2008年08月16日
『無信不立』孔子
私の好きな言葉の一つで、政治の要諦を表す言葉だ。
『信無くば立たず』と読む。
現実の世の中は悪人もいるし、また善人だが欲望に負け悪事をする人もいる。
裏切られたり、だまされたことは数限りないが、他人のせいにすることで解決し、
未来が開けるならそうする。それは絶望を抱くだけだ。
未来を開きたければ、自分の未熟さからだと反省する以外に無い。
この決心がつき、信じるからこそ『信じる力』は眼を輝かせる。
自分を信じ、仲間を信じ、人類を信じることだ。
ここには希望がある。
サミエルウルマンは『希望とともに若く』と青春という詩の一節でかたる。
すべては『信』から始まり『信』に終わる。
ところが人間は一度理性という門をくぐらなければ本当の『信』にならない。
善悪、損得、好き嫌い、という分別、脳の知性が利己心を作る。
不信、疑い、不安を原因に磨かれるのが分別する利己心〔自己〕だ。
この準備ができたら、次は利他心を作れるのだ。
己の価値観を超えて世のため人のために行動することこそが『信』だ。
決して盲目的に信じることを良しとしない態度がいる。
松下幸之助さんは『信じて信ぜず』と表現する。
私流だが人は信じるが依頼心をもたない(すべては自己責任)という意味だと思うと同時に、
本当に厳しい態度の生き方だからこそ、世界の松下があるのだ。
また、論語学而編に『人の己を知らざるを患(うれ)えず、人の知らざるを患う』
意味=人から自分の思ってる評価を得られないのは、
自分が他人の実力がわかっていないからだ。
そうした自分を責めるべきだ。
これを謙虚といい、『信無くば立たず』という利他的態度だ。
『信じる力』は眼を輝かせ、希望をもたらせ陽気を運んでくる。
いや、幸運も!!!!!
皆さんは信じますか信じませんか?














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