社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2008年08月11日

「人間の遺伝子は利己主義だ。」

人類が尊敬して止まない人はたくさんいるだろう。 国によっても違うし、尊敬する本人の選択によっても違う。 しかし、数千年の歴史に洗われた人物は人類共通の尊敬する人になる。 さて、その人物の代表といえば儒教、道教、仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の教祖様だ。 このすべては、先憂後楽、すなわち自分のことを後回しにして、世のため人のためにやれと教える。 すると現実はうまく行くというのだ。ところが遺伝子が利己主義だから、 利他主義になるには、ものの見方を180度ひっくり返すので相当の努力がいる。 一般に宗教が支配的だった時代は不自由に思うが、 みんなの精神的共通基盤ができてるので、実はすみやすかったはずだと推理できる。 ところが戦後は宗教の自由が叫ばれ、日本の精神的共通基盤がなくなった。 もしあるとすれば、お金という基準だ。(手段のはずのお金が目的になる資本主義) これは共通の精神基盤ではない。 だから「一人一宗教で自分が教祖だ」というのは、 『悩む力』を書いた東大教授のカン サンジュ先生だ。 戦後、自由を何よりも求めてきたが、 いざ自由になったら方向が自分で作れないのが現状だ。 まして、共通の精神風土や共通の理想の生き方がなく、 自分が教祖様だからコミュニケーションができないというのだ。 最近の秋葉原の衝動的殺人事件も共通の精神基盤を作れなかった苦しみからだ。 これが笑えるだろうか? 歴史に洗われた先人の博愛や慈悲や利他行を実践する人が、尊敬される社会が必用だ。 もちろん人間の遺伝子は利己主義だから、 絵に書いたような完璧な人は実存するはずがないことは前提だ。 経済もアメリカと肩を並べるまでになったが、日本のあるべき姿が見えてこない。 言い換えると理想の国の姿やライフスタイルだ。 全面的に否定するつもりはないが、いまだに大量生産、大量消費が正しいという幻想がある。 もっと心豊かな生き方はないのか?向こう三軒両隣り仲良く助け合う社会が求められる。 ドイツのフェアートレイド制度やイタリヤのスローフード運動は参考にならないだろうか? ことわざに『馬鹿も休み休み言え』というのがある、 きっとこの社会にはまじめの基準があった。 現代は『まじめも休み休み言え』と茶化されてしまいそうだ。 みなさんはいかがお考えでしょうか?