社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

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2017年08月19日

おもい道理になりたい

自分の思いを実現するのは鍛え上げられた健康な肉体と不撓不屈の心がいる。
幼いころは肉体的にも大人には叶わないと見た目でわかる。
多くの体験や困難を乗り越えてないので、
すぐ諦めて親に頼ってしまう弱い心だともわかっている。

親父を乗り越えたいと考えるようになったのは17~8歳だ。
夢中で空手の稽古をして武術と精神力を強くしたかった。
陸上部でも基礎体力を創るのに走りこんだ。

高校一年の時には不良に憧れ、喧嘩ばかりした。
これではだめだと二年生には学級委員に手をあげてやらさせてもらった。
成績もめきめき上がった。

しかし、一過性だ。

三年生には息切れして、受験勉強から脱落だった。
「おもい道理になりたい」と夢が描くが実現しない。
最大の理由は夢を実現すべく、自分の体を磨き、自分の心をタフにする行動がない。

それなのにおもい道理に行くわけがない。
課題は外にあるのでなく、夢を実現するために、自分体を鍛え必要な技術力を身につけ、
何がおきても諦めないでこつこつ持続するタフな心を創ることだ。

夢が実現しない理由を外のせいにしていた。
世の中が悪い、お金がない、夢を共有する人間や仲間がいない。

愚痴と不平不満いっぱいだ。
基本は自分を鍛え、裸野と条件の不満は自分がお金や時間をかけて課題として、
ひとつずつ道具を揃えるように、つつましくして揃えればいいだけだ。

私は一般の人の三倍働く事にして、一倍は生活費、一倍は仲間仲良くなるために食事するために一倍を末来のために挑戦するために使う事にした。

これしかなかった。親が健康な身体に生んでくれたからよかったと感謝した。
タフな心創るのに仏教の学を真剣に取り組み、「成仏」とは誰でもできるのか考えた。
先人が残してくれた古典の小乗仏教、大乗仏教や儒教から多くを学んだ。

フロイトが言うように動物と人間の違いについて「人間の本能が壊れてる」という表現に感動した。
性も動物は繁殖期、食欲もお腹いっぱいでも食べれる。
睡眠も自分を守れる囲いがあれば何時までも寝る。

動物は警戒して瞬時も熟睡しない。

だから自分でこのすべてをコントロールしなければ行き過ぎると悪になって他人を傷つけるのだ。
仏教ではそれを「十悪」と言って、行き過ぎチェック項目をあげてる。

1.貪欲(欲しい欲しいの心)食欲だけで無く他のものもいつも自分のものにしたい。
2.瞋恚(怒り憎しみの心)自分がおもい道理に行かないと周りに怒りの感情が起こる。(無知から)
3.愚痴(ねたみやそねみ、うらみ)不平不満で自分のうさを晴らし自分は行動変えない。
4.綺語(おせじ)普段機嫌取りに自分をよく思われたいから。
5.両舌(二枚舌)同じ事実も人によって使い分ける。
6.悪口(誹謗、中傷)これも怒ると相手を否定して暴言吐いてしまう。
7.妄語(嘘つくこと)自分の妄想を離す。実現しない事。
8.殺生(生き物殺す)お釈迦さんは蟻をよけて歩いたといいますね。
9.偸盗(他人のもの盗む)
10.邪淫(よこしまな男女関係)

本能が壊れてるから、自分で行き過ぎをブレーキかけないと「相手を傷つけ、自分も苦しむ」
と仏教では言ってるだけである。

アクセルとブレーキを自分のものにするのは仕事を通じて教えられる。
そう考えるとおもい道理に生きることもできる。

禅の言葉に「随所に主なればいたるところ真なり」
自分の体と心の主人になることを学ぶのが大きな意味で人生である。

皆さんは「おもい道理になりたい」どう対処してます自分に?

2017年08月16日

働き方改革

芭蕉の句に「野ざらしを心に風のしむ身かな」というのがある。
西行や宗祇に習って無一文の覚悟で旅人の俳人として、
覚悟はできてるが、感覚的には身に答えるな(詠嘆の表現だ)
人間の本質を突いてる句だ。
それは頭では死も覚悟の上という観念の世界と現実の体で感じる感覚の世界を言い当ててるのだ。

人はものを盗んではいけないと誰でもわかっている。
しかし、何にも食べるものがなく10日もひもじいおもいしたら、畑の野菜を盗むだろう。
この人間の性の本質を見抜いている。
道元も「善悪は時なり」と表現してる。

さて、働き方改革の感覚の世界では具体的に「時短」によって効率よく効果のある仕事をして、生産性を上げる。それには仕事の中身を見直し、または前後の組み合わせのあり方を再検討する。
仕事と取り組むルールや書式の数を減らしたりすることだ。

一方根本的には観念の世界の能力と心を鍛える事だ。
それには三つある。
1.あらゆるジャンルの情報に通じ、変化に対応できる柔軟性を磨く。
2.高い学習意欲を持続的に持ち、学ぶ心を育てる。
3.何事にも興味をむつ好奇心旺盛である。

本気で仕事に取り組んでいる人はその両方(能力と心)を手に入れてる。
しかし、どうしても自分の業界内の枠をでなく狭い範囲のかたよった傾向になる可能性がある。
だからこそ働き方改革を実現して、
仕事以外の何かに打ち込み本質的に人間の観念の世界を広げることが最終目的だ。
柔軟で、好奇心旺盛で溌溂とした学習意欲の強いマインドを作るのだ。

皆さんは働き方改革の本質的な目的どう捕らえてますか?

2017年08月15日

「墓じまい」に思う

お盆に墓に家族で参って「墓じまい」について思った。
「墓じまい」が今話題になってきたのはに三年ぐらい前からである。
その二年位前には「終活」という言葉が「就活」や「婚活」などと同じようにマスコミで取り上げられた。
少子高齢化の人口構造と単身者世帯が3割となる現実が背景にある。

業界では意見が二つに分かれ、一つはお墓に参る気持ちがなくなったと捕らえる意見と
現実的に少子化で跡継ぎ問題が課題になってるという意見だ。

私は後者の意見が現実的だと考えている。

もう一つの意味では戦後の団塊の世代のひとたちの価値観が影響してると考える。
それは、反社会運動として既得権益を壊し新しい価値を見出すという意識だ。

封建的な大家族制から新しく核家族という家族単位で暮らす方向へシフトしていった。
逆から言うと自分の子供たちはきっと親という権力に反抗する行動すると考えているのである。
だから、「死後も自分らしく」事前に準備し、
子供に頼らない伝統的な親のやり方をしないことがいいと考える傾向がある。

私の中学校の校長をした友人も男の子が二人もいるのに墓は建てない、実家の墓も継がない。
全く意味が解らないが、息子に墓の守りなどさせたくないというのである。

社団法人終活カウンセラー協会の武藤代表と話す機会が合って、
「終活の相談の多くは何の話ですか」と質問したら、
「墓」をどのよう継承し遺骨をどうするか困ってるというところがポイントだとおっしゃられた。

「子供に迷惑をかけたくない」という親の気持ちは解らないでもないが、
子供もほんとにそう考えてるかは別の問題だ。

「墓じまい」は逆から視点を変えると先祖に対する礼儀を重んじてるからこそ、
後継なきお墓で無縁化することを良くないと考えてる現われである。

「終活」は既存の押し付けの作法を壊す意味での団塊の世代の価値観のように感じる。
最近ののNHKのアンケート調査では20代の人の70%は義理でも墓に参りたい、
あるいは墓に参って気持ちが落ち着くからといった結果がでてる。

何万年前からおこなわれた死後の遺体を埋葬する人類の尊い習慣が形は変わってもなくなることはない。

皆さんは「墓じまい」いかがおもいますか?

2017年08月12日

幸せの秘訣

もう30年近くになるが、盆供養を薬師寺に行って般若心経を何十巻あげる。
今年は20巻ほどだった。
その後安田暎殷長老の法話がある。
いつもは仏教の話しだが、今日はギリシャ神話の話しからはじまった。

「オリンポスの山に神々が会議を開き「幸せの秘訣」をどこに隠せば、
人間がそれを発見したときに、最も感謝するか話し合った」
「高い山の上がいい」
「地中深くに隠した方がいい」
「深い海のそこに隠すべきだ」
などの意見がでた。

ある神が、「人間の心の奥に隠すのが一番いい」ということになった。

この「幸せの秘訣」は仏教では「仏性」と言うと仏教の法話らしくなり、
「一切衆生悉有仏性」(命あるものすべて仏性がある)と表現する。
仏性に目覚めれば、苦しみ悩み迷いから開放されるというのである。
言いかえると「幸せの秘訣」である。

だが隠し場所が心の奥だから、引き出すのにひと工夫がいる。
奥にある素直な心、清い心にかぶさってる自分さえよければという利己心を取り払う努力がいるのである。

明治の自由民権運動はルソーのフランス啓蒙思想を受け継ぎ、植木枝盛、中江兆民が活躍し、天賦人権説「人間は生まれながらにして自由平等で幸福を求める権利がある」といって、
明治の薩長の藩閥政治に批判して立憲政治をうちたてたと言う歴史がある。

現代の憲法は13条にあるが「平等」が抜けている。
これはアメリカ独立宣言の天賦不可侵の権利として起草されたものをベースにしているからだ。


最近、やっと心の奥にある「幸せの秘訣」に触ったような気がする。
幸せはお金の額でもなく、賢い事でも、強い事でもない。
自分の心が決める事で、「今」が幸せと思う絶対的な価値だ。
誰かと比べる相対的な価値ではないことだけは確かだ。

心が言葉になり、言葉が行動になる。
行動は心から出発する。
「感謝」の念が沸き起こってくる。
オリンポスの神々が考えた場所に気付けば!

皆さんは「感謝」の年100%でしょうか?

2017年08月09日

仕事に没頭するから人間力ができる。

稲盛さんは「仕事は万病に効く薬」という表現されている。
私も同感だ。
仏教では「三界に家なし」という言葉がある。
三界とは「欲界」「色界」「無色界」の事だ。
欲界=性欲・食欲・睡眠欲(人間を子孫へつなぐための本能的な欲)
色界=基本的な欲界はコントロールできるが、物質的な条件を求める欲
無色界=欲界も色界もコントロールできるが、精神的安らぎを求める禅定に住む欲
現実の実生活する私達は仏教の修行をして生活はできないので仕事をする。
仕事をしてるとお金も使わなく、
同時にお客さんや仕入先が喜んでくれると楽しい気分になる。
しかし、いつもよい結果ばかりでなく、クレームになったり失敗もする。
これも、天から与えられた成長のチャンスと考えを切り換えれば、
勉強する機会となり学ぶ事が楽しくなる。
マックス・ウエバー((1864~1920年)は、
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のなかで、
「仕事は天から与えられた天職であり、
それを遂行する事が「世俗内禁欲」という徳のある生き方である」と言ってる。
与えられた仕事に一生懸命することで人間力の「徳」ができ、利他的気持ちで仕事をする。
現代の資本主義は単にお金(利益)を得ることを善と考え禁欲的精神が置き去りになっている。
仕事と遊びのバランスをとるという考え方は好ましくない。
遊びには責任がない。
自分の人生は生まれたら死ぬまで自分の責任だ。
にもかかわらず、責任を持つときと持たないときをつくることになる。
仏教的に言えば苦しみ迷うだけである。
マックス・ウエーバーの伯母さんがプロテスタントだったと記憶してるが素晴しい考えだ。
日本にも禅を極め道元の三界唯一心を体得する倫理観を超えた素晴しい人物がいる。
「剣禅一如」を具現化した明治無血開城に一役かった山岡鉄舟だ。
鉄舟の剣を「無刀流」というのである。
「無刀とは心の外に刀無し言う事にして、三界唯一心也」
意味=無刀とは心以外に刀を持たないといことで、この世の中に起こる現象は心が作り出してるのだ。
鉄舟は言う。
「前に敵なく、後ろに我なく、心が無一物で敵に向かうとき自在に動ける」(無刀流の極意)
日本人的な考えは倫理観と資本を相対させるのでなく、
利他的行動に徹して相手を同化する境地、
唯一心を体得するのだ。
皆さんは仕事に没頭し楽しんでおられますか?