社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2008年04月29日

「自分の品格・渡部昇一」

国家の品格、女性の品格と品格というタイトルの本が読まれてる。 渡部さん流の『自分の品格』とは、 『出来ない(やらない)理由を探すことなく、志を保ち、  自分で自分を尊敬できる人間になれ』 ということだ。 『四十過ぎたら自分の顔に責任もて』といったのはリンカ-ンだそうだ。 どんな仕事、職業であれ、一流の域に達した「品格ある人」に共通するのは、 少々の困難であっても、簡単には投げ出さないことである。 品格=向上心 髪の毛が少し銀色になり、ロマンスグレ-と呼ばれ、 顔や背中ににじみ出る重厚感や落ち着いた所作がでてくる。 禅の入門書に『十牛図』というのがある。 このテ-マは三つだ。 1)自分とは何か? 2)生きるとか死ぬとかとは何か? 3)人生の意味としてなぜ他者救済するのか? これを十の絵で教える。 1)どんな人も自分とは何かと人とぶつかり、思い込んで何かに没頭したりして、 向き不向きや、エネルギ-(気)の集中と発散を学んでいく中で自分が見えてくる。 2)自分の求めるものが明確になったり、自分の価値観が形成されると、 次には、自分以外に排他的になり、自分の価値観を大事にするが故に、 生きるとか死ぬとかをを分別し悩み苦しむ。(自分と他人が違うことに苦しむ) 3)そんな生死を分けてることに意味がないとわかった時、 分別する前の状態で物事を行動する利他行に人生の意味を見出す。 といったことを教えてるのだ。 『生きること=諦めないこと』が渡部さんの言いたい確信だ。 言い換えると死ぬことを考えないことだ。 だが私たちは何らかの壁にぶつかると、たちまち降参する。 それだけでなく、やりたいことを『諦める理由』を探し始めるのである。 『諦める理由』を探すのにかける情熱をやりたいことに注げばどんなにか人生は好転する。 ところが『出来ない理由』をつけて挑戦することをやめるのである。 別にこの程度でいいのやと変に納得する。 後はなんとも煮え切らない人生が待っているだけであるというのに!!! やはり天才的な人は同じことを言うものだと思う。 正岡子規の『病床六尺』という本の中にも、 『悟りとはいつでも死ぬ覚悟が出来てることだと考えていたが、  どんな事態でも生きることだ』と書いてあったように記憶する。 自分に置き換えたら恥ずかしい!! 品格の正体は諦めない人がかもし出す雰囲気なのか? 皆さんはいかがお考えですか?

2008年04月27日

「老子・十三章」

『愛して、身をもって天下となす』(老子十三章) 老子は無為自然、あるいは上善水の如しのように、 自然の法則どおり生きれば、何の禍もなく福を得、 他人を傷つけることもなく、謙虚で充実した幸福感を得ると教える。 まるで仙人か、優等生の模範解答だから、腹が立つ。 しかし、この十三章の言葉には感動を覚えた。 「もっと深く自分を愛せ」といってる。 利己心の肯定だ。それが天下の大道(利他心)と重なるというのだ。 そうだ、どんな人間も自分が好きだ。自分の思いを実現したい欲張りだ。 ここを否定したら生きること自体苦しくなる。 だが、若い時はどうしても自分の思いどうりに出来ないと自分を嫌いになる事もある。 早く自己実現をあせるのは欲望が主人になり、自分の意志が主人の座を譲った時だ。 この問題解決は簡単だ。 1)思いを自分の背丈に合うように現実的に低いところに目標を立て、出来たら徐々に高くする。 2)人に勝つものは、相手よりいささかの力があって強いだけのこと、もっと強い者が出てきたら負ける。 本当の競争は自分の私欲、私情に勝つものこそ、精神のもっとも強い強者といえる。(自分に勝つ) 老子の面白いのは、まことに人間と生まれたのが幸運だという。 さらに、自分を強く深く愛して生きていけることが幸せだと続ける。 ところが人間は、時々、自分の生命活動のすばらしさをそっちのけにして、 高級車とかダイヤとかえる『お金』を熱愛して、自分を愛することを忘れてしまうというのだ。 そのとおりといわざるを得ない。 老子に逆らって屁理屈を言うとすれば、人生の喜怒哀楽を楽しめるのが凡人だ。 吉本のお笑いを見て楽しみ笑い転げ、シェ-クスピアの悲劇を見て悲しむ。 実に人間らしい自分に乾杯だ。 しかし、自利が利他に通ずる自分の愛し方ができればモット幸福になる。 皆さんはいかがお考えになりますか?

2008年04月25日

「5Sに思う」

5Sの運動を会社でやり始めている。 具体的には以下のようにすることだ。 1)躾(しつけ) 約束事や習慣を守るくせづけをする。 また約束事の内容によっては、 自ら考え、必要があれば改める(改善する)こと。 2)整理(せいり) 定められた判断基準に則して、 必要なものと不必要・不要なものを区別し、 不必要なものは片付け、不要なものは処理すること。 3)整頓(せいとん) 必要なものがいつでもすぐ使えるように、 その置き場所や置き方などを決めること。 4)清掃(せいそう) ほこりやチリ、クズ、ゴミをなくして美しい職場にする。 5)清潔(せいけつ) 汚れがなく衛生的なことで、躾、整理、整頓、清掃を実施したクリ-ンな状態のこと。 こうして書かれると美化運動推進のようだ。 ところが、改善提案して工夫すると、この5S は意味が違ってくるんだ。 生産量は増やす、逆に時間と経費は下げる。 仕事の仕組みの改善により生産の向上、発展、進化を作り出す。 この矛盾を解決する改善運動は三つの意味を持つ。 1)すばらしい品質と品格のある製品・サ-ビスが出来ることによる優位性。 2)収益性を向上させ社員の物心両面の幸福実現 3)高い技能(スキル)と品格のある大人の人材が育ち組織の仕組みが円滑に機能する。 改善の目標はその行動(動作)を0にすることだ。 一例をあげると 1)重い石を扱うわれわれ現場ではクレ-ンレスだ。 2)事務ではぺ-パレスだ。 そこでこれを実行する具体的なことと心の問題がある。 これに取り組むには、こころの5S(整理)といって自分の立ち向かい方から整理する方法もある。 1)こだわりを無くす 2)工夫し心にゆとりを持つ 3)仕事に追われず、仕事を追いかける 4)基準や規則を正しく守る 5)思い切ること。(決心、覚悟) 人間は困難にぶつかると、挑戦するか、逃げるかで人生は大きく変わる。 心の整理が挑戦へ向けてくれるのではないだろうか? 具体的に実践し成果を出す人は心の5Sが出来る人でもある。 あなたは具体的から入りますか? それともこころの5Sからですか? みなさん日常生活にも応用可能ですがいかがでしょう?

2008年04月22日

「松山千春に思うこと」

「大空と大地の中で」という彼の歌は勇気をもらえる歌だ。 先日あるテレビ番組を見ていたら、 私が日ごろ疑問に思ってたことをズバリと質問したのはやしきたかじんだ。 『千春の偉そうなキャラクタ-はなんでや!』と単刀直入に聞く、 すると彼は即座に『俺は選ばれた歌手ではなく、歌手を選んできた』 だから、先輩も後輩もみんな挑戦する姿勢や。『オレが一番やと大見栄を切る』 ついで、彼は『歌で世の中変えれると信じてる』といった。 「大空と大地の中に」の歌詞の、 『生きることが辛いとか苦しいだとか言う前に、野に育つ花ならば力の限り生きてやれ』 『いつの日か幸福を自分の腕でつかむよう』 という決意なのか覚悟なのか挑戦なのか? 自分としっかり向き合う姿勢がある。 日本語は主語がはっきりなく、自然と同化し生きることが美徳とされる。 また自己主張しないことのほうが奥ゆかしく大人の人間として評価される文化を持ってる。 何よりも聖徳太子以降『和を持って尊し』を大事に仲たがいしないことでこの狭い日本で生きてきた。 ベビーブームに生まれ育った彼は自己主張をする。 何か、今までの日本文化の美徳を敵に回して、いきがってるようにさえ思う。 それにしても、現在にも新鮮な感覚と感じるのは私だけだろうか? グローバリゼーションが叫ばれ、 価値観の東西対立から融合へ踏み出す今こそ大切な歌詞だ。 みなさんどうお考えになりますか?

2008年04月21日

「『セ-ルス』と『御用聞き』の表現」

NHKの土曜の番組に『トップセールス』という番組がある。 1974,5年の車のセールスの話だ。 それも男性社会のセールスに女性が立ち向かうというストーリーだ。 1970年は大阪の千里丘陵で万国博覧会が行われ『進歩と調和』がテーマだった。 モタリゼ-ション時代の幕開けだ、現在の日本は約800万台から1000万台ぐらいは動いてる、 当時は100数十万台時代だ。 さて、もちろん彼女がトップセールスになる話なんだが、 そのきっかけになった第一号が売れた話だ。 実はここがキーワードなんだ。 お母さんが離婚して、今で言う総菜を行商していた時に、 主人公の女性が小さいころ、そばで聞いていたのが、総菜だけでなく、 お客さんが今度来るとき『石鹸もってきて』あるいは『トイレットぺーパー買ってきて』 というのをいちいち聞いていたそうだ。 お客さんの役に立つ『御用を聞く』だから御用聞きなんだ。 これにヒントを得て、お客さんのためになることしようと言うことになった。 こんなストーリーだ。 しかし、女性から車を買うという習慣がなかった時代で、 また、商品説明を超えて、家庭内にはいって役立つことして、 車を売ろうしていると受け取られ、 ご主人に「こんなことまでして車売りたいか』といわれてしまうのです。 とっさに彼女は『そうではありません、家族がばらばらでは車は必要ありません』 『車は家族の未来を作るのです、お役に立ちたかっただけです。』 御用聞きとは『家族の幸福になるために役に立つことです』 車だけの物々交換ではないという態度をした。 決して車が売りたいための姑息な手段ではないという趣旨を毅然と伝えた!! 欧米のセールスはモノのよさを一杯説明して、お客さんを喜ばすことには変わりないのですが、 『その商品をどう使うかはあなたですよ!でも私の商品を買ったら必ず喜んでもらえるはずだ。』 たぶん目的は幸福になるためは同じことをやってるんだと思いますが、 表現方法が全く違うのです。 それはセールスが主体なのか?お客が主体なのかだ? 日本人の文化はお客が主体の御用聞きの方法だと思う。 しかし経済のグローバリゼーションは人間関係の作り方まで、 個人が主体の方法を無意識に強要していないだろうか? 欧米のセールス的手法を否定してるんではありませんが、 今の世の中はこの二者択一的議論が多いのではないだろうか? お客さんによってこの両方を使い分け表現のできる、 ハイブリットな営業が生まれるチャンスではないだろうか? 世の中ますます面白くなってきたように思うのは私だけでしょうか。 明治時代の『和魂洋才』という言葉が何か現代とダブルのですが、 みなさんいかがでしょうか?

2008年04月14日

「『求めない』・加島祥造 第二章」

求めない すると自分が大人になったのだと悟る      どんな年をとろうと      求めるだけの人は子供だ 求めない すると今の自分が大切だ 求めない すると自然になる      だって自然は人に求めないからだ 少ししか求めない すると      その手に入った少しも物を大切にする      ほんとに味わうそしてほんとに楽しむよ 求めない すると心が静かになる 求めない すると人に気兼ねしない 求めない すると自分の時間が生まれるんだ 伊那谷の老子という名前を持つ人だ、 でも凡人にはこの詩のようには行かない。 彼は言う『誤解しないで欲しい。求めないといったって、どうしても人間は求める存在だ。 それを良く承知の上での求めないなんだ。 五欲を去れだの、煩悩を捨てろだのというのは嘘っぱちだ、誰にも出来ない。 自分全体の求めることは大切だ、ところが『頭』だけで求めると求めすぎる。 『身体』が求めないことを押しのけて『頭』は求めすぎる。実は僕が「求めない」といってるのは、 求めないで済むことは求めないといってるだけだ。 すると身体の中にある命が動き出す、それは喜びにつながっている。 だけど、意外に難しいんだ。だって、私たちは身体の願いを頭が無視するからね? 程よいところでとめる。-----それがポイントだ。 それが出来なければ、時にはもう『求めない』と自分に言って見るといい。 するとそれだけで、いい気分になるとわかる。 草花を少し見習いたい、そう思う。』 実は自分で悩みつくってるのは自分だ。 御釈迦さんは『四苦八苦』といって、 生、老、病、死を四苦、関係性で起こる苦を四つで八苦といった。 『愛離別苦』愛するものとは慣れたくない苦しみ 『求不得苦』求めて得られない苦しみ 『怨憎会苦』憎い人に会いたくない苦しみ 『五蘊盛苦」五感をもっともっと刺激強くしたい苦しみ 生きることがこの四苦八苦の真っ只中だ。 苦しいと感じるのは自分にも他人にも求めすぎてるからだ。それも頭で!!! 『求めないで』途中下車できる人間でありたい。 みなさんいかがですか?

2008年04月12日

「『幸福の品格』菅直人さんの記事に思う。」

今朝の新聞に『幸福の質』を求めよう。 言い換えると『幸福の品格』についての菅さんの記事があった。 どんどん成長し人口が増える状況ではモノもエネルギ-も贅沢に消費する生活が幸福だ。 ところが、人口が減少、成長も量より質へと省エネ型のライフスタイルが望まれ、 幸福の質の時代だといわれる。 成長が前提だから要求型の民主主義だった。 国と民間、中央と地方、経営と労働といった立場の違いにより要求する側と要求される側で、 互いが切磋琢磨し、成長する仕組みだ。 ところが、成長型でなくモノやエネルギ-節約型のライフスタイルにし、 質を求めざることを余儀なくされてる現代では、 参加型の民主主義へ転換せざるを得ない。(いっしょになって自分らの手でやるのだ) 今、京都議定書に基づきCO2を世界中で取引し、国際的シェヤ-(分かつ)をしなければならない時代だ。 資源の争奪戦、食の元の水の争奪戦も始まっている。 早く時代の変化に気づき自分の意識を切り替えないとついていけなくなる。 菅さんは三つのことばを使って提言されてる。 1)もったいない=環境問題を含めての幸福の質の問題だ。 2)ほっとけない=は、他人の役に立つという連帯の問題だ。 3)へこたれない=何でもお役所任せ出なく、自分たちの町は自分たちで作っていく。 この三つの言葉を行動することだといわれてる。 経済が横ばいの時代になり、 社会の価値観が目に見えないが変化を余儀なくされてることは事実だ。 量の拡大に邁進することから質の豊かさを求める時代へと確実に世の中は変化していくだろう。 なんとなく気づいているが、価値観を切り替えるのは時間がかかる。 車を高速で運転しブレ-キをかけても慣性の法則が働き、 惰性で動くように、頭もすぐには切り替わらないのだ。 皆さんはいかがお考えですか?

2008年04月11日

「薬師寺・玄奘三蔵会大祭」

5月の4日5日は奈良薬師寺の玄奘三蔵会だ。 今年の伎楽の三蔵法師役は俳優の滝田栄さんが演じられる。 安田映胤管主の今年の言葉は『菩薩』だ。 『玄奘は 自利利他行ぜし 菩薩なり』 求道の自利行、翻訳の利他行を実践なさった菩薩です。 前官長の高田好胤さんが好んで色紙に書かれたのは『不東』と言う文字がある。 中国を出てインドに向かい西を向いて、 決して東へは戻らないという玄奘三蔵の決意の言葉だ。 写経勧進で、薬師寺の伽藍復興を発願され、今日まで西塔や金堂,講堂,玄奘三蔵院 と見事に事業をされてきたのも、この『不東』精神があったからこそだ。 玄奘の身命を賭けての自利利他行が現代に受け継がれていると言える。 是非、一度奈良・薬師寺をたずねてみてはいかがですか?

2008年04月10日

「来年の新卒、会社説明会」

今日は午前中雨が降っていて、午後一時の会社説明会に12人エントリーされてるが、 何人来るか楽しみだった。 雨を押して来てくれたので、何か役立つことを話してやろうと考え、 会社とは何か?聞いてみた。 1)働くところ 2)社会に役立つことをするところ 3)お金を稼ぐところ こんな意見に集約された。 そこでこんな質問をした。会社は『儲ける』か『儲かる』かどちらですか? 『け』と『か』の違いだが、即答できなかった。 お金儲けが目的ではなく手段だというのが言いたい答えだ。 だから、企業はいつも『儲かる』ために、 喜ばれる商品やサービスをタイムリーに提供するべく日夜努力するんだ。 唐の時代の太宗という政治家は『貞観政要』において、 舟と水にたとえて、舟(企業)は水(お客さん)によって支えられており、 企業がお客を思いまじめに経営をすれば、自然とお客が水となって、企業を支えてくれるが、 利益のためだけに経営を行いお客を利用すれば、水は波となって舟をひっくり返すだろう。 従業員は一つの舟に乗り一致団結し、お客さんのために働くのは日本ならではの経営だ。 近江商人はこれを『三方良し』(売り手良し、買い手良し、世間良し)という表現をした。 アメリカは株主が第一の経営だ。ややもするとお金が手段でなく目的になる。 ここが『け』と『か』の違いなのだ。 これだけでは会社は選ばれない、独自性やブランドにまで高めた付加価値を持たねばならない。 何々なら○○社だ。といわれる会社の『らしさ』や風土がいる。 『お前とこなら任せるよ』という者は一朝一夕には出来ない。 最後に『今日は雨のなか、弊社の説明会に来ていただき、ありがとうございました。 是非、今後の会社説明会のポイントとして、参考にしてください』と会社の見方を伝授し、 会社説明は『人材育成を一番に考える、いい会社です。』といって、 見て感じて評価くれればいい、ということで終わりました。 みんな熱心にメモをとっていました。 自分の会社のこと説明するのは、いいことばかり言うのに決まってるからだ。 あえて、こんな話にしました。 もちろん今年の新入社員の、今体験してる話や、 展示場や工場の見学はその後、総務がやってくれました。 皆さんなら、こんな会社の説明会どう思います?

2008年04月07日

「『あなたの好きな言葉書きます』武田双雲」

この人は書家である。 若い時、路上でライブをやっていたのは、神戸支店の営業のKちゃんだ。 コブクロも路上ライブから芸能界に入った。私の好きな歌手だ。 武田さんも路上でライブならず、色紙に文字を書くというパフォーマンスをしていた。 彼の前はいつも人の行列が出来た。 と言うのも『あなたの好きな言葉書きます』と言う看板があったからだ。 『真 善 美』という価値や自分の気持ちを伝えるには表現しなければなりません。 他人に伝えるには音楽なり、絵画なり、言葉なり、舞踏なり、具体的にして表現する必要がある。 沈黙も一つの表現だが、問題は相手が沈黙を求めているのか? 自分が無言で圧力かけ伝えてるのか?自分の集中のため周りを遮断してるのか?だ。 表現する=相手の気持ちを表現することだ。(決して自分の気持ちを押し付けることでない) ところが、現実は一生懸命相手に伝えようとしてるのは自分の気持ちだったりする。 武田さんは相手の喜ぶことをやったんだから、行列が出来るのも当たり前だ。 私たちは日ごろ、自分のことばかり表現してませんか? それとも、相手の喜ぶことを表現していますか? 故人がこんな言葉を残してる。 『男は知ってることを語り、女は相手の喜ぶことを語る』 昔から、男は押し付けがましく、女性は忍耐強いようだ。 最近熟年離婚が増えてるのも、 女性が男の押し付けに我慢が出来なくなったんではないだろうか? 武田さんの行為は考えさせられますね。上司や部下や仲間それに妻に出来るかな? みなさんいかがですか?

2008年04月06日

「生魂山 齢延寺・山門落慶法要に思う」

上町台地の生魂神社の南にある、曹洞宗の禅宗の寺である。
平成4,5年だったと思う。今から15,6年前に本堂の建替え復興を発願された。 寺内の整備に着手され、お手伝いさせていただいた。
平成15年本堂完成落慶、翌16年庫裡、東門二階建て長屋門(通用門)、 そして今日の南側正門の山門落慶の運びとなった。 前住職のこだわりで、二寸五尺(525キログラム)の梵鐘を二階に持つ 鐘楼門だ。
この夕陽丘に響き渡り末代まで受け継がれるだろう。 自分のことのように、喜びの気持ちで一杯だ。

富田基弘前住職は温和で穏やかな語り口調の笑顔の人だ。 菩薩さんのような人柄だ。常に相手のことを優先に考えられ、行動された。 寺は檀家さんのもの。どんどん使ってもらいたいと言って、 浮浪者がうろうろするのに、門はいつも開放されてる。 この発願に際して、檀家さんに負担をかけて、布施を頼りの復興ではなかった。
寺内の墓地整備事業を進められ、自ら先頭に立って毎朝の掃除から始めたのである。 総事業費は15億はかかっただろう。 その情熱に周りの人たちが協力を自らするような状態だった。 毎朝の掃除にも近所から手伝いのボランティアの人が集まる。 わたしも共感したひとりだ。

最後の山門までの事業がやり終えれた成功の秘訣には二つあると思う。
1)覚悟だ。=すべてが動き出す出発だ。  本堂の復興と言う檀家さんに少しでも喜んでもらう気持ちの発願だ。
2)表現方法だ。=檀家さんの気持ちを表現することに徹することだ。(住職でありながら檀家さん代表に徹した言動だった)

言い換えればこの二つは『私心が無い』という事だ。 いつもお会いすると無邪気な表情で楽しそうにプランを実現に向けて熱く語られた。 行動は掃除だ。お参りにこられたとき、きれいなようにと願って!! 満開の桜の花も最後の山門落慶を結わってるように空の光を一杯浴び輝いていた。 さわやかな春の風が心地よかった。 みなさん一度たずねてみて、境内を歩いてください。 心遣いを感じますよ!!暖かい人間のぬくもりを!!

2008年04月04日

「4月4日グループデスカッションの発表・新入社員」

テーマは『好まれるビジネスマンについて』だった。 2チームの発表があったが、表現方法は違うものの本質は同じだ。 その人物像1)外観はシャキッとしてる。清潔感がある。笑顔が似合う。      2)内面は挨拶マナーの基本が出来る。明るい。気が利いてポジティブである        ユーモアがあり社交的である。向上心があり攻撃的でない。 白い模造紙に人物の絵を書いて、内面と外観を太い線で区切って描かれてた、実に解りやすい。 あくまでも理想像だ。正解はないが求めてるのは完全無欠だ。 この理想を自分の外に求めるのか?自分自身が出来るようになるのか?ここが問題だ。 どうしても他人に求めてしまう。 体験がないから自分に向けると薄っぺらいことが解り、自信がなくなるか?あせりだす。 時間を味方に10年先を見てコツコツやれば良い。 『内剛外柔』という言葉がある。 意味は穏やかかな態度を保ち、決して怒鳴ったり、激怒したりしない、芯の強い人物をさす。 でも、若い時は逆だ。『外剛内柔』外に向かって強がり言って、本音は泣きたいし逃げ出したいものだ。 自分の過去を振り返ってもそう思う。 中国の荘子という人の人間世には、『内直して、外曲がる』とある。 意味は心は真っ直ぐにして世間に合わせるということだ。少し弱虫のように思うが実は違う。 『人にけなされても幼児のようににっこり笑う。』なかなか出来ませんぞ!!! こんなこと出来るようになるのは、 30歳、40歳、50歳、60歳いつの時期だろう、 生活年齢でなく、その人の精神年齢だろう。 私に問われたら時々と答えます。 みなさんはいかがですか?

2008年04月01日

「『常を知らざれば、妄(みだり)に作(な)して凶なり』老子十六章」

桜の花が満開の4月1日が今年の入社式だ。 夢と希望が身体からはちきれんばかりの新入社員だ。 入社式の挨拶に、商道塾の塾長中村隆俊先生に話してもらった。 三つの話をなさった最初の言葉が印象的だった。 『自分と未来は変えれるが、他人と過去は変えれない』 要するに自分を信じ未来に希望を持って、 一歩づつ具体的に行動を積み重ねるということだ。 しかし、社会人になると他人と関わらねば成らない、 個性教育や知育のみの教育を受けて育った子供達は、 みんなで群れて体験から学ぶことや、人間関係を調整しなが創って行くことが不得手だ。 ついつい理屈の壁を作って、自分の心の安全地帯に入り込んでしまう。 中国、何千年前の老子の時代も同じ現象があったらしい。 そこで、人間関係の基本は『常』を大切にする生き方だと老子は強調して教える。 知で自分を守ると『違った考え方を批判しあうことになり凶を招くという』 『常』=いつでも変わらない。昔も今も不変の力を言う。     たとえば1)見る力、今も昔も赤は赤に見える。         2)呼吸もそうだ。 人間は無知だから、知りたいし、知ることで自分を守りたいと思うのも自然だ。 だが、『君の考えと僕の考えは違う』『ああすればプラスだマイナスだ』と、 違ってる考えを批判しながら毎日を暮らしてるというのだ。 すると、『凶』(不吉な状態、不幸な状態、混乱の状態)を招くことになるというのだ。 人間、頭で生きてると思ったら、とんでもない、手や足や胃や腸の働きで生きてる。 さらに、老子言う『常を知らば要』 みんな同じ命と知れば人間は寛容になれるという。 天地自然の変わることのない絶対の生命力、ここを『常』といって押さえることだという。 要するに意(考え)は違っても、気(機)を合わせることだ。 『まあ、良いか』という玉虫色の解決が得意な日本の美徳はどこに行ったのだろう。 この『常』を伝えるのが教育の基本だ。 みなさんいかがですか?