2008年07月07日
「『石に言葉を教える』柳田邦男」
彼は1936年栃木県生まれで、NHK記者からノンフィクション作家だ。
『いつも教えられ覚えさせられるという受身の授業しか知らない子供たちが、
教える立場にまわると、突然生き生きとしてくるはずだ』という。
『石に言葉を教える』そういう時間を与える学校あるいは教師よ、いでよと語る。
ある男が『石に言葉を教えてた』誰も不思議と思わない、2年3年と教えてたら、
自分の気持ちと同じように石も喜んだり悲しんだりするようになったという。
自分が笑うと石も笑う、悲しむと悲しむ!!!(想像の話だ)
でも、実際にアイヌのおばあさんが囲炉裏の角で頭をぶつけたら、
「いい、いい、治る治る」
とぶつけた柱をなでる。ごく当たり前に!!!
これも石と同じで、柱が痛みの感情がわかるのだ。
昔、母がかまどでご飯を炊いてた時、
へっついさんに「ありがとう」といってるのを聞いたことがある。
「おかしいな!!独り言好き何やな!!」と思っていたが、
これもまた同じように、かまどに感情があるんだ。
私たちの文化は自然と一体となり、感情も理解し合えるのだ。
仏教では『山川草木 悉有仏性』という。
人間は自然を離れて存在できない。自然に生かされてるのだ。
『雪が解けたらなんになる』という質問の答えは『水』
そう答える人が多くなったのが現代の教育だ。
科学が発達し、教育が受身で想像力の無いものになってることと関連する。
石に言葉を教えるそんな授業を受けて育った子供だったら、
きっと『春になる』と答えるだろう。
漱石の『底の石動いて見ゆる清水哉』を世界のユング研究者の講演で、
ロ-ゼン教授が河合隼雄さんの臨床心理に望む真髄として引用した。
我々の文化は相手の痛みがわかるはずの文化ではなかったか?
ややもすると、経済が悪者になり、心が悪くなったと自分に責任のない二元論になる。
二宮尊徳流に言うと「道徳なき経済は罪悪、経済なき道徳はたわ言」と自分が真ん中を探し、
自分の感性と理性で判断することが寛容だ。
皆さんはいかがお考えでしょうか?














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