社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

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2019年03月22日

南無地獄大菩薩

白隠禅師の書かれたお題目だ。
地獄絵には三途の川を渡って、針の山越へ血の池地獄などなどある。
だから、悪い事はするなという戒めと受け取る人も多いだろう。

白隠禅師は違う。
大菩薩と言って地獄に帰依(南無)して菩薩となる。
坐禅和賛に書かれている「衆生本来仏なり」ということを、
人間が住む娑婆世界を地獄(煩悩)と捉え、
現実から逃げないで生きることを諭されたのが「南無地獄大菩薩」である。

柴山全慶師の「越後獅子禅話」の中に書かれている逸話がある。
俳句仲間が事業に失敗して、銀行からもお金を借りれない状況になり、
俳句仲間は「君子の交わりは淡きこと…」で付き合っていたがどうする事もできず、
その仲間に200万の借金を頼んだ。
俳句仲間の友人は困り果て、「翌朝茶室に来てください。その時ご返事します。」といった。

翌朝、茶室に案内されたが主人は来ない、

そこの床の間に白隠の言葉「南無地獄大菩薩」という軸がかけられていた。

一人静かにその軸を見て、自然と声を出して「南無地獄大菩薩」と声を出し始めた。
かすかに鳴いている釜の松風は地獄の底の雷鳴のように男の心にたぎりたった。
そしてこう考えた。
「地獄を嫌い極楽を思うのは真情だが、だからと言って地獄におちることなく、
極楽にばかりすむ人間が一人だにこの地上に存在するだろうか?
無苦であり、無悲であり、無痛であることはありえない。
大小の差こそあれ、誰も彼も悲しみを抱いており、苦しみを味わっている。
有るとしても極楽の喜びはちらりほらりしたもので、
やがて地獄の底に叩き込まれるが人間という存在であるのではないか。
地獄を厭い嫌って避けようとすればするほど、地獄はより盛大になり人の頭上に降りかかる。

男はそこに一条の光を見た。

「地獄がくれば来たら良い、逃げられないなら地獄の底までおちたら良い、
地獄の中にあって、己の能力の限りを尽くす事だ。
倒れるまで死にいたるまで最善の努力をすることだ。」

そこへ茶菓子を持って亭主の友人がやってきた。

男は「本日のおもてなし無上に存じます、
床の間の一軸がこのうえもなき結構な御警策、暑くお礼申し上げます。」

俳句仲間の話であるが、「南無地獄大菩薩」軸一つで、
地獄極楽を伝える白隠禅師の伝達が具体的で生き生きしてる。
私も極楽を妄想せず、この地獄(現実)を逃げないで、
少しでも浄化するしかないと覚悟せざるを得ない。

皆さんは白隠の教え、何と受け取りますか?

2019年03月22日

敵でなく仲間はフェアプレーの精神が築く

先日、テレビを見ていてスポーツ庁の鈴木長官が、
オリンピック出場できなかった選手を仲間と言っていた。
競泳の目標はオリンピックにでて世界タイムに挑戦するために技術力や、
体力強化するのは当然だ。
タイムを競うのは目標だ。

目的は違う。
スポーツを通じて健体康心を創造し、
努力する喜びと感動を伝えることだというようなことをいっていた。

目標に向かって、切磋琢磨する事だから、試合が終われば、
ラガーのように「ノーサイド」敵、味方がなく仲間だ。
そして、「一人はみんなのために みんなは一人のために」支えあい励ましあってこそ、
フェアプレーの精神だ。

資本主義社会で仕事をする意味も同じだ。
確かに事業を継続するためには利益を出さねばならない。
京セラの稲盛会長は経常利益10%出さないと事業を継続できない。(税金に約半分払う)
どんな仕事でもそうだというのである。

3%や4%では税金を払えば残らないし、
継続するのには他人のお金を頼りにしなければならない。
まさにその通りだ。

「競争」と「信用」は一見矛盾するように見えるが違う。
目標として仕事に立ち向かい誰にも負けない努力をして利益を出す。
同業者もまた必死になって利益を出そうと努力する。
お客さんに喜ばれる商品サービス、情報を提供することや、
その実行のために、会社の仕事の取り組みを改革改善して、
さらにより良い品質。より役に立つ商品、サービスを創造し生み出そうとする。

確かに見掛けは競争に見えるが、互いが切磋琢磨して「智慧」を出し、
行動を変革し、改善と、改革を繰り返しど真剣に仕事に取り組んで築き上げる。

その結果信用がつくのである。
同業者は敵でなく、仲間だ。
業界の新しい市場を作ったり、新商品やサービスを提供し、
お客さんや世の中の役に立つ智慧と行動をして社会貢献する。

目的はこの世の中で生活するすべての人に役立つ仕事をして、
幸福になり笑顔でいっぱいになることを願う。
会社の内部で言うと部署間の立場の違いや、
仕事の違いで対立するときもあるが、仕事の目標が違うだけで、
目的はみんな物心両面幸せになる仲間である事は間違いない。

資本主義社会においてフェアプレーの精神で、
事業の目的と目標を明確にし信念化する事だ。

皆さんは目的、目標を明確にされていますか?

2019年03月18日

等身大の自分である

「素直」は私の一番好きな言葉だ。
私なりの解釈は「できることできないこと、知っていること知らないこと」
これが男女問わず、年齢の上下も、社会的立場も関係なく良心に従って、
素直に言える自分でありたいと願っている。

あくまでも「素直でありたい」と強く思っている。

現実は不完全で素直でない自分もいるのが事実だ。
思いが強いと、つい熱が入って大声になったり、言葉に感情移入してしまう。
子供や女性には脅されてるように受け取られることもある。

釈迦の十二因縁では人間は「無明」、知らないから行動するという展開になる。
言い換えれば、毎日朝目覚めたら知らない白紙のページが与えられて、
現実の中で優先順位をつけ行動する。
すると現実が変化する。
また一つ知ることができ、具体的にできることが増える。
変化は成長という。

ただこれだけだ。
良寛さんは、
「相逢って相別れ、去来白雲の心 
ただ霜をとどめるも跡はなし
人間尋ぬべからず」

良寛さんは人間とは何かを追及され、
いろんな出来事を体当たりでぶつかって対応されたから、
こんな詩を書かれたに違いない。

私も若い時から「自分とは」と考え悩んできた。
自分とは生きて生きて生きてみる中で生きぬくときに出す智慧を行動化した時に現れる。
生きるとは前進することだけでなく、バックしたり、途中下車もあるのが現実だ。(現実絶対肯定)

さて、中国の古典を読んでいると生きる中で、
実際に出会う出来事の中に感じ、共感し納得するものに出会う。

論語の学而第一に、
「学べば則ち固ならず。忠信を主とし、
己に如かざる者を友とすること無かれ。」

意味=学ぶと独善や頑固にならない。
誠を主人として、安易に自分より知徳の劣った人と交わって良い気にならないこと。
人間は自分より劣ってる人にえらそうに言うのが好きですね。(おごり)

老子は、
「信言は美ならず、美言は信ならず」

意味=真実味のある言葉は飾りっけがない。
飾りっけのある言葉は真実味はない。

菜根譚には、
「人を悪をせむるには、太(はなは)だ巌なることなかれ」

意味=部下であれ、自分の子供であれ、人を𠮟るというのは難しい。
他人なら放置すれば良いが、部下や子供はできない。
𠮟れないのは責任放棄に等しい。
厳しすぎてはいけないというのである。

ここがポイントで言いたい事は、
「相手に受けいれられる限度を心得ておくという事だ」
昨年、運動部の指導方法で日体大のラクビー部がマスコミの取り上げられた。
行き過ぎた厳しさで、反骨精神を練習にぶつけるやり方だが、
感情移入もして怒鳴り散らしたり暴力を振るう結果となった。

この指導は受けいられない世の中になってきてることは事実だ。
古典に習って、リーダーが変わることだ。

虎にならなくても、荘子(達成篇)にある故事に由来する「木鶏」を育てるリーダーがいる。
等身大の自分で育てるには、まず自分を調教する事が必要充分条件に違いない。

皆さんはリーダーが変わることどうおもいますか?

2019年03月15日

「思い」が「行動」を決定する

仏教の基本は三法印だ。
1.諸行無常
2.諸法無我
3.涅槃寂静

因縁によって結果は変化するのが現実。
本質なんかないというのである。
そして、どこにも自分で描いてる自我なんかないというのである。
自分が無知(無明)を知って、行動した結果が因果の法則で具体化する。

では、どうすれば心静かに安寧を得るかというと
十二因縁に記されている。
「無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死」である。
涅槃にも二つある。
有余涅槃=肉体があって生きてるが、一切の生活行動をしない(托鉢)
無余涅槃=肉体がなくなって死に、生活行動ができない。

この段階で、安寧を得る。
釈迦はただ、このことを語って、35歳で出家して80歳まで生きたのである。
最初に鹿野苑で「四諦説」を語った。これを初転法輪という。
四諦とは「苦集滅道」、生きることは「一切皆苦」から始まる。
苦しみが集まった、滅ぼすために行動しよう。
だからといって人間の持っているエネルギーである気質をすべて捨てよというのではない。

「浄化」せよというのである。
その実践が脱世間で出家だというのだ。
世の中にいると五欲・七情を膨らませるだけで苦しみを増幅させることになる。

だから、善行を勤めるように諭す。
仏教的では利他行をすること、布施(一方通行で与える)ギブアンドテイクではない。
その行動は身・口・意、行動は口からの言葉、思い(意思)となって、伝わる。

人間の持ってるものを否定するのでなく、
自らの行動で新しく生まれ変わり変化する自分を楽しめというのである。

私たちは自らの思いが行動となって表れている。
言葉も行動もおもいが支配している。
「思い」を高め、「志」を高め目的が自分を作っているとも言える。
思い・心を高め仕事・人生を生き抜こう。(心とおもいの違いは後日)

皆さんは自分の人生の行動にどんな志・目的を描いていますか?

2019年03月10日

善なる魂をベースにした経営

SQ(Soul Quotient)が人と人を共感する魂をみんな持っている。
そんな仲間のことをソウルメイト(Soul Mate)= 気のあった仲間と言う。

時代はAI(人工頭脳)の時代となり、
間違いなく人間の脳の知識や感情までコピーできる時代が来ている。
従来の人間を計るのには二つあった。

1. IQ(Intelligence Quotient)知能指数だ。
精神年齢÷生活年齢×100

2. EQ(Emotional Quotient)情動指数(感じる知能指数)
仕事の取り組み姿勢や人間関係への関心度など感情視点から測定した、
問題処理能力、事後処理能力、全体を俯瞰し創造する事や、周りへの配慮だ。

EQ、IQは生まれ持って遺伝的に持ってるものと、
後天的に体験を積み重ね脳を使い磨いたものがある。
だからこの二つは使った脳によって個性が生まれるのである。

個性が違えば価値観も違うし、
課題解決の方法や手段も違ってくるのは当然だ。
何人かで協働で仕事をする場面では食い違いも起こるので、
効率よくまた効果が期待できるには、
個々人の心の奥の「善なる魂」が結びついていないと、
疑心暗鬼が起こるか対立して結論がでない。

心の奥の「善なる魂」と呼ぶが、魂を規定するには二つの条件がいる。

1. 子供がおぼれてるとしよう。
もしそんな光景を見たら、あなたは助けてあげようと思うに違いない。
これが「善なる魂」だ。
その後の行動は個々人違う。
ある人はすぐ飛び込んで助けるかもしれない。
ある人は救急車を呼ぶ、ある人は多き声で助けを呼ぶ、
警察に電話する人もいるだろう。黙って見守って、
直接行動する人を助ける人もいる。いろいろだ。

2. 「善なる魂」とは自然の法則であり、万人が人間として生まれたら宿している。
宇宙の法則に気付くことだ。日ごろはIQやEQによって隠れているのである。

さて、特に「善なる魂」を引き出すには少し手間がいる。
人間は真っ白な心で生まれるが、これでは生きていけないので、
知識を磨き、五欲という欲をエネルギーにして自分を守る利己心を作り、
自己中心的な保守的行動するのが普通だ。

簡単に人の言う事は信じないし、知らない事や場所にはできるだけ近寄らないし、
新しいことや、難しい事、日頃と違う事には手を出さないのである。
言い換えると、後天的につけた知識や感情に支配されて、
「善なる魂」は埋もれてしまっているのである。
3歳児の子供は無邪気に100%親を信頼し、自由自在な行動が出来ないのである。

この自由自在な「善なる魂」を開くには、IQ、EQを一時的にかなぐり捨てる必要がある。
方法はいろいろあるが、坐禅の瞑想によってIQ、EQを取り去り「無心」の状況を作ることもできる。

仕事であれ日常生活であれ人間が共同生活してるか、協働で仕事を効率よく効果をあげる。
それには、「善なる魂」をベースにして個性を発揮する行動が出来ることだ。

利己心だ利他心だという相対的な価値を離れて、真っ白な「善なる魂」を自ら作る努力がいる。
毎日風呂にはいり、朝は洗顔する。
しかし、一日仕事や生活でついたほこりを「洗心」しないで溜め込んでうつになったり、
ヒステリーになることが多いのが人間だ。
経営は人間の営み、「善なる魂」が共感する仲間を増やす活動でもある。
ソウルメイトが会社の中で増え、取引先の中に増え、
業界に広がり、日本上に、世界中に一歩づつ草の根運動しながら前進させたい。
1分でも良い5分でも良い、毎日「洗心」の時間を設け、
心を浄化する事が明日へのエネルギーになる。

皆さんは「洗心」何分やってますかね?