2008年07月23日
「『 無我』 の話・山田無門」
山田無門さんというのは臨斉禅の禅師だ。
私の学生時代は花園大学の学長もなさっていた。
そのころ手にした本に『鳥暁の五こうになく』
(五こう=朝の五時ごろという意味だったが字を忘れた)
禅師の話の基本はいつも無我になれ、無我になれという話だ。
解りやすく説明されたのをご紹介しよう。
二階建ての家の一階に住むおばあさんと、
新婚間もない二階に住む若夫婦の話だ。
おばあさんはあてつけがましく、
二階にいる新婚に聞こえるように、
雨戸を『ガーガー』(我、我)と毎日開け、
台所の水道を『ジャージャー』と聞こえるように音をさせていた。
「いつまで寝ているんだ、早く起きて朝ごはんの支度をしろ」とでも言いたい態度だ。
一生懸命相手を変えようとする意図された行動だ。
でも、新婚の若い二人はいっこうに二階から降りてきて、
朝ごはんの用意をする様子もありません。
このおばあさんは山田無門さんの『無我になれ』の話を聞いていましたので、
ある朝、全く逆の行動をし始めた。
全く音を出さず雨戸を開ける、全く音が出ないような水で炊事する。
何日たったでしょうか?
何か異変でも起きたかと思ったのか、若夫婦が降りてきてこういうではありませんか?
『朝ごはんの用意はどうします』
さて、我々は知らず知らずのうちに「我」の態度が出てるんですね?
逆に全く無視するのも同じ『我』だ。
マザ-テレサは『愛の反対は憎しみでなく、無関心だ』とも言ってる
では『我』をはなれるのはどうすれば良いのかということになる。
禅では他者救済(利他行)だと教える。
仕事にしろ、仲間や家族、地域に一生懸命役に立つ行動するしかない。
自分変えますか?他人変えますか?
皆さんはいかがお考えですか?














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