2008年06月12日
「「愛の挨拶」エドワード ・ エルガー」
「愛の挨拶」はバイオリン曲では誰でも知ってるイギリスの大作曲家エルガーのものだ。
関西フィルの斉藤清さんの演奏を聞く機会があった。
誠実で実直な「愛の挨拶」だった。
奏者によって曲の感じが違うのは奏者の人柄だろう。
エルガーは楽器屋の息子として生まれ、
32歳の時8歳年上のカロライン・アリス・ロバーツと結婚した。
1920年に彼女が亡くなるまで作曲活動はしたが、
その後は一切やらなくなった。
彼の作曲活動を支えたのは「愛」だ。
愛が人間を突き動かすのだろう。
ここで言う「愛」とは「完全なる自己没却」だ。
西洋的な愛には二つある。
エロスとアガペだ、
エロス=利己的、奪う愛
アガペ=利他的、与える愛
好きになるのはこちらの都合だ。だから人に与えるのでなく奪うのだ。
愛するになると与える愛になる。母親が子供に献身になる愛だ。
日本文学の傑作と評価されるのは、今から千年前に書かれた「源氏物語」だ。
西洋の最高の劇作家、シェークスピアの生まれる四百年前に、紫式部が書いた。
構想から十年かけて現代語訳をした、瀬戸内寂聴さんによれば、
源氏物語が教えるものは「生きること」であり、生きることは=愛することだという。
作家を志し、人を愛した男性遍歴を経た体験を持ち、
その後出家という、ドラスティックな人生を送られた彼女ならではの、言葉だ。
日本的に表現すれば、
愛=「相手を大切に」ということだし「相手に役立つ」ということになる。
好きと言うレベルでは相手に与えられない。
愛するには自分に、なにか与えるものがなければならない。
愛することは同時に、自分を磨くことにも通じるということだろう。
自分を振り返って、そこまで自己を没却して行動した作品はなにがあるか、思い返すと恥ずかしい。
好きはたくさんあるが、愛まで高まったものが何か一つでもあるかと自問自答するこのごろだ。
皆さんはいかがお考えですか?














.gif)





