社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

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2018年01月10日

人生は一本の糸が織り成す変化

「成功」と「失敗」は一本の糸の、でこぼこな道に過ぎない。

そんなことを考えれるようになるには失敗の連続にもめげず、
理想を求め、志を高め、夢を膨くらませ、まだ見ぬ末来を作りたい。
そんな命のそこから湧き上がる生きようとする情熱に支えられた、
勇気と行動力が一歩づつ着実に未来を切り開く。

現実絶対肯定し、絶望を捨てきった希望のみを心に抱き、
絶対積極で挑戦していく以外に末来は実現しない。
「思い」を熱くし念願する。

ところが現実は善だ悪だに迷い、損だ得だに苦しみ、
正しいとか間違いにこだわって、思い通りに行かないと自分でストレスを作ってしまう。

愚かだとわかっているのにどこかで一本の糸の変化の過程と捕らえるのでなく、
〇✕を判断して考えようとする愚かを繰り返してるのが凡人の悲しさだ。

仏教では「分別智」と言って、相対的にモノを捕らえてはならないと教える。
言い換えると「と」の関係を分別するといい、「の」の関係を無分別と教える。

「私」と「あなた」でなく、「私」の「あなた」と捕らえる。
私の好きな「自他不二」という言葉がそのことを意味する。

人生を成功の連続とでありたいと考えた若いときは、
努力しても努力しても先が見えなく苦しいだけで、末来が見えなく不安や恐怖心がでてくる。
誰しも一度はこんな心境になるのが普通だ。

ある時、分別して「成功」を求めたから苦しかった事に気付く。
「成功」を求めるのは現実でなく、現実の中に末来があることに気づき、
現実の不完全さを情熱と勇気と行動力で末来を作る。
それこそが自分が主人公だ。

もし100%が未来としたら、現実の人生はある意味では「失敗」の連続だと考えたほうが苦しくない。
何故ならもともと人間も現実も不完全で未熟だからだ。
だから、努力すれば一歩でも前進し、昨日より進化し充実感と達成感を味わい自信もできる。

故に、御釈迦さんが「一切皆苦」と思えとおっしゃられたのもうなずける。
一歩づつ苦から開放するために行動し現実を開いていくことを諭されたのだ。

無意識に「成功」を求め、「楽」でなければならないと思い込んで、
自分にプレッシャーを与え「苦」を作っている愚かさに気付かされる。

未熟で不完全な人間が、現実をより良くすると、
意識的に「失敗」の連続で「苦」の連続という不完全な現実を受け入れ、
「失敗」、「苦」からの開放すべく智慧と行動を世のため人のためにすることで結果、
「成功」や「楽」に一歩づつ近づくことは間違いない。

これも分別智による表現だから理屈ぽい。
「成功」や「失敗」「苦」や「楽」と細かく切らないで、
山坂のようにつながる一本の糸(道)でありすべてがプロセスだ。
死を迎えたときに「成功」「失敗」が始めてわかるのが真実だ。

皆さんは人生は失敗の連続だと思えますか?

2018年01月07日

心に響く年賀状

毎年、年賀状は1300数枚書く。
今年は「桃花笑春風」という言葉にした。

さて、沢山いただいた賀状の中で紹介したい。
やはり定型の決まり文句でないものを選んでしまった。

1.「しあわせは
 いつも
 じぶんの
 こころが
 きめる」


2.招春躍然と書かれたところに、
 「夢・・・・それは「生命」だ。
 「誰からも、どこからも干渉されない、
 誰にもどこにも依存しない。
 そんな出版社を創る」

その下にはゼロから出発し、掲げた目標、誤った大儀は実現も接近も、
できるどころか、遠のいていったし、消えてもいった。
多くの欠陥や過ちに気づいた。
それでも懲りずに人として理想主義や一途さこそ大切だと思いつづけている。

25歳で創業し、「金なし、学歴なし、おまけに智慧なし根性なし」
でも負けないぞ!
群れず、頼らず、ぶれず、前進する。
あの根拠のない決意と暑さは覚えている。
今、冷や汗がでる。
新しい43期に向かわせるのも、それは「夢」だ。

3.新年あけましておめでとうございます。
  平成三十年一月一日
と書かれた横から細かい字が走っている。

「すべては一冊の本の出会いから始まった。
編者井上稀道老師、題名「坐禅はこうするのだ」(探究社)
浅学な私にとって、井上稀道という稀有な禅の指導者の存在は全く無名であった。
しかし、一読三嘆、門を叩かずにはおられなかった。

一経営者として自らをどこまで哲学できるか。
解脱の山門への参禅をおえて、コトバでわかったとする知識の世界と直接体験した、
内発的自然の体得の世界に、いわば天地の開きがあることが実感できた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「たった自己一人の解脱が全世界、全人類、全苦悩を解決づける唯一の早道である。」
という老師の老師の一言が実感でき、確信となった。

3.謹賀新年
グローバル経済の終焉過程に「足ることを知る」を忘れている日本のビジネス界と異次元の金融緩和政策の日本を離れ、アドリア海側の南イタリアの田舎をサイクリングを夫婦で
行ってます。
イタリア最南端レッチェ周辺走りめぐっています。
素晴しい年賀に感動してる次第です。

皆さんはどんな年賀状に感動されていますか?

2018年01月06日

陋規(ろうき)が失われてる時代

水戸黄門や鬼平犯科帖(池波正太郎作)の時代劇を好んで視るが、
家族は誰も視ない。
それどころか、これからの若者は誰も視ないとまで断言される。

実に悲しい思いがする。
それは陋規が失われるからだ。

お母ちゃん、お父ちゃんで育った全くの庶民育ちの私にとって、
民のために政治をする人たちは道徳的に綺麗でなければ納得がいかないのが普通だ。

政治を行う支配階級の人には清規という表向きの道徳を守ってもらいたいのが望みだ。
しかし権力を手にすると利己心が働き自分の利益誘導して汚職をする、
賄賂を貰うという人がでてくるのも現実だ。

時代劇では海鮮問屋「〇〇屋」と組んで密輸をそそのかし、
賄賂をとる悪代官をこらしめてくれるのが水戸黄門だ。

ストーリーは「この紋所が眼にはいらぬか?」の決め台詞で、
「角さん助さん懲らしめてやりなさい」となって捕らえられる。
この場面を見て悪は必ず滅ぶと胸がすっきりする思いになる。

さて、清規とは喧嘩をしない、親孝行をするといった表向きの道徳だが、
陋規とは裏の道徳だ。

1.弱いものいじめない
2.喧嘩は一対一で素手でやる。
というように、卑怯な真似をしない。

義賊と呼ばれるねずみ小僧は盗賊には違いないが、
1.女性に乱暴しない
2.貧しいものから奪わない
3.放火をしない
4.盗みはしても人を殺さない
という人間としての暗黙の掟がある。
任侠道では「仁義」という。

民主主義が発展し個人の権利を保証する社会ができているのはいいことだが、
その裏側の義務を果たす道徳が失われているように感じるのは私だけだろうか?

日本では「恩は石に刻め、情けは水に流せ」ということわざがあるように、
お世話になったら「恩返しする」というのが暗黙の掟だった。

ところが西洋的な権利と義務という論理の世界がまかり通って、
義務先行の考え方が失われ、陋規が失われている。

昔は良かったなどと感傷的なことを思ったり、昔に帰れとは思わないが、
新しい庶民の陋規を構築する必要を感じる。

それがFB、インスタといったSNSというコミュニケーション手段で拡散していけば、
日本はもっと素晴しい国になることは間違いない。

世界の先進国が日本人を素晴しい民だというのは、
大きな自然災害を受けても暴動も起こらず、助け合い支えあえる空気があり、
我先にと醜い争いも起こさない事実を見るからだ。

眼に見える世界での共有でなく、
眼に見えない雰囲気や空気を感じ、
その場を共有できる世界で唯一の人種である事を誇りに思う。

だからこそ、子々孫々に清規と陋規の道徳観を伝承するのが、
今を生きる者の義務だと察する。

皆さんは陋規をどのように伝えてますか?

2017年12月25日

事実を直視する

森信三さんは「真理は現実のただ中にあり」と表現される。
人間の本能は自分を守るようにできているから、
自分のとって都合の良いことなら現実を受け入れるのが一般的だ。

問題は自分にとって都合の悪いこと、
簡単に言うと感情的には「嫌いなこと」
理性的に言うと「損すること」の現実は直視したくない。

しかし、肉体的に未熟な、よちよち歩きのときに助けてもらった両親や、
お世話になった友人や精神的に支えていただいた恩師に対して、
「恩返し」するのが人間としての人情だ。
もっと視野を広げると道路や、鉄道を利用する事でいろんな事ができる。

これは特定の人でなく社会という大きな援助があってこそであるから、
社会に「恩返し」するという事になる。

人間は不完全な存在で一人では生きられないのである。
お互いが助け合って相補的に生きているのだ。
ところが、人間は自分を中心に考える相対的なものの見方もできる。
すると、競争することが発展という考えもでてくるのである。

現実の現象から物事を捉えるとそれも致し方ない。
地球の持ってる宇宙の法則は「競争」ではなく「調和」を自動的にするシステムなのだ。
常に調和にベクトルが向いているのである。

人間はこの本質に立ち返れば相補的に調和へ向かい生きる。
それには理性×利己心(保護本能)が課題になる。
この課題をどう自分が受け入れ昇華するかである。

ノーベル文学賞を貰った日本人の「かずお・いしぐろ」は、
「人間はね。ただ嘘つくんじゃないんです。
 何か隠しながらつくんです。そして事実を直視しないようにする」

仏教では「善悪無記」物事を損得好き嫌い、善悪を分別しない。
そのまま事実を受け入れることを諭すのである。

良いことが起これば調子に乗らず押えて行動する。
悪いことなら、必死になって知恵を働かして行動し、切り抜ける。
ただそれだけである。

もう一つ諭してるのは「慈悲」だ。利他行だ。
この二つを毎日こつこつやり続けることだ。
そこに光は必ずさすというのである。

白隠禅師の言葉に「直指人心 見性成仏」という言葉があり、
人間でありながら仏となるというのである。

しかし、遺伝子は利己心だから自分に対して徹底して習慣化する必要がある。
事実を直視して楽しく生きたいものだ。

皆さんは事実直視する事どうされてますか?

2017年12月24日

「産業革命」と現代に思う

戦後日本の製造業の製品品質が世界一になったのは、
エネルギーが石炭から石油に転換する時代背景で資源がなかったからである。

今も状況は同じだが、世界の石油事情はアメリカが生産を増やした事により、
中東やロシアの石油の価格が上がらない状況だ。

1750年代はヨーロッパではフランスやドイツが先端を走っていた。
ところがイギリスは人件費の高騰で大変で、
人件費の安いインドや中国から製品を輸入せざるを得なかったのである。

実に今の日本に状況は似ている。
平成8年ごろからデフレ現象が続いて、経済はひたすら人件費の安い中国に頼ってきた。
中国は世界の工場を目指し経済的に発展してきた。
「一国二制度」’政治は共産主義という独裁で経済は自由主義を標榜している。
政治的強制力がものをいって発展し続けている。(中味の実態が正確に解らない)

当時のイギリスが採算に合っていたのは石炭がエネルギーの中心で安かったからであった。
ところが、国は貿易赤字で困っていたのである。
そこで目をつけたのが蒸気機関というエネルギーだ。

今の日本が知恵を絞っているのは「AI(人工頭脳)」のロボットであり、
IoT(製品のIT化)である。
少子高齢化は需要そのものも縮小し、労働人口も年40万人が減少する現実がある。

出版業界の需要は10年前の25%ダウンの1兆4709億円、
百貨店は6兆9000億で20年前10兆弱だったものが減っているのである。

政府は「働き方改革」と言って労働時間を短縮し、
企業に3%の賃上げを要求するといった政策を突きつける。

人気取りの教育の無償化という美名の下に環境税や出国税を国民に課す。
政治は志とビジョンがなければならない。

財政基盤が1000兆近くの借金があり、構造上高齢化は年金受給者が増えることだ。
具体的な現実と向き合い同時に、国を支える人材教育のあり方が問われる。
今のように弱者保護の政策では行き詰る。

スウェーデンは課税も独身者には高く、子育て世代には安くしたり、
自立を促すために教科書には福祉国家を維持するには、
自立した課税者になることと教えし、
18歳になれば家族とはなれて生活する仕組みという強制力もある。
(昔の日本の武士なら15歳で元服という儀式が合った)

大阪は緒方洪庵(岡山出身)が荘子・大宰師篇にある、
 「他人に役せられず
 物に役せられず
 己に適するところを適とする」
意味=いかなるものにも制約されず、己の確信する道を行く。

自主独往の精神を理念に「適塾」となずけられた。
医学から学ぶ蘭学であった。(現在の大阪大学の始まりである)
勿論福沢諭吉もここの出身だ。

大阪は天下の台所といわれた江戸時代には経済の中心で合ったし、株式市場もできていた。
最近ではシャープの早川さんやパナソニックの松下幸之助さんの創業者精神が息づく都市でもあった。
是非、この大阪が末来への発信基地として産業革命を起こしてほしいと願い、
自身も業界革新を巻き起こしたい。

皆さんは産業革命、大阪発信になるとおもいますか?