社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2007年10月29日

「スポ-ツに想う」

亀田兄弟の反則問題で、
1)親としての姿勢
2)マスコミの行き過ぎた虚像つくり
3)協栄ジムの監督責任
4)スポ-ツ選手への謝罪、ファンへの謝罪

この一連の騒動に想うのは、
スポ-ツそのものは最高の品格あるものだと思う。
目的は勝つことですが、手段を選ばずでなく、
ル-ルを守り、フェア-プレイと、チ-ムワ-クの精神を持った。

記憶に新しいのは、山下選手がひざに怪我した時、
相手の選手はそこをねらはなくフェア-に戦った、フェア-プレイ精神

また団体競技ではラクビ-の合言葉ですが『ワンフォ-オ-ル、オ-ルフォ-ワン』
一人はみんなのために、みんなは一人のためにという互助精神、チ-ムプレイです。

全体を見ながら自分を生かす、自分を生かしながら全体に貢献する。

ところが、マスコミはじめ、報道の論調は誰が悪いのかという、
悪人探しのように想う。
わたしは最も悪いのは、観客である自分だと思う。
消費者ならなにを言ってもいいような、観客ならなにを言ってもいいという風潮が、
本当の民主主義だろうか?市場主義だろうか?
本来は自己責任です。権利と義務のバランスです。
観客の義務が置き去りになっていないだろうか?

これからは、やる人、見る人、という二者択一的な、
見る側はなにを言ってもいいのだというスポ-ツ観戦でなく、
自分も参加してやってる人であり、見ている人でもある気持ちで、
スポ-ツの持つ、フェア-プレイ精神やチ-ムワ-ク精神のすばらしさが、
ぶれない観客でありたい。

2007年10月28日

「『成功への情熱』稲盛和夫(京セラ会長)」

『わたしは長期ビジョン計画は立てません。
 今日の仕事がうまく行くかどうかも、
 明日なにがおきるかもわからないのに、
 今から十年先のことなど見通せるわけないからです。

 代わりに毎日を懸命に生きるよう、自分に言い聞かせています。
 今日を懸命に生きれば、結果として、かなりの正確さで明日が
 見えてくると明言できます。その延長線上に未来が開けてくるのです。

 正確に将来を見通すということは、今日を努力して生きることの延長線上にしかないのです。』
                                                                                           稲盛和夫

 あるトップセ-ラ-は計画的に一日3人の人と会う、このことだけ決めてるんです。
 それも2時間、午前、午後、そして夕方、6時間です。
 移動時間もありますから8時間働くことになります。

 もちろんドタキャンもあります。その人の予定表はたった2週間しか埋まってません。
 このことを毎日一生懸命守った結果、年間360件の保険契約が実行されてます。
 このパタ-ンを見つけるまで、まったく売れない営業マンで、
 卒業名簿や親戚の訪問ばかりに頼っていたそうです。
 
 一日一日を大切にすること、自分の行動パタ-ンを自分で守ること。
 時間が決まるから中味がつくられ、結果役立つことを学ぶようになる。
 
 いつも自分に言い訳する時、中味が出来てから目標や時間決めると!!
  (逆だな!!馬鹿な自分)
 わたしはどうも成功への行動の逆を行動しているようだ。
 ほんとは成功はしたくないのか?努力することがいやなのか?自己中心的過ぎて視野が狭いのかだ?

2007年10月27日

「本物になるクセづけ、船井幸雄」

『他人を否定的に見ていると、
 相手に心閉ざされ、
 かえって嫌われてしまう。』

  こんな言葉いってませんか10か条
1)君の考えには反対だ。
2)君の家族や君が信じてるあの人は嫌いだ。
3)そんなことは誰にでもできる。
4)そんなことなら自分のほうがよく知ってる。
5)君の失敗の理由はこうだ。
6)わたしはこのことについては詳しいのだ。
7)君はこのように約束したじゃないか。
8)私にもやらせてみたまえ。
9)わたしも昔は君のように考えたもんだ。
10)それは君のひがみだよ。

他人の欠点を指摘し、是正させようとすることなども、
なるべくしないほうがいいでしょう。
こういうことは、悟りに近い高みに達したような、
よほど成熟した人なら効果はあるが、普通の人では効果はありません。

だから、誰の言葉もいったん受け止めて。肯定することが、
人間関係を築くためには大切なのです。

     船井幸雄

これは、本物になるクセづけ97のうちの36番です。
わたしは相手のためと考え、この十か条全部やってました。
まったくの偽者ということです。
なんと情けない、恥知らずで、相手の意見を聞く辛抱が出来ない、せっかち、
自分の推測を一方的に押し付ける。利己心そのものです。

反省、反省、反省、皆さんごめんなさい。(亀田の心境です)
本物になりたい、再挑戦させてください!!!

2007年10月26日

「ジェ-ムス・アレンの言葉」

二十世紀初頭のイギリスの哲学者です。

『成功を手に入れない人たちは、自分の欲望をまったく犠牲にしていない人たちです。
 もし成功を願うならば、それ相当の自己犠牲を払わなければなりません。
 大きな成功を願うならば、大きな自己犠牲を、この上なく大きな成功を願うならば、
 この上なく大きな自己犠牲を払わねばならないのです。』

      ジェ-ムス・アレン

これは京セラの会長の稲盛和夫さんが全国の中小企業の経営者の前で話されました。
遊びたい盛りの若い時に、一人の人間として京セラの経営者として、自己犠牲を強いられました。
それは企業を成長させるためには当然でした。
自分の人生は余裕もなく、毎日が誰にも負けない努力だったそうです。
そんなときこの言葉に出会ったそうです。自分が慰められたそうです。

その話を聞いていて、恥ずかしくなりました。
結果を見れば自己犠牲どころか自己押し付けだったかもしれない?

結果の形や規模だけ見ているが、覚悟と志の高さが違うのだと実感です。
脱帽!それから自分に挑戦!!

2007年10月25日

「『無駄』の語源」

『無駄』国語辞典には、1)役に立たないこと2)甲斐がないこと3)無益

よく仕事をするとき三無主義とか言って『無駄、ムラ、無理』
さて、ちょっとした仕事をしてくれたら『少ないけれども、これ駄賃だよ』
などといって、何がしかのお金を与える、言うなら骨折り賃のことである。
『駄』という漢字は本来、馬に荷物を背をわせた形を表すものといわれてます。
『駄』は馬に載せた荷物の意味である。

人を乗せて走る馬のことは『乗馬』それに対して『駄馬』荷物は載せれるが、
乗用に役に立たないということで言われる。

さて本題の『無駄』ですが、『行動の無駄が多い』『無駄骨を折る』
『無駄なことするな』という言葉があるように、荷物を載せてない馬のことで、
役に立ってないことから、無駄という。

だから、何かを省略することの意味ではない。
お解かりでしょうか?
こんなことに時間を使うな!これこそ『無駄だ』とおっしゃりたいのですか?
反省・・・。

2007年10月24日

「江戸しぐさパ-トⅢ」

『腕組みしぐさ』『足組みしぐさ』は衰運のしるし

江戸の商人たちは縁起をよく気にしました。
その中でも腕組みしぐさ、足組みしぐさはタブ-でした。

そのほかにも、物の道理がわきまえず、
言い方の知らない人をムクドリと言ったり、
わっと押し寄せて、状況が変わるといつの間にか
姿が無くなると言う人をクラゲと言った。

江戸講ではこんなしぐさする人は除名されたそうです。

さて、現代ではどうでしょう、説教がましく言うつもりはありませんが、
人と接して不愉快な気分にさせない、美しい態度を自分流に作れてるかな?

皆さんはいかがですか?

2007年10月23日

「あるサラリ-マンの手紙」

『営業に行って、お世辞をいうこともたまにありますけど、
 9分9厘本音で話します。お客様の考え方が変であれば、
 ズバリいうこともあります。
 仕事は真剣勝負だとつくづく最近思います。』

 ズバリ言う、細木さんではありません。
 相手を想ってです。
 これには、自分に問わなければならない事があります。
 『私心なかりし動機善』
 我欲無ければ本心出せるんです。
 もし本心が、怒りを伴ってると我欲でしょう。

 反省の毎日です。皆さんはいかがでしょう?

2007年10月22日

「一日不作一日不食・百丈懐海」

百丈懐海禅師の言葉です。
禅では作務と言って、筋肉労働を重視したのが百丈禅師です。
静中の工夫----座禅をして専心瞑想すること
動中の工夫----労働を伴う日々の生活全体が修行とすること

特にこの動中の工夫が無ければ、空論になると戒めた。

働かざるものは食べては成らないと言い切っています。
本人も作務をしない日は弟子がいくら食事を持っていっても、
食事をしなかったそうです。

またこれを渾然一体にすることを『動中静あり 静中動あり』
と表現し、動きながら考え,考えながら動けというわけです。

働くこと、生活することの中にこそ生かされるんだと言う言葉です。

わたしはこの言葉が大好きです。

2007年10月21日

「江戸しぐさパ-トⅡ」

2)エコロジ-社会を目指してた共生社会を実現していた。

 今、環境問題が叫ばれてます。
 経済優先で環境破壊だ、だから自然に優しい技術の開発が望まれる。
 至極当然です。
 でも一方では、消費が美徳とばかりに経済的にあおってきたわけです。
 今考え直す時かも?
 福田総理も、ストックの経済と言ってます。
 100ねんもつ家作るとか?100年ロ-ンをやるとかすれば、
 随分社会のスピ-ドがゆっくりと落ち着くように思います。
 江戸では環境に優しい社会が出来てました。

 その証拠に『草主人従』と言う言葉があります。
 『江戸しぐさ』を『江戸思草』と書くくらいです。
 『思』はモノの見方考え方であり、『草』はそれにもづく行動を指します。

 『草』は自然です、生き物はすべて相互に関係してると寺子屋でも教えていたんですね。
 自然が主人で人間は従です。
 さて現代はどうですかね?
 人間が万物の霊長ですべての支配者ですかね?
 人間の智慧は共生するためか、支配するためかどちらでしょう?
 
 皆さんはどう考えますか?

2007年10月20日

「江戸しぐさ・越川禮子」

江戸しぐさは元来江戸商人たちがまちが安泰で商売が繁盛するために、
お客と良い関係を築き、それを保つにはどうすればいいかと、
あっれこれ考えたノウハウなんです。

根本的に今でも充分通じる考えが二つあります。

1)人間尊重です。
 士農工商の身分制度のきつい世の中であったにもかかわらず。
 『人はみな仏の化身』と言うお互いに尊重すべき存在であるという人間観を持っていました。
 
 この時代は、仏教とか儒教が大変行きわたっていました。
 人を仏の化身として大事に扱うところから優しく接する態度が出来るようになったと考えられる。
 人間のことを『にんげん』と読まず、『じんかん』といって、
 間--すなわち、間を取ること、呼吸を大事にしたそうです。
 
 これコミニュケ-ションの基本、今は会話がキャッチボ-ルにならないのですね、
 間がなくなったんでしょうか?
 今は間より人が一番ですね。
 それも法律で規定した人(人権)と言う平等の人を大事にする。
 考えてみると個性とは逆でみんな同じを求めてるのかな?
 その人にしかないものを持った、人物のことではなさそうです。
 
 江戸では人権は身分差別があるんですが、
 その人にしかない味のある人物がいて、またみんな尊敬しあっていたんですね
 
 江戸しぐさが問われるのは、平等な人権のなかで、
 それぞれ生まれてきた役割を演ずる味のある個性を持って、
 違った個性も尊敬し会いたいと言う願いなんでしょうか?

 江戸しぐさは落語の熊さんや八さんの世界を浮かべます。
 いいですね!!!

2007年10月19日

「今なにがないかより、今なにがあるかで発想しよう。齋藤茂太」

『最も欲望の少ないものがもっとも豊かである』
   ププリリウス(ロ-マの喜劇作家)
『君の心の庭に辛抱を植えたまえ。
   その根は苦いが、実は甘い』
   W.H.オ-デン(イギリスの詩人)

あれが欲しい、これが欲しいと思う欲望が一杯ある。
でも、すぐ手に入ったら面白くない、
人間が考える余地がなくなる。創意工夫がない。
また手に入れても大事にしない。

わたしたちの小さい時はみんな貧しかった。
だから、辛抱するか、でなければ人の三倍働いて稼げと父から教えられた。
小学校の4年生から新聞配達もした、辛抱して買ったものは大事にした。
まして自分で働いたお金だったから(給金は一度すべて親に渡す)
親に買ってもらった奴より、少し誇りに思ってた。
だから働くことが好きだ。
貧乏が人間をつくってくれるように思う。

今なにがないかを追求するより、
今なにがあるかから、発想しよう。茂太さんの言うように!!!
自分でできること探そう。

2007年10月18日

「ユダヤのことわざ」

『何も打つ手がないとき、一つだけ打つ手がある
 勇気を持つことである』
        ユダヤのことわざ

勇気は自分に空っぽを運んでくれます。
行動が未来をつくってくれます。

でも、殻に閉じこもってる自分もいる。

皆さんはいかがですか?

2007年10月17日

「恥ずかしいと言う文化と自己責任」

アメリカのフリ-ウエ-には『自己責任で走れ』と書いてあるそうです。
欧米は自分を中心に物事が展開される文化だからこそ自己責任を問う。

今経済がグロ-バル化し、世界基準になってきている中で、
公の場所では『恥』をかきたくないという文化で生きてきた日本人は、
自分を中心にするより、周りに合わすことが島国で生きるコツだった。
世間体を気にするのもその文化だ。
そこには自己責任の考えが希薄である。
しかし、謙虚とか謙譲の美徳(譲る気持ち)と言う価値が根付いていた。

ところが、立ち食いは日常茶飯事、電車での化粧に恥ずかしさもない。
靴をそろえて出船のように並べること、挨拶、いただきます、
これが出来なくなってきてる。
自己責任も問わない。周りのせいにする。恥ずかしいとも思わない。

日本人の誇りや文化の基準が崩壊してないでしょうか?
自分勝手な行動が目立ち、
公に対する奉仕より自分の利益が優先される。
公に貢献することの美徳、誇りに思う価値を評価する仕組みがほしい。
でないと、無責任な品格のない国民になってしまう。
自分の中にこの品のない自分がいるんです。
自分から背筋を正さねばと思うこのごろです。

皆さんはどう考えられますか?

2007年10月16日

「サミュエルウルマンの詩」

『人は信念と共に若く  疑惑と共に老いる
 人は自信と共に若く  恐怖と共に老いる
 希望ある限り若く   失望とともに老い朽ちる』

これは青春と言う詩の一節です。
建築家の安藤忠雄さんの講演の中で、
今の大阪には理想や夢を持って、生きてる人が少ない。

自分が何をやりたいか?
自分の命の使い方、これを『使命』と言う。

もがきながら、苦しみながら創造するから、人生は面白い。
不況は一人一人の心の中にある。

まったく同感です。
理想に向かい、夢を追っかけ、
そのプロセスの中に自分の命が輝くんだと思う。

景気のせいにするのでなく、自分で環境を作っていくことだ。

2007年10月15日

「坂村真民の詩」

『心一つで』

生きてることが
楽しくならねばならなぬ
たとえ貧乏していても
ベットに寝たきりでも
心一つで
楽しくなれるものだ
光がさしてくるものだ
人々の幸せのために
湧出してこられた
仏さま方が
手を差しのべておられるのだ
だからしっかりと
おん手を握って
楽しく生きよう

現実に生きるわれわれは、いつも心は二つです。
どうしても一つにならない。

すべて必然と思えない、
自分を正当化して、周りを悪いと二つ心になる。

分別や分析やといってわざわざ二つにする、
してもいいが一つに戻さなければ楽しくない。

一つ心で、実践しよう。

2007年10月14日

「人気の十ヶ条・船井幸雄」

『人気のある国や企業や人には共通するポイントを持っている。』 
と船井さんは言う。

そして、この人気は会うたびに人間として大きくなり、人気者になる。
パッと人気が出て、ス-と消えていくのは人気者といわない。
人気が持続してこそ本物。
『人気の十ヶ条』

第一条夢、可能性、憧れを与えるものであること。
第二条権威があること
第三条新鮮であること
第四条自由がシンボライズされてること
第五条大衆的であり、大衆に親しまれ、共感、共鳴を与えるものであること
第六条ノスタルジアに訴えるものであること
第七条楽しい気分にさせるものであること
第八条かわいらしさとか、かわいさを覚えさせること
第九条正義にのっとったものであること
第十条時流にあったものであること

本物の人気者に成るためには是非この十か条を体得して欲しいというのである。
でも自分で実践するということになると自分が常に新陳代謝して誰にも負けない努力しないと実現しないぞ!
本物は6割以上持っているそうです。

では自分はどれだけ出来てるでしょう。

天邪鬼みたいに権威なんていらんとか、本物の人気者になりたくないと、
言わないでくださいよ!!!

2007年10月13日

「本物と偽者・安岡正篤」

『古い友人を持っておるものほど本物だが、
 絶えず新しい友人をあさって歩くものは、
 それが順境であるものほど偽者だ』

『本物は感化する』
枝葉末節のものほど、非常に移り変わりが激しいから、
影響力がおおきく見えるが、それはまことに影であり響きであって
空しいものだ。すぐに消えてしまう。
本質的なるものの影響は影響でなくって、それはもう骨髄に入る。
ものになる。身になる。身につく。
これは影響でなく感化だ。

     安岡正篤

わたしが骨髄に入るくらい感化された先生が二人います。
直接学んだ人です。
共に25年は月に一回対話形式であったり講義であったり学びました。
付き合ってる友人も45年の人が数人います。
腹を割った付き合いでないと続きません。

釈迦は弟子の『友を得ることは良いことですか?』という質問にこう答えてます。
『それがすべてだ』
人間は人間によって磨けるんですね。
また、その人物が本物か偽者かは友を見ればわかるんですね。

2007年10月12日

「三毒・私流」

仏教で自分の中の悪いもの三つあり、三毒といいます。
『貪瞋痴』です。
『貪』とは貪欲です。自分のほしいものを何ぼでもです。
『瞋』とは怒り、憎しみです。自分以外の人を認めないわがままです。
『痴』とは愚痴です。物事の法則や真実がわからないことです。
自分で学ぶより、他人や世の中や環境のせいにする、不平不満です。

わたしもこれを無くせとか、捨てよといわれてきました。
でもなかなか取れません。
だから肯定することにしたんです。

自分のためにでなく、世のため、人のため、地球のために、
というキ-ワ-ドで行動するならいいのではないでしょうか?
もちろん最後は自分のためにもなって欲しいのは人情でしょう。
この自分のためを捨てるのが真髄でしょうが!!

そのためのエネルギ-です。利己心は
いかがでしょう。
皆さんはどう考えます。

2007年10月11日

「夢街道・子供館 館長の言葉」

『教えるとは希望を語ること
 学ぶとは誠実を胸に刻むこと』

娘がお世話になった先生がいつもおっしゃてた言葉です。
でも、自分を振り返ると、教えるときは偉そうに、
学ぶ時は聞き流す、そんな自分がいるんですね。

皆さんはいかがでしょうか?

さて、現実は希望がなければ具体的行動がありません。
強烈に願うことが自分を創ります。
だからといって、どんな行動しても良い訳ではありません。
謙虚に学ぶ姿勢で誠実に行動しないと信用は得れません。

希望を語る指導者と仲間がいて、強烈な願いのある設計図があり、
行動すれば幸福創造はできます。わたしはそう確信しています。

頂上のない山登り、一歩づつ確実に前進!!!!

弊社の理念の幸福創造に無理やり持っていきましたが、
皆さんはこの言葉どう受け取られますか?

2007年10月10日

「安岡正篤の言葉」

『人は環境を作る』
  
環境が人を作るということにとらわれてしまえば、
人間は単なる物、単なる機械になってしまう。
人は環境を作るからして、そこに人間の人間たる所以がある。
自由がある。すなわち主体性、創造性がある。

だから人物が偉大であればあるほど立派な環境を作る。
人間が出来ないと環境に支配される。
        安岡正篤

商道塾の中村先生が『守、破、離』ということをおっしゃられる。
人間の成長の三段階といっても良い。
『守』まず環境に振り回されてとことん環境(相手)を知る段階がある。
   自分がわからなくなり、ふらふらになる。
   (周りに対して不平、不満、愚痴で内に溜め込む精神状況)
『破』少し自信もついてきて、自分なりのやり方をためしてみたくなり、
   積極的になり、自分流を強調する。
   (周りに対して攻撃的になり、批判的になり、外に向かって孤立する精神状況)
『離』環境に対する法則的なことも理解し、人間の短所より長所を見出し、
   みんなも喜ぶ環境を創造でき、主体的に行動し、みんなも自然と参加する。
   (周りに対してすばらしい環境を作り、楽しく、自由で、創造的で、主体的精神状況)

時間やお金やル-ルも大事だが、手段を守ることで、不自由になってないだろうか? 
目的は環境を作る、主体的で創造的で、自由で努力を惜しまない人を尊敬できる世の中だろうか?
家でも、社会でも、ホリエモンのような成功者を尊敬する風潮はないだろうか?

皆さんはどう思いますか?

2007年10月09日

「中谷彰宏のことば」

『何かをしてもらおうとするから、つらくなる。
 何かをしてあげようとするから、ハッピ-になる』
        中谷彰宏

『なにかをしてもらおう』とばかり考えるから、
人生はつらいのです。
どうしてみんな何にもしてくれないのだろうと考えて、
しんどくなるのです。
まだまだしてもらってないことばかりだと考えて、
不幸になるのです。
『何かしてあげよう』と考えれば、
それだけで人生が楽しくなります。
まだまだしてあげることが山のようにあるなと考えると、
ハッピ-になれるんです。

言ってることはわかるんですが、
いつでも、どこでも実行できますか?
時々自分がしてもらいたいと考える自分と出会います。
皆さんはいかがです?

2007年10月08日

「ルノア-ルは無邪気に微笑む・千住 博」

ルノア-ル・1841~1919

第一次世界大戦の足音が聞こえる20世紀初頭、
持病をかかえて田舎にこもっていたとはいえ、
社会のもたらす不安な情勢を小耳に挟みながら、
病気の痛みも忘れたかのごとく描きつづけた、
『座敷犬とたわむれる有閑婦人』
『ピアノを弾く屈託のない少女』
『レ-スの帽子の少女』

リュウマチに苦しみ、晩年は車椅子で製作しなければならなかった。
『笑顔のための笑顔』彼は微塵も不安や、混沌や、
 苦しみを表現するのでなく、『笑顔』です。
千住さんは言う。
 『芸術のための芸術』に邁進することなく、
 個人的なエゴを拝し、平和を愛し、
 芸術の本道を確信に満ち突き進んだ人
 人々の心の不安を見据えながら、
 宗教も国家も超え、いつしか人々の心を平和で満たす。

日本人は印象派の絵画が好きです。モネの睡蓮など
なぜですか?
『和をもっと尊しとする』十七条の憲法の精神ではないでしょうか?
良いも悪いも飲み込んだ上で、人間を愛することのできるのが、
日本人の心の奥にあるんではないでしょうか?

ルノア-ルの無邪気な微笑,
そこにはまったく逆の苦しい世界があったんです。

是非、皆さんも彼が伝えたかったメッセ-ジ、
ご覧になってください。

2007年10月07日

「仕事力・宮崎 哲弥」

『壊れることを楽しめ』
『固定した価値などない』
『プロの仕事人はいつも変化を歓迎する』
『変わらないことに安らぐのではなく、移ろいを楽しむ』
『固定観念をいつまでも打破し続けることが、生き残りの極意』
『生きるとは自分自身に対する永久革命の運動なんです』
『仕事で批判や反対意見は大切な糧』

プロになっていくというのは、
構築と破壊の循環をどうやってうまくコントロ-ルするかがポイントで、
それはある意味、苦しさと楽しさの循環だし、大変危機的なんだけど、
『大人の成長』というのはこれ以外ない。

大人というのは『自己を確立できた人』と学校で教わってきたが違う。
真の大人は『上手に自己の捨て去り方』を知ってる人です。

最近よくテレビに出てくる人ですが、皆さんはどう感じますか?
わたしは共感するところが多いです。

2007年10月06日

「吉田松陰の言葉」

『吾れ心は小ならんことを欲し、
 胆(きも)は大ならんことを欲すの語を愛す』

弘化三年春、お客が質問したことに答えた。
吉田松陰いわく
 わたしは『心は細心であることを望み、
 肝っ玉は大胆であることをのぞむ」
 という言葉が好きである。

細心とは色んな状況や、人間の言動、また地球の周期的動き、変化にアンテナ張り、
情報を受信する能力を高め深めることでしょう。これには限りがありません。

大胆とは細心であつめた情報を大きな志としてまとめ、発進する言動でしょう。
決心、覚悟、決断、腹が据わる状態を言うのでしょう。
自分の利益を考えてたら、怖くなるので大胆には成れないが、
自分以外の自然や、志や、誰かのためなら、大胆になれるんではありませんか?

『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり』という言葉があります。

あなたに出来ますか?と問われたら、とっさには、
嫌なことや、損な事から、逃げ出したいと心動かされる自分がいるのが偽りのない事実です。
まだまだ小さい人間だと、反省です。

皆さんはいかがでしょう。
そんな人と比べるのがおこがましいという声が聞こえます。
でも頭の中だけでも肩並べたいんですね。

2007年10月05日

「品格について」

朝日新聞に、『品格って、なんでしょう。』という記事がありました。
朝青龍の横綱問題に引っ掛けていました。
アンケ-トで、『品格』が必要と答えた人が100人中53人でした。
さて、品格とはどんなことか?
各人の言葉が掲載されてました。
以下に紹介します。

1)バランスの取れた人
2)本能より理性からなる人
3)『良いことは他人が先、苦しいことは自分が先』を実行する人
4)『恥じ」の感覚を持ってる人
5)『品格』などと軽々しく口にしない人というのは前提条件で、
自分と価値観の違う他者を認めることのできる人
6)足りるを知ること
7)自分に厳しく、人をおもんばかることのできる人、
その世界のプロ
8)自分の考えに一本筋が通っていて、
しかもその思想が独りよがりでない人
9)ずばりお金に卑しくない人

わたしは自分を磨き続ける人で、反省と謙虚な性格を持った発展途上人。
あくまでも自分の目標とするイメ-ジです。
現実は皆さんが思ってるとうりの段階です。

皆さんはどう考えてますか? 

2007年10月04日

「国家の品格・藤原正彦」

『論理とか合理を、(剛)とするならば、情緒とか形は(柔)です。
硬い構造と 柔らかい構造を相携えて、
はじめて人間の判断力は十全なるものになる。』
      藤原正彦

決して、論理を批判するのでなく、相携えること。
両方が必要なんです。 ところが最近は、論理に偏りすぎてるのでないか?
いや、論理が通っていれば、いいと考え違いしていないだろうか?
『情緒』は日本人が古来から持つ、自然に対する感受性
『形』は伝統に由来する形(茶道、花道、能、文楽etc)
基本が大事とよく言いますが、「形」をやりつづけると道になるんです。

柔道は受身から形を体に覚えさすんです。
達人はその所作が美しく、また的確な合理性も兼ね備えてます。
論理と情緒、まったく逆のことをミックスすることが、
優柔不断な態度やあいまいな玉虫色という、ごまかしでなく、
間合いと所作(立ち居振る舞い)、その人らしさの品格の根源かもしれません。
どうもせっかちで、理屈っぽく、間合いがない自分がいるのが事実です。

みなさんは、いかがでしょう?

2007年10月03日

「斎藤茂太さん、『いい言葉はいい人生つくる』」

『人を動かすには耳を働かせなさい。
 人に好かれるには口を動かしなさい』

      斉藤茂太

誰れしも人間関係やコミニュケ-ションをどうすればいいのか、
悩んでるのが現代人です。

ところがほんとに、人とうまくやりたいと願っていないのではないでしょうか?
『耳を貸さないで相手の言うことは聞き流す、
 自分の生き方やものの見方といった本質は話さないで、
 自分の好きなことばかり話す。』
大変自己中心的な言動ですね。
これでは、人間関係もコミニュケ-ションも出来ません。

さて、みなさんはこんなことしてませんね。
きっとたくさんの友達を持っていることでしょう。

本当に信頼できる友達や味方は、どんな宝物にも負けない人生の宝なんです。
だが、この宝は放りっぱなしではやがて朽ちてしまいます。
時々電話したり、会う時間つくり、話しをすることが大切です。

とりとめもない話であっても、顔合わせ、肉声を聞くことにより、
人間関係は温めなおされます。

松下幸之助さんは寂しがりやの電話魔だったそうです。
実は、そうではなく人間関係を大切に温めること、
わかっていたんではないでしょうか?

人脈手帳作って、はがきでも電話でもして、人間関係温めよう。
大事なのはくだらない話でもいいということ、
ややもすると用事がないと電話するの悪いと思ってしまう自分がいるんですね!!

皆さんいかがですか!!!!!

2007年10月02日

「茂木健一郎の言葉」

『人間の脳は嬉しいこと、成功体験を通じて変われる』

  茂木健一郎

逆から言うと、いやな体験させられると、
心は閉ざすんですね。
だからといって、叱ることが否定されたら、
ほんとに子供や、大人が育ちますかね。

善哉に塩昆布がないようなものになるんではないでしょうか?
教育で叱るということはとても大事に思います。基本は愛情ですが、90%ぐらい。

叱ってる人には注意をして、気を引き締めさせます。
叱ってる自分は、言うだけでなく実行しなければならない義務を背負います。
でないと叱られた人は信じてくれない、信頼感ですよ人間関係は!!
結果、共に成長します。

そこで、叱られた人は自分が努力します。
きっかけは上司の叱りで目標をたて、
努力し成功することにより、自分が変わり成長します。
自分に感動します。嬉しいです。

自分が目標たて行動し成功したからです。
基本は!!!!

わたしはお客さんから叱られます、天からも!!!
反省、また目標建て直、実行、実行!

いかがでしょう?

2007年10月01日

「茂木健一郎の言葉」

『強い人』
 今時分が置かれてる状況を良いと思う人

   茂木健一郎

もともと持って生まれたもんだという人もいますが、
茂木さんは脳の研究者です。
脳がそう受け止めると、ホルモンの、ド-パミンがでて、興奮ホルモンですね。
さらに、快感ホルモンのべ-タ-エンドルフィンがでる。

当たり前といえば当たり前なんですが、
人間はおかれてる環境が悪いと思うときもある。
また、まあまあと思うときもある。

心というか、気分は、外的環境に左右されて、変わるんです。
だから、大怪我をした人を見ると涙が出てかわいそうに思う。

ユダヤのナチスのアウシュビッツで捕虜になった人で、
必ずでれると信じた人は
気もふれず、生還した人がいると聞いたことがある。

自分のおかれてる環境を悪いと思えば人は弱くなり、
愚痴と不平と不満ばかりになることは確かだ。

強い人は生まれつきというより、今置かれてる状況に感謝し、
自ら改善しようと創造し行動する人だ。
外界に左右されず、外界を変革する人が強い人なんだ。

自分に出来るかやってみよう。
やらなければ自分が強いか弱いか、わからないから!
皆さんはどうします?!