社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2012年02月13日

六中觀・安岡正篤

日本人の子育ては『泣いたらあやす』方式だ。
ドイツ人は『泣いたら自律のチャンスと助けないで見守る』
ユダヤ人は『抱っこするからおいでといって手をはずし、むやみに人を信用するな』と教える。

だから日本人は親子の関係が一心同体で信頼がベースになっているのだ。
ところが思春期に自律する時に厄介だ。
武家社会のように「元服」という儀式が会って、
今日から大人として「恥じない行動をしろ、御家のためだ」と諌めたら、
世間の誰もがやってるので観念し、大人へ歩みだすが、昨今は違う。
『元服』や『世間体』や『恥』の文化が壊れて、
自己中を個人主義と都合の良い解釈をしたわがまま主義が、まかり通ってる。

それは国全体で大人になる為の儀式が崩壊し、各家に任せられてるからだ。
何時までも親に依存してるほうが都合がよく責任感も育たない。
だから精神的に自律の機会を逸して、
独立しないで両親の元でフリーターをする。
あるいは引きこもりで人間嫌いになって、
他人や社会のせいにして信頼関係が依存関係に変質するのである。

私は幸いなことに、この両方の道を選べなかったのは家が貧しく独立せざるを得ない、更に、自分で始めた事業を前進させることで辛く苦しかったが、解決し自己責任で生きなければならない状況だったからだ。

事業の未来を切り開くことや、
部下教育に行き詰まったときは現実から逃げ出したいと思ったのも事実だ。
そんなとき出会ったのが、この安岡先生の『六中觀』である。

     『六中觀』
1〕死中有活〔身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり〕
2〕苦中有楽〔苦しみの中にこそ真の楽しみ有り、楽ばかりでは人は腐ってしまう〕
3〕忙中有閑〔忙しい中で見出した閑こそ集中できる〕
4〕腹中有書〔人間は腹にしっかりした哲学、信念、座右の書を持つこと〕
5〕壺中有天〔どんな境地でも自分の世界観、哲学を持ち天を舞台に生きる〕
6〕意中有人〔志を成すに一人で出来ないので、それぞれの分野で協力者を心に用意する〕

これに照らして自分の心を絶望感から脱し、絶対積極の心構えをつくり、
自分を励ましたものだ。
今日でも何かに行きずまるとこの『六中觀』に照らす。

みなさんはどんな座右の銘お持ちですか?

2012年02月12日

『相棒』を見て感じたこと

テレビの人気ドラマに『相棒』という水谷豊主演の番組がある。
連続暴漢の犯人を見た引きこもりの目撃者からの匿名メールが警察にくる。
目撃者にスケッチしてもらい犯人を捕らえるというストーリーだ。

コロンボ刑事のように言動の一挙手一投足を観察分析し、
犯人を特定していくプロセスの推理がとても興味深く面白い番組だ。

今回の見せ場は現代ならではの引きこもりの目撃者とのやり取りがテーマだった。
彼は両親に愛されていたが、何かのきっかけで引きこもり、
両親のせいでこうなったとドメスティックバイオレンスをくりかえす。
7年とか9年引きこもる家族は地獄だ。

しかし、彼の奥の奥にあった良心に火がつき、暴漢を見たことを警察にメールする。
このメールに気がついた特命係の杉下右京警部補〔水谷豊演ずる〕は犯人を見つけ出す、
その複線に引きこもりの目撃者の更正を促す台詞が実に的確だった。

『君もみんなと関わりたいよね。だが、感受性の強い君にとって、
 人が何気なく話す言葉の主観性に強制や脅迫を感じ聞こえてしまう。』

『他人をどんなに無視し引きこもって、1)自分から話さない、2)自分から行動しない、
 3)客観を装った傍観の言動をする。〔虚しく孤独だけ〕』

『日常生活するものにとって主観性の入らない言動はない』
『君はわかってるよな!!』

自分なりの言葉になっていて台詞どおりかどうかは保証の限りでないが、
杉下警部補は引きこもりの人に呼びかける。

引きこもり、人間を避けても問題は解決しない。
傷ついても、それぞれの人間の主観性と、くんずほぐれつ関わりながら、
互いが話したり行動して良い着地点を探すしか方法はない。
『本人を愛し本人を必要とする愛があれば必ず治る』と断定的にいう場面は現代を写してる。

もちろんドラマでは翌朝戸外に出て、向かいのおばさんと会う。
『君、暴漢の逮捕に協力して犯人捕まったんだね』と声かけられ、
燦燦と輝く太陽の下を行く引きこもりの彼のシーンで終わる。

本気の愛、本気の絆、体当たりでぶつからないと手に入らない。

みなさんは引きこもり、どう感じますか?

2012年02月08日

『和』の意味

京都造形芸術大学で教えておられる方と読書会で知り合った。
われわれの仕事もデザインや石造芸術としての側面もあり、
また歴史や伝統といった不易な精神的な文化もある。

その知人を通じて求人をお願いすることになり、
改めて大学の設立の意味や歴史、大学の学長のメンバーを知って驚いた。

学園長が細川元首相で学長が瀧の絵で海外でも活躍されてる千住博さん、
副学長がAKB48を世に出した秋元 康さんだ。
もう一人の副学長は横内敏人さんである。
この横内さんが日本の文化の根本の伝統に『和』があると語られてる。

大学院長の浅田 彰さんは、
『フランス語で言えば、伝統(TRADITION)とは裏切り〔TRAHISON〕の連続だということになる』
と表現され創造性を強調される。

さて、横内さんの『和』の意味には4つある。
1〕日本人を表す意味
2〕平和であり穏やかな意味
3〕混ざり合う意味
4〕足し算の結果の意味

古来日本は中国や韓国から文化を輸入し混ざり合わせながら日本化してきた。
明治になっては欧米の文化も吸収し混ぜあった歴史がある。
特に戦後はアメリカ文化のよさを吸収し更に複合的な文化を生んできた。

人生を生きることはモノやサービスを生み出し造る。
言い換えるとモノやサービスに従事して仕事を通じて生きるのだ。
仕事が単に製品やサービスとして造り流通するだけでなく、
更に要求が高く、製品から作品として人間の心や感性に沁みこむものへ、
飛躍させることが問われてるのが現代だ。

横内副学長は『和』とは伝統と革新の融合する創造の精神だと結ばれる。

みなさんはこの大学ご存知でしたか?

2012年02月07日

日本の人間観

日本は聖徳太子の時代に出来た17条の憲法には『和をもって貴しとなす』を大事に受け継がれてきた。
平安期の弘法大師、空海は『三教指帰』(さんごうしいき)という書物では、
仏教、儒教、道教の三つの教えを説いている。

この基本的なミックスの文化が鎌倉の武家社会に受け継がれ、
室町時代には日本の着物文化や茶道、華道が体系化された。

その後の江戸時代という大平の世の中を築き上げた徳川幕府は、
俸禄を与える代わりに主君に対する忠義と厳しい恥を恐れる『世間』という対面を重んじ、
本の小さな罪も藩の恥と名誉を守らんために切腹や殉死が日常茶飯に行われた故に、
大変我慢強い国民性を生んだのである。

武士道は基本的には仏教、神道、儒教の三つが源泉だと新渡戸稲造先生は説く。
1)仏教はすべてを受容するストイックな性質で生に執着しない気質
2)神道は主君に対する忠、先祖への崇拝、親への孝による謙譲の気質
3)儒教は孔子や孟子が理想とした厳密な倫理的な教義を元来持っていた日本人気質

日本人の多くは無宗教と答える。
ある人は科学的論理性を尊び迷信性を排除する意味で無宗教といい。
ある人は複合的に絡まり、日常生活の中で常識化した行動になり気付かないで無宗教という。

明治の新渡戸稲造や内村鑑三は外人に日本の人間観を伝えるべく、
『武士道』を書き『代表的日本人』を本にした。
岡倉天心は「BOOK OF TEA」を書いた。

私はその中でも仏教的人間観が一番なじむ。
人間には六道〔地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天道〕をみとめて、
それに有頂天、金輪際という人間のキャラクターの幅を認めてるのだ。
人間の心はこの六道がぐるぐる回ってるという考え方だ。
実に面白く止まっていないのだ。

ところが西洋的なアイデンティティーは違う。
西洋的精神医学が入るので自立した立派な状態だけが人間で、
精神状態がおかしいと罪を犯しても人間ではなかったいうことになり裁けない。

仏教的な人間観は実に微細で的確だと思うし、
日本の村社会の掟の村八分というのは、
物事を100対0にしないであいまいだが、
いずれわかってくれるという受容に精神で寛大だと感じてる。

現実は世界ははっきりしたアイデンティティーがあるから対立し排除し合ってる。
日本人はあいまいだとか優柔不断といわれるが、
逆から見れば平和主義で寛容な精神構造になってるのではないだろうか。

皆さんは如何考えられますか?

2012年02月03日

もう一人の自分。

人間が子供から大人になるには『もう一人の自分』をつくること。
もう一人の自分=『喜び』と『感謝』する心の健康な自分である。

イマニエル・カントは大哲学者だ。
しかし実はドイツ生まれで背中にこぶがあり胸の乳首には肉が盛り上がり、
呼吸も135回と早く『辛い』『苦しい』と生きていたそうだ。

両親も不治の病だから直らないと諦めていたとき、巡回の医者がやってきた。
医者は「『辛い苦しいだろう。』とカントに呼びかけ、
それをいくら口に出していっても両親が苦しむだけで痛みは消えない。
君の身体は治らないが、『心は大丈夫だ』
心まで病んでないから、君の口から『喜び』と『感謝』の言葉を出す、
「『もう一人の自分』心の健康な自分を大切にしなさい。」といった。

もし私に医者が同じことを言ったとしたら、
「自分も同じ身体にならないと解るものか」と跳ね飛ばすだろうが、
カントは素直に医者の言うこと受け入れた。
本当に幸せはどこにあるのでしょうか?自分の中それとも外?

私は『自分の心の中にある』と思う。
当たり前のことに『感謝』し、当たり前のことを『喜ぶ』
決して、自分の不幸な身体や、生い立ちのせいにしない。
まして他人のせいや社会環境のせいにしない。
いくら自分の以外の人や環境に不平不満を持っても、
外の人や環境が勝手に変わるわけがない。

自分で変えていく以外に!
もし自分で変えていくなら『喜び』と『感謝』の、
心の健康な『もう一人の自分』に変革してもらうことだ。
仕事も人生も「続ける」ことが大事だ。
いい換えると『生きる』ことそのものだ。
事業も同じだ。
『続ける』とは『いつも変化し続けることだ』
イマニエル・カントは『もう一人の自分』に気づき人類に功績を残した。
私はカントのような大それた人間でないことはわかってるが、
『もう一人の自分』を時々忘れてしまう。有意注意だ、生まれつきの自分に!

みなさんはもう一人の自分忘れませんか?