2008年06月15日
「良寛全詩集」463より
良寛さんと言えば子供と手鞠で遊ぶ姿を思い出す、
無邪気な表現をされる仏教者だ。
もうひとつの顔は、
弟子の貞心尼との師弟を超えた心のやり取りの歌を思い浮かべる。
さて、「たとえ、万巻の書を読んだとしても、
悟りにつながる一つの言葉を保つことにかなうものはない。
では、悟りに至る言葉とは何かと尋ねられたら、
ありのままに自分の心を知ることだと答えたい」
「知る」よりも「なれ」良寛さんは実践する。
良寛さんが世話になっていたのは解良家だった。
そこに行くと、早速、風呂に入れてもらい、
食事を楽しむ、家中の人が出てきて、笑い、和む。
道理のようなひち面倒くさいことも言わず、
接する人には静かな落ち着いた、優美な物腰、寛容な態度に触れ、
「快さ」を感じたそうだ。これが「成りきる」だ。
この行動は磨き上げた結果、自分を知り尽くして迷いぬいた結果、
自分を捨てきった結果なのか?
今の自分が苦しいと感じているなら出来てないのだろう。
良寛さんのこの言葉、皆さんはいかが考えられますか?














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