社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2011年11月22日

頭冷心暖

この言葉の響きも意味も大変気に入ってる。
日立計測器サービスの社長をなさっていた岡野 寛さんの座右の銘だ。

昔はお腹をこわすと絶食状態にして空っぽにして治す。
治りかけはお粥さんを少しづつ食べてならしていくのが常だ。
岡野さんは頭も心も絶食療法が必要だとおっしゃられる。

情報化社会の現代は情報が溢れ、心をかき乱す強い刺激に満ちているから、
頭も心も『食べ過ぎ』状態で炎症を起こし、
頭は熱を持ち、心は冷たく『人間』から離れている感じがするそうだ。

仕事を成しあげるときに、『あれこれ』頭で考えて、
頭の中にある答えを証明するように行動するが、
自分の考えを押し付けることは出来ても、決して人に感動を与えられない。

音楽でたとえるとアマチュアの演奏家は、
頭が譜面を追うので一杯で指揮者を見て演奏するが、
感動させる演奏は出来ないのと同じだ。

ところが、プロフッショナルは譜面がすべて頭に暗譜され、
頭の働きを意識しない状態になったとき、
涙が出るほど感動させれるが、
頭の芯はし-んと静まりかえって客観的に演奏を続けられる。

仕事もプロの演奏家と同じように、
とことん考えつくし、一度絶食状態にすることで本筋が見えてくる。
そんな状態のときに判断を下せ、結果、私心なく動機は善となる。
更にこの判断は職場のみんなを巻き込んで共鳴の輪が広がりすばらしい成果を生み出す。

私は恩師小田切瑞穂先生に『コップ〔頭〕を空っぽにして話を聞け』と、
講義中に叱られたことが今では懐かしい思い出だ。

『頭冷心暖』を意識して頭を空っぽにして、
心暖かい仕事が出来る人がプロフッショナルだと先生も言いたかったようだ。

みなさんは仕事人生のプロフェッショナルですか?

2011年11月21日

ブータン・国民総幸福量(GNH)

ブータン政府は国民総生産〔GNP〕の代わりに国民総幸福量GNHを使ってる。
もちろん金銭的な尺度で計るのでなく、九つの尺度で幸福を数値化してる。

実にすばらしいのでここに紹介する。
1)心理的幸福
2)健康
3)教育
4)文化
5)環境
6)コミュニティー
7)良い統治
8)生活水準
9)自分の時間の使い方

この優先順位も人間中心の項目を考えて、
金銭的物質的豊かさを目指すのでなく、精神的豊かさを目指す価値観である。

特に心理的幸福を数値化するのに正負の感情を抱いた頻度で測る。
正の感情=1寛容、2満足、3慈愛、
負の感情=1怒り、2不満、3嫉妬
2005年5月末に国勢調査した結果は『とても幸せ』=45.1%『幸福』=51.6%の回答だった。

震災後国賓として日本を訪ねられたワンチュク国王は、
『皆さんの中に人格と言う竜がいます。年をとって経験を積むほど竜は大きく強くなります。』
と被災地の子供の語りかけられた。

日本の現実は年を重ねて人格〔利他・良心)と言う竜より、
個性教育や個人主義と人権ばかりで、人格の利己だけが肥大してないだろうか?〔反省だ〕

私たちは歴史を逆戻しはできないが、科学や論理といった理性を否定するのでなく、
精神的豊かさを目指すハイブリッドな幸福觀を築き上げることこそ今の課題であろう。

自殺者が3万人を超え社会問題化する日本で、
科学や理性を妄信しすぎ、自分で精神的を追いつめてるのが実情だ。

『不幸は人間を苦しめると言うが、よく考えると、
 人間を苦しめるのは不幸そのものでなく、不幸だと思うその考え方事態である。』

京都大学学長だった平澤 興先生の言葉が胸にしみる。

みなさんはブータン国の精神的豊かさ目指す幸福の心が乾いてませんか?

2011年11月20日

血が通よったコミュニケーション

会社には『使命』が必要です。
私たちは『石』を生活の中で使っていただき、
買って頂いた御客さんが幸福を創造し、実感していただくことが究極の目的だ。

このミッションを実現するためには判断の基準、
行動の基準となる理念が共有された組織がいる。

私たちの組織の理念は『利他行』と『三方良し』だ。
1)「利他行」決してお金儲けが目的ではなく、あくまで手段であり結果だ。
石の使用価値を最大限に生かし、お客さんに役に立つ提案をするために、
人間本来の自利心をエネルギーに使い、「利他行」一番、「自利心」原動力なのだ。

2)「三方良し」善悪、損得、好き嫌いのように二方で考える分別するのでなく、
現実的には自分を利する、他人を利する、世間も利するという矛盾を克服し、
徹底して考え抜いて「私心」を離れた「善」を導き出す努力がいる。
もちろん具体的な行動が知恵の正しさの証明になる。

この二つの理念が血肉化することが現場で行われることだ。
この実現に何よりも重要なことは『コミュニケーション』であり、『血が通うこと』だ。
このコミュニケーションで気をつけなければいけないことが三つあると断言されるのは、
東大名誉教授の畑村陽太郎先生だ。

1)『形式主義』ルールさえ守ればいいという考えに陥る。
車のハンドルに遊びがあるようにルールも人間が生かしたり殺したりすることを注意する。

2)『官僚主義』これは部下は「命令されたこと」さえやればいいと言うように自発性や創造力を奪ってしまう結果になる。あくまでも自律性を重ん事『失敗』を否定する風土を作らないことだ。
『失敗』は原因探求し是正し、次への飛躍のチャンスにする大きな心構えが必要だ。

3)『数量主義』数字ばかり追いもめると目的化して、数字以外にプロセスや気配りが無視され、
報告のために現場で数字合わせの改ざんが行われることがあるので注意がいる。

以上を克服するには『現場』に行く、触れる、人と話し合う。
血の通ったコミュニケーションがすべてを活かす根本だ。
理念が血肉化してこそ『使命』が果たされるすばらしい集団になること間違いなしだ。

みなさんは「理念」と「現場」とが血が通ったコミュニケーションで結ばれてますか?

2011年11月18日

もう一人の自分

誰しも二人の自分がいる。
生まれて親の愛を受け、社会の愛の中で育っていく、
そこでは依存心の強い素直な自分がある。

この自分は直ぐに『辛い』『苦しい』と言う自分だ。
私の友人は『人間の本質』を、
1〕怠け者2〕愚か3〕欲張りだからこそ、
もう一人の自分に合うために『努力』がいるという。
それは『喜び』と『感謝』する自分だ。

誰もが知ってるドイツの哲学者のカントは飛行場になってる〔現在〕ケ-ニヒスブルグ、
馬の蹄鉄打ちの親父さんの元で生まれる。

身体は背中に団子のような瘤があり、
胸の乳の間が狭く、脈がいつも百二十ぐらいの速さでうち、
喘息がひどく死にそうな子供だったそうだ。
親も苦しんでるが医者にもかけないが、
年にいちにど来る巡回の医者にみてもらうことにした。

この医者が実にすばらしい診察をし言った一言で世界的な人物になったのだ。

『気の毒だな、あなたは。しかし気の毒なのは身体を見ただけのことだよ。
身体は気の毒だが、苦しかろう、辛かろうそれは医者がみてもわかる。
けれど、あなたは心はどうでもないだろう。
あなたの心がどうってことないのに、
『苦しい』『辛い』口で言ったら両親が苦しむだけで何もならない。

『苦しい』『辛い』と言う口で、心の丈夫なことを『喜び』と『感謝』に考えればいいだろう。
心が丈夫なおかげでお前は死なずに生きてるじゃないか。
私の言ったことがわかったら、一日でも二日でもそうして見ろ。
私のお前に与える診断の言葉だ。わかったかい。薬はいりません。』

言うまでもなく、カントはそれを実行し「苦しい」「つらい」と言う言葉を一切心に描かず、
『喜び』『感謝』を心に描き、肯定的で、積極的な人生を送って世界の偉人の一人になった。
私は100%『喜び』『感謝』飲もう一人の自分にならなく生まれたままの自分がでてくる。

皆さんはもう一人の自分と出会ってられますよね?

2011年11月17日

喜怒哀楽を学ぶ

私たち学生時代に『クール』と言って、
澄ました顔して喜怒哀楽を見せないで腹立っても怒らず、
おかしくても大声出して笑わず、悲しくても人前では泣かない。
他人の前で苦しい顔なんかは見せなく、ニヒル〔無表情〕が賢い男だという風潮があった。

まして、「雄弁は銀」で「沈黙は金」といって、
軽はずみに自分の心で考えたことを言葉多く話すのは下品だった。

私はその軽率な人間で愚か者だったに違いない。
でも人懐っこく誰にでも気前がよく好かれる性格だった。
ある人からはそんな私を世の中では『人畜無害』と揶揄されたことを良く憶えてる。

自己正当化するわけではないが、安岡正篤先生は『喜怒哀楽を学ぶ』と題した文がある。

「よく人は学問とか修行とか言うことを間違って、喜怒哀楽をしなくなることだと誤解するが、
 決してそうではない、それでは学問・修行というものは非人間的なものになってしまう。
 学問を為す要は、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむかというところにある。」

更に、荀子〔中国の儒教者〕の言葉を引用して、

『それ学は通のためにあらざるなり。窮して固(く)るしまず、
 憂へて意〔こころ〕衰えざるが為なり。禍福終始を知って惑わざるなり。』

意味=通とは通達することで、学問というものは決して出世や生活の手段でない。
   窮して悲鳴を上げたり、心配事のために直ぐぺしゃんこになるようでは学とはいえない。
   何が禍であり何が福であるか、いかに始まりいかに終わるか、ということを知って惑わざるが為なり。

仏教でも「悟る」とは仏像のように半眼になり、
喜怒哀楽の表情をしないで超えることと誤解されてるが違うと恩師小田切先生が良くはなしてくれた。
それでは傍観者の知恵になりニヒリズムに陥るといっておられた。
「喜怒哀楽を出でず」だそうだ。
御釈迦さんも六年間の修行をへて菩提樹の下で覚められたが、
こんなこと話たら気が触れたと思われ他人に話すことをを悩まれたそうだ。
しかし、この世で目覚めたことはこの世で伝えることだと亡くなるまでインド中を行脚された。
その話された中味がお経として「阿含経」「華厳経」「法華経」「般若経」「涅槃経」
の五つが弟子によって伝えられたそうだ。

みなさんは「クール」派ですか?
現実の中で活き活き行動し「喜怒哀楽」を表現する主体者派ですか?