社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2008年02月27日

「勝ちたいことは利他心だ。」

『大切なのは勝ち負けじゃない』 ・・・そういう人がいたら、おおかた負けたほうね。 マルチナ・ナブラチロア(テニスプレイヤー) 勝ちたいことは利己心でしょうか? それとも利他心だろうか? スポーツであれ、社会の仕事であれ、ルールが決められていて、違反すれば罰金や刑罰がある。 だから、社会ルール、スポーツルールの中でというのが前提だ。 1)健全な競争(ルールの中)という前提だ。 2)勝つために、相手を徹底して研究し、自分の技能を徹底して高める努力を惜しまない。 戦う前から勝敗は関係ないと言い訳するのは自分が負けたくない、 ほんとは勝ちたいが負けたときの恥ずかしさをごまかすために、 あるいはプライドを気づつけたくないから予防線張ってるに過ぎない利己心だ。 正々堂々と戦うなら、勝ちたいと思うのが相手に対しても謙虚で誠実だ。 『俺は本気やない、この勝負負けてあげるよ!!』なんて言ったら不遜だ。 これとよく似たことに効率を上げるという言葉がある。 ビジネスでは当たり前のように使う。 効率とは時間内に精一杯ベストをつくし、最大限の効果を挙げることだ。 決して手を抜くことではない。 これも先ほどの勝ちたいと同じで、 効率を追求するとお客さんや仕事の手を抜くことで、 不親切だと勘違いしてる。 相手をどうにかすることでなく自分を高めることが何事をするにも基本だ。 勝ちたいのは利他心で、効率良くも利他心だ。 ともに自分が最大限ベストをつくすという行動がある。 自分は変えれるが他人は変えれないのが現実だ。 しかし、この努力をしてる姿を見て感化され同じ方向の努力をする人がいる。 この人を同志という。 みなさんは何人の同志がいますか?

2008年02月26日

「幸せ脳について」

宗像恒次先生は人間の基本的人物像を3つのタイプで表現する。 1)オ-プン気質(ヒーロー、ヒロイン気質)  英雄に成りたいタイプで認められるとドーパミン(興奮ホルモン)がでる。  認められると優しくなれるタイプだそうだ。 2)オヤブン気質(粘着気質)  筋をとうすタイプ。  この人は守りに入った時にドーパミンが出る。 3)マイペース気質(自閉気質)  自分のパタ-ンを崩さず、人と関わることが苦手で、  自分の世界で遊んでるとドーパミンがでる。(1970年以降生まれの傾向) さて、幸せ脳=ドーパミンが出る状態の脳のことだ。 幸せ脳には共通する条件が2つある。 幸せ脳 1)立ち止まってることでなく、変われる喜び、違う自分に成ることが幸せなんだ。  さて脳が幸せになった時はセロトニン(自信ホルモン)がでる。 2)脳は壁を越えることを快感と感じるように出来てる。 さらに、脳が幸せに成った時の状態には3つある。 1)脳が快感を持つ。 2)脳が否定的感情を持たない。 3)脳が何か意味があると感じる。 この逆は不幸せな時の条件だ。 人間の行動は脳がつかさどって命令し行動するように出来てる。 では、脳に自分が行動する前に、自分の脳に言い聞かせたらどうなるかだ。 これが自己イメ-ジ法だ。 自分の脳に実際行動してることを創造し映像化し、本番でやってるようにイメージを抱く、 すると筋肉が実際に動いてるように反応し、 事実16%も筋力がアップすることが科学的に証明されている。 スポーツ界では常識になってる、イメージトレーニングだ。 最近の脳科学の発達は目覚しい。 幸せになるには脳をしつけることだ。 みなさんは幸せ脳にしけてますか?自分の脳!!!

2008年02月23日

「老後の相談・丘 永漢」

お金儲けの指南役で数十年前にマスコミを賑わした丘 永漢という台湾の人がいる。 団塊の世代が大量に退職する現代、老後のために株式投資の指南を相談に来る人が多いそうだ。 そこで丘さんは必ず『投資はやめなさい。これからの仕事で打ち込めるもの探しなさい。』 『やり残して気になる仕事や、やりたかったが生活優先で出来なかった仕事があるはずだ。』という。 さらに付け加えて『急に儲かる投資家には成れない。』 お金は色んなものに交換でき自由だ。しかし個性がない。 個性とはその人ならではの能力や性質だ。交換できない価値だ。 経済学では商品には1)交換価値(抽象的な価値)なんにでも換えれる。               2)使用価値(商品固有の価値)なんにでも換えれない。 だから生産する立場から見ると一番大事なのは使用価値、 自分の固有の価値だ。二番が価値(交換する)お金だ。 なにを造れば良いかが大事だ。 ところが、人間には消費の立場もあり、ここから見ると、 なんでも自由に交換できるお金が一番欲しいものになり、二番が使用価値だ。 全く逆だ。 老後のことを考えると、お金は減る一方だ、 だから不安になり、株式投資の指南と考えるのも無理はない。 仕事追っかけ学んでますか?お金追っかけ悩んでますか?と二者択一を問われてるようだが、 ほんとは、使命感や、志もって生きてますか?と丘 永漢が問うてるのではないだろうか? 自分が自分の人生の生産者か?消費者か? 皆さんはいかが考えられますか?

2008年02月20日

『こんな医者がいたら良いな!!』

『こんな医者がいたら良いな!!』 1)デ-タ-だけでなく、問診を重要にして診察してくれる医者 2)親身になって時には叱ってくれる医者 3)わかりやすい言葉で説明してくれる医者 4)支援して、いつも気をつけてくれる医者 5)笑顔で安らぎを与えてくれる医師者 6)従来どうりの診察にこだわらない医者 7)間違いを認めてくれる医者 8)最後まで面倒見てくれる医者 9)損得を考えないで診察してくれる医者 患者さんからの医師に対する希望だ。 この条件はほとんど医学の知識でも技術でもない。 人間としての『徳』『人格』『心の寛容さ』ということだ。 で今の学校教育の場に人格形成をする場があるんだろうか? また、地域のお寺や長老が、心のあるべき姿を教える地域コミュニティーがあるか? 高学歴社会、情報化社会になって、患者の知識が高度に成り、 また学ぶ気持ちがあれば情報はインターネットで入手できる時代だが、 あくまで知識レベルで、医学の歴史的発展や医術の人格レベルの体験ではない。 昔のように医者や、先生は偉い人で人格も出来てるという社会的な常識的権威はなくなり、 知識、技術と人格がイコールでないのだ。(昔も全員の医者かどうかはわからないが?) 自然の恵みである石材を加工し、墓石や建築の仕事をしていて、 日本人はすばらしい国民だと思ってる。 その理由はお墓参りを全国民の7割がするという事実である。 経済的な得も、効率的でもないお墓に手をあわせる国民性だ。 先祖の遺伝子の中に、目に見えないものに感謝する心、 助け合う和の精神が埋め込まれてると考えざるを得ない。 今の時代は次の時代への一つの過渡期ではないだろうか? 必ず、心技体が磨かれた志のある良い医者がたくさん育つとともに、 住みやすい世の中が来ると確信する。 そのためにも『こんな石屋がいたらよいな』の実現だ。(きびしい~) みなさんはいかがでしょうか?

2008年02月19日

『小道有門』について

寛大や、寛容になれと教えられる。 なれないから悩むのだ。 禅の言葉に『大道無門』という言葉がある。 詳しくは理解できてないが、禅の究極の己事究明には門はない、 どっからでも学べという事だろうかどうかは定かではありません。 イメ-ジとして大らかで、何でも包含するような大きいもののように思う。 三毒といわれる、1)むさぼる気持ち2)にくしむ気持ち3)不平不満の気持ち、 に支配される時、必死に自分を否定して理想に向かおうとあがく。 これを何度も繰り返してるうちに、理想は追っかけるとしんどくなり、 実現すると楽しくなるのではないかと考えるようになった。 では実現するためには事実の自分『小道有門』の自分を認めることだ。 否定することではない、実に楽な気持ちになる。 母が認知症で人間としての価値が少しづつ壊れ、『小道有門』がなくなってきた。 食べることと親切に話し相手になってくれる人に感謝する毎日だ。 『ありがとう』をいっぱい言うようになった。 昔は凛としてプライドが高く、少し見栄っ張りで、勝気で、下出に出ない努力家で、 意固地なイメ-ジが強い価値観の持ち主だった。 わたしも良く似たとこがあるのだろう、大人になってからは衝突したら、 何年も口を聞かなかったぐらいだ。 でも、母はいま『大道無門』としてすべてを受け入れ、感謝してる。 笑顔がとてもすばらしい、神様、仏様の贈り物だろう。 意識がしっかりしてる時にこの心境を味わいたいもんだ。 そのためには『小道有門』の自分の自覚を深くするしかないようだ。 みなさんはいかがですか?

2008年02月18日

「人生マ-ケティング・小池百合子さん」

自分の人生のマーケティングなどという発想は自分にはなかった。 とにかく十代のころはでっかい社会に飲み込まれそうで怖かった事だけを覚えている。 亀が首から顔を出すようなしぐさで、周りの人を頼りにしたり、理論で武装したりで、 何か大きいことを考えたことはなかった。 でも、三十代は日本から見える世界のほとんどを行ってみた。 発信大阪という会を結成して、 沖縄から北海道の同業者へも足を運んだ。 というのも発信する前に受信だとわかったからだ。(のんきなもんだ、全くマーケティングできておらず) ところが、この人は20代,30代をインプットの自己投資の時期に当て、 アラブ、アフリカの国を周ったそうだ。 そして40代,50代はアウトプットの時と考え自己充実の時期とし、南北アメリカを目指した。 そして、60台、70台は欧州各国を訪れる計画だ。 日本テレビで朝の生放送に始まり、後にテレビ東京に移籍し、情報番組やニュ-ス番組で、 崩壊直後のロシア、バルト三国を訪問し、政界入りをした人だ。 自分の描いたように世界を舞台で活躍してる。 自分の人生のマーケティングをやった人らしい。 昔、インドでは一生を4つの期に分ける考え方があった。 それを『四住期』という。 1)学習期---さて、25,26ぐらいでしょうか?いろんなことを吸収し学ぶ時期です。 2)家住期---家庭をもって子供を育てる時期です。 3)林住期---林に入って(今では社会のことでしょう)自分を磨き役立って人間修行の時期です。 4)遊行期---まさに苦楽を乗り越え、人生を遊ぶがごとく楽しく生きる時期です。 私の場合は、出だしが遅かったので、いまだ林住期だ。 皆さんの人生マーケティングはいかがですか?

2008年02月15日

「芳村思風の言葉」

『考え方でなく、感じ方が人間を決定する』 芳村思風さんは感性経営を提唱されている方だ。 人間はあまりにも理性に偏り過ぎていて、 理性の範囲で理解できることが真実のように思い込んでいる。 実際は自然をどれだけ人間は理解したんでしょうか? 自然をすべて人間の理性で知ったような錯覚をしているのが現代人だ。 だから、ことさらに感性が一番で理性が二番と強調されている。 決して理性を否定されているんではありません。 「意味や価値を感じてこそ人生、燃えてこそ人生、燃えるのは感性です。  愛も幸福も生きがいも考えるものでなく、すべて感じるもの、理屈を超えたものです。  どんな豪邸に住んで裕福な暮らしをしていても満足できないで、  『私は、なんて不幸なんだろう』と思っていると、幸福ではありません。  六畳一間に家族四人で住んでいても『私は、なんて幸せなんだろう』と思えば、幸せです。  愛・幸せ・生きがいのように、『価値あるもの』は、  感じ方にこそ、その人の個性が表れます。感じ方が人間を決めるんです。  人が成長するというのは、その感じ方が成長するということです。 ともすれば知識を知ってることや理屈が多いほどインテリジェンスが高いと思われてる。 俗に賢い人とでも言おうか?知識は結果で感受性や感性がきめ細かいことが原因なんだ。 だから感性を大事にした会話や態度が身についたら、 コミニュケ-ションは抜群に上手な人だろう。 情報化時代は知識や記憶はコンピュ-タ-がやる時代だ。 感性が豊かな人で、考えたり、表現したりする人間らしいことが求められる時代でもある。 田舎暮らしや岩盤浴の癒しを求める行動が証明していないだろうか? みなさんいかがでしょうか?

2008年02月14日

「川口英俊副住職」

岩瀧山 往生院 六萬寺の副住職だ。 『仏教一枚の紙から考える』本をいただいた。 この本はお金で売ってる本ではありません。 本の右端に『お布施本』と書いてます。 副住職が仏教を布教するための本だろう。 その最後のほうに『十波羅密』について書いてある。 弊社の行動指針は『六波羅蜜』を理念としてる。 1)智慧  4)精進 2)自戒  5)禅定 3)布施  6)忍辱(にんにく) この意味については皆さんもご存知だろう。 これはあくまでも大乗仏教の修行の徳目(目標)だ。 意味を簡単に言うと、智慧を絞り、心を動揺せずいつも安定させ、 世のため人のために利他行をすることだ。 実践し体得し人格陶冶することだ。 ところが、凡人である私は、自分のことばかり考え、利己心を基準にするからこそ、 心は動揺するし、孤独感感じ不安になるし、他人が思いどうりいかないと腹が立って、 憎しみがわくてきて怒鳴ったり、意地悪したくなる。これが未熟な人間のありのままの姿だと思う。 だから六波羅蜜を勉強しろと大乗仏教は教える。 ところが、どこまでやればいいのかとか?直接表現するのかとか? 実践とは関係者一同がハッピーとなるように解決をすることか?とか、 判断の基準はどうなのか?をもっと具体的にするために4つの実践上のことを付け加えたのが十波羅密だ。 具体的には、『方便、願、智、力』の4つだ。 1)方便=間接的な方法で智慧を開発させる 2)願=仏道の成就を誓願し、実践努力する。 3)智=一切を見通す智慧を得ること。 4)力=善行を実践する力・真偽判別力を養うこと。 インドのカースト制度を背景に生まれた仏教はあらゆる命は平等という考えをもつ平和の哲学だ。 だからアラブのイスラム教のようにジハード(聖戦)という戦いの考えはない。 また表現する時は直接話法でなく、相手がきづつかないように間接話法を使う。 だから、お釈迦さんの説法は比喩表現という間接話法が多く使われている。 歩く時もありを殺さないように歩いたそうだ。 頭の中だけでなく、行動してこそ楽しいし、他人が喜ぶ姿見て嬉しくなる。 今、認知症の母の看病をしているが、子供に返ったように食べることが楽しみだと笑ってる。 時間も空間もなくなってきている、ただ、ご飯の食べたことまで忘れる。 人間的苦しみを取り去って、『天国を味わってるんだなー』 あの気丈だった母をまるでキューピットのように思えるのは神の仕業だろう。 生まれた子供の無邪気な笑顔と老いていく老人の無邪気な笑顔は、生きる勇気をくれるものだ。

2008年02月12日

「良い言葉と社会背景・渡部昇一さん」

世の中には良い言葉がたくさん残されています。 谷沢永一さんと渡部昇一さんの対談の本のなかに、 良い言葉と社会背景について書いていた。 全く同感だと思ったので以下に書く。 その良い言葉の代表として『汝の敵を愛せよ』というキリストの言葉がある。 今のパレスチナのあたりの民族殺戮の歴史背景の中で語られた。 旧約の時代からジェノサイド(人種大量殺戮) だから、『憎みあったらキリがない』と常々考えていたんだろう。 また、お釈迦さんの言葉も、インドのカースト制度抜きには考えられない言葉、 涅槃寂静とは欲望そのものをおこさないで、静かに融和することを目的とせよという教えだ。 シナの四書五経というすばらしい書物もまた、 その時代がよほど、ろくでもない状態だったから生まれたんだと両氏は言う。 よく例えられる言葉『美しい蓮の花は泥がなければ咲かない』のように 良い言葉は時代のよどんだところや、時代の悪い状況に生まれるんだという。 毎年恒例の、一年を一言で言い表すと昨年は『偽』だった。 まさに今こそ、『真』が問われ、『良い言葉』に支えられ『良い行動』を実践するチャンスだと思う。 昨年は北海道の白い恋人たちというお菓子に始まり、ミ-トホ-プ、赤福、吉兆と不祥事が続いた。 言い換えれば社会背景が、何を信じていいか解らなく、よどんできてるんだ。 世の中は揺らぎながら善から悪、悪から善へ歴史的サイクルで動いてるんではないだろうか? 古来中国には人間の一生を『人間万事塞翁が馬』といって、 因果が福にも過にもなることを教えている。 良い言葉と社会背景、どう思われますか?

2008年02月10日

「論語・孔子」

『致知』という雑誌がある。 この雑誌の内容は修養によって自己を磨くものだ。 別の言い方をすると『人間の徳』『人間の心』をテ-マにしてるといってもいい。 世の中には「技能を磨く本」その場をしのぐ「ハウツウ本」が多くでている。 心技体といって技術も必要であるのは間違いない。 最近の脳の科学では心も健康でないと正常に脳が機能して心を形成しないという。 健康は運動が第一で、食事のバランスと過食を避けることだ。 最近の老人の認知症は、脳がちじんで行き、脳細胞の新陳代謝が悪くなる。 意識が飛んだり、短期記憶が出来なかったりする、もちろん妄想も抱くのである。 さて、脳をちじませないためにも、学ぶことが第一です。 論語の中にある学びについての二つの言葉を紹介します。 1)『学べばすなわち固ならず』) 学ぶというのは自分の中からでてくるものでなく、 自分の外側にあるもの、たとえば書物とか先生、先輩などから学ぶという意味です。 そういうものから色んな意見や考えを引き出せば、 頑固な、一つの主義主張を思い込んだりすることがなくなる。 あまりにも固すぎて、応用が利かないようでは困る。 やはり『固ならず』柔らかく、滑らかに動くべきだ。 2)『学びて思わざれば、すなわちくらし』 くらし=閉じこもってしまうこと。 学ぶというのはただ仕入れるだけではなく、 仕入れたものを自分の問題として応用してみる。 学んだことを足場にして、学問、人生、社会問題など、先への見通しを立てる。 これがほんとに『学ぶ』ということです。 学ばない人は 1)自分のうちからでてくる思いつきが空想になり、 空想に不安が重なれば恐怖の妄想を抱き、空想に楽観が重なれば誇大妄想になる。 学んで具体的な問題解決に応用し、さらに少しづつ外側を学び続けることが、自分を磨き生きることになり、同時に、利他心で世のため人のために役立つ行動に応用することで、 脳の新陳代謝がされ、活き活き生きれるのである。 みなさんは『学び』を生かされ楽しい毎日を過ごされてますか?

2008年02月09日

「衣は二代について」

『財は一代 衣は二代 食は三代』 この格言が出来たころは多分、貴族や帝しか絹のものは着れなかった頃の話だろう。 衣類が大変貴重な時代です。今のように機械が発達し、大量に出来る時代ではありません。 すべて手作業の時代でしょう。(近代の資本主義社会ができる以前のこと) 大切な衣類については二代もつんです、またもたせるんです。 そのために、昔はよそ行き(晴れがましいところや儀式に出るときに着る衣類を言う)と 常着とか普段着(日常生活で普段着る衣類を言う)を分けていました。 戦後間もない時は衣類も十分でなく、つぎはぎしながら着ていました。 成人男子は洋服、紋付袴、絹の着物はよそ行きで、普段着は綿の衣服でした。 成人女性は和服が主流で絹のものはよそ行き、木綿のものは普段着です。 絹のものは当然成人した娘に二代目として与えます。 だから当然、ホテルや高級料亭とか晴れがましいとこへ行くには正装です。 男は背広、紋付袴、女性は訪問着かドレス、 ところが、機械での生産が発展し経済優先の消費が美徳の現代では、衣は一代に成り、 娘に受け継いだり、息子に親父にお背広や紋付を仕立て直すことはありません。 値段が安くなり大衆化したのです。 時代なのでしょうか? 好きなものを買うからお金でいいという風潮です。 文化というのは具体的に衣服や、食事や儀礼や生活習慣というものを通じて受け継がれるものです。 そこには生活の智慧が必ず入ってます。たとえば、正月の鏡餅を飾る習慣です。 代々夫婦仲むつまじく腹白く------というように,橙に串刺しの干し柿を飾るんです。 もちろんすべて昔風にやれというのではありません。 不易流行ということばがあるように、不易=変わらない日本人の心(文化)と 流行=時代に応じて変化する形があっていいと思います。 めまぐるしく変わるファッションに日本の文化の香りが感じられなくなったのは私だけでしょうか? 小さい時、親父の背広を解いて、コンビのジャケットをお袋に縫ってもらい、 坊ちゃんが着るようなジャケットに嬉しく思ったことを昨日のように思います。 仕立て直しはしましたが、二代に渡って着ていました。 今は懐かしい思い出です。

2008年02月07日

「『財は一代 食は三代』に思う」

『財は一代 食は三代』 中国のことわざですが、中国の人は食事を大事にする民族だ。 石材の検品に中国に行くことがあるが、 とにかく朝、昼、晩と円卓に料理が一杯並ぶんだ。 関係者が一堂に集まり。 友好的に話を進めるには、食事を介してコミュニケーションを計る。 (注)中国の食材は今、商売優先で安全性に問題が出ているのが残念だ。 さて、日本も昭和の時代はコミュニケーションはもっぱら飲みニケ-ションだった。 サラリ-マンは会社が終わると赤暖簾で一杯やり、その日の愚痴を晴らしてかえる。 この時間外の酒を交えた食事のコミュニケーションが仕事に役立つんだな。 ところが、最近の若い人はあまり飲んで憂さを晴らそうとしない、 カラオケや自分の趣味やと、多様化してきて仕事の話するのはダサイ人になり、 コミュニケーションを計るより、自分のやりたいことをやるほうに優先的に時間を使う。 またもうひとつの理由は飲酒運転のキビシさにより、車社会では何かと移動に不自由だからだ。 酒が入らなくてもいいが、やはり人間同士が打ち解ける場としては、 食事の場はいいのではないだろうか? 食は三代のたとえのように、食事の何気ない雑談の中に三代続く情報が得れたりする。 あくまで食べるのは手段で、目的はコミュニケーションだ。 情報化社会の本音の情報は文字になる前の人間の口から出る生の情報が一番新鮮だ。 この生の情報には、優しさ、厳しさ、たくましさ、悲しさ、嬉しさといったことばの奥にある感情がついている。 日本人はことばに魂が宿ってると考える(言霊信仰) 生ですから、感度のいい人は情報に臭いや、色や映像まで感じ取ることも可能だ。 自分の人生三代先を見つめたら、内も外も食事の場を大切にし、すばらしい人間関係を作りたいものだ。 今日は今年入社予定の社員と入社一年生の社員との食事交流会だ。 会話の中で人物像を想像し、どんなことに興味あるのか会うのが楽しみだ。

2008年02月06日

「元気なじいちゃん、ばあちゃんがいる徳島」

徳島のある村は大変元気なじいちゃん、ばあちゃんがいて、笑顔の村があります。 それに、年収が1000万以上というではないですか。 村全体で売り上げが2億5千万ぐらいだそうです。 その秘訣は季節の木や草花を売ってるんです。 徳島はみかん農家が多かったんです。 ところがあるとき、みかんが全滅する被害にあったんです。 そこで思いついたのが、高級料亭などが使う、 梅に小枝やヒイラギなどの季節の木や、草花を栽培する、 春夏秋冬の時期にあわせてです。 従来は板前の職人さんが自分で山で取ってきて、飾っていたんですが、 時間がなく、手間もかかるので、今では重宝されているんだそうです。 毎日、山を登ったり降りたり、食べ物ですから殺虫剤はつかえず、手入れに時間がかかります。 これが健康の秘訣です。手間隙惜しまないことです。 さて、中国ではこんなことわざがあります。 『財は一代 食は三代』 財産は一代で終わるが、食生活がきっちり受け継がれると三代続くというたとえです。 今日本の食事は、便利を追及しすぎ、お母さんが手間隙かけていますか? 豊かな愛情は食事に手間隙かけることです。 また、みんなでいっしょに食事をすることではないでしょうか? 日本のすばらしい食事を受け継ぎ、外食でなく家庭の味、団欒が出来ていますか? 昔のお袋は魚もさばけ、漬物も漬けていましたが、受け継がれてるでしょうか? 日本の食事の伝承を、お袋の味を受け継いで、心豊かな人間の身体を作ることでしょう。 食事による身体づくりが豊かな心づくりです。 日本のすばらしい食文化取り戻したいですね!! みなさんどう思います?

2008年02月01日

「日本で一番優しい母の県は?」

鹿児島県だそうです。 また、お花の消費量の一番多い県も鹿児島です。 というのも鹿児島の嫁は、お墓に花を切らさないのだそうです。 それが嫁の良し悪しを決める決め手になってるそうです。 当然、嫁はお墓参りに熱心になるんです。 この形、行動が、心の余裕を生むのです。 目に見えない、先祖への感謝、 自然に対する畏敬の念が自然と身体にしみこみ、身につくんだそうです。 この日常の当たり前のお墓参りという習慣が、心の大きさ優しさを作るんです。 日本の優しいお母さんナンバ-ワンの県なのも、当然のように思います。 さて、これにちなんで不良少年も一番少ないそうです。 お墓参りや仏壇の朝晩の読経をやってる家にも不良が少ないそうです。 ある日、故薬師寺管長の高田好胤さんが奈良の少年院に慰問に行かれたとき、 『みなさんのおうちにお墓か、仏壇がありますか?』と聞かれました。 悲しいかな全員がなかったそうです。 お墓や仏壇は生活にとって何の利便性や、得することはありません。 しかし、人間の精神的バックボ-ンを知らないうちに作ってくれるのではないでしょうか? 個人主義だ権利だ義務だという世の中は何かおかしくないでしょうか? お遍路さんが今でも88箇所めぐる四国の人たちは、『お茶でもいかがですか』と、 自然とお遍路さんに奉仕することが出来る温かい心を持っておられるんです。 権利や義務やといって、モノ(経済)の奪いあいの物質的豊かさを追求するのみでなく、 世のため人のために奉仕する行為が出来る、心豊かなことが当たり前に出来る世の中が、 住み易い世の中ではないでしょうか? みなさんはどう思いますか? 実践できますか?