社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

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2019年04月12日

社長ブログ、移転しました。

社長ブログは2019年4月より、下記URLへ移転しました。

今後は下記URLよりご覧いただければ幸いです。

社長ブログ移転しました

移転先URL:https://hakui-mamoru.net/

2019年04月10日

マザーテレサの言葉に思う

「思考に気をつけなさい それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい それはいつか運命になるから」

マザーテレサ

「思い」は命から突き動かす情熱というイメージが湧き、
その情熱は熱意として具体的な言葉となり方法をを見出だし行動となる。
「思考」は熱い情熱(愛・慈悲)と意志となって具現化される。
意志は言葉になり行動となり現実化する。

思いは徐々に高い志へと尽きることなく進化する。
このような心持ちを創ることが超ポジティブ思考である。
それは物事や人物の良いほうだけを考え、
嫌なものは見ないということではない。
ネガティブとポジティブという相対化した思考を超えて、
絶望的な状況でも明るい光を見つけだし、
その光を信じて突き進むタフな精神のことだ。

命は本能として持っている生命力だ。
しかし、この生命力が素晴しい影響を及ぼし、
周りの人や環境をより良くする行動をとることで発揮される。

あくまでも利他的な志からうまれる。

しかし、われわれ凡人は自分を良く見せよう、
自分の行動で利益を得よう、
嫌われたくないと言った利己的動機が出発点であるのが普通だ。

「真・善・美」は目標でなく、自分の判断・決断による行動に現れる。
ところが、われわれ凡人は現実と目標の次元を変えてしまい、
現実はそんな綺麗ごとで生ききれないと「真・善・美」は未来という遠いところに置く。
この隙間に生まれるのが苦しみ迷い、悩みである。

「今・ここ・自己」この瞬間に過去も現在も未来もあると自覚し、
少しでも「今」、利己心を二番にすることができるようになることだ。
森信三先生は「真理は現実のただ中にある」と喝破されている。

マザーテレサが言うように、
自分の思いの大きさ、広さ、深さが今の自分の運命を具現化してる。
友は良き友か、仕事に誇りと喜びを感じてるか、今が楽しいか、
周りの環境や出会った人に感謝して、謙虚に喜びをともに分かち合ってるか?
まだまだ、おごりや不満があることを自問自答し反省する日々である。

皆さんはマザーの言葉を自分の現実とつき合わせてどう感じられますか?

2019年04月04日

「マインドフルネス」について

1970年代に欧米で仏教の瞑想法を使って、
ストレスに対処するするために、意識を「今・ここ・自己」
に集中し、とらわれない状態(解脱)にすることを意味する。

日本では禅宗の坐禅を体得することだ。
道元のように「只管打座」といって、ただ坐る中に心が解放されるというやり方と、
一方、臨済禅のように「公案」を師匠と問答して、
とらわれないやり取りをして解脱する方法がある。

ともに、「如実知見」するにはとらわれない無心で、事実を偏見なく観察するのである。
「直指人心 見性成仏」という言葉があるように、
自分の心に穢れなく真っ白にならないと事実を感得できないのである。

さて、欧米人は事実を見るのに邪魔するモノが10個の本能があると分析するのである。
実に面白い解説をするのはハンス・ロスリングたちの「ファクト・フルネス」に書かれているので紹介する。
人間の本能の10の思い込み
1. 分断本能
(なんでも右左、善悪と二分化して思い込むこと)二元論の罠
2. ネガティブ本能
ニュースとは普通に行われてることでなく、0.001とかの珍しい出来事を取り上げて報道する。あたかもそれが現在主流のように錯覚させるのである。
小さなことに敏感に反応しネガティブな危機感を思える。災害や地震の報道。
3. 恐怖本能
「世界は危機」だというタイトルをつけ、恐怖心をあおる。
飛行機事故が起こったとする。事実は2016年、4000万機の飛行機は目的地についている。10機が死亡事故起こした。0.000025%である。
4. 過大視本能
2016年、420万赤ちゃんが死亡した。前年は450万人だった。
1950年は1440万人死亡だ。世界的には多くの命が救われてる。
一つの数字で過大視の思い込みしない。
5. 宿命本能
アフリカはヨーロッパに絶対に追いつけないという思い込み、
アフリカ生まれの新生児の平均寿命は65歳で西洋に比べると17歳もの差がある。
6. 単純化本能
人はシンプルなものの味方に惹かれる。
それゆえに問題にしての原因と一つの解答を当てはめがちだ。
それでは世界を誤解する。
7. 犯人探し本能
何か悪いことが起きた時、単純明快な理由を見つけたくなる傾向がある。
誰かを責める事に気持ちが向くと学びは止ってしまう。
2015年難民が地中海で命を落とした。
それは密輸業者が1000ユーロで斡旋したからだと犯人を見つけた。
実は違う。ジュネーブ条約で難民を保護する権利があるということで入国許可のない人を、
飛行機に乗せるとその費用は飛行機会社が支払う事になってるから船で行くのだ。
本質はジュネーブ条約の破綻だ。
8. パターンの本能
メディヤの18番で田舎暮らしシリーズとか中流層とかパターン化する。
9. 焦り本能
今すぐやらないとと言う思い込み。
10. 直線本能
世界の人口はひたすら増え続けるという思い込み

実に欧米人は分析が好きだ。
道元は何も言わず「只管打座」である。
勿論、仏教書七千余巻は読破するんだが、
言葉では伝わらんと、「経外別伝 不立文字」というのである。
これでは解らんというのが若い時に感じた禅の世界だった。

皆さんは欧米人の解説で無我になれますか?

2019年04月02日

仕事や人生を謳歌する人

結論から言うと共感エンジンを働かせる事ができる人である。
人間は感情的動物である。
感情は大脳皮質に情報がはいって起こる場合と、
劣等感や思い込みという自分自身の内から来る偏見を作ることによっても生まれる。

たとえば、誕生パーティーに招待された。みんなが祝っているのにも関わらず、
なぜか感情が嫉妬心が湧いて「私の時はこんな風にしてくれなかった」と、
不快な感情を抱く人もいる。
またあるいは、華やかなパーティーそのものが落ち着かないと感じて不機嫌な人もいる。
コミュニケーションの上手い人はその状況を察して共感し、
嫉妬する人には「君の時はどんなパーティーが良いかな」と聞いてあげたり、にぎやかな場所が嫌いな人には「風でもあたりに行こう」とそっとその場を変化させてあげる。

このように行動するだけで、全体の雰囲気を壊さないマインドのある人となれる。

学ぶとはこの現実に対応する事ができ、少しでもより良くしようと行動することだ。

でも、これだけでは気疲れしてしまって、
自分にストレスが溜まる。
さすれば、ストレスがたまらないようにする必要がある。
それは大局的で客観的で科学的に事実(ファクト)を掴む自分を育てる事だ。

そのためには、事実を100%受けいれ、データを基にする大局観がいる。
正確なデータをもとに全体像を掴み俯瞰する科学性だ。

ハンス・ロスリング共著の「ファクトフルネス」の中に書かれているには、
世界は金持ちグループと貧乏グループがあり、先進国と途上国という概念もあった。
実際にデータを調べてみると、世界の所得レベルは200年前までは世界の85%が、一日1ドルの人が約10億人の極貧の暮らしだ。
ところが、今の世界は大部分が一日4ドル(30億人)から16ドル(20億人)で暮らしている。
だから、過去の二元的な概念が通用しない。
事実は常に変化の過程にあって、
自分の思い込みや二元論的な分類にこだわるのも人間の性だ。
今の事実に基づいて人の感情を受けいれ対処してこそ、
仕事も人生も謳歌できる人となるに違いない。

皆さんはファクトとマインド両輪を磨かれてますか?

2019年03月28日

「自性唯心」が意味するもの

「自分は肉体でもない、心でもない、心持が信念にならねばならない」 中村天風
二元的なものの捉え方をせず、迷いがない態度だ。
実に清々しく感じる。
自分がこの態度を維持できてるかははなはだ疑問だ。

凡夫の私は心を善にしなければならないとこだわる。
そうすると悪を憎むようになる独善となり偏ってしまう訳だ。

どんな事態でも、心持をしっかりもって悪であろうが善であろうが対応する構えを持つ。
それが唯心という主体である。
「随所に主なればいたるところ真なり」と禅語にある。

決して現実を受身に捉えるのでなく、善くても悪くても積極的に受けいれる態度だ。

さて、人生に処する態度はできるが常日頃どのように楽しむか、
年齢とともに気をつけなければならないかを知り、
主となることを孔子は以下のように語る。

「論語」李氏第十六にその教えが書かれている。
「孔子曰く、益者三楽、損者三楽、禮学を節せんことを楽しみ、
人の善を言う事を楽しみ、賢友多きを楽しむは、益なり。
驕楽を楽しみ、佚遊を楽しみ、宴楽を楽しむは、損なり。」

意味=
人生において有益な楽しみが三つある。
また有害な楽しみも三つある。
礼学を調節することを楽しみ
人の美点を言う事を楽しみ
学徳の優れた友の多いことを楽しむのは有益である。
驕ってわがままにすることを楽しみ
怠けてあそぶのを楽しみ
酒飲みにふけるのを楽しむのは有害である。

「孔子曰く、君子に三戒有り。
少き時は血気未だ定まらず、これを戒むること色に在り。
その壮んなるに及んで血気方(まさ)に剛なり、これを戒むること闘いに在り。
其の老ゆるに及んでは血気すでに衰う、これを戒むること得るに在り。」

意味=
孔子先生が言うには、君子(道に志して努力しつつある人)には三つの戒めがある。
青年時代には血気がまだ定まらないので、戒むべきは色欲である。
壮年時代には血気が甚だ盛んになるので、戒むべきは闘争である。
老年時代には血気が衰えてくるので、戒むべきは利欲である。

さらに、孔子は善を見ては追いつかないようにそれに向かって努力し、
悪を見ては、熱い湯に手を入れた時のように急いで改める。
私はそのような人を見、そういう言葉を聞いた事があると書かれている。

善悪を問わないで対処し課題を解決する行動こそが大事だと諭すのである。
どんな人の人生にも大なり小なり重荷を背負っているが、
それを他人と比較しても致し方ないし、
まして自分だけが悲劇だと思い込んでも面白くない。
ならば現実を100%受けいれ、楽しんだモノが本当の成功者であろう。

「心こそ心惑わす心なり 心に心許すまじき」
「心持ち」持ち続けることが主になることに違いない。

皆さんは自分の心と体の主人であると確信ありますか?

2019年03月27日

「商品と品物」は「市場と道徳」

市場経済というのは生産活動を統制するための道具、
市場社会というのは人間の営みのあらゆる面で市場価値が浸透している生活様式である。
こうおっしゃるのはハーバード大学教授のマイケル・サンデルだ。

現代の自由と市場主義経済が万能であると思い込んでる自由主義世界の価値観を、
一度冷静に俯瞰してみる時期がきている。

マルクス経済学では、
商品=市場で流通し等価交換できるものを商品(お金で買える)
品物=市場で流通しなく、等価交換しない目的で作られたモノ恋人が編んでくれたマフラー)
ここで問題になってくるのは市場と道徳であるとサンデル教授は言う。
たとえば、インドの代理母による妊娠代行(6250ドル)
アメリカ合衆国への移住する権利(50万ドル)
このように、営利目的とする学校や病院、さらに講演のような公共の場の「命名権」
企業や国家の環境汚染権の売買である。

30年前は健康、教育、公安、国家の安全保障、環境保護、生殖、
その他の社会的善の分配に、市場を利用することはなかった。

1980年代初頭、ロナルド・レーガンとマーガレット・サッチャーが自らの信念を、
「政府でなく、市場こそが繁栄と自由の鍵を握ってる」と表明したのである。
従来のケインズ政策は大きな政府をつくるから小さな政府で行かねばならないと、
マネタリストと称する「新自由主義」を旗印に経済を金融中心へシフトし、
2008年のリーマンショックを引き起こすことになる。(誰も予測しなかった)
この経済の欠陥は二つあって、
1.貧富の格差を産むだけでなく、お金があることが重要になり不平等を産むのである。
2.「腐敗」が起こるというのである。
子供に本を読めばお金を払うと、本を読むかもしれないが、心から満足を味わっている
のでなく、努力した達成感という非市場価値を腐らせてしまうのである。

さて、この道徳観といった非市場的価値、言い換えれば人間力、人間の魅力、
論語の世界観で言えば「仁」(忠恕)思いやりである。

孔子も言ってるが人間は元来利己的生物だ。
己の幸せを求める。これは人間の本能であり悪いわけではない。
ここで、近代法学には二つあることを考えねばならない。
1.自然法=この世における人間の営みは大いなる道理、歴史的伝統の中で生き残った人間の智慧の基づく、孔子の「礼」の領域。
2.法実証主義=文章化した法に従おうとする。たとえばドイツのヒットラーも遵守したのであるが、道徳観を無視した事は事実だ。(ユダヤの虐殺)
現代の教育はあまりにも道徳教育を軽視している故に、
無責任な欲望のままの利己主義的自由を求める事が是だと考え、
本来の自己責任のある自律的な個人主義的自由ではないのである。

権利は義務が遂行されてはじめて存在を許される。
義務のない権利は独善だ。
権利のない義務は隷属だ。
このどちらにもかたよらない人物育成が現代問われていると感じる。
世界の自由主義圏の国々がこのままの政策で経済社会が進めて行けば、
非市場価値をどんどんなくなってしまいお金のある人が、
有利になり貧富の格差の大きくなる社会へ突入する事になるに違いない。

皆さんは自由と市場経済の行方どう思いますか?

2019年03月22日

南無地獄大菩薩

白隠禅師の書かれたお題目だ。
地獄絵には三途の川を渡って、針の山越へ血の池地獄などなどある。
だから、悪い事はするなという戒めと受け取る人も多いだろう。

白隠禅師は違う。
大菩薩と言って地獄に帰依(南無)して菩薩となる。
坐禅和賛に書かれている「衆生本来仏なり」ということを、
人間が住む娑婆世界を地獄(煩悩)と捉え、
現実から逃げないで生きることを諭されたのが「南無地獄大菩薩」である。

柴山全慶師の「越後獅子禅話」の中に書かれている逸話がある。
俳句仲間が事業に失敗して、銀行からもお金を借りれない状況になり、
俳句仲間は「君子の交わりは淡きこと…」で付き合っていたがどうする事もできず、
その仲間に200万の借金を頼んだ。
俳句仲間の友人は困り果て、「翌朝茶室に来てください。その時ご返事します。」といった。

翌朝、茶室に案内されたが主人は来ない、

そこの床の間に白隠の言葉「南無地獄大菩薩」という軸がかけられていた。

一人静かにその軸を見て、自然と声を出して「南無地獄大菩薩」と声を出し始めた。
かすかに鳴いている釜の松風は地獄の底の雷鳴のように男の心にたぎりたった。
そしてこう考えた。
「地獄を嫌い極楽を思うのは真情だが、だからと言って地獄におちることなく、
極楽にばかりすむ人間が一人だにこの地上に存在するだろうか?
無苦であり、無悲であり、無痛であることはありえない。
大小の差こそあれ、誰も彼も悲しみを抱いており、苦しみを味わっている。
有るとしても極楽の喜びはちらりほらりしたもので、
やがて地獄の底に叩き込まれるが人間という存在であるのではないか。
地獄を厭い嫌って避けようとすればするほど、地獄はより盛大になり人の頭上に降りかかる。

男はそこに一条の光を見た。

「地獄がくれば来たら良い、逃げられないなら地獄の底までおちたら良い、
地獄の中にあって、己の能力の限りを尽くす事だ。
倒れるまで死にいたるまで最善の努力をすることだ。」

そこへ茶菓子を持って亭主の友人がやってきた。

男は「本日のおもてなし無上に存じます、
床の間の一軸がこのうえもなき結構な御警策、暑くお礼申し上げます。」

俳句仲間の話であるが、「南無地獄大菩薩」軸一つで、
地獄極楽を伝える白隠禅師の伝達が具体的で生き生きしてる。
私も極楽を妄想せず、この地獄(現実)を逃げないで、
少しでも浄化するしかないと覚悟せざるを得ない。

皆さんは白隠の教え、何と受け取りますか?

2019年03月22日

敵でなく仲間はフェアプレーの精神が築く

先日、テレビを見ていてスポーツ庁の鈴木長官が、
オリンピック出場できなかった選手を仲間と言っていた。
競泳の目標はオリンピックにでて世界タイムに挑戦するために技術力や、
体力強化するのは当然だ。
タイムを競うのは目標だ。

目的は違う。
スポーツを通じて健体康心を創造し、
努力する喜びと感動を伝えることだというようなことをいっていた。

目標に向かって、切磋琢磨する事だから、試合が終われば、
ラガーのように「ノーサイド」敵、味方がなく仲間だ。
そして、「一人はみんなのために みんなは一人のために」支えあい励ましあってこそ、
フェアプレーの精神だ。

資本主義社会で仕事をする意味も同じだ。
確かに事業を継続するためには利益を出さねばならない。
京セラの稲盛会長は経常利益10%出さないと事業を継続できない。(税金に約半分払う)
どんな仕事でもそうだというのである。

3%や4%では税金を払えば残らないし、
継続するのには他人のお金を頼りにしなければならない。
まさにその通りだ。

「競争」と「信用」は一見矛盾するように見えるが違う。
目標として仕事に立ち向かい誰にも負けない努力をして利益を出す。
同業者もまた必死になって利益を出そうと努力する。
お客さんに喜ばれる商品サービス、情報を提供することや、
その実行のために、会社の仕事の取り組みを改革改善して、
さらにより良い品質。より役に立つ商品、サービスを創造し生み出そうとする。

確かに見掛けは競争に見えるが、互いが切磋琢磨して「智慧」を出し、
行動を変革し、改善と、改革を繰り返しど真剣に仕事に取り組んで築き上げる。

その結果信用がつくのである。
同業者は敵でなく、仲間だ。
業界の新しい市場を作ったり、新商品やサービスを提供し、
お客さんや世の中の役に立つ智慧と行動をして社会貢献する。

目的はこの世の中で生活するすべての人に役立つ仕事をして、
幸福になり笑顔でいっぱいになることを願う。
会社の内部で言うと部署間の立場の違いや、
仕事の違いで対立するときもあるが、仕事の目標が違うだけで、
目的はみんな物心両面幸せになる仲間である事は間違いない。

資本主義社会においてフェアプレーの精神で、
事業の目的と目標を明確にし信念化する事だ。

皆さんは目的、目標を明確にされていますか?

2019年03月18日

等身大の自分である

「素直」は私の一番好きな言葉だ。
私なりの解釈は「できることできないこと、知っていること知らないこと」
これが男女問わず、年齢の上下も、社会的立場も関係なく良心に従って、
素直に言える自分でありたいと願っている。

あくまでも「素直でありたい」と強く思っている。

現実は不完全で素直でない自分もいるのが事実だ。
思いが強いと、つい熱が入って大声になったり、言葉に感情移入してしまう。
子供や女性には脅されてるように受け取られることもある。

釈迦の十二因縁では人間は「無明」、知らないから行動するという展開になる。
言い換えれば、毎日朝目覚めたら知らない白紙のページが与えられて、
現実の中で優先順位をつけ行動する。
すると現実が変化する。
また一つ知ることができ、具体的にできることが増える。
変化は成長という。

ただこれだけだ。
良寛さんは、
「相逢って相別れ、去来白雲の心 
ただ霜をとどめるも跡はなし
人間尋ぬべからず」

良寛さんは人間とは何かを追及され、
いろんな出来事を体当たりでぶつかって対応されたから、
こんな詩を書かれたに違いない。

私も若い時から「自分とは」と考え悩んできた。
自分とは生きて生きて生きてみる中で生きぬくときに出す智慧を行動化した時に現れる。
生きるとは前進することだけでなく、バックしたり、途中下車もあるのが現実だ。(現実絶対肯定)

さて、中国の古典を読んでいると生きる中で、
実際に出会う出来事の中に感じ、共感し納得するものに出会う。

論語の学而第一に、
「学べば則ち固ならず。忠信を主とし、
己に如かざる者を友とすること無かれ。」

意味=学ぶと独善や頑固にならない。
誠を主人として、安易に自分より知徳の劣った人と交わって良い気にならないこと。
人間は自分より劣ってる人にえらそうに言うのが好きですね。(おごり)

老子は、
「信言は美ならず、美言は信ならず」

意味=真実味のある言葉は飾りっけがない。
飾りっけのある言葉は真実味はない。

菜根譚には、
「人を悪をせむるには、太(はなは)だ巌なることなかれ」

意味=部下であれ、自分の子供であれ、人を𠮟るというのは難しい。
他人なら放置すれば良いが、部下や子供はできない。
𠮟れないのは責任放棄に等しい。
厳しすぎてはいけないというのである。

ここがポイントで言いたい事は、
「相手に受けいれられる限度を心得ておくという事だ」
昨年、運動部の指導方法で日体大のラクビー部がマスコミの取り上げられた。
行き過ぎた厳しさで、反骨精神を練習にぶつけるやり方だが、
感情移入もして怒鳴り散らしたり暴力を振るう結果となった。

この指導は受けいられない世の中になってきてることは事実だ。
古典に習って、リーダーが変わることだ。

虎にならなくても、荘子(達成篇)にある故事に由来する「木鶏」を育てるリーダーがいる。
等身大の自分で育てるには、まず自分を調教する事が必要充分条件に違いない。

皆さんはリーダーが変わることどうおもいますか?

2019年03月15日

「思い」が「行動」を決定する

仏教の基本は三法印だ。
1.諸行無常
2.諸法無我
3.涅槃寂静

因縁によって結果は変化するのが現実。
本質なんかないというのである。
そして、どこにも自分で描いてる自我なんかないというのである。
自分が無知(無明)を知って、行動した結果が因果の法則で具体化する。

では、どうすれば心静かに安寧を得るかというと
十二因縁に記されている。
「無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死」である。
涅槃にも二つある。
有余涅槃=肉体があって生きてるが、一切の生活行動をしない(托鉢)
無余涅槃=肉体がなくなって死に、生活行動ができない。

この段階で、安寧を得る。
釈迦はただ、このことを語って、35歳で出家して80歳まで生きたのである。
最初に鹿野苑で「四諦説」を語った。これを初転法輪という。
四諦とは「苦集滅道」、生きることは「一切皆苦」から始まる。
苦しみが集まった、滅ぼすために行動しよう。
だからといって人間の持っているエネルギーである気質をすべて捨てよというのではない。

「浄化」せよというのである。
その実践が脱世間で出家だというのだ。
世の中にいると五欲・七情を膨らませるだけで苦しみを増幅させることになる。

だから、善行を勤めるように諭す。
仏教的では利他行をすること、布施(一方通行で与える)ギブアンドテイクではない。
その行動は身・口・意、行動は口からの言葉、思い(意思)となって、伝わる。

人間の持ってるものを否定するのでなく、
自らの行動で新しく生まれ変わり変化する自分を楽しめというのである。

私たちは自らの思いが行動となって表れている。
言葉も行動もおもいが支配している。
「思い」を高め、「志」を高め目的が自分を作っているとも言える。
思い・心を高め仕事・人生を生き抜こう。(心とおもいの違いは後日)

皆さんは自分の人生の行動にどんな志・目的を描いていますか?

2019年03月10日

善なる魂をベースにした経営

SQ(Soul Quotient)が人と人を共感する魂をみんな持っている。
そんな仲間のことをソウルメイト(Soul Mate)= 気のあった仲間と言う。

時代はAI(人工頭脳)の時代となり、
間違いなく人間の脳の知識や感情までコピーできる時代が来ている。
従来の人間を計るのには二つあった。

1. IQ(Intelligence Quotient)知能指数だ。
精神年齢÷生活年齢×100

2. EQ(Emotional Quotient)情動指数(感じる知能指数)
仕事の取り組み姿勢や人間関係への関心度など感情視点から測定した、
問題処理能力、事後処理能力、全体を俯瞰し創造する事や、周りへの配慮だ。

EQ、IQは生まれ持って遺伝的に持ってるものと、
後天的に体験を積み重ね脳を使い磨いたものがある。
だからこの二つは使った脳によって個性が生まれるのである。

個性が違えば価値観も違うし、
課題解決の方法や手段も違ってくるのは当然だ。
何人かで協働で仕事をする場面では食い違いも起こるので、
効率よくまた効果が期待できるには、
個々人の心の奥の「善なる魂」が結びついていないと、
疑心暗鬼が起こるか対立して結論がでない。

心の奥の「善なる魂」と呼ぶが、魂を規定するには二つの条件がいる。

1. 子供がおぼれてるとしよう。
もしそんな光景を見たら、あなたは助けてあげようと思うに違いない。
これが「善なる魂」だ。
その後の行動は個々人違う。
ある人はすぐ飛び込んで助けるかもしれない。
ある人は救急車を呼ぶ、ある人は多き声で助けを呼ぶ、
警察に電話する人もいるだろう。黙って見守って、
直接行動する人を助ける人もいる。いろいろだ。

2. 「善なる魂」とは自然の法則であり、万人が人間として生まれたら宿している。
宇宙の法則に気付くことだ。日ごろはIQやEQによって隠れているのである。

さて、特に「善なる魂」を引き出すには少し手間がいる。
人間は真っ白な心で生まれるが、これでは生きていけないので、
知識を磨き、五欲という欲をエネルギーにして自分を守る利己心を作り、
自己中心的な保守的行動するのが普通だ。

簡単に人の言う事は信じないし、知らない事や場所にはできるだけ近寄らないし、
新しいことや、難しい事、日頃と違う事には手を出さないのである。
言い換えると、後天的につけた知識や感情に支配されて、
「善なる魂」は埋もれてしまっているのである。
3歳児の子供は無邪気に100%親を信頼し、自由自在な行動が出来ないのである。

この自由自在な「善なる魂」を開くには、IQ、EQを一時的にかなぐり捨てる必要がある。
方法はいろいろあるが、坐禅の瞑想によってIQ、EQを取り去り「無心」の状況を作ることもできる。

仕事であれ日常生活であれ人間が共同生活してるか、協働で仕事を効率よく効果をあげる。
それには、「善なる魂」をベースにして個性を発揮する行動が出来ることだ。

利己心だ利他心だという相対的な価値を離れて、真っ白な「善なる魂」を自ら作る努力がいる。
毎日風呂にはいり、朝は洗顔する。
しかし、一日仕事や生活でついたほこりを「洗心」しないで溜め込んでうつになったり、
ヒステリーになることが多いのが人間だ。
経営は人間の営み、「善なる魂」が共感する仲間を増やす活動でもある。
ソウルメイトが会社の中で増え、取引先の中に増え、
業界に広がり、日本上に、世界中に一歩づつ草の根運動しながら前進させたい。
1分でも良い5分でも良い、毎日「洗心」の時間を設け、
心を浄化する事が明日へのエネルギーになる。

皆さんは「洗心」何分やってますかね?

2019年03月06日

「シンギュラリティー」 2045年

この言葉はレイ・カーツワイル博士が提唱した。
2045年にAI(人工知能)が人間の脳を超えるという技術的特異点をいう。

人間の脳の情報をすべて移し変えることができるというのである。
すると個人の体験のすべてや判断基準だけでなく好き嫌い、心もコピーできてしまう。
ついには、その現実の人間が死んで、AIが生き残るという本末転倒な事が創造される。
実に恐ろしいと感じるのが自然だが現実のAIの技術とIT技術は進化し続けてる。
さらに高速の100倍のスピードの5Gの時代が目前だ。

人間の深層心理、言い換えると心のコピーもできるAIの時代になると、
既存の概念が大きく変化する。
グーグルの動画配信の子会社ではマーケティングが、
従来のように住んでる地域や年齢層を基準にするのでない。
個人のデーターを深層心理を見抜き、特定の人の好き嫌いで市場調査するよう変貌してる。

このような現象を深く追求すると悲観的になるが、決してそうではない。
リアルな従来の価値では知識量や記憶力が基準でテストのいい人から優秀だと評価された。
しかしこれでは思考力や創造力といったものがなく没個性化するのである。
AIが主流になればなるほど、人間に求められるのは多様化、独自性といった個性だ。

個性はどうしてできるかといえば、脳の使い方だ。
体験の積み重ねによって強化学習され個性が成長するのだ。

アメリカの成功者の35%は識字障害だといわれてる。
識字障害とは失読症、難読症の事で難しいのは読めない人だ。
有名人で言うと、エジソン、フォード、ワシントン、
最近ではスティーブ・ジョブス、スピルバーグ、トム・クルーズがそうだ。

彼らにとっては現実が一発勝負で行動し体験するから独自の個性ある脳が発達する。
映画でのリアルな演技も本を読んで役柄を演じるんでなく、
現場で掴んだ情報から一回きりという覚悟と感覚で演じる。

AIの時代を生き抜くのは知識や記憶がいくら深層の人間の心まで掴んでも道具である。
人間には「何かを実現したい」という目的がある。
このことが重要であると同時に、人間的な多様な個性が人工知能を使いこなしてこそ、
新しい社会がやってくると確信する。

皆さんはAIの時代にどう対応する個性磨いてますか?