中毒で働かない。
これも自因自果で、自分の行為が悪いと反省することが正しい心のあり方というのである。
相手があるので少しは相手も悪くないと言いたい。
半分ぐらいは悪いのか3割位とか迷ったり悩んだりするのが一般的だ。
これを全面否定するのが仏教の諭し方だ。

相手の価値観や善悪は問わず、「因縁」の縁というのである。
これで解るように解決の方法は、
1.自分の行動を変えること。(因果応報)
2.「縁」とは人でも環境でもよい。断ち切ることだ。
この二つの決断と覚悟で、課題は解決するのだ。

さて、人間が生きるのには二つを充足が必要だ。
1.生きること(狭義で肉体を維持する)
2.幸福になる(心の満足をえる)

現実の経済的に発展した日本では生活する事に困らない環境がある。
求人倍率が1.6倍であり、就業者が減っていて何をしても生活できる。
困窮すれば生活保護も受けれるのである。

だから若者は自分の価値観を実現する自己実現を考えるようになり、
個々人の価値観を充足させる環境を探す個人主義が蔓延する。

言い換えると「当たり前」の事が共有できないで、ばらばら価値観が蔓延する。
これを価値の多様化と言っているのが今の日本ではないでしょうか?

さて、「縁」について深めると、
幸福になるには「良き縁」を引き寄せるように行動することが望ましい。
仏教では、「身口意」と人間を三つに分けて諭す。

「自因自果」ですから、
1.身のこなしも横暴な態度や礼儀なく他人を傷つけるる行為では良い縁が来ない。
2.口も不平不満ばかり振りまいたり、他人を始め周りの愚痴ばかり言っていたら、悪い縁を呼ぶ。
3.身と口は「意」自分が何気なく思ったときに善悪を分けて悪いことを思っては悪い縁を引く。
この「思う」ことをすべて「善」を思いなさいというわけだ。
すると良き縁がよってくるというのである。

実に解りやすいが感情のある人間には実現させることは難しい。
私の人生を振り返って、100%「善」を思い浮かべて生きたということはないと断言できる。
心はいつもゆれて動くからだ。

「喜怒哀楽」の感情がでるのが偽らない自分だ。
しかし、1%でも善に近づける努力をすれば、縁も1%は良き縁になるに違いない。
この心構えを作るのが人生の使命であり、幸福になる最善の方法である。

皆さんは「自因自果」の法則いかがおもいますか?

2018年09月07日

「価値ある自己になる」

「価値ある自己になる」

常岡一郎棟梁の言葉である。

「一万人を支配することを願う人は多い。
しかし、一万人の人から仰ぎ見られる、
価値ある自己になることを心掛ける人は少ない。
万人の親しみと尊敬を集め得るほどに自己を磨き上げること、
自らの不備、不徳を強く反省する事が、人生の基礎を固める道である。」


論語に「知好楽」という言葉がある。
知ることより好きな事の方がよく、
好きより楽しんでやる事が良いという意味だ。
私はさらに「遊ぶ」というのがもっと良いと思っている。

しかし、遊ぶにも、遊ぶものがいるし、遊び方もいろいろある。
このように考えを進めるのが現実的だが自己中心的な狭い考えでもある。

常岡棟梁は違う。
「一万人から仰ぎ見られる価値ある自己になる」
言い換えると誰もが認める棟梁を目指した人なのだ。
この人は頂点を目指しているのだ

私には腰が引けてしまうぐらい大きな志をもたれたと感心するとともに、
自分の小さな料簡や志の低さを反省させられた。
張ったりなら言えるが、人前で堂々といえない自分がいる。
それなりの行動をしなければ、誰も信じてくれないことが解っているからだ。

常岡棟梁は「自分に厳しい人」である。

先日、料理番組を見ていたら、
まな板を食材によって変えるといってました。

また、ごま油は60度で香りが飛ぶので、
料理の仕上げにフライパンの回りにかけ火を止める。

やっぱりプロは違うな!

ある面から言うとトコトン味にこだわって食材も料理法も調味料も最高に生かす。
拘るのは自分に対してでなく、料理を食べる人に素材を生かし最高の味を提供する。
まさにプロの料理人は「一万人から仰ぎ見られる価値ある自己」に挑戦する人なんだ。

省みて、私はそんな自己を日夜磨いてるか自問自答すると、
随分、気楽で適当に生きてるようでもったいないと反省しかない。

大きな志抱いて、張ったりを言わないという謙虚という美名の怠惰かもしれない。

皆さんは一万人支配したいですか、一万人に仰ぎ見られたいですか?

2018年09月07日

「人間力」について

人間力を磨くとは具体的にどうする事なのか?
論語の衛霊公に、
「子貢問いて曰く、一言にして以って終身、之を行うべき者有りや、と。
子曰く、それ恕か。己の欲せざる処は、人に施す勿れ、と。」

「恕」とは思いやりである。
孔子は一生通じて大事にするのは思いやり。
仏教的に言うと「利他行」
キリスト教的に言うと「アガペ」(与える愛)注。反対はエロス(奪う愛)

書くことは簡単だが、実際に自分の利己心を捨てて行動できるかが問われる。
さて、人間力とは「恕」を実践することだ。
二宮尊徳は「道徳なき経済は罪悪 経済なき道徳は戯言」というように、
現実的には経済活動と同時に道徳が実行される事だ。
「道徳」とは人間としてあるべき徳目(知信仁勇厳)であり、
「倫理」とはその徳目を具体的にルール化したものである。

さて、加地伸行先生によると「道徳には三つあるとおっしゃられる。
1.絶対的道徳=古今東西不易な事、借りたものを返す。約束を守る。
  不要なゴミをあちこちに捨てない。
  日常の道徳心から公共の道徳へ
2.相対的道徳=白より赤がいい(価値観によって変わる)
3.修養的道徳=個人が信奉する道徳(親切)個人が磨いていく心構え

戦後日本では自由と民主主義を標榜してアメリカのモデルを真似して、
追いつけ追い越せと貧困から脱却すべく経済中心で走ってきた。
本来あるべき教育の「知育・体育・徳育」のバランスが欠けてきたのである。
加地先生の言われる絶対的道徳の欠如による公共心の育ちが遅く、
個性を認めすぎて学級崩壊する現象がおき、先生も制御できない。
一方で個人が信奉する、人間に対する「恕」を醸成することを良しとする風土の欠如がある。
これも「弱いものいじめ」として現れている。

人間は自らを人間らしく自分で育てる事を人間力というのである。
相対的に他人と比べて競争するのでなく、
自分の過去と比べ一歩でも進化し成長することだ。
言い換えると競争相手は過去の自分だ。

自信とは「成長願望」を持ち続けることだとおっしゃられる人もいる。
人間力とは「知力、体力、徳力」の総合的な統合を言うのであろう。

皆さんは人間力に感心ありますか?

2018年09月06日

一万時間の法則

成功者や天才の共通項を調べたら、一万時間毎日続けていたというのである。
これを提唱したのはマルコム・グウラドウエルである。

仮に毎日2時間するとすれば、5000日(約13年と6ヶ月)
  毎日5時間するとすれば、2000日(約5年6ヶ月)
  毎日8時間するとすれば、1250日(約3年と4ヶ月)

私は毎日社員の日報を見るようになって10年は経ちます。
一人ずつにコメントするのですが、2時間半はかかります。

文通してるのと同じなだけではなく、社内で顔も合わせるので、
その人の人柄や、くせも理解できるようになります。
何よりも具体的な仕事の内容や感想が書かれているので、
行動のあり方や物の感じ方まで感じる。

10年近くやり続けて特に感じるのは
どんな人も必ず成長して進化していくことだ。
それが時間の経過とともに眼に浮かぶぐらい敏感に感じる。
(元の人それぞれの性質はあるが努力によって進化する)

最初は慣れないから愚痴もでるし、面倒くさくなり、
途中下車したくなった。

コメントを書くに当たって、もう一つ決めたことは、
恩師小田切瑞穂先生(理論物理学者)の言葉でした。

「真理を探究する人間は365日休みはない」

これを聞いた時は衝撃を受けました。
何故なら、一週間に一日休みに慣れていて、
そんな習慣が身体についていなかったので辛かったですが、
毎日見るには365日休みなくを実践した。
(出張中は二日も三日も溜まる。正月休みは休む)
(※注)現在はスマホからできるので出張先からでも書けるようになった。

毎日見てると、マラソンと一緒で、20キロぐらい走ると「ランナーハイ」といって、快感ホルモンのβーエンドルフィンがでてくるんですね。
(コメント書き始めて2~3年過ぎたころでしょうかね)

義務感で自分を束縛して苦痛を感じていたが、途中から快感に変化し楽しくなるんですね。

この日報を見ることを始めたのは、もともと紙で書かれていた日報を、ペーパーレスにしようと私が言い出したこともあって、部下に任せて放ったらかしにするのは無責任すぎると感じた。

一日汗かいて行動して報告を書いてくれてる人は時間を使ってるのだから、
まじめにコメントするのが誠実な対応だと考えた。

自分の時間が束縛されるようで2~3年は本当に辛かった。
習慣は「第二の天性」といわれるように、
朝の歯磨きと同じように習慣化することだと気付かされた。

どんなことでも初めの一定期間は束縛感や苦痛間を感じるのが普通だ。

若いときには解らなかったが、一つの事に集中すると他の事ができないと思い込んでいた。
でも、そうではない。
「一意専心」すれば、より深く広く、関連的なことへと関心も広がり興味も湧いてくる。

木で言えば、太い幹に栄養が行かないと枝は茂れないのと同じだ。
時々、下草の雑草に栄養(興味)を奪われないように刈って、
必要のない枝は切らないと、本体の幹の栄養まで食ってしまう。

木を育てるのは「下刈り十年、枝打ち十年」といわれる。
人間も同様、成長願望を持ち続ける人間を育てるには「下刈り、枝打ち」がいる。

一日2時間でも夢中になって集中できる事を一万時間できたら「プロ」になる。

ピアノやバイオリンを弾く人の練習時間は半端ではない。
私たちは芸術家ではないので、仕事を楽しむ「一万時間の法則」を突破した時、
仕事の「プロ」になれ、イチローのようになる事間違いなしですね。

稲盛さんは「やはり苦労とか災難というのは、
人間を作ってくれるのではないかと思う」と語られる。

一万時間の法則を何度も越えた人の言葉でしょうね。

皆さんも実は天才で成功者ではないでしょうか?

2018年09月05日

「学ぶ事」は無知を知ること。

「学べば学ぶほど、自分はどれだけ
 無知であるかを思い知らされる。」
        アインシュタイン


私は若いころは知識と現実がつながらないので、
もっぱら知ることより、実際に成果を得たい欲望にかられ、
「早飲み込み早合点」して闇雲に行動して、
遠まわりしていた自分がいる。

あまり深く考えて取り組むということはなかった。
自分さえ納得すれば良いと考えていたからだ。
だから、記憶する事も意味がないと考えていた。
必要なときに、本なり資料があれば、その時見れば良いと思っていた。
今当面する「課題」を解決する事だけに執着していた。

ところが、知識としての情報が入ってないので、いろんなやりかた、方法が考えられない。
知識がないのに智慧が出るわけないんですね。
あるとすれば「気合い」で死んでも良いという覚悟で体当りするしかなかった。
これも必死な中で生まれる智慧かもしれないが、
余裕がなく不安と恐怖心でいっぱいになることは間違いない。

そこで、知識を記憶する事の重大性に気がつく。
料理でも材料がなければ和食もフランス料理もできない。
素材を生かす技術も必要だ。

アインシュタインが言ってるように、人生を楽しく、課題を解決し生きるには、
三つの条件がいる。

1.行動力である。(行動がなければ実現しないのである。)
2.智慧である。(知識の量と質を高める事だ。)
3.胆力である。(決断力と覚悟である。)

私たちはどうしても相対的に物事を捉える癖がついてる。
二元論だ。善悪、損得、好き嫌いだ。
これでは対立して解決しない。

物事を一元論で考える癖をつけるのである。
「自他不二」「物心一如」

1.矛盾をありのままに受けいれる。
2.不完全な人間をそのまま受けいれる。
3.成長願望を持ち続ける。

必然的に、決断が早くなり、覚悟ができるのである。

学べば学ぶほど自分のちっぽけさ、無知さを知らされる。
宇宙は広く、深く輝いている。

皆さん学びの面白さを楽しんでますか?

2018年09月03日

「日本人の意識改革と日本の造り方」に思う。

仏教や儒教の東洋文化は人間の奥ゆかしさや人格を養うが、現実の経済や民主主義的な立場から考えると随分価値観が遅れているうに感じる。

経済においては加工貿易を旗印に輸出振興し、家電や車の性能は世界的にも品質のよい製品をつくり、1980年代はジャパンイズナンバーワンといわれた。

工業化社会から情報化社会へシフトして、パソコンやスマホの業界が世界をリードするようになった。

アメリカのシリコンバレーから生まれたマイクロソフトやアップル、フェイスブックなどが世界の市場を大きく変えて行ってるのが現状だ。

バーチャルなネットの店舗のアマゾンが通販という方法で拡大し、家電量販店の売り上げが2014年に約6兆5700億から、2019年には4兆3000億に落ち込むといわれている。

今や家具やリフォームの業界に進出せざるを得ない状況だ。

家電業界はI ot(モノのインターネット化)が進み、あらゆる家電がスマホからコントロールできるようになる。
生活様式が変わってしまうのである。
中国ではアリババがネット通販で50兆を軽く越す勢いで売り上げを伸ばしている。

政治的にも大きく変化してきている。

過去の右翼左翼といったイデオロギーの戦いの議論や、ある団体の利益代表という政治闘争という概念ではなくなってきているのである。

今の政治は「情報伝達機能」として国民に開かれた正しい情報開示をして、国民の意思決定に従う方向になってきてるように感じる。

勿論「公平」な政策を作って、国も国民も世界と平和実現に向けて見える化することだ。
誰かにかたよったイデオロギーの代表でも、ある団体の代表でもないのである。

国家運営に大事なことは税金だ。
日本では税金の無駄使いを困ると考え、できるだけ国民は払わないように考える国と国民が対立構造になっている感じだ。

ところが人口1,012万人のスエーデンは違う。
国民は税金は「投資」と考えるのである。
政治の信頼度は総選挙では80%の投票がされる事で証明される。
勿論、20歳未満の医療も教育も無料だ。

ある人は「夜の治安、ベットの不足、医療面の不安」もあるが、それはどこに重点的に投資するかの問題で、税金が高いということや政治の不信感ではないと断言する。

消費税は25%である。日本は来年10%になるところだが、賛否両論だ。
時の内閣が総辞職に追い込まれる問題でもあるのが今の日本だ。
社会の成り立ちが違うといえばそれまでだが、国に責任ばかり押し付け、政治家は選挙で当選するために国民に迎合する。

こんな日本の体質ではなく、互いが助け合い税金を「投資」と考え国も国民もともによくなる国民でありたい。

それには、単に意識改革だけでなく、国のあり方をトコトン議論し尽くして抜本的に改革しなければならない。
たとえ一時的に国民が辛い状況になるルールであっても受けいれ改革を起こす事だ。

皆さんは、いかが思いますか?