社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

フィード

RSS 1.0

2017年12月20日

情報脈と人脈

1970年代の田中角栄総理時代に立花隆さんが、
角栄さんの「人脈・金脈」を暴いた。
その後「ロッキード事件」で逮捕され政界から失脚した。
現代でも政治と金の問題はいつも縁が切れないようだ。

現在の日本は情報化社会だ。
今の世の中では一番大事なのは情報だ。
この情報の量を拡大したのは1995年のWindows95の登場だ。
最初は広告程度だった使い方からHP上の無店舗販売や通信販売へと進化していった。
リアルな店舗のシェアーがどんどん奪われていく時代になった。
(スーパーの台頭で商店街がシャッター街になったように)

さらに進んで「メルカリ」のように個人と個人が取引する第三の市場もできてきた。
商品の購入者はHPで情報を集め、リアルな店舗を見てだまされないようにチェックする。
従来の友だちや近所の人、親戚の代わりに、
「メルカリ」のような個人間の口コミの信用が重視される。

従来と違うのは、
1.全国的情報で都会の情報にあこがれ真似するのでなく独自にアレンジするために
 集める情報。
2.地域からの発信を重要視し、個人の音楽好きな仲間、映画好き、といった
 自分の生き方や表現方法に合うものを選び取り、自分なりに進化させる情報を求める。
3.国、都会、地方、村、家の最後に個人があるのでなく、
 個人があり、同じStyleの生き方の人を全国をネットでつなぐ情報の取得方法だ。

インスタ映えといわれるように、LINEやSNSが主流になっていく時代であることは
間違いない。
如何に地域の情報を細かく熟知し、それを個人の生きかたの重要なものに組み替える。

大阪石材の南大阪店でバイクの実物大のお墓を展示していた。
ある人がそれをSNSに上げてくれたら、6ヶ月経つが、
名古屋や九州からも一度見たいと富田林の展示場にこられる。

日本人は大会社は嘘をつかないと信じてる。
また本に書いてることは嘘ではないと思い込んでいる。

HPも公開されているから嘘はないように最初は思ったが、最近は違う。
返品可能な商品を買う。

相次ぐ大会社の不祥事で信用が失墜してる。
本や新聞といった活字信用も報道のやり方で偏り、中味の真実を読み取りにくい。

私は昔から時代に多く読まれる本、古典でも再版数の多い本を解説してもらう読書会を、
45年来二ヶ月に一回主催してやってきた。
中国古典や、論語、易経も学んできた。
できるだけ情報を多面的に見るための「情報脈」を作ってきた。

一方、成長力が鈍化した先進国の金融緩和が続くところでは、
「金脈」よりさらに「情報脈」が世の中を生き抜くために重要だ。

どんな時代にも必要なのは世の中作っているのは「向う三軒両隣」と草枕にあるように、
ただの人の集まりであるから、根本は「人脈」である。

私が大学をでたときは27枚の年賀状を出すだけだった。
50年前には恩師竹内先生は1,000枚出されていた。
その真似をして、名刺で挨拶した縁を大事にしてきた。

今は1,400枚ほどの暑中見舞いと年賀状を出させていただいている。
私の「人脈」だ。
人間は人間の中で磨かれる。
「人脈」こそが私の宝だ。

皆さんは「情報脈」「人脈」どのように形成されていますか?

2017年12月13日

「人間力」について

自分の人生を自分で生きる。
「解りきってる」と答えられるのが普通だ。

芳村思風さんは人間の能力(スキル)だけでは不十分だというのだ。
「人間力」を身につけることが大事だとおっしゃる。
人間を大まかに分けると三つでできている。
1.身体(肉体)
2.頭(思考力・意志力)
3.心(眼に見えないが愛・利他力)

 1.身体は運動と睡眠と食物を得ることで維持してる。
 2.頭はもっぱら知識を吸収する事で理性を発達させ判断力や決断力創造力を育てる。
 3.心は愚かで怠け者で欲張りの自分を自覚し、他を愛し役に立つ事を喜びにする
   心を創る。

思風先生は「人間力」を高める。
人間力の内と外に分け、統合する心の二つの力で結ぶと表現されている。
1.内的人間力
  理性に基づく知力
  感性に基づく気力
  肉体に基づく体力

2.外的人間力
  政治力=言葉の魅力、自分の一言で何人が動くか
  経済力=現実の経済システムを熟知しそれを使いこなす力
  教育力=人を育てる

文化力=仕事もできるが他の文化的な力があること。信頼、親しみ、心服
軍事力=危機対応能力ー危険から守れる力危険対応のできる力

3.この上記二つを結ぶひもになるのは
  1.意志の力=やり続けるという信念と忍耐力
  2.愛の力(利他力)=他に役立つことが生きがいという心の力、
  3.命の力(他とは他人、社会、地球、自然を愛するがゆえに役立つことをする。)

一般には「知、情、意」という表現もある。
一番大事なのは「愛の力と意志の力」である。
自分の欲望のために命を使うのでなく、
自分が行動し働く事で他を喜ばすことに命を使うのである。

論語の中にある「知、好、楽」知ることよりも好きなこと、
好きなことより楽しいことのほうがよいとかかれている。

世の中に楽しいものがあるのでなく、自分で楽しくするのである。
とにかく主人公になって楽しくワクワクうきうき毎日が過ごせるハイブリッドな人間力を作り上げる事だ。
それが「自分の人生を自分で生きる」という意味に違いない。

禅では「随所に主なればいたるところ真なり」という。
決して好き勝手したい放題する事ではなく、
自分を自分で磨き続けることだ。

私に置き換えると思風先生の言葉を読み「無知の知」を思い知らされ、
まだまだ行動がたりない怠け者の自分を突きつけられる思いだ。

皆さんは思風先生の人間力の全体像いかが思われますか?

2017年12月09日

仕事・人生の戦略

石材事業を起こして、二つ疑問に思ったことがある。
1.価格はどうして決まるかであるか。
2.企業は資本主義化において「競争と信用」がなけれなならず、「利潤追求」が目的か。

1.この疑問に100%の答えとは思っていないが、
マルクスの投下労働価値と言って、
商品をつくるのに原材料費、設備の償却費それに労働力などのかかった    
費用を産出して、そこに利潤を足すいう考え方と、
もう一つは市場の供給量と需要量の差で、需要が多く供給が少ないと高くなり,逆だと安くなる。
2.利潤追求が目的だとしたら単なるお金好きの守銭道である。
ドラッカーの言うように社会貢献が一番と考える根拠を以下の人たちに学ぶ。

それにはどうしても仕事と人生が一体のものと考えるのが妥当だ。

元京都大学の総長・平澤 興先生は
「修養と人生、仕事と人生は一つのものである。
人生をはなれた修養はない。
また仕事をはなれて人生はない。」

ロダンは
「仕事は生活の方便ではない。生活の目的であり、
働く事が人生の価値であり、人生の歓喜である。」

この両人が言ってることが心から腑に落ちた。

仕事をするには経済的な事が絡まり、利潤がなければ再生産もできないのは事実だ。
しかし、それは手段であり目的ではない。
仕事と人生が一体なら、
1.競争(現象)ではなく、生き方である。
2.信用(ルール約束守る)でなく、三方よし、フェアプレイで良心を基準に照らす事だ。

仏教的な表現をすれば「色即是空・空即是色」だ。
色(現象)=結果、競争と信用に見える。
空(本質)=原因、利他行(社会貢献・他人を幸福に)して、
困難や難解なことを体当りで独自の道を創造する事だ。

現象は唯物論で説明できるが、自分という主人公が現実に飛び込むとしたら、(色即是空)
自分の内なる情熱が原因で結果の現象を生むという唯心論がいる。(空即是色)

さて目的達成には戦略と戦術がいる。
戦略とは「相手を負かす事でなく、自分を強くする事である。」
イチローは「やらされてる百発よりやる気の一発」と表現する。
確かに、隣の人と比較したり、競争する事もあるが、
長い眼で見れば自分に似合い、自分の得意とする独自の戦略を編み出す事である。

仕事・人生は一体であるがゆえに、
戦略とは「勝つこと」でなく、「どう生きるか」である。
戦術は具体的な方法で体も頭も心も動かすHOW TOをいう。。

生き生き生きるとは過去からの因縁に束縛される事でなく、
末来が開放的で希望で満ちているオープンマインドで空っぽにする事だ。

みなさんは仕事人生の戦略どのように考えられていますか?

2017年12月03日

「意識」は害にもなる

今朝新聞を読んでいたら「意識は害になる」という言葉が飛び込んできた。

養老猛司さんが書き下ろした「遺言」という本のポイントが書かれていた。
「意識」とは目や耳などを東して受ける感覚に対してそこに「同じもの」を見つけ、
意味に変換し、秩序を与える。

都市で暮らす人間は「感覚入力を一定に限ってしまい、意味しか扱わず、意識の世界に
住み着く」
人間の子供にとっては経済的でも効率的でも合理的でもないものだから意識が邪魔になる。
そのしっぺ返しで子供が減っているのであろうというのである。

動物は感覚をつかって生きる。リアルな存在だ。
団塊の世代ではしょっちゅう山登りする。
若者も森に行くためのSUV車に乗る。
本能的に「意識」に害されてるからのバランス行動であるに違いない。

この文章を読んでいて「老子」の言葉を思い出した。
「知足不辱 知止不殆」
意味=足るを知ると辱めを受けない、止ることを知っていれば危険を免れる。
(意識を自分で外しコントロールする事こそ静かさと平安を得れると諭す)

誰でも地位とお金と自分の身体のどちらが大事か?と問われたら、
必ず「身体」が大事だと答える。

次に身体の中で頭と腹どちらが大事かと問われたら、
都会に住んでいる人は一応に「頭」と答えるであろう。

養老先生によると「頭」は意識を作り、意味を問う交感神経が働くのである。
だから「考えすぎ」は不安を呼び込み恐怖心を産みストレスを作り出すことになるのである。

「腹」と答える人は全体の身体を整える副交感神経を使う事を知ってる。
感情を養うセンターでもあるからバランスが取れた身体になると同時に胆力もできる。

2500年前の老子の無為自然とは意識で身体を引っ張りすぎるなと警告する。
足るを知らなければもっとほしいもっとほしいと欲望が肥大し我利我利亡者となる。
意識で引っ張る欲望の列車のように、さらに早く走ろうとして、
自らの身体を壊し、意識が有益にならず害となるのである。

禅は「止ること」を教え、雑念に振り回されず自らの命が躍動する良い方法を教えてる。
竜安寺の庭のつくばいに「吾唯足知」とかかれている。

皆さんは意識をするときとしないときを切り換えどうしてますか?

2017年12月01日

坂村真民との出会い

坂村真民さんとの出会いは、平成の4~5年頃だったと思う。

薬師寺の元執事長(現長老)安田瑛胤師の会で、
先生の「詩の講演」をしていただきたいということになった。
石材の同志の高岡社長が愛媛松山にいるので、面会を頼んだ。
私も坂村さんの詩をたくさん読んだわけでないので、
松山の本屋さんに行って買い求めた。
びっくりしたのは、本一冊ずつに心のこもったサインがなされていた事だ。

さて先生の「タンポポ魂」、自宅の書斎を訪ねた。
そこでその趣旨を話して、来ていただけないかと言った。

薬師寺は高田好胤さんの名前が通っていた有名な寺であることはご存知だった。
先生の返事は「NO」だった。

直接的な表現ではなかったが、
「私は有名な寺で話しだけきいて勉強するのも良いが見世物ではない」
といった厳しい言葉のニュアンスを感じた。

誤解のないように薬師寺からの任務でなく、会の仲間が先生の(朴の会)にはいってられ、
詩国を毎月読んでおられることを話した。

すると少し柔和な顔になられ、私に「念ずれば花開く」の色紙を下さった。

二度目の出会いは平成12年(2000年)大阪の茨木市のまだま村の、
「念ずれば花開くの碑」の除幕式にこられたときである。

立花之則さんは真民先生に私淑されていて、一万人のノミで彫られた碑を作り、
先生に来ていただかれ、
その裏方の準備一切を大阪石材のスタッフと、
奈良の魚谷さんのまほろば塾の人でやらしてもらったときだ。

先生の「念ずれば花ひらく 苦しいとき母がいつも口にしていた。
このことばを、わたしもいつのころからか となえるようになった
そしてそのたびに わたしの花が ふしぎとひとつひとつひらいていった」

この詩が一番残っているが、もうひとつ凡人のわたしの気に入りがある。

「西行と山頭火は 妻子を捨て 家を出た
芭蕉と放哉は 世を捨て 旅で死んだ
だがわたしは 妻子を捨てず 世も捨てず
一筋に詩を作り どこまで行けるかいってみよう
詩神よ 導きたまえ 守りたまえ」

あの鋭い眼光は未だに目に焼きついている。
生半可に詩をかかれていない厳しさを感じたのを今も肌感覚で覚えてる

皆さんは坂村真民さんの詩を読まれたことありますか?