社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2008年08月30日

「とことんやれば智慧が出る。」

京セラの稲盛和夫さんの盛和塾で学び10数年になる。 たくさん学んだ中でも二つのことが印象的だ。 一つは『会社は全従業員の物心両面に幸せを追求しよう』ということを言われる。 会社の発展はいいが「俺たち従業員はどうなる」と三日三晩ひざづめ談判されたそうだ。 実はこのときは田舎で貧乏をしてる両親、 そして妹の面倒を見なければならない状態だったのに他人の面倒を先見ることになった。 『それでいい、ええのや』と言い聞かせ、 『一切愚痴はこぼさない』と覚悟したそうだ。 もうひとつは、稲盛さんの話に出てくるのは経営十二か条だ。 1)事業の目的意義を明確にする。 2)具体的な目標を立てる。 3)強烈な願望を抱く。 4)誰にも負けない努力をする。 ---------(中略)--------- 最後の十二か条は、 常に明るく前向きに常に希望を抱いて素直な心で経営する。 この十二か条がどんなときできたかとたずねられると、 非常に謙虚に、実は必死にひたむきに一生懸命やってると真の智慧にいたるのだという。 『宇宙には智慧の蔵があって、その蔵にポッと触れる』と表現され、 それは、一般に「ひらめき」や「神の啓示」といったものだといわれる。 我々凡人は、どこまでを努力をし、いつまでやるのかが知りたくなる。 答えは簡単だ『ひらめきが出るまで』だ。 まだまだ努力と真剣さ、愚痴を言わない態度ができてないと気づかされたのは母だった。 認知症でケア-ハウスで世話になってる母を3,4日に一度果物やお菓子の差し入れをする。 最初のころは、 ほんとにボケてるのか? 嘘ついて甘えているんではないか? わたしも忙しいのに困ったもんだと母が病気だと言うことが受け入れられなく、 自分の中では正直面倒くさいと思っていた。 ところが、稲盛さんの講話の中での覚悟に触れたとき、 『愚痴は言うまい』を思い出した。 いや自分の心を『感謝に切り変えた』と言うほうが解りやすい。 母に『病気もなく、少し物忘れだけ』良かったな、 『もし病気やったら本人も看病も大変や』、 続いて『子供孝行やな』と言うと恵比寿さんのようにすばらしい笑顔になる。 親として『愚痴を言わず、お客さんや社員のために働くことに感謝しろ』 と諭してくれてるようだ。これも神の啓示なのか? 稲盛さんのようになれるかの保証はないが、挑戦する価値はある。 「ひらめき」がでるまでとことん行動し、愚痴は言わない。 皆さんもとことんやって智慧を授かったことおありですか?

2008年08月29日

「脳から出るホルモンが生き方を変える。」

結論=『こころで考えることは抽象的な観念でなく、     きちんと物質化されて、身体に作用する』 要するに心も身体も一体であり、     心の側から健康が創れると言うことだ。 プラス発想=快感ホルモン(ベーターエンドルフィン)       前向き、肯定的、協調的、明るい、善意、優しさ、       感謝、努力、思いやり、建設的 マイナス発想=不快ホルモン(アドレナリン、ノルアドレナリン)        不安、心配、欲求不満、憎悪、嫉妬、羨望、        劣等感、恐怖感、不信感、怒り 心を常にプラス発想に自分でコントロールすることで健康が得られる、 と言い切るのは『脳内革命』を1995年に書かれた春山茂雄先生だ。 最近はさらに進み、脳科学者の茂木さんや解剖学出身の養老孟司さんは、脳のメカニズムを解かれつつある。 13年前というと、Windows95が販売され、インターネットの幕開けの年であり、 日本の経済はバブル崩壊で、金融の再編が行われているときだった、 拓銀や山一證券問題が、浮かびくる時期だ。 情報が溢れる現代を予見したかのような本だと思うのは、私だけだろうか? さて、春山先生の説によると、マズローの法則に従い、 人間は、高い次元の欲求が実現すればするほど至福を感じ、 快感ホルモンのべーターエンドルフィンがでるという。 最近の出来事では、オリンピックの金メダリストは、ベーターエンドルフィンが出っ放しだろう。 人間は、意味あることに意義を見つける動物だからこそ、他人から認められること、 表象や、名声、評判、さらに世のため人のためのなるほど、 快感ホルモンがでて、健康になるんだと断言する。 マズローの法則、低い次元から高い次元について書いておく。 1)生理的欲求 2)安全の欲求 3)帰属の欲求 4)承認の欲求 5)自己実現の欲求 6)自己超越の欲求(マザーテレサやガンジー) さて、人間は意味を考えるので、盲目的にはプラス発想になれません。 それには 1)自分を守ろうとする本能の壁と協調したり、 2)自分の考え(価値観)を押しとおそうという、利己心と話し合った上でのプラス発想だ。 また人間は安定志向が強いので、努力と聞いただけで無意識に緊張する、 これを『努力逆転の法則』といって、 リラックスしての努力をできるように、自分を訓練しなければならない。 努力することが目標達成の挑戦ではなく、 単に義務感になると、アドレナリンと言う不快ホルモンがでて、不健康になる。 また、マズローの法則の 3)の帰属欲求で自分の殻に閉じこもり、保守的に自己成長も止め、 他人との協調性やコミュニケーションもできず、不健康な状態になるのが情報化時代の現代病だ。 あくまでも自分を決め付けないで、4)の承認の欲求、5)自己実現の欲求6)自己超越へ、 努力の方向を前向き、明るく、建設的に、志を高くすることだ。 昔から、『心こそ心惑はす心なり、心に心許すまじき』という格言もある。 心の主人は自分だが、外的刺激、他人の価値を受け入れないこと、 または内側の体の不調や自分の考えのこだわりで、 自分の心、自分でつかめないのも人間の性だ。 皆さんは心コントロ-ルでき、健康ですか?

2008年08月28日

「瀬戸内寂聴さんの幸福論」

『目に見えないものを大切に』=創造力×愛情(思いやる心) 物が豊かになり、これが当たり前になる。 でも心はひもじい状態が現代だ。 自由がないときは現実は不自由だった。 皮肉なもので自由を得、物を得たら心は孤独でいっぱいになる。 だから若者は 1)『自分は何のために生まれてきたか?』           2)『自分はなにになれば良いか?』           3)『生きてきた意味が解らない』 と、悶々とする。 人間は苦しみにも耐えるが、意味が解らないと耐えれない。 この意味が問題だ。 瀬戸内さんは『人間は他人に尽くすために生きてきた』と言い切る。 人間はひとりで生きれない存在だからだ。 次のメッセ-ジは世の中の現実だ。 『世の中は理不尽で不平等なもの』だ。 先日も秋葉原で、青年が無差別に人を殺傷した事件があった。 被害者の方々にとって、理不尽としかいいようがない出来事だ。 亡くなられた方の人生をどう意味づけるのか、考えれば想像がつく。 意味が考えれないのが実情だ。腹立たしく犯人への怒りだけだろう。 しかし、他責にして意味が解り、自分の気持ちが落ち着くわけではない。 さて、どう生きるかの方向に二つの提案をされた。 1)創造力を持つこと=相手の気持ちを思いやる心を持つこと 2)愛情を持つこと=相手の欲するものを先んじて与えること この二つを信じることで、温かな幸せを見つけることができる。 信じるとは自分でも他人でもない、人生を生きる意味から考えることだ。 人生を生き抜くための「目に見えない大切なもの」=『創造力×愛情』が幸福をもたらすと語る。 皆さんはいかがお考えですか?

2008年08月26日

「脳の健康」

産業革命以後、機械化に因る工業化が進められ、物質的に豊かな社会になった。 さらに、現代は情報化の社会となり、疲労の内容が変わってきた。 機械の発達は肉体疲労が軽減された。機械以前は足や腰の肉体疲労が主だ。 ところが現代は肉体疲労より脳(こころ)疲労が主体的になってきてるが、 目に見えないので対処の方法がわからないのが実状のようだ。 弊社でも、うつ病で退社したり、パニック障害の人もいた。 単にカウンセラーを置くという問題では解決しない。 この解決を解りやすく、原因と方法を教えてくれるのは、横倉クリニックの横倉恒雄先生だ。 原因=脳疲労は理性感性をつかさどる『大脳新皮質』と、    本能をつかさどる『大脳旧皮質』のバランスが壊れることで起る。    要するに肉体は疲労してないが、情報処理が多く理性脳に負担がかかり肥大化し、    逆に本能脳が小さくなって萎縮することが原因。(症状は夜が眠れなくなる) 結果=うつ病はじめ適応障害という精神的病気と、肉体的には自律神経の緊張から、    肩こり、胃腸病という内臓の疾患、血液からくる高血圧や心臓病も起るという。 対処=横倉先生は『五感療法』で、理性脳と本能脳のバランスを取ることだという。    その一番は快食療法(味覚)だ。    あくまでも本能に従い、時間がきたからという理性で食事をするのではなく、    おなかがすいたから食べる。    それにも四つの条件がある。    1)食べたいもの好きなものを、満足するまで食べる。    2)最後まで楽しく食べる。    3)食後に甘いもの食べる。    4)食べ過ぎという罪悪感持たない。 これだけだ。五感ですから他に四つある。    1)快香療法(嗅覚):アロマセラピー(香、インセンス)    2)快触療法(触覚):タッチセラピー(頭皮ケア-)    3)快景療法(視覚):アートセラピー(気持ちいい景色見る)    4)快饗療法(聴覚):サウンドセラピー(自然の音や好きな音楽を聴く) 本能的な身体の要望を感じ取ることで、理性で身体を支配し過ぎないことだ。 また他に手っ取り早く合法的なのは、アルコ-ルで緊張をほぐすことだが、 飲みすぎると、肝臓や胃という内臓負担になり、病気を誘発することになる。 適度とは口では言うが、実際には時々脱線するのが人間の、人間たる由縁だ。 現代の情報量は、江戸時代の一年分が、一日で処理される速さだそうだ。 だから仕事の内容が肉体的作業でなく、 もっぱら情報の判断、決断、収集、アプロ-チという理性脳が主だ。 この情報の環境で生活していると、脳も無意識に疲労するのに気づかないのが現代人だ。 この疲労回復に、カラオケ行ったり、温泉旅行やグルメツアーなど落語を聴きに行ったり、 また日常の生活の中でもテレビを見なく、音楽を聴いたりする工夫もある。 直接的には、スポ-ツクラブなどで運動に時間とり、バランスをとる人も多くなってきている。 皆さんの脳の健康はいかがですか? また、どんな対処方法で楽しく過ごされてますか?

2008年08月25日

「法事」

24日の日曜日、兄の7回忌の法事が行われた。 平成14年の8月30日に咽頭ガンで亡くなった。 兄は手術を拒否し、ガンの発見から1年で亡くなり、 戦中育ちで長男、我慢強く男気のある性格の人だった。 近所の西願寺の住職が浄土三部経を読経下さり、 いつもはそれで天気の話ぐらいで終わるんだが、 70余才になられ、人間について感じることがあると、 四苦八苦の特に『怨憎会苦』と『愛離別苦』について話され始めた。 檀家総代さんの健康談義に1)朝の散歩から、2)栄養補助食品、3)風呂の入り方 などなど聞かせてもらったが、『死ぬのは誰も時期はわかりません』と水を差すように答えたら、 怒って帰ってしまったそうだ。言いたかったのは人間の執着だ。 そこで、人間はどんな人も二つの執着を持つ、 一つは『死にたくない』 もうひとつは『幸福になりたい』だ。 だから迷い苦しみの道になると話された。 ではどう考えれば良いのかなと思っていたら、 「みなさんはね!!」と始まり、「生き方を探す」からだとおっしゃった。 そうではなく「死に方を決める」ことだと言われる。 笑顔で死ぬ、感謝して死ぬ、みんなの役に立ちつづけ死ぬ。 ここを決めるから、今の生き方が決まる。 死に方がないと他人と比較ばかりして、あれがいい、これがいいと迷う世界に突入だ。 幸福もそうだ、今すぐでも手に入るといわれる。 それは日常の変凡なことを楽しむことだ。ご飯をみんなで食べる。 風呂に入る、家を掃除するといった、ごく普通のことに感謝する。 たとえば病気になってベットで寝てると考えて見なさい。 息することも、歩けることも、口が動いて食べること、こんな平凡なことに感謝する。 すると今すぐ幸福になれる。 欲を言ったらキリがない。 まだまだあったが、覚えているのはこのぐらいだ。 お寺さんのお説教が聴けて、新たな気持ちになれた一日だった。 みなさんはこんな話、どこで聞かれますか?

2008年08月22日

「健康の定義」

健康とは病気でないことと単純に考えていたが、実は定義があることを知った。 「世界保健機構」が決めた健康の定義は、 「健康とは、病気でないということではない。  何事に対しても、前向きの姿勢で取り組める  精神と肉体を持っていることである。」 そのためには、強靭な精神と肉体を作ることだ。 肉体はあらゆる筋肉をバランスよく使うように、仕事や日常生活に組み込むことだ。 強靭な精神を作るには三つだけ守ることだ。 1)好き嫌いを言わないこと。 2)ピンチをチャンスにすること。 3)世の中や誰かの役に立ってると認められる行動をすること。 たったこれだけの事をやるだけで、勇気が出てきて知恵も出る。 認められてるからモット認められたいと向上心を持つんだ。 しかし、現実は理想どおり行かない状況もある。 何より大切なのは自分の仕事も人生も『明るく、楽しむ』喜ぶ姿勢が健康を作り出すそうだ。 言い換えると、すべてに『感謝すること』だ。 みなさんは健康ですか?

2008年08月21日

「ダメもと」が成長の原点

五日市 剛さんのカレンダーに、 『すぐやる  必ずやる  できるまでやる  無理無駄と思っても  絶対にあきらめない  ダメもとでやる。!!』 コメントに「ダメもとでアクションします。       8割以上は成功します」 今朝の新聞に、この精神は戦後の団塊の世代の価値観らしいと書いてあったが、 不自由を感じて打破する時は、もともと状況が不自由だから、 ダメもとで行動するしかないのだと思う。 (逆に言うと不自由を感じてないからダメもとにならないか? 先に自分に合わせて自由を確保する保守性かだ?) ダメもとの行動キーワードは 1)『不自由』だ。 あと2つ、キーワードはあると考える。 2)『成長願望』だ 「失敗」と書いて「成長」と読む。 これは野村監督の言葉だが『失敗』を恐れなく挑戦することだ。 3)『器は他人が決める』だ。 伸び悩む選手は『自分はこれで精一杯』と考え限界を決める。 2)3)はコインの裏表のような感じだが、 自分の努力の目標や可能性を、自分で決め付けないことが寛容だ。 ダメもとが成長の原点と理解するには自分が気付かなければならないキーワードがある。 これも野村監督の『野村再生工場』から引用する、指導者の心得だ。 1)なるべく教えない 2)目標を自ら考えさせる 3)欲から入って欲からはなれる 4)満足→妥協→限定は再生の最大の敵 5)絶対に結果論で叱らない 言葉だけでも意味が伝わってくるだろう。詳しくは本を読んでもらいたい。 情報化社会といわれる今日、 情報が大事なのはわかるが現実は『ダメもとの』行動が成果を出すのである。 野村監督の言われるように、考えなしのダメもとではダメに決まってる。 考えつくした上でもダメもと精神が重要だ。 人生や仕事は積み重ねだ。「何を言ってるかより、何をやったかが大事」だ。 常に挑戦し改革する行動のプロセスに、問題も回答も浮かび上がってくるんではないだろうか? サントリ-の佐治敬三さんの言葉だったと思うが、なんでも相談に行くと『やってみなはれ』 理屈より行動だと諭される。 最近はこれが逆になって、理屈が整わなければ動けない人が多くなったような気がするのは、私だけだろうか? 皆さんはいかがお考えですか?

2008年08月19日

「心のチェックリスト・上杉謙信」

戦国の武将として勇猛であるのは当然だが、 心をチェックする基準を仔細に持っていたことにあらためて繊細さに驚きだ。 孫子の兵法に『彼を知り、己を知らば、百戦あやうからず』とあるように、 人物を見抜く眼が無ければ戦国の世は生きれなかったともいえる。 振り返って、平和ボケといわれる今の日本でこんなに仔細に、 人の心を推し測ってコミニュケ-ションを交わされてないのが実情ではないか? ところが、戦国時代は生と死が隣り合わせだからこそ、ごく微細に神経を尖らせるのだといえる。 さて、ここで取り上げた戦国武将の名は上杉謙信だ。 16の時の心の状態を解き明かしてくれている。 『心に物なき時は、心広く体泰(ゆたか)なり。  心に我慢なき時は、愛敬失わず。  心に欲なき時は、義理を行う。  心に私なき時は、疑うことなし。  心に驕りなき時は、人を敬う。  心に誤りなき時は、人を畏(おそ)れず。  心に邪見なき時は、人を育つる。  心に貪りなき時は、人に諂う(へつらう)ことなし。  心に怒りなき時は、言葉柔らかなり。  心に堪忍ある時は、事を調う。(ととのう)  心に曇りなき時は、心静かなり。  心に勇ある時は、悔やむことなし。  心に賎しからざる時は、願い好まず。  心に孝行ある時は、忠節厚し。  心に自慢なき時は、人の善を知り、  心に迷いなき時は、人を咎めず。(とがめず)』 人と人が創った世の中だからこそ、 人を理解する繊細な感受性と大胆に勇気を持って行動する決断力が不可欠だ。 だが、これは一朝一夕にできるものではない。 具体的な日常の体験の積み重ねで磨かれるものだ。 ある人は『失敗』と書いて『経験』と読むといわれてる。 社会の荒波にもまれて、ごつごつした石が球(魂)になるために、 時間と空間それに仕事が与えられてるのだろう。 さて、自分の心をチェックすると、未だにごつごつしてる自分の心が見える。 まだまだ、長生きするということだと良い様に考えておこう。 皆さんはどんな心のチェックリスト持っておられますか?

2008年08月18日

「人材育成に思うこと」

『人は石垣人は城』といったのは武田信玄だったと記憶する。 仕事もまた人材が宝であることは間違いない。 金子みすずの詩「わたしと小鳥とすずと」 『わたしが両手をひろげても、  お空はちっとも飛べないが、  とべる小鳥はわたしのように、  地面を早く走れない。  わたしがからだをゆすっても、  きれいな音がでないけど。  あの鳴るすずはわたしのように、  たくさん歌は知らないよ  すずと、小鳥と、それからわたし、  みんなちがって、みんないい』 最近の教科書にこの詩が掲載されてる。 個性教育という意味なのか? 人間としての共通基盤を共有しないで、 一人づつが違うことが正しいと思えるような風潮を感じる。 仏教に「依法不依人」意味=法に依りて人に依らず、ということだ。 法とは仏法の教えだ。 ではキリストは、イスラムはダメという狭い宗教観で引用したのではない。 宗教の根本は『愛、慈悲』といろんな表現はあるが戦うのでなく、 平和を好む教理という意味で同じと解釈している。 そこで、仕事を発展させるには、人材育成こそが要であることは先にも述べた。 その良し悪しが集団として協力体制を築き、人は石垣になり城になることを可能にする。 すずと、小鳥と、わたしは違うことは事実だが、 人間は自然の一部の能力を持つ共通基盤と風土(環境)があって、 その上で花咲く花の違いがあるならすばらしいと考える。 先日上司が部下の違いを認めすぎ、 相手に合わせて対応をするような指導をして、 部下に機嫌取ることが指導だと考え違いをしていたので、 法=理念(ビジネス界)に照らして叱ったりほめたりしない上司に苦言を呈した。 ビジネスの世界は具体的で現実的だから、 『法』を伝えるのは、間違いを犯しやすい人間がするので難しい。 上司と部下の間も信頼関係が無ければ、うまく伝わらないのも事実だ。 私流だが『法』を理念(理想)のものさしと考えている。 だから個性を認める前に、この共通基盤と風土(環境)が上司と部下の共通土俵なんだ。 ここを『目あわせ、時あわせ、心あわせ』しないとコミニュケ-ションができない。 たとえば、日本人なら日本語で話し、 ドイツ人ならドイツ語で話すという言語の共通基盤があるのと同じだ。 『依法不依人』という言葉の真意も人間は間違いを犯しやすいことを、 上司も部下も肝に銘ずれば、その関係が豊かに発展進化するということだ。 人間のちっぽけなプライドや自分の価値観を強固に主張しすぎると、 学んできた『法』=理念(理想)が活きてこないのだ。 仏法でいう『法』という共通のものさしだが、 仕事や集団では理念(理想)を共有することが人材育成の基本だと考える。 みなさんは人材育成いかがお考えですか?

2008年08月16日

『無信不立』孔子

私の好きな言葉の一つで、政治の要諦を表す言葉だ。 『信無くば立たず』と読む。 現実の世の中は悪人もいるし、また善人だが欲望に負け悪事をする人もいる。 裏切られたり、だまされたことは数限りないが、他人のせいにすることで解決し、 未来が開けるならそうする。それは絶望を抱くだけだ。 未来を開きたければ、自分の未熟さからだと反省する以外に無い。 この決心がつき、信じるからこそ『信じる力』は眼を輝かせる。 自分を信じ、仲間を信じ、人類を信じることだ。 ここには希望がある。 サミエルウルマンは『希望とともに若く』と青春という詩の一節でかたる。 すべては『信』から始まり『信』に終わる。 ところが人間は一度理性という門をくぐらなければ本当の『信』にならない。 善悪、損得、好き嫌い、という分別、脳の知性が利己心を作る。 不信、疑い、不安を原因に磨かれるのが分別する利己心〔自己〕だ。 この準備ができたら、次は利他心を作れるのだ。 己の価値観を超えて世のため人のために行動することこそが『信』だ。 決して盲目的に信じることを良しとしない態度がいる。 松下幸之助さんは『信じて信ぜず』と表現する。 私流だが人は信じるが依頼心をもたない(すべては自己責任)という意味だと思うと同時に、 本当に厳しい態度の生き方だからこそ、世界の松下があるのだ。 また、論語学而編に『人の己を知らざるを患(うれ)えず、人の知らざるを患う』 意味=人から自分の思ってる評価を得られないのは、    自分が他人の実力がわかっていないからだ。    そうした自分を責めるべきだ。 これを謙虚といい、『信無くば立たず』という利他的態度だ。 『信じる力』は眼を輝かせ、希望をもたらせ陽気を運んでくる。 いや、幸運も!!!!! 皆さんは信じますか信じませんか?

2008年08月15日

「仕事の動機について」

『遠くをはかる者は富み  近くをはかる者は貧す  それ遠きをはかる者は  百年のために杉苗を植う。  まして春まきて  秋実る物においてをや。  故に富有るなり。  近くはかる者は  春植えて秋実る物をも  尚遠しとして植えず  唯眼前の利に迷うて  まかずして取り  植えずして刈り取るのみ  眼につく  故に貧窮す。』      二宮尊徳 要するに目先の利益を追うなということだ。 さらに、「遠くをかはる者」の言外の言葉に、人の三倍は行動すること(働くこと)だ。 また、志(幸福創造)を共有し、一生懸命職務を学び続ける人材を育成することだとも取れる。 会社の存在意義は『みんなの幸せのため』で、 近江商人が言った『売り手よし、買い手よし、世間よし』の三方が良くなることだ。 石材をつうじて、幸福になる商品、サービス、技術・システムの革新が私たちの使命だ。 幸福になるための原理原則があるなら、他人を利することが先の利他行に違いない。 言い換えれば、自分の仕事に真剣に向き合い、好きになることが利他行の原動力だ。 もし、人間に天職があると思えば迷うだろう、 私は恩師より手伝ってやれと命を受け、ただひたすら天職と思い込んで好きになろうと石材を学んだ。 儲かるからやろうと決断したのではなく、全国への石材振興という夢が動機だった。 日本の石材業が過渡期の現代、地場の石や地場の技術が見直される好機が到来してる。 弊社ではアメリカの会社との技術提携や、ドイツやイタリヤのデザインを取り入れ、 今も全世界の石材振興の夢は燃え続けてる。 皆さんは仕事の動機いかがお考えになりますか?

2008年08月13日

「五日市 剛さんの言葉」

親友の茶珍さんの御宅に横溝さんの絵を見せてもらいに行って、 奥さんから紹介されたのが出会ったキッカケだ。(その後本もカレンダ-も贈ってくださった) さて、彼のお父さんは墓石屋さんだということで『縁』と『必然』を感じた。 この五日市さんは27歳のときに、他人とは衝突し喧嘩ばかり、運から見放され愚痴ばかり、 そんなときイスラエルに旅する計画し出かけ、あるおばあさんに出会うのだ。 偶然でなく必然のように!!! その後自分の人生を幸運な人生に変えたかったので、 このおばあさんの教えを実行することになる。(非常に素直) それには三つある。 1)嫌なことが起ったら  『ありがとう』 2)いいことが起ったら  『感謝します』 3)どんなことが起っても前向きに  『ツイてる』『ラッキ-』 ただ、この三つを実行するだけなんだ。 口で十回言う=叶となる。もしマイナスを言うと毒を「吐く」となる。 同じようなことをいってる方に小林正観、スリムドカンの斉藤一人さん(納税日本一)がいる。 でも五日市さんのほうが単純明解だ。 この三つを実行するだけで良いのだ。 1)ありがとう=人間は好き嫌いや損得、善悪で価値観ができてるのをすべて無くせといってる。  そうしないと嫌いなことや、嫌な人にありがとうは言えないからだ。 2)感謝します=いいことに感謝はできる。  これは仏教で言う、自分で生きてるという傲慢な態度でなく、縁によって生かされてると考えて  ないとできない。 3)ツイてる=足の骨を折っても、上司に怒鳴られても、相手から災難が降りかかっても、  変化する現実を受け入れ、良くても悪くても関係なくその事実から考える態度だ。  (人間万事塞翁が馬のことわざのように一喜一憂しない態度だ)  たとえば『車の事故で車が破損した』その瞬間『ツイてる!命があって』といえますか? これをいつでもどこでも実行できるなら人間としては一流で、仏様か神様に近い人間だ。 『人間は一言一言、話したことと必ず出会う』(エドガー ケーシーの言葉) だから、不平、不満、不足、不安を口にすると出会うのだ。 逆に、未来を断定的に言うとそのようにもなるらしい。 (良い言葉を発すれば良いことに出会うということ) 五日市さんのたとえによると、(死んだお父さんに会いたいと思ったそうだ。 そこで『父に会えた』=十回で叶「未来を断定的にいう」。 いい続けてると2ヵ月後そっくりな人と会ったという。) 船井幸雄さんが、一万年から一万五千年前のムー大陸の滅亡は、 人類の利己心(エゴ)と科学と宗教の妄信により自ら不幸を招いたと言う。 現実の世界もまたよく似た状況だ。 だから理屈抜きに行動として五日市さんの三つの言葉を素直に実行したい。 やってみなければ成果は解らない。出会ったのだから、今からでも遅くない。 格言に『口は禍の元』といわれるように、仏教でも「身口意」=業といって、 身=行動でも愚痴っぽい行動するな、人を攻撃するな! 口=愚痴、不平、不満、不足を口にするな! 意=意識しても現実化する、意志とする場合利己的だと自分の首を絞める、   だから利他心の志を持てと教える。 こんな理屈っぽい説明は必要ありませんが、是非実行して見ませんか。 費用は一切かかりませんし、他人に迷惑もかかりません。 『ありがとう』『感謝します』『ツイてる』は幸運になる魔法の言葉だそうだ。 皆さんはいかがお考えですか?

2008年08月11日

「人間の遺伝子は利己主義だ。」

人類が尊敬して止まない人はたくさんいるだろう。 国によっても違うし、尊敬する本人の選択によっても違う。 しかし、数千年の歴史に洗われた人物は人類共通の尊敬する人になる。 さて、その人物の代表といえば儒教、道教、仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の教祖様だ。 このすべては、先憂後楽、すなわち自分のことを後回しにして、世のため人のためにやれと教える。 すると現実はうまく行くというのだ。ところが遺伝子が利己主義だから、 利他主義になるには、ものの見方を180度ひっくり返すので相当の努力がいる。 一般に宗教が支配的だった時代は不自由に思うが、 みんなの精神的共通基盤ができてるので、実はすみやすかったはずだと推理できる。 ところが戦後は宗教の自由が叫ばれ、日本の精神的共通基盤がなくなった。 もしあるとすれば、お金という基準だ。(手段のはずのお金が目的になる資本主義) これは共通の精神基盤ではない。 だから「一人一宗教で自分が教祖だ」というのは、 『悩む力』を書いた東大教授のカン サンジュ先生だ。 戦後、自由を何よりも求めてきたが、 いざ自由になったら方向が自分で作れないのが現状だ。 まして、共通の精神風土や共通の理想の生き方がなく、 自分が教祖様だからコミュニケーションができないというのだ。 最近の秋葉原の衝動的殺人事件も共通の精神基盤を作れなかった苦しみからだ。 これが笑えるだろうか? 歴史に洗われた先人の博愛や慈悲や利他行を実践する人が、尊敬される社会が必用だ。 もちろん人間の遺伝子は利己主義だから、 絵に書いたような完璧な人は実存するはずがないことは前提だ。 経済もアメリカと肩を並べるまでになったが、日本のあるべき姿が見えてこない。 言い換えると理想の国の姿やライフスタイルだ。 全面的に否定するつもりはないが、いまだに大量生産、大量消費が正しいという幻想がある。 もっと心豊かな生き方はないのか?向こう三軒両隣り仲良く助け合う社会が求められる。 ドイツのフェアートレイド制度やイタリヤのスローフード運動は参考にならないだろうか? ことわざに『馬鹿も休み休み言え』というのがある、 きっとこの社会にはまじめの基準があった。 現代は『まじめも休み休み言え』と茶化されてしまいそうだ。 みなさんはいかがお考えでしょうか?

2008年08月10日

「伊 行末(宋の石工)の技術と心を未来へ」

日本の石工技能は1181年の東大寺復興の石工 伊 行末にある。 1)なぜ日本に来たか? 2)石は国産化? この二つの疑問を解き明かす会議が奈良で行われた。 発表者は日本石材産業協会、墓石部会顧問の服部 仁先生だ。 『東大寺石獅子をめぐる研究会』という学術的な会合での発表だ。 正解は今調査中だが、ほぼ考えられる仮説の証明の話だった。 1)なぜ日本に来たか? 北宋が1127年に滅亡し、石工たちは南宋へ南下し,今の寧波(にんぽう)近くに移住し、 南宋の御陵前の石造物を作ったという。そこへ東大寺復興の立役者重源が石工を頼んだ。 『東大寺造立供養記』に、――――宋人六郎等四人造之。と記されてる。 この四人の中に伊 行末がいた。 2)石は国産か? これも同じ『東大寺造立供養記』に国産では扱いにくいのでたくさんお金出したという記録がある。 推測からすると、多分現在中国寧波市の市街地から30キロの『梅園石』という凝灰岩だという。 こんな発表だった。 この技能が鎌倉期は明王信仰に因る魔涯仏へ、戦国時代は築城技術、 さらに室町期は庭園技術へと伝承され現代に受け継がれてる。 このすばらしい技術の伝承と石に魂が宿るという日本人の心を未来へ引き継ぎたいものだ。 みなさん技術と文化未来へどう引き継がれてますか?

2008年08月08日

「理念=行動(マザ-テレサは愛=行動)が実現」

マザーの言葉で代表的なのは、 『愛の反対は憎しみではなく、無関心だ』 テ-マは愛だ。 さらに続けて、 『愛はどうやって始まるのでしょう?愛は微笑むことだけで始まります。』 『ほんとうの愛は、分かち合うことを学んだ時初めて表れます。 自分だけのものが少なくなればなるほど、多くを与えられるようになるのです。』 マザーの愛は言葉でなく、行為だ。 『求めない愛』で『与える愛』だ。 私たちが仕事をするのもまた、『与える愛』を行動することだ。 とことん社会に役立つ商品とサービスを時代に応じて提供する技能と誠実な行動だ。 自分の仕事で他人と社会を『楽しませ、喜ばせること』が目的だ。 大阪石材では理念として『幸福創造』を掲げ、『三方よし』を実現する行動で、 たくさんの人から『ありがとう』を言ってもらえることを励みにする。 理念は判断の基準、行動の目的、存在の意義だ。 理念=行動にならないと実現しない。 正直、行動はまだまだ未熟で出来ていないことは反省だ。 しかし、この理念に具体的目標を作り、誰にも負けない努力をし行動に転化することで、 少しづつ実現していく、このプロセスを味わう時間を歴史という。 仕事を通じて、マザーのような、『与える愛の』行動者でありたい。 口先だけの理想論に終わらせるか?有言実行を行動で証明するか? 再確認し決心してる次第だ。 みなさんはいかがお考えになりますか?

2008年08月07日

「娘との会話」

21歳の娘と話していたら、「私はマザ-テレサのようになりたい」と理想を語ったかと思うと、 突然「私は天動説でいいと思う、自己中心だといわれても!」 ビックリしてその真意を聞いた。 「自分がなにが出来て、何か他人に与えるものがあるのかもわからない、 だから貪欲に自分の好きなことしたい。」というのだ。 自分の殻を破りたいのだろう? 「自己責任の範囲なら何をしてもいい」と答えた。 太陽が止まっているのか?地球が止まっているのか? 宇宙の法則はどちらかはどんな人に聞いても答えは太陽と答える。 この事実が発見されたのは1543年5月23日で、人物はコペルニクスだ。 ところがキリスト教の支配が強かった当時の世の中で、 教会を敵にまわすのは勇気と覚悟がいった。 そこで、『天体位置の簡易計算法』とし発表し難を逃れた。 彼の死後100年をへてガリレオが宗教裁判にかけられ否定されたのが歴史だ。 人間の一生もまた同じだ。 何にも知らない純粋無垢に生まれ、あらゆる知識がついていき自分というものを形成する。 損得や好き嫌い、善悪、美醜、正誤といった分別の価値観だ。 それは人間のエゴ(利己心)を作り出し誰とも違うことが個性であると思い込む。 まさにプトレマイオスの天動説で自己中心に考え周りが間違ってると思う価値観だ。 しかし、歴史的にはこの自己が確立しないと地動説に転換しないのも事実だ。 地動説はまさに「自分で生きてる天動説」とは全く逆の「自分は生かされてる」という発想だ。 しかし、社会の常識という壁を突き抜けないとガリレオのようになる。 ここが最大のポイントだ。 天動説は自分が楽しまなければ喜ばなければ面白くないという発想で、 周りの人を楽しませ、喜ばせなくては面白くないという発想にならないのだ。 逆に地動説は周りが先だからエゴでなくアガペ(与える愛)利他行が一番にくるんだ。 実際にこういうことが出来る人がいるのか?また自分はできるといい切れるのか?問われたら、 親も今修行中としかいいようがない。できますといい切れない。 しかし、思いっきり利己心で吸収する時期がなければならない。 そこで学んだことや対立して苦しんだことが物心両面の財産となり、 利他行の原動力となる。 娘よ!「志高く貪欲に自分を作れ、対立や失敗を恐れるな!!」すべては自分に還ってくる。 自分を振り返って、青臭い理想論を応援してくださった仲間、先輩や先生がいる。 本当に人に恵まれていたと実感する今日この頃だ。 天動説から地動説へが人間の飛躍だ。 皆さんはいかがお考えですか?

2008年08月04日

「ピンチをチャンスにするには豹変すること」

環境の激変は人間を大きく飛躍するチャンスだ。 学生が社会人になる就職活動がそうだ。 これまでの自分と決別し新しい自分(こうありたい自分)に挑戦だ。 もうひとつは結婚もそうだ。 今までの自分から、こうありたい自分へ結婚を期に変身するんだ。 しかしどちらも、自分を根本的に見つめ直す変身でないダメだ。 就職でも上っ面だけだったら退職から転職、派遣社員へとくだっていく、 また結婚も本気でパ-トナ-と関わらなければ離婚となる。 また、仕事においては不況がそのチャンスといえる。 アメリカ発のサブプライム問題に端を発し、オイルの高騰、穀物の先物価格の上昇に因る物価高、 景気は悪くなる一方だ。こんな時は単に我慢では対応できない。 そこで歴史に目をやるとピンチをチャンスにする教えが『易経』ある。 『君子豹変す』という言葉だ。 これはころころ態度変える悪い意味で使われてるが本来は違う。 豹の毛は季節に合わせて抜け変わり美しい斑紋となることから、 君子は時代の変化に合わせて自分をすばやく的確に変えていける意味だ。 また、君子は過ちを犯しても直ぐに善の立場に立ち戻れるという意味もある。 しかし、逆に過去の過ちや自分のこだわりや態度や、生き方が直ぐ変えれないで、 『こうありたい』『こうなりたい』と思っていながら、 毎日同じように過ごしてしまうことがある。 これを『小人は面(おもて)を革(あらた)む』 要するに表面だけを変えるという意味だ。 古来人間の本質は変わらない。 ピンチをチャンスに変えるには上面ではダメということ。 厳しいー!!!! 皆さんも内の自分と本気で根本的に向き合えますか?