2008年07月28日
「意と気の話し」
32年前の親友の結婚式の色紙に『意気色空を貫く』という言葉を書かれたのは、
我が師の小田切瑞穂先生だ。
そのときは全く意味が解りませんでした。
実は今もわかってないが、ミーティングでこれに似た話が出た。
意=考え(個々人の価値観であり、能力)利己行(理性)
気=自然の法則がインプットされている身体(多少は違うが根本【宇宙の法則】は同じだ)利他行(感性)
理想の人間は頭がよくて、陽気な人柄だと誰もがわかってる。
そんな部下育成にミーティングをどうするかが問題となる。
S課長はグループでミーティングするときに一番大事なのは『雰囲気、空気』を作ることだという。
参加者の部下の気を共有され、『目あわせ、時あわせ、気(心)あわせ』ができたら掛け算の集団ができる。
そんなミーティングの場では、
自然と個々、人の個性である『意』(考え)が出て色んなアイデアが出てくるんだという。
ところが、長く仕事をしたり生きてる人は『仕事や、生き方はこうあらねばならない』という、
信念ができるのである。悪く言えば固くなさが肥大化するのだ。
これは安物の誇りなんだというのは偽悪者と自称するS課長だ。
周りのためにどうあるべきかよりも、
どうしたらオレの気が済むかといったエゴが主役になることが多いという。
だからこそ、『雰囲気』を大事にして、『意』を道具に使うのだそうだ。
この安物の誇りは辱めを受けるなら死んだほうがましだと思う、
自分の満足を優先し、周りの人の悲しみや迷惑を考えないのだ。
まさに人を生かすとは「気を合わせ、個々人の意を深く広く引き出すこと」と断言する。
人生や仕事には正解はない。
あるとすれば具体的に目標が達成された事実が証明だ。
営業なら予算の目標数値の実現だ。
同じことを正岡子規は「病床六尺」という本の中で、
「悟りとはいつでも死ぬことだと思っていたが、
そうではなく、どんなことがあっても生きることだ。」
と語っている。天から与えられた身体(気)に感謝し、
自分の頭(意)を鍛え多様な価値観を作り続けることこそ人生であり仕事だ。
頂上のない山のぼりだからこそ、気さえしっかりすれば、いつでも復活できる可能性があるという。
今日のミーティングは意義深く、反省させられた。
皆さんはいかがお考えですか?














.gif)





