社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2012年01月27日

人間の取扱説明書

私が生まれた時に自分の心の二つの取扱説明書を忘れたのである。

ひとつは考え方を自己中心に考えるのでなく、
利他心で考えると調和するという考え方の取扱い説明書。

『人間は自分のことばかり考えてるうちは、
 悩みは尽きることはありません。
 ところが、いつも周囲の人や、多くの人の事や、
 多くの人のことを考えている人には、
 悩みというものはありません。』

イエローハットの鍵山秀三郎さんの言葉。

もうひとつは人間は「忘れること」が、自己の執着を捨て新しいことが入ってくるという、
心の新陳代謝する取扱説明書である。

人間は一晩眠ると、どんなに今日良いことをしても忘れ、
悪いことも悪さが時間と共に薄れる。
だからと言って、悪用して人を傷つけたり、盗みは集団生活の秩序を乱すのでダメ。
失敗や心配と言った自分の内面の不安や苦悩は忘れることで、未来に向かって発展、
進化する勇気が出る。

『心構えはどんなに磨いても、毎朝、ゼロになる能力である。
 ちょうど、毎朝起きたら歯を磨くように、
 心構えも毎日磨きなおさなければならない。』

社会教育家の田中真澄さんの言葉

孔子が論語の中で『朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり』といってるのも頷ける。
人間は平等につくられてるのに、自分という人間の取り扱い方がみんな違うのだろう。

みなさんは人間の取り扱いの基準をどこにあわせるかご存知ですか?

2012年01月25日

すばらしい宗教家Ⅱ

超宗派寺院ネットワーク『寺ネットサンガ』を運営されてる、中下大樹(なかしただいき)さんの『悲しむ力』という本を読んで感動したので紹介する。

人間の心とはモノの性質とは違い、
逆境を跳ね除け世の中に役立つ宗教家として活躍されてるすばらしい宗教家だ。
この本に語られてる彼の生い立ちにビックリした。

父親はやくざ、母親は『カタギ』と言えない職業で家事も子育ても放棄し、
『あんたなんか生むんじゃなかった』といわれた時の絶望感は今でも忘れられないそうだ。
数え切れないほど転校と施設にはいり、祖父母のところでも育ち新聞配達をしたりする貧乏生活だった。

ところが「おじさんの死」によって生きることと死ぬことについて感じた。
ある日学校から帰ってきてランドセルを置くと、天上からぶらぶらぶら下がっている死体を見た。
借金の保証人になったために自死(自殺)したと大人が話していたのが記憶にあるそうだ。

そこで彼は本気で『死』を考えた。
すべては死んでしまうのだ。
お金持ちも、貧乏人も、有名も、無名な人も、頭のいい人も悪い人も100%死んでしまうのだ。

このとき、彼は死について考えれば考えるほど生きる力がわいてきたそうだ。
自分の生い立ちや苦労を考えると『終わりのないように見える不安や苦しみにも終着駅がある。』
彼にとって『死』こそ苦しみからの解放だったことに気付いたのだ。
だからそれ以来苦しいことがあるたびに『死』を思うと開放感を感じたそうだ。

それは自殺願望ではなく、『いつでも死ねる』という最後の切り札のようなものだった。
『死』に取り付かれたからこそ僧侶になったのはごく自然だと言い放つ。

働きながら大学や大学院で宗教学を学んでいた。
そのときの教授でもあり住職だった先生に誘われ僧侶になったそうだ。
今は『いのち』をテーマに活躍されてる昭和50年生まれの37歳の僧侶だ。

彼が気付かされたエピソードを紹介する。
『幸せとはなんですか?』
50代の女性で車椅子にのり、足で携帯電話を使い食事は犬食いの末期がんの患者に、
『朝目がさめるだけで幸せなんです。』といわれ、
『私はね、朝起きて目が覚めて、ああ、まだ生きてると感じられること。
そして花の臭いをかぐことができること。カーテンをあけて、朝日を感じられること。
洋服を着替え、服に腕を通せること。それだけで十分幸せなの。』

私たちは日常生活の中で誰でも幸せを感じる力を持っている。
しかし自分の感情を蓋したままではその能力は発揮できないことに気付いと述懐する。

「わたしは自分の感情に気付かないフリすることで、辛い現実を生き抜いてきた子供でした。
 貧乏なこと、家族の会話がないこと、誰も自分を必要としてくれないこと。
 そうした状況を正面から受け止める力は幼い自分にはなかった。
 だから自然に自分の感情に蓋するようになった」と!!

『祖父に竹刀で殴られてても痛みに耐えながら頭ではどこか冷静で、
「ああ、大樹君殴られてる」とまるで他人事のように眺めていた』と語る。

彼は『静かに、ゆっくり悲しむことで、優しくなれる。生きる力がわいてくる。』
こう結んでいるすばらしい宗教家だ。

みなさんはこんな宗教家ご存知ですか?

2012年01月23日

すばらしい宗教家

あるお坊さんが苦しみ悩む人に何ができるか?
自分はそれを救うことだ。
ではどんな行動することが救うことか考えられた。

今の医者は薬を与えるだけか、外科で切り落とす技術者だ。
(江戸時代の医者は東洋医学であったために医は仁術といって、心を治したものだ。)
宗教家の薬はまさに心を治すことで「悲嘆に苦しみ悩む人に寄り添う行動すること」だという。

『話す』ことにより、1)気持ちが落ち着く
          2)考えがまとまり、整理がつく
          3)生きる力と意味が湧く
「話す」=離すことだ。悩みや苦しみを話す、自分にこだわる執着を離すことだ。
     ちっぽけな自分の自覚だ。(相手を許すことは自分を捨てることだ)

苦しみ悲嘆を引き起こす原因は7つある。
1)愛する家族や親戚、友人を喪失=死別、離別(失恋、裏切り、失踪)
2)身体的喪失=病気による衰退や身体の一部の喪失(子宮、乳房、頭髪など)
3)所有物の喪失=財産、居住、仕事、(リストラ)、ペットを失う。
4)環境の喪失=転勤、転居、転校などによる親しみなれた地域社会やふるさとなどとの別れ
5)役割の喪失=地位、役割(家庭内の役割、子供の自立、定年など)
6)自尊心の喪失=仕事の失敗から来る名誉、名声を剥奪、悪口、噂話
7)社会生活の安全と安心の喪失

私たちは健康が当たり前と考え、調子が悪いと変に思うのが一般的だ。
だから、病気も健康もあることがむしろ普通だと自覚する人が主体的に生きれる。

その自覚がない人にとっては苦しみや悲嘆の原因を除去しようと、
必死にあがき性急に解決しようと場当たり的な行動をする。
一番大事なのは、この7つの状況は誰でもやってくることで不思議でもなんでもない。

人間はひとりで生きれないからこのように寄り添う仲間がいる。
それが妻であったり友人や師匠である。

先日、西村先生と話していたら、面白いことをおっしゃられた。
『君、襌は自力で坐禅し修行して無になるから自力本願だというが、
師匠について考案のやり取りをしたり、座禅中は警策でたたかれ導かれる。
これは師匠を頼って無になる教えらから他力による他力本願だ』
こうおっしゃるのである。

人生は一瞬の出会いで決まると森信三先生がおっしゃってるように、
私も出会いで師匠による導きを得たが、寄り添う心と実践が足りない。
このお坊さんは苦しむ人に寄り添い相手を受容することを実践されるすばらしい宗教家だ。

みなさんはどんな宗教家と出会っていますか?

2012年01月22日

進歩と調和はハイブリッドな自己形成を目指す

『進歩と調和』は1970年の万国博覧会のテーマだったように記憶する。
42年も前に千里山の丘陵に岡本太郎の太陽の塔を玄関に世界各国の展示館がつくられた。

さて、『進歩と調和』は二律背反する方向で現実の行動では同時にできないが心構えではできる。
1.進歩=これは人間の勤勉に行動する努力と宇宙に隠された法則を見つける探究心と創造力がいる。
2.調和=これは自分を利する利己行でなく他人を利する利他行を優先する行動がいる。

これを同時に実現させるには利他行を優先することで、
『良心』にもとづく判断基準を持つことだ。
いい換えると事実に素直になることであり、
『お天とうさんが見てござる』と幼いころ母から何度も叱られた基準だ。

自分が悪い事や隠し事や嘘ついてごまかしてるのに、
自分を押し通そうと自己正当化するわがままになった時、
母はいつも私に注意したものだ。

それでも自分を正当化しようと『お母さんだってお父さんにごまかしてたやろ!』と反抗したもんだ。
私は世の中で『個人』の存在が認められることは大変いいと思うが、
それと同時に『公人』としての自分の存在も必要不可欠だ。

企業は社会の公器であるのは当然である。
だから利益を得ることだけを目標にするのでなく、
共益や公益も同時に実現し、近江商人の『三方良し』を基準に運営することだ。

自分がお腹いっぱいにならないと他人には利他行ができないのでなく、
自分を満たすことと同時に他人を利するハイブリッドな自己形成を目指すことが望まれる。

自分と他人が調和するには利他行優先の行動がなければなりません。

みなさんは進歩と調和をどう実現されてますか?

2012年01月20日

モノつくりと人つくり

松下幸之助さんは「松下はモノを作る前に人をつくる会社だ」といっておられた。
1970年代では製造業に従事する人が45%はいました。
2012年の現代では70%近くがサービス業や営業職に事務職だ。

モノに魂を入る仕事より、人に魂入れるホワイトカラーの仕事が多くなった。
サービスには特殊な技術のいるモノから、
ホテルの接客係のように直接、人に心地よさを感じさせる仕事もある。
また営業にしろモノを買っていただくので説明技術がいるし、
事務だってコンピュータの知識や経理などの知識がいる。

私は直接モノつくりでない仕事はすべて「人」を感動させる仕事だと考えてる。
最近の流通業は本当にすばらしい、
単にモノ運びの作業やさんでなく「人」に優しい仕事を提供してる。

クロネコヤマトで宅急便を依頼した、私が住所を間違え宛名の人はいないのだ。
郵便局なら「宛先無し」で返って来るが、クロネコヤマトは違う。
差出人に「住所間違ってませんか?」「もう一度調べてください」と携帯電話がかかってくる。
早速調べて携帯にかけると配達してくれるのである。(無料だ)感動した。

アメリカの例もある。
ウォールマートの創業理念はこうだ。
1、お客様は常に正しい。
2、もしお客さんが間違ってたら1に戻る。

ウォールマートでは万引きに困っていた。
普通なら隠しカメラを配置し、万引きGメンを雇う。
ところがそれは創業精神に反するといって、
笑顔のとても奇麗で少し年配の出迎えスタッフ「グリーター」を展開した。
目と目があって挨拶する。
ただこれだけだが最高の効果を出したのは言うまでもない。

日本でもある、能登半島の和倉温泉加賀屋のサービスだ。
ある上品な女性が一人部屋を予約された。
気を利かせて仲居さんが「どうして一人でお泊りですか?」
その奥さんは「いえ二人です」と胸から主人の写真を取り出した。
「実は新婚旅行で30年前にここに泊まったのです。」と話された。
注文の夕食が運ばれてきたのですが、それは二人分でした。
ひとつはご主人のための陰膳だった。
奥様は心からお喜びになったことは言うまでもない。

モノを作らない人はみんな「人」に対する行動で仕事をすることのプロフェッショナルだ。
電話の応対ひとつ気分よくすることや、伝言を機敏に処理することだ。
また、事務や総務も社内外の「人」に対する接客業だ。
もちろん具体的事務処理や法的な規則やルールを守ることは当たり前だ。

それには自己表現技術や演劇や心理学や脳科学や生命科学が必要になってくる。

物理学や工学はがモノの技術を生む、化学が反応でいろんなモノがつくられて、
理科系の技術者がもてはやされ、より良いものをより安くつくることが使命だった時代があった。

今は、生活者が求めるものは、安全安心、快適といった心が行き届く仕事を要求する時代へ進化してきた。
松下幸之助さんが生きた時代はモノつくりが中心の時代だったが、
モノつくりに優しさや温もり人情味が大切だといわれた。
その言葉は現代人が「人」に対する配慮を忘れて仕事を作業化してると、
警告されてるように感じるのは私だけだろうか?

みなさんは仕事を機械的に作業化していませんか、心こもった仕事になってますか?