社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2008年06月29日

「男の品格・植田順三」

一、二年前に藤原正彦さんの「国家の品格」という本が出て、 最近は「女性の品格」「会社の品格」渡部昇一さんの「自分の品格」、 といろいろ品格本ばやりだ。 先日、リッツカールトンで息子を結婚させた橋梁の施工を仕事としてる親友がいる。 明石大橋を施工した男だ。 結婚式といえば新郎の父のお礼の言葉があるが、 彼の言葉はお礼というより息子へのメッセージだった。 「人生には上り坂、下り坂、ま坂があり、 上り坂はつつしみあい、下り坂は励ましあい、ま坂は互いに助け合い」 奥さんとの二人三脚で歩んできた実感のこもった言葉だった。 彼は早稲田大学時代ラグビ-をやっていた。 ラガーの信条に「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉がある。 自分にも熱く、自称夢追い人だが、他人にも熱い、 いつもここ一番には不思議と相手のためにいやなことでも突っ込んでゆく。 彼に言わせるとラグビーで培った「どんなボールも拾え」精神だという。 結婚式が終わって数日後、親しい共と酒を酌み交わしたときだった、 彼流の「男の品格」5か条を語り出した。 たぶん息子に伝えたかったんだろう。 「男の品格」 1.明るい男であれ 2.夢を語る男であれ 3.志高くする男であれ 4.人の痛みがわかる男であれ 5.意気(粋)感じる男であれ 面と向かって言うのが照れくさく、我々に語ったのだろう。 人生の荒波を乗り切って欲しいというメッセージだ。 チャップリンは「人生とはクローズアップで見れば悲劇、ロングアップで見れば喜劇」という。 チャップリンの喜劇は、人生をロングアップでじゅっくり腰をすえたから生まれる。 一番に「明るい男であれ」、を持ってきたのも腰のすえ方を教えてるようで意味深い。 釈迦は弟子の「人生で一番大事なのは友ですか?」という質問に、 「友がすべてだ」と答えた。いい友といい酒に酔いしれた夜だった。 みなさんも友とあってみませんか?

2008年06月23日

「松下幸之助実語録・ゼロブックス」

本棚を整理していたら、「松下幸之助実語録」といタイトルの本が出てきた。 昭和49年(1974年)のオイルショックのときに出版されたものだ。 昭和40年代の神武、岩戸景気といって目覚しい経済成長をとげ、 昭和45年の万国博覧会が大阪千里の丘陵で行われ、 繁栄に酔いしれてた時に起こったブレーキがオイルショックだ。 今から34年前のことだ。 松下さんは「今の日本では、一般にものはたくさんあるし、貧困ともいえない。 しかし実質的には、精神的貧困、心の貧困というべき姿に陥っているのではないかと思うのである。」 続けて、「終戦直後の日本は、諸外国の助けを借りつつ歩んだため、それが一つの習性となり、 今でもなお心の底に他への依存心が残っているように思われる。つまりなんでも他から助けてもらおう、 何とかしてもらおうという貧困な心である。」 「したがってわれわれは、こうした依存心を捨てて、他の力を借りずに自分の力で歩いていくのだ。 自分を独立させるのだ、という心構えを持つことが必要だと思う。――――中略―――― まず第一にそういう自主独立の精神革命というべきものから始めて、 自分というものを取り戻さなければからないと思う。」 今読んでも、もっともだと思う。 社会保険制度や医療の問題も含めて、 できない人に無理強いはできないから救いの手を差しのべるのは当たりお前の行為だ。 平等とか公平とかが議論されるのはいいことだが, 基本に自主独立の精神があるのか、無いのかが基準になるべきではないだろうか? 地球と各国、国と国民、親と子供は自主独立の気構えのもとで協調すればいい。 環境問題は良いきっかけだ。 自然に甘えないで独立の精神で人間が自然と向き合うことだろう。 34年も前の松下さんの言葉が、 地球の破壊と消費の美徳から脱却するチャンスを示唆させてくれる。 母がよく言ってた言葉を思い出すと「他人に迷惑をかけることだけはするな」 言い換えたら自主独立、分相応〔もったいない精神)ということを教えたかったのだろう。 認知症の母を見舞いに行くと「私は誰の世話にもなりたくない、 自分のことは自分でする」と念仏のように言う。今なに言ったかすぐ忘れるのに!!! 今も昔も基本の心構えは同じだ。 福沢諭吉は「自由」とは「自らを持って由となすことだ」という。 この独立独歩さが現代人の基本をなせば未来の道は開く、 依存心の強い自らには反省だ。 皆さんはいかがお考えですか?

2008年06月21日

「「敵はわれにあり」野村克也監督」

矢沢永吉は「音楽は生き物」といった。 そして「みんなの矢沢だ」音楽を通じて自分の生き方を求める求道者のようだ。 泣き言は言わない。 役者とミュージシャンの違いを「ミュージックは外に向かう、逆に役づくりは内に秘める」 全体の雰囲気から創造させるのが役づくりなのかもしれない。 矢沢さんと比べて語るのもおかしいが、野村監督は役者だ。 非常に計算高く、何か策士のような風貌からの第一印象で、野村監督は好きになれなかった。 テレビによく出てくる奥さんの言動の表面的なイメ-ジも手伝っていたのだろう。 ところが、この本を手にしたとき監督という役者だな!!と感じた。 それも一流だ。 あとがきに「観見の二眼あり」と宮本武蔵の言葉を引用して、 バッターとピッチャーしか見えないようではダメだ、その背景が見抜けなければならない。 対象を見る、対象の奥を眼で観る。この二つの眼がなければならないという。 それは、母から教えられたことだという「黙って仕事をしなきゃいかん」と口癖のようにいっていた。 だから、自然と集中力が身についたのだ。 この集中力は「仕事の結果」より「仕事の過程」を大事にすることが習慣づいたという。 27年間の現役生活で最大の敵は、稲尾投手や米田投手でなく、 最大にして最強の敵は自分自身だと語る。 満足感や妥協、限定というものが忍び寄ってくるというのだ。 人間だから、守ろうとしたり、安心したいと成長を止めたりする。 挑戦し続けることを楽しむことは解っているのに、時々息が詰まる。 気の緩みが自分をだめにしないか恐れる。 こんな葛藤と戦う人間らしい弱さだ。 自分自身が最強の敵だと公言してはばからない捨て身さがあっぱれだ!!!! 人間は成功すること(結果)より努力すること(過程)に意義があるんだとしみじみ語られていた。 野球は自分でするスポーツ、見るもんではないと思っていた私にとって、 野球は奥が深い「生き物」だと感服した。 人間が生み出したものは常によりよいものを追及され、変化し飛躍する面白さを秘める。 野村監督のすばらしさとともに、野球というスポ-ツのすばらしさに少し鳥肌が立ったので紹介した。 野球ファンなら誰でも知ってることだろうが・・・。 皆さんはいかが考えられますか?

2008年06月18日

「「哲学」矢沢永吉×イチロー」

こんなタイトルの本をS課長から預かった。 なんと難しい本読むんだと思ったら、 生き方にほれ込んでるえーちゃんこと矢沢永吉とイチロウの対談の本だ。 大変印象的だった言葉をいくつかあげる。 矢沢は言う。 「音楽は生き物」 しょっちゅう動いてる、日々変化してるだから面白い。 変化なくパターン化したら、つまらないじゃないですか? もう変える必要がなくなってきた時は、ひょっとすると熱くない、 本当に終わっちゃう。 イチローも言う フォームにしても「これでいい」ということはない。 やはり常に変化させるし、最上のものを追求する。 さらに付け加えて言う。 近道はもちろんしたいです。簡単にできたら楽なんですけど、 でも、そんなことは一流になるためには、もちろん不可能なことですよね。 一番近道は、遠回りをすることだって言う考えを今は心に持ってやっている。 仕事も人間がやってる以上は「生き物」だ。 だから面白い、日々変化するからだ。 これはという正解がないからだ。 手っ取り早く手を抜いて行動すると必ずしっぺ返しが来る。 商道塾の中村先生はいつも教えてくださる。 簡単なことを凡事徹底することだと。 もちろんご自身は毎日3時半に起きて、 ハガキを何十枚も書かれ全国の知り合いと交流され、人持ち人生を実践されてる。 ハガキ道だ。毎日はがきを書き続けるんだ。 はがきを書くことは変わりませんが、中味はいつも新鮮だ。 この実践は矢沢や、イチロウと同じで常に変化を楽しんでおられるから続くんだ。 要するに、仕事もまずは好きになること、 慣れるまでは苦しいが自分のフォームできたら楽しくなる。 希望の未来を見て変化を楽しめたら一流ではないだろうか? 一流にはほど遠い!!凡事徹底、凡事徹底!!!!! みなさんはいかがですか?

2008年06月16日

「オムロンの創業者・立石一真さんの言葉」

立石一真語録 「できないのではなく、どうすればできるか工夫する」 オムロンの社風=企業文化に〔まず、やってみる〕はある。 「物事はできませんと言うな。どうすればできるかを工夫してみること」 できませんと安易に言ってしまえばそこですべてが止まってしまう。 いい加減にせず、どうすればできるか、考え抜いてこそ頭は鍛えられる。 また人間の成長がある。 オムロンの発展を支えた信条だ。 「できない」という人は責任感からか、自分を防衛する反射的言葉かどちらかだ。 智慧はとことん考え抜くから出るのも事実だ。 いま5Sを推進してる品質課のO課長に教えてもらったのは、 トヨタでは改善を5回繰り返し問い続けるそうだ。 前にも書いたが改善とは今やってる仕事の動作が0になることだ。 創業者は異口同音に同じようなことを発言してる。 松下幸之助さんは、 「成功するまでやり続ける」あきらめないことを協調されてる。 稲盛和夫さんは、 「誰にも負けない努力」とおっしゃってる。 ナポレオンの有名な言葉に「予の辞書には不可能はない」と公言し、皇帝になった。 さて、立石さんの幼いころはきかん気の強いやんちゃ坊主だったそうだ。 「よく遊び、またよく遊び」だったそうだ。 「幼い日々に思う存分遊んでこそ、人脈が広がり、ロマンが育ち、その心のひだが、 創造力を生み出す基になる。」と結ぶ。 フランスの学者が成功者の共通する事柄を三つ上げてる。 1)戦争体験があること(生きるか死ぬかをくぐってる) 2)どん底の貧困(経済的困窮してどうにもならない体験がある) 3)大病をして生死をさまよった。 この三つのうち二つあれば発奮して大事業をなしているというのだ。 みなさんはどんな体験され、どこまでだったらできないと言いませんか?

2008年06月15日

「良寛全詩集」463より

良寛さんと言えば子供と手鞠で遊ぶ姿を思い出す、 無邪気な表現をされる仏教者だ。 もうひとつの顔は、 弟子の貞心尼との師弟を超えた心のやり取りの歌を思い浮かべる。 さて、「たとえ、万巻の書を読んだとしても、 悟りにつながる一つの言葉を保つことにかなうものはない。 では、悟りに至る言葉とは何かと尋ねられたら、 ありのままに自分の心を知ることだと答えたい」 「知る」よりも「なれ」良寛さんは実践する。 良寛さんが世話になっていたのは解良家だった。 そこに行くと、早速、風呂に入れてもらい、 食事を楽しむ、家中の人が出てきて、笑い、和む。 道理のようなひち面倒くさいことも言わず、 接する人には静かな落ち着いた、優美な物腰、寛容な態度に触れ、 「快さ」を感じたそうだ。これが「成りきる」だ。 この行動は磨き上げた結果、自分を知り尽くして迷いぬいた結果、 自分を捨てきった結果なのか? 今の自分が苦しいと感じているなら出来てないのだろう。 良寛さんのこの言葉、皆さんはいかが考えられますか?

2008年06月14日

「吉野智応・日蓮曼荼羅」

突然、大学の後輩だった吉野君が訪ねてくれた。 彼は大変ユニークな男だ。 大学は空手部だったので後輩の指導や育成にも力を入れていた。 仕事は石材を扱っていたが、今から11年(平成9年)前に、 この「日蓮曼荼羅」を千体書く修行をやり、満行して得度したのだ。 友人の中でも実に大変身の人生の人物だ。 大学の同窓会の幹事をやっていて、総会では年に一度は会う。 今日やってきたのは、5月の13日に日経新聞に「日蓮曼荼羅」の軸が掲載された知らせだった。 2007年1月にも本を出版している。 タイトルは「大曼荼羅に魅せられて」サブタイトルが二つあって、 「体と心の運転免許書」というのと「拳骨和尚の辻説法」 これは、毎日、楽天のブログ掲載してるタイトルでもある。 顔は福与かで、温和な表情だった。 いつも何かためになる話しをしてくれるのが楽しみだ。 少し前に「主、師、親」の三徳の話を書いた。 これも20年前に彼から聞いた話だ。 今日は、師匠との対話の中での商売の話をしてくれた。 師匠が「お前は物を売りに行って、買いに行って商売してるのか?」 吉野「はい、そうしてます。」 師匠「バカやな、逆や、売りに行ったらやすくなり、買いに行ったら高くなる」 吉野「---------」 そのときは何を言ってるかわからなかったそうだ。 海のものとも山のものともわからない坊さんの世界で10年生きて解ったという。 吉野「役立つものを仕入れて、買いに来ていただくのやそうや」 役立つ商品ということであり、役立つ行動ということだ。 すると自然と人が寄り付いて買いに来てくれるという。 10年続けて解ったことは、この曼荼羅を商売する気持ちはない。 今回の日経掲載の経緯を話してくれた。 表具屋さんが倒産して、誰も相手にしないときに、 再建のきっかけにでもなればと支援するために書いたそうだ。 するとうまく軌道に乗り、是非この念力を全国の人にも知ってもらいたいということになった。 もちろん師匠のところに報告もされたそうだ。 師匠は即座に「商売するな、役に立つならよし」、 商いはお役立ちです、金儲けではありません。 お金は結果だ。 吉野君は商売に携わる人は特に第一に役立つことを自分で身につけ、学び、 仕入れが一番、後は良いものなら人は勝手に買いに来てくれる。 これが本物ですわ!!!!! さわやかにこう語って席をたった。 ほんとにすばらしい上人になったな!! みなさんも一度「拳骨和尚の辻説法」ブログ見てみませんか?

2008年06月13日

「利益の方程式・勝間和代」

まだこの本は読んでいません。 本屋のベストセラーには出ていましたが、 あまりにもノウハウ的で馬鹿らしいと思ったからです。 今日友人が来て、大変面白いと話してくれました。 そこでインタ-ネットで調べてみました。 慶応大を卒業し、早稲田の大学院を出られたらしい。 経歴には、19歳で最年少で公認会計士の二次試験を突破、 在学中から監査法人に勤務、以下書いていますのでご覧ください。 三人の娘がいて離婚されたシングルマザーだ。 大変合理的だが人間的にも魅力のある人だという、 テレビの情熱大陸に出演したのを見たそうだ。 ネットに書いていた語録を少し紹介する。 1)「みなさんは効率化というとすごくギスギスして、   余剰時間がなくなるんじゃないかと勘違いしているんですけど、   そうではなく、効率化こそ余剰時間が生まれる鍵なんです。」 2)「効率化、効率化としつこく言うかというと、    効率化というのはインプットで大きなアウトプットを出すんです。」 3)「効率が悪いというのは無駄に使ってるんです、    エネルギ-とは食料とか私たちの労力を」 こんな文章を書く人は合理的で利己主義と決め付けがちだ。 友人は違うという。 彼女は月にに50冊本を読むそうだ、 友人の話によると20万も投資して速読術を学びに行ったそうだ。 しかし読んだら二度と読まないので捨てるそうだ。 書庫がいるからだ。人間の脳は全部覚えなくとも、 蓄積され自然とミックスし、モルトとされるというのだ。 アメリカのウオール・ストリートジャーナルに世界の女性50人に選ばれたことがあるそうだ。 年齢は39歳だ。 トヨタの改善運動も同じで効率のため、 今の動作の無駄をなくする仕組みを考えるそうだ。 改善とは今やってる動作がなくなること、つまり0になることだ。 たとえば何気なく重いものはクレーンを使っているが、 クレーンなしでやるにはどうするかまで考えるんだ。 すれば置き場をどうする。 運ぶ時はどうすると一動作の順番や配置をどうするか、根本的に考える。 それで効率よく出来れば時間の余裕も出来ると言うことだ。 効率と聞くだけで情緒的には人間味がないという感覚になる人のほうが多いのではないか? 人間味を大事にするからこそ時間を効率よく使って、 ゆっくり楽しむ時間の余裕が出来るという主張だ。 皆さんはいかがお考えですか?

2008年06月12日

「「愛の挨拶」エドワード ・ エルガー」

「愛の挨拶」はバイオリン曲では誰でも知ってるイギリスの大作曲家エルガーのものだ。 関西フィルの斉藤清さんの演奏を聞く機会があった。 誠実で実直な「愛の挨拶」だった。 奏者によって曲の感じが違うのは奏者の人柄だろう。 エルガーは楽器屋の息子として生まれ、 32歳の時8歳年上のカロライン・アリス・ロバーツと結婚した。 1920年に彼女が亡くなるまで作曲活動はしたが、 その後は一切やらなくなった。 彼の作曲活動を支えたのは「愛」だ。 愛が人間を突き動かすのだろう。 ここで言う「愛」とは「完全なる自己没却」だ。 西洋的な愛には二つある。 エロスとアガペだ、 エロス=利己的、奪う愛 アガペ=利他的、与える愛 好きになるのはこちらの都合だ。だから人に与えるのでなく奪うのだ。 愛するになると与える愛になる。母親が子供に献身になる愛だ。 日本文学の傑作と評価されるのは、今から千年前に書かれた「源氏物語」だ。 西洋の最高の劇作家、シェークスピアの生まれる四百年前に、紫式部が書いた。 構想から十年かけて現代語訳をした、瀬戸内寂聴さんによれば、 源氏物語が教えるものは「生きること」であり、生きることは=愛することだという。 作家を志し、人を愛した男性遍歴を経た体験を持ち、 その後出家という、ドラスティックな人生を送られた彼女ならではの、言葉だ。 日本的に表現すれば、 愛=「相手を大切に」ということだし「相手に役立つ」ということになる。 好きと言うレベルでは相手に与えられない。 愛するには自分に、なにか与えるものがなければならない。 愛することは同時に、自分を磨くことにも通じるということだろう。 自分を振り返って、そこまで自己を没却して行動した作品はなにがあるか、思い返すと恥ずかしい。 好きはたくさんあるが、愛まで高まったものが何か一つでもあるかと自問自答するこのごろだ。 皆さんはいかがお考えですか?

2008年06月11日

インデアンの教え

「批判ばかり受けて育った子は、  非難ばかりします。  敵意に満ちた中で育った子は、  誰とでも戦います。  ひやかしを受けて育った子は、  はにかみ屋になります。  ねたみを受けて育った子は、  いつも悪いことをしているような気を持ちます。  心が寛大な人の中で育った子は、   がまん強くなります。  励ましを受けて育った子は、  自信を持ちます。  ほめられる中で育った子は、  いつも感謝することを知ります。  公明正大な中で育った子は、  正義感を持ちます。  思いやりのある中で育った子は、  信頼を持ちます。  人にほめられる中で育った子は、  自分を大事にします。  仲間の愛の中で育った子は、  世界の愛を見つけます。」 自分はどう育ったのかという出身地探しの物差しになり、 自分がどうなりたいかの物差しにもなる。 子供が親を選べないように、親も親を選べなかった。 反抗期には理想を物差しに、現実の親や社会を批判する。 批判が新しい自分の創造へ向かえば飛躍する。 原因を追究するのもいいが、 目的をしっかり持って自分で自分を作る喜びと自由が人間には与えられてる。 もちろんリスクはある。 インデアンの教えにないキ-ワ-ドは「楽しみを見つけます」という育て方だ。 たとえば、「ユーモアの会話の中で」、「ジョークがうまい中で」、「音楽の中で」とか、 または、これだけは親が伝授できなく、自分で工夫しろというのか? みなさんはご存知ですか?

2008年06月09日

「ばあーばあーの智慧袋」

宰相ビスマルクという表現がある。 宰=取り仕切るという意味だ。 聞いた話だが、別に料理長という意味があるという。 なぜ料理長が政治のリーダーかというと、素材を生かし、 調理のやり方の技があり、さらに絵画のような盛り付けも出来る芸術家だからだ。 だから政治の要諦とも通じるという意味で料理長なのだ。 戦後間もない60年前はすべてが親から子供へ口伝で料理は伝えられた。 今のようなレシピはよほどの家でないとなかった。 また各家独特な味があったもんだ。 83歳になる鈴木登紀子さんは『ばあーばあーの知恵袋』で知られる料理人だ。 実に温厚で、優しくゆっくり話されるが料理の手際がいい。 料理が上手になるコツはと聞くと 『美味しくするには三度目で良いのよ』というのが答えだ。 1)一度目は好き勝手やる。 2)二度目は火の加減、だしの加減を調整する。 3)三度目は思った味、素材が生きてるか?出汁がいきわたってるか?調整する。 ダメだったら五度でもやれば誰でもわかって上手になる。 この自分で体験することともうひとつ大事な調味料がある。 それは『美味しいもの食べさせてあげたいと思う愛情だ』そうだ。 そこで具体的な鳥の照り焼きの手順を書こう。 1)鶏肉の水を切り、小麦粉を布巾で包んで軽く振るようにたたいて細かいのをかける。 2)鶏肉のいため方はフライパンの外側の周りから置き、真ん中に置く、(真ん中は温度が高いから) 3)次に調味料の醤油や砂糖、酒を入れるときはいったん火を消してから入れる、全体に染み渡らすため。 4)プラスアルファ=美味しいもの食べさせてあげたいという愛情 この4番目がすべての根本だから手順ややり方をどんどん工夫できるんだ。自分で!!! ところが情報化社会の現代は全く逆で、 レシピを見ればいつでも出来ると錯覚してしまう。 いくら料理のノウハウがあっても実際は実現しません。 いきなり100点取れることがおかしいが、すぐにでも出来るような感覚になる。 知ってることとできることが違う。バーチャルとリアルが違うように!! この鈴木ばあーばあーのように、二つの条件がそろはないと美味しい料理はできない。 最初にも書いたように、 1〕三回体験して自分で感覚つかむこと、  レシピ見ながら考えてやってもできません。(あくまでも目安は解る)   自分の舌で、自分の塩加減でからだ中の五感を全部使って体得だ。 2)もうひとつは愛情だ。愛情は手間ひまかける。  ゆっくり時間かけて喜ぶ顔思い浮かべながら料理するのだ。 私たちはリアルな世界で創意工夫して作ってきたから身体が反応する、 しかし、情報(バーチャル)からリアルへ逆の学び方する現代人は体感がないのだ。 料理と同じで人間関係構築にも!!喧嘩したり仲良くなったりして親友になっていくので、 何年かの時間の経過でさらによくなっていく。 そうだと解ってるが何か情報の量と速さに無意識に現代人はせかされてないだろうか? 情報は料理を作るために使うものなので情報に振り回されて主体性を亡くすことはない。 立ち止まって、眼と耳と舌、鼻と手で料理して、誰のためにかを確認したほうがよさそうだ。 リアルがあってこそのバーチャルだ。 皆さんいかが考えられますか?

2008年06月06日

「大切な基準・F君の場合」

友人のF君がいつも色んな学びの情報を送ってくれます。 世界経済から人生訓や美術館の絵画の情報にカクテルの作り方まで!! 大変幅広く自分に投資だといって、自分磨きをやっている。 いつも鮮度の良い情報をくれるので楽しみだ。 それも実際の体験にもとづいているから、臨場感があって面白い。 つい話し込んでしまう友人の一人だ。 今回の彼のメ-セ-ジは『豊かさの価値観』というメッセ-ジだ。 誰でも仕事をして経済的基盤をしっかりしないと、美食もコンサ-トも、 語らいの一杯のお茶も、自然を楽しむ移動にも費用がかかります。 時間がいくらでもあるなら少なくて済むかもしれないが? だから、とりあえず、色んな出来事や付き合いを含めて判断の基準が、 仕事上の損得勘定になる。 このことに違和感があるというのが彼の主張だ。 というのも損得抜きの会合に参加したからだ。仕事の時間を削って!! 彼の判断の基準は以下のようでありたいという。 (100%だと言い切らないところが発展途上の人間らしい) 『大切な基準』 1)愛と信頼=他人から感謝されたり、喜んでもらうことだ。        お金では手に入らない喜びに価値観をもつことという。 2)健全な肉体と精神に感謝すること。=お金を詰まれても身体は作れません。   適度に習慣を作れば循環するようなメカニズムを持っているんです。   使い方が偏りすぎると病気として信号出すように出来てるという。 3)真の友やご縁をいただいた人々=長い付き合いと絆が出来ていて、   お金では手に入らないという。 実は彼が言いたいのは原因と結果からすると仕事(結果)という経済的なことする前に、 お金では買えないものがあるということだ。 それが原因である上記の三つを大切にすることで、 結果仕事が出来るということだ。 自然の分身を『自分』というそうだ。 仕事をするこの自分の健康や精神が当たり前と思ってることから考えなおさないといけない。 この肉体と精神に感謝、愛と信頼の方向性で、友を大事にして!!! 彼のものの見方、皆さんはいかが考えられますか?

2008年06月05日

「娘からのメ-ル」

『今週めっちゃばたばたして大変やったが、  プレゼンうまく説明出来、課長に喜んでもらった、  課の売上にも貢献できそう、でも油断大敵、  明日もがんばる。色んな仕事させてもらって楽しい、  感謝、感謝』 こんなメ-ルが娘からきた、社会人になって二年目やっとなれてきたんだろう。 上司に認められた嬉しさで打ってきたんだろう。ふと、笑顔が出た。 ほんの半年前は涙流して電話がかかった。 今少しづつ、社会を身体で感じ学んでるんだろう。 老若男女、価値観も違い、話し方も違い、感じ方も違う中で、本当の真意をつかんでいく。 言葉一つで傷もつき、言葉一つで励まされる。これは体験しないとつかめない、 頭でいくら考えても推理(自分の主観)に過ぎない。 体験を積み重ねることによって、察する力〔感じる力)を身につけることだ。 未熟だからといって臆病になっていられない。 人生は出会いから始まるからだ。 同門一行さんの詩を紹介しよう。 『重ねる出会いが人脈を作る』 重ねる出会いが人脈を作る 「今日良い人に出会ったなあ」 「昨日良い話を聞いたなあ」 この二つの出来事を重ね 良い人によい話すれば良い そうすれば他の良い人から 良い話が聞ける そんな所にチョットした人脈が出来る       1992年10月 「出会い」という詩集の中の一つだ。 自分を育ててくれる良い人物の出会いがあれば良い。 わたしも23歳のときに出会った師の出会いが、 今日の人生を歩くきっかけになった。 『主、師、親』の三徳という言葉を御坊さんをしてる後輩に聞いたことがある。 この内二つを信じた人はすくわれ、自分の果たすべき使命を全うするということだった。 1)親をとことん尊敬する、2)師匠にとことん謙虚に学ぶ、または3)自分を信じ疑わない。 これを三つともできる人はいない、自分でさえ揺らいでるし、親だってすべてといわれたら信じがたい。 まして師匠も人間だから完璧でないのでつい文句が言いたいのが人間ではないだろうか? 自分と出会ってるし、親とも出会ってる、また尊敬する人もいるが、 とことん信じてるかというと、みんな中途半端に信じてるというのが本音だ。 だから迷い、悩むのだろう。 『信じるものは救われる』とよく言われますが、 ちっぽけな自分捨てて、 『主、師、親』の三徳を信じきる決心がいる、喜びの人生を送るには!!! みなさんはいかがですか?