社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2011年10月04日

「我是不是我的我」

このタイトルをどう発音するか知らないが、
『私は私でない私』
元台湾の総統、李登輝さんの言葉だ。

意味は「肯定的人生観とは果てしない自我の肯定ではありません。
    キリスト教に『自己の中に神を宿す』という概念がありますが、
    深い愛で他者を許す神を自己の中に宿すことで、
    自己中心的自我が消え、他者を思う心が生まれる。」

国家を運営するリーダーの哲学だが『私でない私』は自分を磨いて出来る人格だ。
京セラの稲盛和夫さんも『利他行』の実践をし『善思善行』に徹することと話される。
国家運営と実業界では具体性は違うが、基本の心構えは同じだと察する。

単なる奇麗事のように聞えるが、これを他人に押し付けるのでなく、
自らの行動を厳しく律することができなければならない。

「この理念を血肉化させるには、すさまじい集中力と、
 マクロとミクロを両立させる行動力と、
 損得や好き嫌いという価値観を離れた判断がいる。」と稲盛さんは言われる。
先人や親、兄弟、友人、上司に支えられてることを忘れず素直に学び行動することだ。

中国の荀子は、
『それ学は通のために非ざるなり、
 窮して苦しまず、憂えて意〔こころ〕衰えざるが為なり。
 禍福終始を知って、惑わざるなり。』
意味=学ぶとは泰然自若の強い心つくりすることだと喝破する。

先人の強い意志を学び取り体得するには未熟な自分を反省するばかりだ。

みなさんは『私は私でない私』つくりはどのようにされてますか?

2011年10月02日

敬天愛人

西郷南洲翁遺訓の中にリーダーは『私意』で判断せず『天意』で判断することと書かれている。
天に対して敬いをもって、人は愛すべきというのであり私の座右の銘のひとつだ。
社会で大人として働く時は「私心」をもって判断せず、
「天意」=お天とさんに恥ずかしくない判断し行動することが寛容だ。

人間が人間世界で人間を愛せなくなるのは悲しい。
さて古来中国では人間を「善」と見るか「悪」と見るかで論争が有った。

孟子=性善説・・・・・・・・・道徳重視→自律的
荀子=性悪説・・・・・・・・・法律重視→他律的

ローマが元老院と皇帝と市民がトライアングルになっていたときは大変うまく政治が行われた。
ところが元老院の終身制となり既得権が出来、法律中心の政治に偏って行く、
たとえば、隣の境界を侵したら『足』を切ると言う極刑となるといったものへ変質する。
ローマが崩壊するのは決してこれだけではない。

詳細は歴史家にゆずるとして、一般に文明崩壊の三つの条件を上げると、
1〕自然の生態系がおかしくなる。
2〕社会のシステムが制度疲労を起しあわなくなる。
3〕モラルが低下する。

最近の世界社会状況は経済成長優先で資源の争奪が始まり生態系を崩し、
日本では戦後の自民党体制が崩壊し政権が民主党になり政治システムが揺らぎ、
モラルも個人の利己主義的言動がまかりと通る時代ではないだろうか?

人間は善も、悪も持っている。
仏教的に言うと『衆生本来仏なり』なのだ。
だから二宮尊徳流の『道徳のない法律は罪悪』『法律のない道徳は戯言』で、
ハイブリッドな中庸を互いが切磋琢磨して養うことが重要だと気を引き締めてる昨今だ。
決して危機感をあおることが目的でなく、事実と真剣に向き合うことが私のできることだ。

みなさんは身の回りで文明崩壊の現象がを感じ、どう対処されてますか? 

2011年09月30日

分業の社会だから学ぶ心

アダムスミスは「国富論」で分業することで生産性が格段と良くなることを証明した。
今の世の中は生産性を上げる競争をし、造りすぎて恐慌になるシステムだ。

この分業の社会で生きてると自分が「片輪」になると夏目漱石は言う。
豆腐は大豆を育てる人とその大豆を豆腐にする人とそれを売って歩く人がいる。
更に細かく考えると仕事は専門化しドンドン全体がわからなくなるということだ。

だから自分のために働くといっても、なんでも自分で造っていた原始的な時代でなく、
反物を造る人、反物を染める人、着物を造る人や売る人に世話になって生活しなければならない。

突き詰めれば自分の職業以外の人〔他人〕にお世話になるんだから、
他人に役に立たねば職業ではないと結論付ける。
もし自分のために働くとしたら、それは道楽になる。

だからこそ、いろんな職業の人が集まって話し合い全体をつかむことも大事だ。
また、目標を創って解決するには、衆知を集めることが最良の策だ。
それには「学ぶ心」がいる。

松下幸之助さんの「学ぶ心」にある言葉を紹介する。

「学ぶ心さえあれば、万物すべてこれ師である。」
「語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、先輩の厳しい叱責、後輩の純情な忠告、
 つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史、どんな小さなことでも、
 どんなに古いことでも、宇宙の摂理、自然の理法がひそかに脈づいているのである。
 そしてまた、人間の尊い智慧と体験がにじんである。
  
 これらのすべてに学びたい。どんなことからも、どんな人からも、
 謙虚に素直に学びたい。すべてに学ぶ心があって、始めて新しい知恵も生まれてくる。
 よき知恵も生まれてくる。学ぶ心が繁栄へのまず第一歩なのである」

自分が良くなりたいと思うのは「自利心」だ。
この燃える向上心やより良くなりたいという内から突き動かす思いが仕事や生きる人生の原動力だ。

しかし大事なのはその方向性だ。
その方向が利己心を満足させる目的では人間関係が壊れ社会的には役に立たない。
漱石が言うように、働くのが自分以外の他人のため、
いい換えると利他心を満足させる方向であれば人間関係は広がっていくのである。

私が勤めていた会社の社長に「手の平に地球儀を乗せて考えろ」と良く言われたのは、
全体を見ろと言うことだったように思うこの頃だ。

みなさんは全体をどうしてつかんでおられますか?

2011年09月29日

お金と信用と心構え

資本主義の世のなかは「お金=信用」で、
この約束をたがえると人間関係は壊れてしまう。
社会は一万円が一万円で使えるという信用がベースだからだ。
よく親父が「金のないのは首の無いのと同じや」と言っていた。

一番辛いのは友達付き合いをしてたり、取引先の借金の申し出は断りにくい。
お金に対する信用が世間から認められることは、取引先や金融機関の信用も厚くなり、
社会でたくさんの人間関係を築けることになる。

友人のN君は取引先が経営が悪化し、
社長に1000万用立てるように言われ「家訓です」と断りました。

取引停止ということになることは覚悟だが、
今までかわいがってもらったことまで無しにする非情では自分も辛いし、
今有る人間関係にも処理のやり方如何で信用関係に影響する。

そこで在庫の商品を1000万買い取る話をして取引にして恩義を返した。

私の場合、友人A君が事業がうまく行かないので増資したいので、お願いする。
もちろん30年来の友人だから断れない。
話を聞くと、売上が下がってきて、1600万の借金も払わなければならない。
最終的には家売って借金処分するということだ。

こんな後ろ向きな話に付き合っていられないので、
「もっと前向きな事業計画を建てろ」と怒鳴りつけた。
もちろん、面倒見る覚悟でだ。
すると、彼は「その言葉が聞きたかった」迷ってたことに気付いて考え直すことになった。
その後お客さんの入りも良くなり、好転してきたそうだ。(やる気で取り組むことだ)

誰でも不安になることはあるが、それは心の持ち方だ。
世の中の景気が悪いからとか、競合店が出来たから、
自分の部下を信じないで、もっとやってくれたらと他人を動かそうとしたり、
自分以外のことで解決しようとするからうまく行かない。

基本は自分で行動することから始めると解決する。
時間が無いとか場所が悪いとか言わないで、
自分の身体を使い切る、使いすぎると病気になる。
そこまでやってみることだ。
もちろん医者に見てもらい対処はする。
お金に頼らない、他人に頼らない、世間を敵にしないで世間に沿うように行動する。
「私心を捨て、自分の使命に全身全霊傾け行動する」
これを一心不乱にしたら手伝ってくれる人も現われる。

このときの脱出方法は簡単だ。
「前向きなこと100%に頭の中をすることだ。」と自分に言い聞かす。
なぜかというと、頭の中で成功と失敗のどちらも考えると迷うからだ。
人間は自分を守るという本能が働くから、本能で動くと失敗する。
〔西郷さん曰く、私意を捨て天意で行動せよ〕
意味=私の価値観を二番にしてお天道様の価値で恥ずかしくない行動をする。

1〕楽観的にイメージする〔こうしたいというイメージを抱く〕
2〕悲観的に徹底して考えを練り、徹底して自分で出来る範囲から計画する。〔自分が倍働く〕
3〕楽観的に行動に徹する。
〔自分を守ろうとするエゴに勝つ、小さな失敗は気にしない、世間の目も気にしないと覚悟する〕

資本主義は「お金と信用」がセットになってるので、
二宮尊徳流に表現すると「お金のない信用は戯言」「信用にないお金は罪悪」だ。

みなさんはお金と信用と心構えどうされてますか?

2011年09月27日

誰にも負けない努力

私は受験競争に負けた人間だ。
当時は今のように受験専門の塾はない。
だから自分で問題集を買ってきて、とにかく記憶し問題の傾向まで把握する。
それには時間がかかるので、高校三年の二学期ぐらいになると授業を早退し、
家や、図書館で猛勉強した奴は希望の学校に入った。


怠惰だった私は、記憶には意味がないと屁理屈をこねて、
必要なとき図書館に行って調べればいいと高をくくり自己正当化していた。
IT社会の今だったら、ネットで何でも詳しく調べられる。
もっと記憶が必要ない時代かもしれない。

だが、情報という材料がないと考えることができないのも事実だ。
努力がいる。

さて、私とはレベルが違うが、
道元禅師は「人間は仏性を持ち、そのまま仏だ」と考えるのが大乗仏教だし密教だ。
禅師は「修行はいらない」と考え修行に疑問を持っていた。
二十四歳の時に宗の国〔中国〕にわたり、天童山の如浄禅師のもとで参禅し目覚める。

如浄禅師の答えは「我々は仏だからこそ修行ができる」だ。

何を馬鹿なことを言うといぶかしく思われるでしょうが、
「仏の反対は凡夫だ、凡夫は修行できません。凡夫はすぐに誘惑に負けてしまって、
三日坊主になる。仏の仏性があるから継続して修業が出来る」と喝破されたのだ。

道元はこのことに気付き日本に帰ってきて、後に道場を作ったのが有名な永平寺だ。

ビジネスの社会で「商いは人間道」といわれる商道塾の中村隆俊先生は、
「楽」と「安易」は違うと説かれる。
「楽」=手を抜くことでなく、自力で努力を尽くしきる、「人事を尽くして天命を待つ」
「安易」=努力しないで手を抜いて結果を得ようとする。

仕事はお客さんの役立つ利他行が出来て当たり前と断言される。

日常生活で努力することの喜びをかみしめて、
真剣に今を充実させてるか自問自答する次第だ。

「誰にも負けない努力」は自然の摂理とおっしゃられるのは京セラの稲盛さんだ。
動物にしても、植物にしても必死に一生懸命生きていかなければ、生き残れない。
人間だけは「誰にも負けない努力」とか「一生懸命生きる」ということいえば、
何か特別なことのように感じている。

成功するために、一生懸命働かなければならないのでなく、
生きていくために、「誰にも負けない努力がいる」で働くこと、それが自然の摂理だ。

真剣さが伝わってきて、自分自身を粗末にしてると反省ばかりだ。

みなさんは仕事に子育て自分磨きにどうな努力、具体的になさってますか?