社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2011年10月24日

「三毒」を抑え利他行できるのが大人

仏教では三毒=貪欲、怒り、愚痴が人間の本能で、自分を守るために働くのが普通だ。
欲を離れたり、怒りを鎮めたり、愚痴を抑えることに努力がいる。

この方法に近道はないといわれるのは京セラの稲盛和夫さんだ。
日々さまざまな事柄に判断を迫られる。
そのとき瞬間的に判断を下したことはおおむね本能〔三毒〕から出てきた答えだ。
相手に返答する前に、最初の判断を一旦保留にして、
『その思いには、己の三毒が働いてないか?私心が混じってないか?』
自問自答することが大切だと断言される。
稲盛さんの『私心なく動機善』と言う言葉は私の座右の銘にしてる。

心はシーソーのようになっていて、利己心がへ凹むと利他心が出てくるのだ。
自分のことを後回しにする自分こそ、社会で協調でき、信頼される大人の自分になる。

利他行を実行することで、何か損した気持ちになったり、
損する自分が嫌いに思うのは三毒に支配された本能の自分だと自覚することだ。

今朝、朝食を食べながら、三女が友達関係で「大切なものは強く握り締めてしまうから壊れる」
だから「大切なものはふんわりつかむ」心はつながってるが執着しないようにと言っていた。

「大人になったな」とビックリした。
冷静な時には誰でもいえるが、執着してるときは気付かない。
娘が気付いた心境が継続することを祈るのみだ。

人間は誰でも自分の都合から考えるのが普通だが、
無意識に生きてると「三毒」の支配を受ける。
中村天風さんは無意識で利他行できるまでは『有意注意』して体で覚えることを尊ばれる。

『三毒』を抑え利他行が多く出来ない人は大人の社会人になっていない人だ。
では自分に置き換えて、「出来てるか」と問われたら、
まだまだ出来ていないのが正直なところだ。

仕事・人生は頂上のない山登りだと心得、精進するしかない。

みなさんは「三毒」とどう向き合っていますか?

2011年10月23日

チョークの会社〔日本理化学工業株〕大山康弘会長

知的障害者は養護学校を卒業すると、親と離れて地方の施設に入るので、
何とか就職させたいと思った熱心な教師が、
昭和34年、今から50年ほど前に、この会社に飛び込んで就職を頼みにこられた。

当然、大山会長は『断られた』障害者用の設備でなかったこともあってだ。
ところが熱心な教師は『それなら働く体験だけでもさせてください』と言ったので、
二週間、二人の少女を預かった。

彼女達の仕事振りは一心不乱にラベル張りをして、
昼休みのチャイムの音も聞こえないぐらい熱心にやるのに、打たれたのは社員だった。

実習が終わったとき、
社員が『私たちが面倒見るからやっとってもいいのでは』という。

そのときの心境は『可哀想だから』と言う意味でやってみよう。〔同情だ〕
大山社長は、
『同情で働いてもらっていても長く続かない』
『三食何とかつきの方が幸せなのに、
どうして彼女たちは毎日満員電車に乗って会社に来るのだろう』と心に疑問を持っていた。

ある日法事で出会った住職(禅僧)に、常日ごろ疑問に思ってることを相談した。

住職は『人間の究極の幸せは四つある』
1〕愛されること
2〕人に誉められること
3〕人の役に立つこと
4〕人に必要とされること

上記の四つの愛されるを除いて三つは社会に出て働いてこそ得られるもので、
彼女らも我々同様に、人間の幸せを求め、毎日仕事に来てるんですと諭された。

大山会長は『ハッ』と気付かれたのは、
人間は人間社会の中で幸せをつかむのであって隔離することではない。

それまでは、施設で保護されることで、
幸せを得れるものと思っていたが、心の目が開かれた思いになったそうだ。

脳科学ではこの四つは誰もが持っている『共感脳』だそうだ。
人間は、人間同士が励ましあうことで人間になり、その共感が喜びになる。
本当の幸せはモノでもお金でもない、この四つに心が満たされることだ。

大山会長は『相手の幸せのために誠実を尽くしてゆけば、与えられた命を生かし、
人生を輝かせることができる』と確信をもたれた。
今では社員の70%の人が知的障害者だそうだ。

自分に置き換えて自問自答して行動できるかと考えると「NO」だ。
まだまだ自己本位にしか考えれない自分がいる。
「利他行」を目指す心をいつも意識し、
無意識で出来るようになるまで身体に叩き込みたい。

みなさんの心は究極の幸福状態ですか?

2011年10月21日

常識と良識について

戦後まもないころ、父は仏壇を廃棄した。
戦争で悲惨な目にあい、自分の人生が狂って自暴自棄になったから、
『神も仏もない』と考えたからだと母がいっていた。

昨今は家庭から仏壇がなくなり、
お墓に参って自分の先祖に感謝する畏敬の念が希薄化してる。

戦後は戦争と言う理不尽な運命に対する恨みであったろうが、
現代は我がまま主義〔ミーイズム〕で自分の思い道理行かないことから、
『神も仏もいらない』と言う利己主義な考えが横行してるのだ。
現代の教育は親も怖くなく、警察や教師、それに神仏も自己形成の抑止力にならないのが現状だ。

遺伝子学の村上和雄先生は『サムシンググレード』と呼ばれ、
何か偉大なるモノというような表現をされるものが宇宙を動かしてる。

宇宙の大調和は人間の理屈で成り立ってるものではなく、
「サムシンググレード」の働きだ。

臨済録に『求心やむところ、即無事』
自分の外の世界を理屈で閉じ込めたり、善悪や損得、好き嫌いで分別することでもない。
自分の内側の利己心を自覚し整えることが無事と教える。
他人や社会に依存して求めることではないと言ってるのだ。

常識=人間が社会の調和のために作ったもので規制だ。
良識=宇宙の法則そのもので、個々人の価値観を超えた法則で万人に共通する。(お天とうさん)

今こそ、この良識で社会が運営され自然に畏敬の念と感謝の念を持って、
生かされてることに喜びを感じ精一杯生きることが寛容だ。

リーマンショク後の世界の経済は資本の自由の行き過ぎが欲望の自由へと流れ、
アダムスミスの言うような「見えざる手」によって自動的に調整されるどころか、
ギリシャのような国家破綻が現実問題として浮かび上がっている。

『神や仏』は外にあって、自分を助けてくれる存在でなく、
自分のうちにあって自覚することに違いない。

若かった父親が理不尽さに耐えかねた行動〔業〕を消滅させるべく、
私は墓石をお世話させていただく仕事を通じて『良識』に目覚めさせていただいてる気がする。

みなさんは常識・良識どちらを基準にされてますか?

2011年10月18日

己事究明が襌

二、三年前になるが 西村恵信先生がNHK教育テレビで『悟りと慈悲』について、
自坊の興福寺でアナウンサーと対談された放映を思い出した。

ご自身の若いころの話として、襌坊主だから『悟りたい』と思って坐禅をしていたところ、
『悟り』は目的でないと言うことに「ハッ!」と、気付かれたそうだ。

精一杯生きてると、何かに大きな疑問を持つ、問題意識を持ったことになる。
毎日そのことを考えてると、ある日「フッ」と、問題が解決する。

人生には大きな疑問〔大疑問〕があるのがまず先である。
そこから解き放たれたいと思うのが人情だ。
これが「解脱」だと全身で受け止められたそうだ。

苦しみや苦悩が深ければ深いほど発見もある。
一番大事なのは自分の身に起ってる『疑団』『苦しみ』『絶望』から、
逃げないことだと断言される。

『昨日は悟り今日は迷いの秋の暮れ』
これが真実だとおっしゃる。

良寛さんは『裏を見せ表を見せて散る紅葉(もみじ)』
人間には裏表があるんだが全部見せて死ぬということだ。

昨日は盛和塾北大阪の20周年記念の例会があった。
代表世話人の一人の柴原さんが18年前に入塾し、
塾長の稲盛和夫さんから経営に処する三つの言葉を言い渡されたことを披露された。

1〕何があっても社員を大事にする経営をしろ。
2〕仕事は世の中に役に立つことを生み出し経営をしろ。
(どんな試練があっても受け入れそれを乗り越えてゆく強い意志のある経営)
3〕心を高め経営を伸ばそう。(良心にもとづいた経営)

簡単なようですが、私利私欲を二番にしろとおっしゃってるのだ。
この三つの経営指針を守って今もやっておられるそうだ。
『他人と過去は変えれない 自分と未来は変えられる』
こんな言葉を再び胸に刻み己事究明を楽しみたい。

みなさんは坐禅の目的どう思われますか?

2011年10月14日

親切について考える

人間は元来、傲慢で自己中心的だ。
「優しく」「忍耐強く」『他人を助ける』利他行をするには、
修行を積まなければならないのが事実だ。
もちろん生まれたままではどうにもならない。

先日、西村惠信先生とお話しする機会があった。
私が恩師小田切瑞穂先生に突然「君は資本主義の奴隷か?」といわれ、
気が狂ったんではないか?
これは一体何が言いたいのか?
全く理解不能だった若いころの話をした。

西村先生は『それがほんとの親切だ』とおっしゃった。

当時の私は「不親切」にしか思えなかった。
「もっと易しい言い方があるやろ!」
「もっと意味を噛み砕いて説明するのが親切やろ!」と心では思っていた。

『親切』とは親を切ると書く。
小さい時から親の後姿を見て育ち、精神的にも親と比べ、頼り自己形成するのが一般的だ。
だからこそ無意識であるが心のどこかで『親』に頼ってる自分がいる。
現代はいつまでたっても親は子供に何かしたいとかまうことが親と考え、
子供も親に援助してもらうことが当たり前という親子関係になってる。
いい換えると親離れ子離れが出来ず依存関係となり、
子供の独立自尊の覚悟を阻害している。

襌宗では『ダルマも師匠もない』と祖師をぶった切る。
経文も要らない文字もいらないと『経外別伝 不立文字』という。
実に激しく、徹底して観念的な自分を排除するのだ。

西村恵信先生がおっしゃりたいのは『妄想せず』如実知見し、
自分で解決し『随所に主なればいたるとこ真なり』を、
体得させんがために鬼になって『不親切』することが本当の『親切』だということだ。
そのように、ポツリと『親切』だといわれた意味を察した次第だ。

西村先生は禅宗では『否定すること』が教え方だ。
自分で考え自分で解決する独立自尊の人間が出来ると言う意味だ。

私は親もなくなって十三年、恩師小田切先生も亡くなって18年だ。
居ないのだから頼れないが、
二人の教えだけが耳に残っていて『親切』を感じれるようになった。

みなさんは親や恩師や友の「親切」感じておられますか?