社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2008年07月28日

「意と気の話し」

32年前の親友の結婚式の色紙に『意気色空を貫く』という言葉を書かれたのは、 我が師の小田切瑞穂先生だ。 そのときは全く意味が解りませんでした。 実は今もわかってないが、ミーティングでこれに似た話が出た。 意=考え(個々人の価値観であり、能力)利己行(理性) 気=自然の法則がインプットされている身体(多少は違うが根本【宇宙の法則】は同じだ)利他行(感性) 理想の人間は頭がよくて、陽気な人柄だと誰もがわかってる。 そんな部下育成にミーティングをどうするかが問題となる。 S課長はグループでミーティングするときに一番大事なのは『雰囲気、空気』を作ることだという。 参加者の部下の気を共有され、『目あわせ、時あわせ、気(心)あわせ』ができたら掛け算の集団ができる。 そんなミーティングの場では、 自然と個々、人の個性である『意』(考え)が出て色んなアイデアが出てくるんだという。 ところが、長く仕事をしたり生きてる人は『仕事や、生き方はこうあらねばならない』という、 信念ができるのである。悪く言えば固くなさが肥大化するのだ。 これは安物の誇りなんだというのは偽悪者と自称するS課長だ。 周りのためにどうあるべきかよりも、 どうしたらオレの気が済むかといったエゴが主役になることが多いという。 だからこそ、『雰囲気』を大事にして、『意』を道具に使うのだそうだ。 この安物の誇りは辱めを受けるなら死んだほうがましだと思う、 自分の満足を優先し、周りの人の悲しみや迷惑を考えないのだ。 まさに人を生かすとは「気を合わせ、個々人の意を深く広く引き出すこと」と断言する。 人生や仕事には正解はない。 あるとすれば具体的に目標が達成された事実が証明だ。 営業なら予算の目標数値の実現だ。 同じことを正岡子規は「病床六尺」という本の中で、 「悟りとはいつでも死ぬことだと思っていたが、 そうではなく、どんなことがあっても生きることだ。」 と語っている。天から与えられた身体(気)に感謝し、 自分の頭(意)を鍛え多様な価値観を作り続けることこそ人生であり仕事だ。 頂上のない山のぼりだからこそ、気さえしっかりすれば、いつでも復活できる可能性があるという。 今日のミーティングは意義深く、反省させられた。 皆さんはいかがお考えですか?

2008年07月28日

「ギャグは世につれ」

『歌は世につれ 世は歌につれ』といわれたのは、 1970年ごろだ。千里の丘陵で万国博覧会が開催され、 若者がみんな反戦歌を歌えばみんな歌いフォークソングが流行した。 服装もミニスカートが流行れば日本中ミニスカートだ。 1980年代はジャパンイズナンバーワンと経済では日本が一番ともてはやされた時代だ。 70年代から80年代は日本国内での多様化時代だった。 歌もフォークや演歌、ポップス、ロック、ジャズ、色んなジャンルが花咲いたといってもいい。 ところが、1985年のプラザ合意(円高容認)以降は日本バッシングだ。 歌も世界中の歌とのコラボレイションの時代になり、国際化する。 歌が世相を映すより、この時代は『笑いが世相を映す』時代になった。 あまりにも激しい成長要求に発散する笑いが必要となってくる。 そこで活躍したのは、三枝やサンマ、タモリ、所ジョージ、たけし、それに欽ちゃんだ。 笑いの世相はまたの機会に譲って、 今回はギャグについて書くことにする。 それも最近のギャグだ。 1)なんでだろう(テツアンドトモ) 2)SAGA佐賀(はなわ) 3)そんなの関係ねー(小島よしお) 4)右から左に受け流す(ムーディー勝山) ギャグが世相を表し共感を得ているのだ。 1)情報化社会でインターネットのバーチャルがほんとかどうか?「なんでだろ」 なんだ。 2)使ってみると面白い、地方分権はインターネットでと、高知では老人宅の緊急用に、 産地直送で消費者に買ってもらうツールとしてがんばるから、SAGA佐賀なんだ。 3)でもやっぱり予算の仕組みは中央が握ってる情報だけではダメとなって、 情報の洪水の中で思うようにいかず腹立たしく、『そんなの関係ねー』 4)携帯も発達し24時間情報の中で、「右から左に受け流すの」が今の心境だ。 いかがでしょうか? 先人はリアルな世界で自由や豊かを追い求め現実化させてきた、 しかし、バーチャルな世界で育った子供の不幸はリアルを知らないことだ。 今こそ、不自由、不便を実体験してバーチャルのよさを生かすべきときだ。 低開発国のストリートチルドレンといわれる子供に食べ物を与えると、 それを半分に割って仲間に分け与える姿がテレビで放映されていました。 モノが豊かであることを追及して経済発展を望んだのに、 豊かさは利己主義(エゴ)を生んでしまいました。 人間本来はストリートチルドレンのように、 優しく、人の痛みがわかる動物だと信じて疑いません。 私たちには不便と不自由の環境は作れます、 『もったいない』精神をもう一度身体で覚える時期が来たようだ。 みなさんどう考えられます?

2008年07月25日

「幸福は「足知の心」がキワ-ド」

平和のための世界宗教会議が去る7月3日にあった。 そこで、「もったいない」=浪費してはならない、 すべてのものが持つ真の価値に相応しい形で使用すること。 この精神は天然資源を適切に使用すると同時に責任ある、 持続可能な消費を促すものである。 という決議がなされ、サミットに提言された。 『地球の資源は我々人間の要求を満たすことができる。  しかしわれわれの欲望を満たすことが出来ない』     マハトマ・ガンジー ガンジーさんに『今後あなたはイギリスのような国にしますか?』と質問されると、 『もしそんな国にしたら、地球が3ついるよ』と即答されたそうだ。 家庭から立て直す事が大事だといわれ、『知足の心』の重要性を示された。 1、感謝の心 2、慈悲の心 3、畏敬の心 4、わびる心 5、許す心 これを熟成することだという。 自然をコントロールするんでなく、自然に抱かれていることに感謝することだ。 8月にはいれば北京オリンピックが始まる。 ギリシャで始まったスポーツの祭典が今日まで続いている。 武力や経済力で支配被支配するのでなく、 スポーツ・文化に力を入れて、共存共栄するための外交をやったのだ。 当時、ギリシャ語の先生も各地に派遣していたそうだ。 心だけで生活はできないことは承知してるが、 ガンジーさんがいうように幸せは自分が感じるものだ。 それは『知足の心』から生まれる。 『知足の心』は人類発展の古くて新しいキーワードだ。 CO2を出さないで、循環型の生産と資源の再利用の経済体制が実現することを願う。 オドリー・ヘップバーンは、ユニセフの親善大使で晩年活躍された。 『私には二つの手があります、一つは自分のために、一つは他人のために使いたい』 皆さんはいかがお考えですか?

2008年07月23日

「『 無我』 の話・山田無門」

山田無門さんというのは臨斉禅の禅師だ。 私の学生時代は花園大学の学長もなさっていた。 そのころ手にした本に『鳥暁の五こうになく』 (五こう=朝の五時ごろという意味だったが字を忘れた) 禅師の話の基本はいつも無我になれ、無我になれという話だ。 解りやすく説明されたのをご紹介しよう。 二階建ての家の一階に住むおばあさんと、 新婚間もない二階に住む若夫婦の話だ。 おばあさんはあてつけがましく、 二階にいる新婚に聞こえるように、 雨戸を『ガーガー』(我、我)と毎日開け、 台所の水道を『ジャージャー』と聞こえるように音をさせていた。 「いつまで寝ているんだ、早く起きて朝ごはんの支度をしろ」とでも言いたい態度だ。 一生懸命相手を変えようとする意図された行動だ。 でも、新婚の若い二人はいっこうに二階から降りてきて、 朝ごはんの用意をする様子もありません。 このおばあさんは山田無門さんの『無我になれ』の話を聞いていましたので、 ある朝、全く逆の行動をし始めた。 全く音を出さず雨戸を開ける、全く音が出ないような水で炊事する。 何日たったでしょうか? 何か異変でも起きたかと思ったのか、若夫婦が降りてきてこういうではありませんか? 『朝ごはんの用意はどうします』 さて、我々は知らず知らずのうちに「我」の態度が出てるんですね? 逆に全く無視するのも同じ『我』だ。 マザ-テレサは『愛の反対は憎しみでなく、無関心だ』とも言ってる では『我』をはなれるのはどうすれば良いのかということになる。 禅では他者救済(利他行)だと教える。 仕事にしろ、仲間や家族、地域に一生懸命役に立つ行動するしかない。 自分変えますか?他人変えますか? 皆さんはいかがお考えですか?

2008年07月21日

「芳村思風語録」

『問題は、あなたを苦しめるためでなく、  あなたを成長させるためにあるのです。』 感性経営を指導される唯一の人だ。 現象的なことでなく、胆力というか心の据えかたにせまってくる文章だ。 このテーマを以下のように解説されてる。 「どんな道を選んでも、問題のない道はありません。問題が大きければ大きいほど、  乗り越えたとき、大きな力となります。問題がないことが問題なのです。  予想もできない、とんでもない大きい問題が出てきたときは、  『天はオレを大人物にしようってか?』と考える。  問題は、天から与えられるモノ。問題から逃げないこと。  問題が出てくることを嫌ってはいけません。問題が出てこないことを願ってはいけません。  悩みや問題がないことが、幸せではありません。問題を乗り越えることが人生です。  問題がないのは、成長がないということ。  これでもか、これでもかとやって、万策尽きたと思ったとき、  それでももう一回問題にぶつかっていった時、あなたの潜在能力が目を覚ますのです。  その問題を乗り越えるキッカケや力がついてくるのです。  同じような格言に『苦を追えば苦が逃げる、楽を追えば楽が逃げる』というのがある。  私たちはあまり苦労しないで成果を得たく、短絡的に「楽」を追っかけたいのが本音です。  だから、腰が入らないで追い詰められてからしか事実を直視し行動もしない。  『急がば回れ』先人の格言だ。『平凡なことを非凡に』とも言う。  知ってはいるが行動できない自分がいる、反省だ。  実行する忍耐力が成功の鍵だ!!!!  皆さんはいかが考えられますか?

2008年07月20日

「ブログは新しい出会いの場」

ブログは日記と同じで2004年から急に増えだし、 2006年には1千万件に達し、2008年1月には1690万件になったそうだ。 単行本にすると2700万冊になるという。 インターネットは良くも悪くも、常識の壁を破ってくれる。 壁には3つある。 1)あらゆるものをフラットにする。 2)決定権が個人(発信者と同時に受信者)にある。 3)バーチャルが先行し、具体的に自分と他人が気持ちで通じない世界になる。   (体験がベースでなく、自分と他人の距離感がわからない) 先日も書いたんですが、フランス国旗の意味だ。 自由、平等,博愛の色だそうだ。 このトライアングルの実現が人類の方向だ。 日本で言う近江商人の『三方良し』もビジネスにおける理想だ。 『売り手よし、買い手よし、世間良し』のトライアングルを実践の中で解決するんだ。 矛盾してることだとわかっている。だからこそ智慧を絞り、方法を根本から考え直す。 こんな努力の積み重ねが資源のない日本の技術革新を支え世界に冠たる経済発展を遂げたのだ。 しかし、バーチャルなインターネット取引はあまりにも早く、 経済性と時間短縮を優先し、 物を作るつくり手の努力に対する評価がない世界になりつつある。 知らず知らずのうちに、 他人の辛抱強い努力の結果の商品だという意識がなくなってきて、 交換のみが目的化してる様相だ。 だから、手に入れた商品を大切にしない、使い捨て社会の延長の自由の享受だ。 空虚が残るだけだ。 商品の使用価値(使いで)が重視され、 作り手の苦心がわかるもののない時代をノスタルジックに思い返すのは私だけだろうか? でも、良い面はいろんな人がいるという事、色んな苦心を発信してることも事実だ。 特にブログは図書館や専門学校に行かなくても、すべてを体験しなくても、 手軽に鮮度の高い情報が手に入り、自分を高めることが出来る。 ブログはまさに、個人の活き活きした呼吸が感じられる日記だ。 私は自分の考えを整理する気持ちで始め、社内の社員向けに書き出した。 担当者がブログで発信されたらということで発信することになった。 ところが、業界も違うし、面識もない人から声をかけられるようになった。 ブログを見て会いにこられた方もいる。 27000万冊の本になるぐらいあり、同じ数の出会いを求める人がいることに驚いた。 もしブログがなかったら一生であってないだろう。 こんな形の出会いがあることも現代だ。 情報を生かすのは個人だ。こんなに個人が前面に出てきた時代もない。 今、日本中自己表現を押し出す西洋的文化と、 奥ゆかしい謙虚で自己を押し出さない日本文化がせめぎあっている。 自動車と同じで、器用に使い分けるハイブリッドな日本人像がいるのではないだろうか? ペリーが来航して、四隻の船が浦賀に着いた。 川柳に『たった四杯で夜も眠れん』お茶を四杯飲んだに引っ掛けた大騒動だったが、 明治時代は『和魂洋才』『士魂商才』とハイブリッドで切り抜けた歴史もある。 皆さんはいかがお考えですか?

2008年07月18日

「ストーンマイレージ推進企業に!!」

洞爺湖サミットでは環境問題が中心課題だ。 CO2の排出量を抑えることが課題であるが、 一方で経済的にはCO2の排出量の国際売買がビジネス化しているが、 誰もがおかしいと感じてるのではないだろうか? 基本はCO2を出さないで発展する経済体制を作ることが急がれる。 弊社もISO14001の環境を取得し、社内で具体的に、 1)ゴミの分別や、 2)車のエコドライブの推進によるCO2の削減、 3)電力使用、コピ-の削減などなど、 4)朝礼の日の会社の大掃除と周りの道路の清掃を全社員でやる。 こんなことを実行している。 ISO委員会でエコ墓石の議論が起こり色んなアイデアが出た。 墓石用材の横綱といわれる最高級の庵治石は原石の3%から5%しか製品にならないくらい石取りが難しい、 そこで、採石した原石を100%使うことがエコ墓石にならないだろうかということで、 一般に嫌われる、石のナデとかポチ〔専門用語)を、 模様として生かした墓石を作ろうということになった。 でも、お客さんは従来の価値基準と違うので買ってくれません。 少しエコ墓石に行きづまった時、 品質課のO課長が『ストーンマイレージ』運動やりましょうと提案くれた。 食物は昔から半径3キロメートル内で「地産地消」が理想とされる。 そこで、自給率37%が叫ばれ、輸入に頼る日本の食を見直す一つの指標として、 『フードマイレージ』というCO2の量を測る事が食品業界で行われているそうだ。 これと同じように世界各国から原石が輸入されてる現状の石材業界に、 『ストーンマイレージ』を表示する環境に優しいをこだわる石屋を標榜しようという提案が出た。 すでに、CO2計算方式も確立した。 今後、食の地産地消のように国内産の石材を使うことが地球に優しい石材店ではないだろうか? 業界全体の運動としてこの『ストーンマイレージ』普及することを願いたい。 皆さんはどうお考えですか?

2008年07月17日

「「そんなの関係ねー」小島よしお」

ギャグは社会を映す鏡だというのは、美輪彰宏だ。 このギャグには二つのメッセ-ジがある。 1)言いづらいことに共感する正義があり、   それを面白くおかしく表現して、関係を断絶させない。 2)情報化社会のなかで、情報に翻弄され、   他人を責めて自分を守る言葉だともいう。 特にインターネットの存在が大きい。 バーチャルな世界だとわかってるが、経済効率や利便性という観点で、 大変な勢いで普及して、リアルな世界が見えなくなる勢いだ。 そんな情報の大洪水の中で誕生したギャグだ。 泥臭く、汗臭い現実のリアルな社会が基礎なんだと叫ぶ、 大衆の気持ちを代表してるギャグとも取れる。 ブ-ムはいつも偏るからできるんだ。 今こそ、リアルとバ-チャルが共存共栄するすばらしいバランス感覚が求められてるんではないだろうか? ガソリンの値上げで、日本の漁業組合が一日休業したのは、 食料自給率、「そんなの関係ね-」という市場原理主義へのリアルな叫びではないか? 1)安ければ良い 2)競争原理は人類を発展させると信じてきたことへの警告でもある。 食料も単純に輸入に頼ればいいというモノでなく、 循環型の再生産ができるような独自の生産方式を考えるチャンスだ。 食料自給率を基本とする日本の食生活を原点に返って見る時期ではないか? 皆さんいかがお考えですか?

2008年07月14日

「プラス思考・マイナス思考からの飛躍」

プラス思考がよくて、マイナス思考が悪いとなると、 誰でもマイナスを考えなくなるし、マイナスが起こったら見てみぬ振りをする。 これでは問題が解決されることも、発展や進化することもない。 こんなことに着眼した人がいる。 越智田吉生さんというフリーライターだ。 スポーツではイメ-ジトレーニングといって、 プラス思考で未来に良いイメ-ジを抱くことでよい結果が出せるのも事実だ。 だから全面否定してるのではない。 さて、彼は、プラス、マイナス思考から発想するより、 事実を三段論法で思考することの方がより自由だし、飛躍すると主張する。 1)照らす思考(事実を明らかにする) 2)散らす思考・減らす思考(悩みやストレスを散らす) 3)乗らす思考(自分を元気にして乗せる) 実は自分が自分を乗せるのがうまい人になることだ。 そんな人といると周りが楽しくなり、 楽しさがシンクロ〔共時)する感化力があると最高だ。 どんな人も嫌なことや、嫌な人、失敗に挫折を経験するが、 自分流に解決するプロセスの面白さを楽しむからプラス思考になるんだ。 解決が先か、プラス思考が先か?鶏と卵論議と同じだが、どちらでもいい!!!! 善だ、悪だ、プラスだ、マイナスだという二眼レフから、 事実を直視して楽しむ一眼レフの見方を提唱してるのだ。 『花は紅、柳は緑』とよくたとえられるように、事実は一つだ。 プラス、マイナスは自分が作ってるんではないだろうか? どんなことが起こっても、『ハイ、喜んで』と楽しくしたいものだ。 皆さんはいかがお考えですか?

2008年07月11日

「変わるものと変わらないもの」

変わるもの=自分、未来、環境 変わらないもの=他人、過去、自然 ところが、洞爺湖サミットでは人間がCO2を出し、地球が温暖化し、 変わらない自然が変化し、地球は地震やサイクロンが突然発生するようになってるというのだ。 2050年までにCO2を50%削減をしようという合意らしきものになった。 しかし、今後発展したいと考える国にとっては先進国の押し付けで、 技術もないから発展にブレ-キがかかると考えるのもごく自然だ。 インドや中国は!!!アメリカが率先してやるならすばらしいが、どうもそうではない。 さて、人間の叡智はこれから発揮されると期待したい、車はハイブリット、資源はリサイクル、 日本は資源がないといってるが、捨てればゴミ、再利用すれば資源、 これだけの文明の機器を生み出してる日本は見方を変えれば資源大国だ。 こんな大きな話は別の機会にするとして、 芭蕉は俳句を詠む基本に『不易流行』を考えろと言っている。 不易=変わらないもの、流行=変わるもの たとえば、『夏草やつわものどもの夢のあと』という句がある。 私は俳句をやらないので、正確な字ではないかもしれない。(お許しを) 多分、人間は誰でも時代を超えて夢を持って生きる。 しかし、今は草ぼうぼうとなっているが、その時代の夢合戦(国盗り合戦)が繰り広げられていたんだな!! 変えれるものと変えれないものは、表裏一体に表現されてる。 時代によって繰り広げられる映像は違う。 もし、変えられるもの、変えられないものが分断されたら絶望が生まれるだけだ。 あるいは仙人のように傍観するだけとなる。味気ない人生だ。 この二つが見事に調和し、進歩するところに希望が生まれ、自分があり、人類の歴史が生まれるのだ。 それを夢と言ってもいい、志と言っても、理想と言ってもいいだろう。 『ラ・カンパネラ』はイタリア最高のバイオリニスト、ニッコロ・パガニーニ(1782~1840)のバイオリン曲をリストがピアノ曲にしたもので、意味は『小さな鐘』だ。 リストが『俺はピアノのパガニーニになる』と叫んだぐらい技術的には超難易度が高い。 10年程前、この曲で世界の一流に認められたのはフジ子・へミングだ。 ピアニストで技術の上手な人はいる、また感情表現のうまい人もいる。 しかし、「音楽は技術に心がこもり、音に色が見えるように弾けることだ」という。 我々は時間の中で行動して生きているし、生かされている。 変わるものと、変わらないものをミックスし、 人類と地球の発展と調和にバランス感覚を持ち行動することが重要だ。 戦争でなく互いに理解し合い!!!! サミットはそんな意味がこもってるのではないだろうか? 皆さんはいかがお考えでしょうか?

2008年07月08日

「『経営心』松原泰道」

明治40年生まれの妙心寺派の禅僧だ。 35年ぐらい前に第二次中東戦争が起こり、 オイルショックという不況が日本を襲った。 一時はトイレとぺーパーがなくなり、大騒ぎになった。 そんな状況の中で昭和53年に第一刷が世に出た。 『のどもと過ぎればなんとやら――』と皮肉めいた言葉をちりばめて!!! いまだ国民は一億総中流の時代で消費が美徳と考えていた時の不況だった。 松原さんは経営者こそ目覚めよと警告を発する。 欲望というなの鬼を引き込ます呪文を人間は忘れた。 現代人はその鬼に食い殺されると言っても過言でないと言い切る。 彼流の答えがあるという。それは三つだ。 1)知足(足ることを知る) 2)節約 3)福祉 この三つの方向に舵を切り替えることだという。 よく解るが、現実的にできるかどうかが個人としては問題だ。 そこで、『扇子商法』で名の知られた船場の和田哲夫さんの『節約の定義』を紹介されてる。 『世間では、節約というと一枚の紙、一本の鉛筆無駄にせんようにとか、 電話代使わんようにというようだが、そんなもんやない。 物を生かして使うことこれをホンマの節約というもんやねん。 世間で「節約、節約」と騒ぐ時は、モノが売れん、儲からんで、 ただでさえ士気は落ちとるわな!鉛筆節約、紙始末言うてみいな!ますます暗い気分になるよ。 そんな時、世間はそやけどうちは違うで、パットやり、それだけ店の中いっぺんに明るくなる』 この人の理屈は『泥縄式で節約ではあかん。常から始末しておけや』 江戸時代の商人の条件は三つある。 『始末、算用、才覚』だ。 その基本が始末〔物を生かすことだ) この日本の商人の常識はどこに行ったのか? 我々の年代なら、『もったいない』は母からよく聞いた言葉でもある。 松原さんの言う三つを実現する根本がこの『節約』がキーワードだ。 足るを知るも節約の心から解る自覚だ、 福祉もただモノ的に助けるのでけなく、 人間としての命〔価値的存在)、心を大事にすることだという。 ものがなければ生きれないし、また心がそわなければ価値がない。 この永遠のテーマをもらって、 希望を持ち続けるから生かされてるのではないだろうか? みなさんはどう考えられますか?

2008年07月07日

「『石に言葉を教える』柳田邦男」

彼は1936年栃木県生まれで、NHK記者からノンフィクション作家だ。 『いつも教えられ覚えさせられるという受身の授業しか知らない子供たちが、 教える立場にまわると、突然生き生きとしてくるはずだ』という。 『石に言葉を教える』そういう時間を与える学校あるいは教師よ、いでよと語る。 ある男が『石に言葉を教えてた』誰も不思議と思わない、2年3年と教えてたら、 自分の気持ちと同じように石も喜んだり悲しんだりするようになったという。 自分が笑うと石も笑う、悲しむと悲しむ!!!(想像の話だ) でも、実際にアイヌのおばあさんが囲炉裏の角で頭をぶつけたら、 「いい、いい、治る治る」 とぶつけた柱をなでる。ごく当たり前に!!! これも石と同じで、柱が痛みの感情がわかるのだ。 昔、母がかまどでご飯を炊いてた時、 へっついさんに「ありがとう」といってるのを聞いたことがある。 「おかしいな!!独り言好き何やな!!」と思っていたが、 これもまた同じように、かまどに感情があるんだ。 私たちの文化は自然と一体となり、感情も理解し合えるのだ。 仏教では『山川草木 悉有仏性』という。 人間は自然を離れて存在できない。自然に生かされてるのだ。 『雪が解けたらなんになる』という質問の答えは『水』 そう答える人が多くなったのが現代の教育だ。 科学が発達し、教育が受身で想像力の無いものになってることと関連する。 石に言葉を教えるそんな授業を受けて育った子供だったら、 きっと『春になる』と答えるだろう。 漱石の『底の石動いて見ゆる清水哉』を世界のユング研究者の講演で、 ロ-ゼン教授が河合隼雄さんの臨床心理に望む真髄として引用した。 我々の文化は相手の痛みがわかるはずの文化ではなかったか? ややもすると、経済が悪者になり、心が悪くなったと自分に責任のない二元論になる。 二宮尊徳流に言うと「道徳なき経済は罪悪、経済なき道徳はたわ言」と自分が真ん中を探し、 自分の感性と理性で判断することが寛容だ。 皆さんはいかがお考えでしょうか?

2008年07月06日

「仏教コミュニティーサロン・タンガクラブ・三浦のりさん」

坊主バーというのが大阪・東京にあるそうだ。仏教コミュ二ティーサロン・タンガクラブは大阪坊主バーが前身だそうだ。場所は中央区南船場4丁目10番18号・ナム・プライムハウス本館401号にある。このお世話をしてるのが三浦さんだ。彼とは仕事を通じて知り合った。 大変誠実で仏教的価値観を大切にしてる人柄だ。白隠禅師の『坐禅和讃』を語ってくれたりする。若者達に仏教的な学びの場を堅苦しくなく提供することが狙いだそうだ。 酒でも飲みながら、一休を語り、良寛を語る。また関西人気質と関東人気質についても熱く語る。聖徳太子は当時の先端の仏教や道教・儒教を取り入れ、十七条の憲法を定め、その第一に『和をもって尊しとする』を柱に、今日まで歴史的に引き継いだ文化の香りがするのが日本だ。 空気の中にいる我々は空気を意識しません。それと同じように日常の生活の中にある仏教的雰囲気は気づきません。しかし、改めてモノが豊かになり心が貧しくなったといわれる現代にこそ、空気の大事さを語り、家族の絆や集団の絆が土台となり、生かされてることに感謝する仏教的空気が必要なようだ。 我々が五人でそんな話をあてに酒を酌み交わしていたら、群馬県から真言智山派の女性の僧侶がこられた。羽鳥理恵さんという方だ。その方のご主人も僧侶で、内観法の道場を作ってるということだった。ビックリするやら感激するやらだった。サロンでの出会いが全国の仲間に広がり、新しい成長と発展の場となることを細く長くやって欲しいと期待する。我々がお世話してる墓石は単なる物でなく、歴史や文化という目に見えないものを大切にする心を養ってくれる。「物心一如」という言葉があるが、心を表現するには形が必要で、形には心があるんだとつくづく感じさせられた。偶然の出会いだったが、全国とのつながりと共に仏教的風土を感じた。三浦さんはほんとにいい出会いの場を提供されてると感服した。 みなさんも一度訪ねてみませんか?とり合えず、目安のカンパは500円出せばいいだけだ。決してまやかしのインチキではありません。三浦さんは僧侶になりたいと公言してはばからない人柄だ。

※ブログ管理人からの追記:三浦さんのブログをぜひご覧下さい。大阪石材のこと、伯井社長のこと、お邪魔した日の様子などをアップしてくださっています。なかなか面白いブログですよ!

2008年07月04日

「『倚りかからず』・茨木のり子さん」

1926年大阪生まれの詩人だ。 『倚りかからず』の詩の一節 もはや いかなる権威にも倚りかかりたくない ながく生きて 心底学んだのはそれくらい 自分の耳目 自分の二本の足のみで立っていて なに不都合のことやある 倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけだ。 凛としたすばらしい生き方を感じる詩だ。 自分の位地を外から見ると四つある。 1)自分の肉体の健康上の位地 これは身体という自然の信号をチャッチできてるかどうかだ。 時々行き過ぎて病気になるのも人間だ。 2)地球上の位地だ。 これはGPSという人工衛星から的確に自分の位地がわかる時代だ。 3)社会での位地だ 資本主義社会での位地、業界での位地、会社での位地だ。友達同士の位地、近所付き合いの位地 これも生活のために自然と解ってくる。 4)自分の価値観の成長度合いの位地だ。 これは自分では解りにくい、そんな時茨木のり子さんの詩の意味が深い。 「よりかかるとすれば椅子の背もたれだけ」 共存共栄とは全く反対の独立自尊を感じる。 本当に結果として共存共栄を実現するには、 茨木のり子さんのような独立自尊で肩の力が抜けてなければならない。 フランス国旗の三色は『自由』『平等』『博愛』だそうだ。 自由を中心の社会、平等を中心の社会が考えられ実際に運営された、 どちらにも欠点がある。克服のためあらゆる努力が払われてるのも事実だ。 最後に残るの『博愛』だ、 21世紀は博愛主義社会になるのだろう。 京セラの稲盛さんは『敬天愛人』という西郷隆盛さんの言葉をよく使われる。 人間同士がほんとに愛し合い、信じあうことが社会の土台だ。 その具体的実践を指し示す言葉を『利他行』に徹することだといわれる。 『自由』『平等』『博愛』の三つのトライアングルがバランスよくできることが一番望ましい、 だからフランスは国旗で表現したのだ。 人類の叡智を信じ、一社会人として『利他行』を深め、『愛』を中心とした社会を築きたいと願う。 現実はまだまだ未熟で反省の日々ですが! 皆さんはいかがお考えでしょうか?

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