社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2007年11月28日

「法句経」

『善からぬこと、己のためにならぬことは、なし易い。
 ためになること、善いことは、実は極めてなし難い。』

   法句経163

まさにこのとうりである自分がいる。
だからこそ、夢や志を立て、自分を生かす。
生かすことを『使命』という、自分の命を使うのだ。

この決心が出来てないと腹が据わらない、
決心するとはほかのことしないと自分に言い聞かすことだ。

極めてシンプルだ。
すると前向きに、ためになること、良いことを学び始めるそんな自分になるだけだ。

しかし、困難や、新しいこと、自分の性に合わないことが起こると決心が揺らぐ、
他にもっと自分に合うものがあると現実を否定する。
だから、迷いや不平、不満、恐れ、不信、不安が起こる。実に人間らしい!!

決心が揺らがない人を悟りというのだろう。
生前薬師寺高田好胤管長は言ってました。『悟りとは決心』
ためになることを行動し、善行をする人と成りきる。自分のことなど微塵もない人
そんなの関係ね!!オッパピ-

理屈ではわかるが『出来きるか?』と問われると、
やってみるしかないな!!!
まだ時間はある。
この瞬間を一生懸命!!!コツコツ凡事徹底、肩の力抜いて!
(独り言ブツブツつぶやいて)

2007年11月27日

「ソクラテス他」

『天下を動かさんとするものは、まず自分を動かすべし』

    ソクラテス
『人間は負けたら終わりではない。辞めたら終わりだ』

    リチャ-ドMニクソン
『賢者はチャンスを見出すのでなく、作り出す』

    フランシス ベ-コン

日本人は謙虚で、自分がしゃしゃり出ることは下品だと考える傾向がある。
もちろんしゃしゃり出てまで、自分の存在を主張するのはそうだろう。

また日本語は主語がはっきりしない言葉だ、あえてわたしはとは言わない。
そこでどうしても、主体的に考えたり、意見を言ったりすると対立してるように感じる。

黙って行動する主体を美徳とする。沈黙は金だ。
でも押し付けがましい行動もある。何の説明もなく。
説明して行動するのがわかりやすいのではないだろうか?現代は!
日本文化の惻隠の情から考えると宣伝してるようか?
また陰徳を積むという隠れて功徳する事とは違うだろうか?

良い文化を残し、新しいものを日本化するのは聖徳太子の時代からうまい国柄だ。
そろそろ21世紀の日本のハイブリット文化を創造する時期ではないだろうか?

いかがでしょうか?

2007年11月26日

「釈迦はなぜ出家したか?」

釈迦は釈迦族の王子である。
隣国の寄り合い、サンガに20才で入会する。

サンガに入って8年後に、
シャカとコ-リヤの国境にあるロ-ヒニ-川の水利争いが起こった。
武力宣戦布告に反対するも否決された。
彼はこういった『戦争はいかなる問題も解決しない。
戦争を起こすことはわれわれの目的に沿わない。別の戦いの種をまくだけだ。
殺人者は殺人者を生み、征服者は征服者を作り、略奪者は己の略奪者を生む。
悪意は悪意によって消すことは出来ない、悪意は愛情によってのみ消すことができる』

サンガの決定に反対すれば
1)絞首刑か追放
2)一族の社会的ボイコットと財産没収

釈迦は絞首刑にしてくれといったが、
コ-サラ国の支配下で認められませんでした。
そこで、国を救うための出家したいと申し出た。
これなら追放と同じだから認めることになった。

こんな経緯で、王子は29歳で出家し35歳で菩提樹下で悟ることになるんです。

彼のせりふカッコ良いですね。
皆さん知ってました?

2007年11月25日

「法句経」

『まだ善の報いが熟しないあいだは、
 善人でも禍にあうことがある。
 しかし果報が熟した時には、
 善人は幸いに遇う。』


   法句経120

役に立つことしてるか?善行を積んでるか?

思惑道理行ってないと思うのは、善行が足らないからだ。
しかし、こう考えると自分が惨めで仕方なくなる。
100%できることがないからだ、しかし、こう教える側の人にとっては完璧な表現だ!!!
つい、言いたくなる『あなたは出来てるんですか?』

もともと人間は悪人だと開き直れば、
10%善行できた、50%出来たと自分をほめれる。

主体的でもある。思惑道理も行く、善行のパ-センテ-ジ(%)が問題だけだが???
悪人だから悪いことするように進めてるんではない。

逆で善行を進めたい!!必ず社会で得(徳)するから!!
自分にとっての善行ではない、これは利己的とバッシングに合う。
あくまでも相手や社会に役立つ善行だ。

こう考えれると、うつ病にならない。

今うつ病の人が多い、自分を善人だと思い、
間違ったらいけないと自分を縛り悩んでしまう。
自分に自信を無くす。何をやっても仕方ないと投げやりになる。

『そんなの関係ね-』オッパピ-!!!!

こう考えると『悪人なおもて往生する』という親鸞の悪人正機説?も納得。

2007年11月23日

「肩こりと筋肉疲れ」

ここ一年、体の調子を整えるのに針治療をしています。
インタ-ネットで探した野口先生です。

彼は四十代で若いのですが、
カナダでの治療経験が有り、中国の漢方医を師事し、
針と漢方薬を学んでいます。
確かお姉さんが内科医だったと思います。

白人は体格からも肩こりが少なく、
アジアでも中国人は少ないそうです。
なぜ日本人に多いのですか?と質問したら、

国民性で、社会の文化だそうです。
気遣いが多い日本人は、
没個性的文化だからストレスがたまり肩こりになるそうです。

白人は個人の主張が許されているので、(神には叱られますが)
筋肉疲労が大半で、
これにはリラックスの癒し、アロマセラピ-などの柔らかい、
なでるような治療が良いそうです。

あんまみたいに、きつく揉み解すような治療ではありません。
文化が違うと筋肉痛、肩こりと症状に違いがあります。

この説明になんとなく納得する自分がいる。
皆さんはいかがでしょう?

2007年11月22日

「松井選手の最終回」

彼はいつも兄と競争したそうだ。

ピアノも兄がやるなら自分も、
野球も兄がやるから自分も、
負けず嫌いだ。

父から
1)感謝する心
2)反省する心
3)忍耐する心
特に忍耐できる力は消極でなく積極だととらえる。
だからあの年齢で堂々としたインタビュ-ができる。

『良い成績は必ずしも良い人格を作らない
 良い性格はやがて良い成績につながる』

何よりも練習の中で磨いたのは心、魂のあり方だ。

不断の努力を『努力できることが才能である』
こんな風に言わせる力が松井にはある。

ここまで彼を行動させる野球をすることへの覚悟、
わたしにある覚悟のほうが弱いのだ、結果が語ってる。

今からでも遅くない、一歩づつ行動だ。
勇気がわいてきた。

2007年11月21日

「星陵高校監督の出会い」

松井は星陵高校で、すばらしい監督山下智茂さんに出会ってる。
監督は彼に以下の言葉を言った。

『大きくなれ、こじんまりまとまるな。
 酒、タバコ、マ-ジャンの禁止』

そして、読書を進めた、三国志、史記、宮本武蔵、論語
読書は考える習慣がつく。
彼は格言を和紙に書き連ねた。

彼の座右の銘は『一日一生』だ。真剣勝負だ。完璧でなく完全燃焼だ。

あの若さで腹の座った松井がいる。
また、彼は20人の親でもある、アジアの子供の養育費を支援してる。
俺とは違うといえば、それでしまい。
そんな奴もいる。他人事で済ませば良い。
自分にもできることがあるはず、
そう考えるからこそ、松井の結果の行動を学ぶんだ。

出会いが人間にきっかけを作るだけだ、
どう生かすかは自分しだいだ。

あきらめないことだ自分に!!!
やるぞ、
『心が変われば、行動が変わる
 行動が変われば、習慣が変わる
 習慣が変われば、人格が変わる
 人格が変われば、運命が変わる』

孔子は『六拾にして耳にしたがう』耳順といってるんですが、
ますます欲深く貪欲に伸びたいと考えるのはわたしだけだろうか?

皆さんはいかがです?

2007年11月20日

「ジョ-・ト-リ監督の言葉」

あのヤンキ-スの松井が出会った監督である。

『勝つことがすべてではない。
 自分が持ってる力を精一杯発揮すること。
 勝利はその副産物に過ぎない。』

それには5つのキワ-ドがいる。
辛抱、意欲、前向き、平常心、悲観しない、

以上です。

完璧を目指せば、苦しいが、
完全燃焼すれば良い、今の自分の実力で、
いつも精一杯。

後は凡時徹底だ!!!!

2007年11月19日

「長嶋茂雄監督の言葉」

プロとはどうあるべきか?

長島監督いわく
『いつも明るく前向き。どんな人にも敬意を払う。
 謙虚さと自信を持つ、自信とおごりは異なる。
 心理的に落ち込むことが一番よくない』

松井選手が、長島監督から教わった言葉だそうだ。
素直に聞いて実行したから、今の地位が出来たんだろう。

皆さんに影響与えた人の言葉、どんなんでしょう?

2007年11月18日

「『教養の大切さ』藤原正彦」

藤原先生の時代は、
カントや、デカルト、ヘ-ゲルといった哲学の話をし、
ロマンロ-ランの詩集を小脇に抱える人が女性に教養人として認められ、もてたそうです。

教養の大切さの5つの効用
1)大局観の基盤となる
2)人間的魅力となる
3)伝統の継承ができる
4)祖国への誇りを持つ
5)人生の楽しみと味わいができる。

戦後、日本は戦前のすべてを否定することから始まりました。
そこには、良いものと悪いものの選択なく!!
わたしたち戦後生まれは、アメリカの音楽や映画を手本に育ち、
豊かさの中で、古典の勉強がなされてきませんでした。

中国の教養人は詩書五経といって、李白や杜甫の詩を吟じ、
大学、中庸、論語といった五つの古典に学ぶんです。

明治以降の日本では、西洋の学びを取り入れ、カントやデカルトといった、
学びに、伝統的の武士道や葉隠れといったものも学ぶんです。

先日下田に行ってきました、1853年ぺリ-がやってきて、日本の開国を迫るんです。
そのときに日米和親条約を結んだのはハリスです。
それから154年です。日本人の教養はどうなったんでしょう。
吉田松陰も密航して捕らわれたんですが、明治の傑物を育てました。
職能のスキルだけでなく、すぐに役立たない勉強こそ大事なように思うこのごろです。

2007年11月17日

「『思いやりの心』木村耕一」

『先に譲った人が相手より幸せな人である。』

    木村耕一

自分の意見が正しいと思って、意志を通す。
意地を張っているだけとわかっていながら、
気づいたら、譲ればいいのにそれが出来ない、ちっぽけな自分がいる。

自分に自信がなければ行動できない。行動には意志がいる。
この意志が間違ってたらどうしようもない、
だからといって、間違いをおそれて、判断や、決断しなかったら、
優柔不断な性格になる。

間違ってもいいから決断し、間違いがわかったら、
恥ずかしいけど、『すいません』と謝る勇気が自分に必要だ。
譲ることと忍耐することほど積極的な生き方はないと思う。

2007年11月16日

「吉田松陰の言葉・ありのまま」

『人と交わることは有のままなることを貴ぶ』

  安政二年三月『松本源四郎あて書簡』

人と交際するには、あるがままの心で接することが大切である。
松本源四郎は長州藩松本彦衛門の子。天文学・暦・数学の教師。
松蔭の友人。

あるがままを出すにはよほど学びを積んでおかないと出せない。
学びもしないのに、恥ずかしいとだけ思ってる自分がいる。

最近、学ぶことは楽しく成ってきた。創造力が働くからです。
事実を楽しむだけでなく、色んなことと結びつき三倍は楽しめるんです。
そんなことが少しわかってきた発展途上人。

2007年11月15日

「般若心経・村上太胤」

般若心経の中に心の働きについて書かれています。
『色・受・想・行・識』

色-物質的現象
受-感覚感受作用
想-表象・心に浮かぶ世界
行-意志作用、ある方向に心が働く状態。
識-知識 五感などで物事を区別、認識する働き

こういう順番で物事を理解していくんです。
ところが、私たちは、日々身体の不調や心の悩みなどにとらわれて生きていますが、
あるきっかけで、悩みが吹っ切れたりします。
そうした時、とらわれていたんだなと反省します。
空の教えとはこの反省を第一歩として育っていくのではないでしょうか?

このように解説してくださってます。
思いやりだの心だのと日ごろわれわれが美辞麗句言ってますが、
具体的に『行』として態度や行動になるには意志は要ります。
意志と行動は表裏一体です。
人の話は聞くんですが、自分のこととして行動に現れてはじめて聞いたことになる。
行動に現れるには決心と覚悟がいります。
他のことやらないといってるのと同じだから。
なくなられた薬師寺・高田官長は『悟りとは決心すること』とよく言っておられた。
私の今期、仕事のテ-マは健全経営することです。
健康で楽しく福もある状態を創ることです。
やりがいのある仕事です。
強い意志で行動に徹し、即反省し『空』になり、日々進歩したいもんです。
すぐ出来たら誰も修行せんな!!!一歩づつ凡事徹底

2007年11月14日

「友達について」

『ともだちの詩』梅野貴裕

『元気な時とか
 幸せな時は
 連絡いらんけん
 つらい時は連絡してね
 「大丈夫って?」聞かんで
 飛んでいく
 「何があったと?」って聞かんで
 そばにおる』


人間を磨くのは人間です。
だからいろんな考えの人と交わってみなければ磨けません。
もちろん、交わって辛い思いすることも多いでしょう。

裏切り、嘘、対立して喧嘩、
若い時は自分中心に自分を創ってるから、
そんな人に出会ったら、人間不信に陥ってしまう。
何かトラブルに出会うと相手が悪いと決め付ける。
そう決め付けないと自分が生きていけないからだ。

何のために生きてるのかも解らなくなりっ立てられない自分になる。

でも考えてみれば、やっぱり自分が原因だ。
自分の中に打算があったり、自分を良く見せてたり、
出来もしないのに出来るといったり、
自分にとってはほんの些細なことなんだが、
受け取り方で相手をきづつけることがある。
また逆もある。

それでも友は最高だ、友がいなければ自分は磨けなかった。
良いも悪いも必然だった、社会を、人間を学ぶのに!!

今の自分があるのも、友のおかげだ!!

2007年11月13日

「薬師寺・村上太胤執事長の話」

二宮尊徳は
神道は開国の理論
儒教は治国の理論
仏教は修己の理論

といわれてます。なるほど上手く整理した言葉だ。

村上執事長はお話の中で
神は自然が主体
仏教は人間が主体

人間は菩薩行をへて、仏になる。自然の土台で!!
神仏は表裏一体なんです。
自然を敬い感謝することで、人間は生かされてるんです。
でも一方で、多くの人間が共生して生きるには、
人間のために役立つ相互扶助が欠かせません。
お互いが相手のための役立つ存在で暮らさないと共存できません。

その土台が自然の恵みです。自然との共生が叫ばれる昨今ですが、
感謝の心を育てる必要を感じます。

先人が良かれと思い、便利な社会をつくったのですが、
返って、不便を知らないで育ててしまう結果となり、
子供や、若者に良い社会でしょうか?

村上執事長の話を聞いて、人間を磨くという仏教の教え、
日本の文化を伝えることが大人の義務だと痛感しました。

それより自分ができてるかな!!(発展途上人としてご勘弁)

2007年11月12日

「『心の法話』薬師寺・村上太胤」

『オレの後ろにかくれてもムダだぞ、
 マウンドには隠れる場所はないんだから』

野球選手はいったんマウンドに立ったら、真剣勝負です。
かくれるところはありません。
子供の時は親の後ろや兄貴の後ろに隠れていました。
その父親も兄貴もこの世にはいません。

誰に勝つわけでもなく、自分に勝つんです。
先日、薬師寺の村上太胤さんの話を聞きました。

『心の法話』と題して話されました。
身体と心、どちらも磨かなければならないが、
身体は自業自得で自分が苦しむだけだ。
しかし心を磨き間違うと周りの人を苦しめる。
心は関係で出来ているから!!(これを仏教では縁といいます)

心は縁ですから、外界に影響され変わるんです。
ころころ変わるから心という。(ダジャレ)

その心の心棒に仏法(智慧と慈悲)を学び実践しろということでした。
マウンドは逃げ場所のない社会と同じ。
心を高めると、良い友と出会い、良い友の縁は、良い仕事ができる。
良くも悪くも心は影響する。
だったら、良い心の影響を受けたいし、また影響させたい。

良い話を聞いたので、実践してお返しだ。

2007年11月11日

「素直な心効用の十か条・松下幸之助」

『素直な心になれば、すべてに対して順応していくことが出来るから、
 なんでも自分の思いどうりにすることができる。』


       松下幸之助

この『思いどうりになる』以外には、『なすべきをなす』『病気が少なくなる』
『柔らかな姿』と十か条上げてます。

さて、なぜ「思いとうりになるか」を松下さんは以下のように解説される。
素直な心になるというのは、ものや相手に順応することですといわれる。

だから、争いや無理が起こらない状態です。
少し消極的かもしれないが、できないことはしない、
逆にできないと思われるようなことでもよき考えを生み出して、
やりぬくという智慧もわいてくる。

自分の行く手に高い山が立ちふさがったような場合でも、
これを無理やり突き抜けてやろうというようなことは考えずに、
たとえば山のふもとに回り道して通っていけばいい、というように考える。

ここがポイントです。相手をあるがままに認め、
相手の思うとうりにしながら導いていくんです。

そうすれば結局自分の思いとうりになり、
事は成っていくのではないかといわれるんです。

事実を素直に受け入れる。人でもモノでも事でも!!!
自分にとって良し悪しを問わず。
これが出来ないから悩んでる自分がいる。

素直、素直、素直で行こう。簡単やが自分の小我が邪魔やな!!

2007年11月10日

「智慧は無限・松下幸之助」

『なすべきことをなすという勇気と、
 耳を傾ける謙虚さがあったならば、
 智慧はこんこんと湧き出てくるのである』

    松下幸之助

自分の役割は?
男、父親、夫、社会人、地球、の一員会社の役員、自治会の役員、
色んな会合のメンバ-、幹事、石屋の仕事全般
なすべきこと出来てるでしょうか?相手に聞かないと解らないな!!

周りと比べる、業界や職種で比べる、日本中で比べる、世界中で比べる。
『勇気と謙虚』を持ってなすべきことなす。簡単そうで奥深い!!!

皆さんはいかがですか?

2007年11月09日

「薬師寺・安田映胤管主【人間の幸福】」

「大吉祥経」にとかれている内容が、薬師寺の冊子第146号に、安田管主が書かれています。
人間の幸福についてとかれたものだそうです。

「幸せになるには自分をどう磨いていったらいいか?」という問いに、
御釈迦さんは以下のことを言っておられる。

1)愚かなものに親しみ近づかぬがよい。
 賢き人に親しみ近づくが良い。仕うるに値する人に仕うるが良い。

2)よき環境にすむがいよい。常に功徳を積まんことを思うが良い。
 これが人間の最大の幸福である。

3)広く学び技芸を身につけるは良く、良く父母に仕うるは良く、
 妻や子をいつくしみ養うは良く。

4)他人を敬い、自らへりくだるは良く、足るを知って恩を思うは良く。

5)布施をなし、戒律を保ち、結縁の人々を恵み助け、恥ずべき事は行わざるは良い。

ごく当たり前のことです。
親から耳にタコができるくらい聞きました、
でもいつも心の中で、「親も出来てないのによく説教するよ!!」と、無視してました。

最近、この当たり前ができる人がすばらしいし、幸せなんだとかんじるようになりました。
よき友が自分を磨くに一番大切だとも言っておられる。

皆さんいかがでしょう???

2007年11月08日

「女性の品格・坂東眞理子」

「よいことは隠れて行い、
 自慢や宣伝をしないほうが奥ゆかしく、
 その人の品位を高めます。
 
     坂東眞理子

国家の品格に始まり、会社の品格など品格流行りです。
江戸時代の武家の女性は世界で一番奥ゆかしく、清楚で上品だったそうです。
しかし、それは身分社会という現実、まして女性は男性より一段下に置かれていました。

女性の差別を肯定してるのではありません。
世界から認められた日本女性のしぐさの後ろには厳しい制度と環境があったんです。

金子みすずと言う詩人はご存知でしょう。
「わたしと小鳥とすずと」
わたしが両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
------

と言う詩があります。他にもたくさんあるんです。

ほんとに純粋で、仏のようなまなざしで書く詩の一つ一つは胸を熱くします。
でも、彼女の人生は檀那の放蕩、梅毒に感染、
子供を夫から離すためと思い自ら命を絶つんです。

ゆとり教育、個人の個性を大切にということで、
教科書にも取り上げられてます。
すばらしい詩であることは間違いありません。

だから是非彼女の生きた時代、現実の生活を一緒に学ぶことで、
「苦の中に楽あり」、天才は99%の努力である。
というようなことが理解できる教育が望まれる。
苦しいことは嫌い、避ける、楽しいこと気楽に行動、
努力は出来るだけしたくない(ダサい)、
お金さえあればなんでも手に入るような風潮に対しては、
大人が誰にも負けない努力の結果の現実があることを伝える必要がある。
奥ゆかしさの裏には忍耐する心があるんですね。
ここが見つめられ感じる大人でありたい。

2007年11月07日

「嬉しい報告」

今朝、朝礼が終わって、I部長とK課長が報告をくれました。
11月3日前夜祭、11月4日大会、
実は香川県庵治産地で全国石材選手権が行われたのです。

出場者は岡崎の出身者ばかりで、大阪からはK課長一人です。
荒の石材を一から、ノミやビシャンを使って、製品を時間内に作る競技です。

技能の世界大会でも日本の加工技術は超一級です。
庵治と言えばイサム野口のアトリエもあり、
彫刻に向いた花崗岩(非常に硬く、きめ細かい)です。

やはり全国のつわものどもが集まるだけあり、
さすがだったそうです。

自分の会社内では「井の中の蛙」で自分の技術水準がわからないが、
かかる時間や精度を比較でき、これからの励みになったそうです。

嬉しいですね。
古い石造物の補修や、保存のためにも手作業の匠の技術を未来に伝え、
残してゆきたいものです。

どんどん挑戦する若者が出てくることが、業界の社会貢献でもあり、
石造文化の伝承でもあると思う。
K課長には再度挑戦してもらい、また社内からどんどんチャレンジャ-がでてほしい。

2007年11月06日

「求めない・加島祥造」

「求めない すると心が静かになる」
「求めない すると今持ってるものが活き活きしてくる」
「求めない すると大切なものが見えてくる。それはすでに持ってものの中にある」
「求めない するとほんものを探してる自分に気づく」
「求めない すると求めたとき見えなかったものが見えてくる」
「求めない すると君に求める人は去っていく」
「求めない すると君に求めない人は君とともにいる」

一切何も求めるな、と言うんじゃないんだ。
どうしようか、
と迷ったとき言ってみるといい
すると
気が楽になるのさ。

自分を中心か?相手を中心か?どっちですか?
もちろん自分中心に考え悩んで生きてる自分!!!!
おかしくない?????

2007年11月05日

「船井幸雄さんの言葉」

「人間を知れば経営がわかり、世の中の構造を知れば人間も経営もわかる」
   船井幸雄

人として生まれてきたのは人間性を高めるためと断言されるんです。
人間の性格とか行動は、知性、良心的行動、愛の幅の広さ、我執、
そして創造主の分身としての人間の本質的な力である創造力や
直感力の強さで決まるようです。
したがってこれらを常識的に考えて、良いと言う方向へ持っていく努力をするのが、
人間の生きてきた目的であり、それが人間性の向上につながるというのが結論です。

人間性は
1)智慧を磨くこと(頭をよくすること)
2)良心にしたがい反自然行為をなくすこと
3)愛の気持ちで誰にも接することができるようになること
4)我執がなくなること------で向上するようです。
5)そして向上するにしたがい創造力と直感力が強まると言うのが正しいようです。

自己中心的な邪心を良心へ方向転換せよというのです。
欲はエネルギ-です。問題は方向です。
1)人のために役立つ自分でいよう
2)相手を受け入れてから自分を出そう。
3)自分に反省、他人や周りに感謝しよう。
4)怒らない自分でいよう。

今日一日だけでも実行する。
人間を知ることは自分を飼いならすこと、自分で!!

2007年11月04日

「二宮尊徳の言葉」

『人道は中庸を尊ぶ』

天道と言うのは宇宙の法則です。太陽から見ると夜昼はありません、
ただ事実が一つあるだけです。
しかし人道は二つになります。地球にいる自分から見るからです。
夜と昼があるように、善だ悪だ、得だ損だ、好きだ嫌いだが出てくるんです。


『求めることは奪うこと、受け入れることは与えること』

尊徳は自分に求めなさい、他人や環境に求めてはいけないといいます。
また、他人や環境は必然と受け入れなさいと言う。

自分自身が何か求めて役立つもの持ってないのに人に与えることは出来ません。
                                                                                          (たわごと)
逆に与えることがなく(役立つことをせず)、
相手や環境に求めるのは奪ってばかりで周りを傷つける。(罪悪)

自分に求めて、他人に与える。自分に厳しく他人に優しく、
このバランスを自分でとる、これ中道と言う。ここを尊ぶ。
言うのは簡単だが、逆やるんだな私は!!

頂上のない山登り、反省、また一歩前進しよう。

2007年11月03日

「三十三観音めぐり」

『げにや安楽世界より、今この娑婆に示現して、
 われらが為の観世音 仰ぐも高し高き屋に。
 のぼりて民のにぎわいを。
 契りおきてし難波津や。----------』

近松門左衛門の『曽根崎心中』のでだしに、
当時庶民の間でにぎわっていた三十三観音めぐりの様子が書かれています。

これは元禄十六年(1703)に本当にあった実話を元に浄瑠璃にかかれました。
天神ノ森の色茶屋の遊女お初と醤油店の手代徳兵衛の心中事件です。

第一番札所は梅田の太融寺で三十三番札所は御霊神社です、
これを一日で回るという趣向です。中には神社も入ってます。
さすが大阪人のしゃれですね。
これが終わったら、飛田にでも遊びにいったんでしょう。

さて今回でこの観音めぐりが25回目です。毎年11月3日に歩くんです。
一日江戸時代の文化に触れ、観音さんの前で般若心経を一巻唱和する。
さわやかな体験をしました、

皆さんは文化の日いかがお過ごしでしたでしょうか?  

2007年11月02日

「禅宗、妙心寺の生活信条」

元花園大学学長の西村恵信先生の興福寺(琵琶湖岸にあります)
ここを尋ねました。
恩師小田切瑞穂先生の墓があります。私にとっては精神の支柱です。

ここにお墓参りした時に、
最近出版された本『一休』(いつも贈呈くださる)について、
『われわれは一休ではありませんが、どう生きたらいいでしょう』と聞こうとしたら、
禅宗独特のはぐらかしにあい、
『そんなに難しく考えなくていいよ!!柿でも食べて、フ-ム!!』
ひと呼吸間合いがあって、『いい言葉がある』と言って、
妙心寺派の生活信条を色紙に書いてもらいました。

     生活信条
1)一日一度は静かに座って
 身体と呼吸と心を調えましょう。
2)人間の尊さに目覚め
 自分の生活も他人の生活も大切にしましょう。
3)生かされている自分に感謝し
 報恩の行を積みましょう。

これだけです。
今日一日だけでも実行しようと考えてる今日この頃です。

2007年11月01日

「幸福について」

『幸』と言うのは原因が自分の中にない、
 偶然的な、他より与えられたに過ぎない幸いを『幸』という。
 たまたまいい家庭に生まれたとか、
 思いがけなく上手いめぐり合わせにぶつかったという、
 これを幸という。これは当てにならない。

『福』と言うのは、原因が自分の中にある。すなわち自分の苦心、
 自分の努力によって勝ち得た幸いを『福』という。
 福という字はそれをよく表してる、示すへんと言うのは神様のことだ。
 示すと言うのは上から光がさしている、神の光叡智の光を表す。
 つくりは『収穫を積み重ねた』と言う文字だ。
 農家で言うなら俵を積み上げるという文字。
 神の前に蓄積されたるものが『福』である。

わたしも昔は、貧乏な家に生まれたからとか?もっと頭のいい両親だったらとか?、
他より与えられた幸に文句ばかり言って努力をする言い訳にしていました。
また複雑な社会で、目標も持てず、どう生活し、自分を生かすのかもわからなかった。
どうせ努力しても、もともとが良くないからとか?、他人に取られてしまうとか?
『幸』を嘆くばかりで『福』に目を向けませんでした。

誰にも負けない努力は、
結局自分の『福』のためなのだ。
それだけのこと!!!!
神様は『幸』に差別を作り、色んな努力の形を見せてくれてる。
しかし、『福』は平等だ。だからヘレン・ケラ-のような人が尊敬されるし、
生き方の目標にされるし、個々人の努力が挫折した時の支えにもなってる。
原因は他人じゃない、世間じゃない、世の中でもない、自分だ。