社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2008年09月30日

「地球にミニ太陽を」・本島 修先生

28年後にフュージョン(核融合)のエネルギーが実現されるところまで来たといわれるのは、 自然科学研究機構、核融合研究所長の本島先生だ。 現在の核エネルギーはウランを使った核分裂によるエネルギーで、放射能が出るのが問題だ。 それに比べると重水素を使う核融合は、海水が資源なので日本は海に囲まれ問題ないのだ。 具体的にイメージしやすいように話されたのでは、 ポリタンク一杯の海水から石油250本分のエネルギーが出るそうだ。 今でも実現するが、現在の電気代の倍になるそうだ。 この施設を作る費用は約5,000億かかるそうだ。 ミニ太陽を作る条件に三つある。 1)プラズマを一億度の温度にする。(コンクリートとステンの断熱をすればできるそうだ) 2)密度を200兆個にする。(これも現在では400兆を達成してるそうだ) 3)一秒間(この時間条件を安定することを満たせばいいそうだ) 水素を作り出すんで、今の都市ガスの配管を使って、水素で料理ができることも可能という。 現在の地球の資源の埋蔵の推計は、 1)石油=41年(1兆2082億バーレル) 2)天然ガス=63年(181兆立方メートル) 3)石炭=147年(9091億トン) 4)ウラン=85年(474万トン) ということらしい。 太陽が誕生して、46億年、地磁気が誕生して20億年、 地球文明が誕生して4,000年、産業革命から200年、ミニ太陽の研究開始から50年だ。 夢の核融合の実現も近い。 人間は地球から誕生した、36,5度のミニ太陽だ。 ところが本人の人間はミニ太陽であることを知らないし、 また、取扱説明書なしに生まれてくるのだ。 だからみんな悩むんだ。 自分とは何かとか?生きるとか死ぬとか?他人との関係とか?環境とか? こんなことはどうでも良いというのは、 故今 東光さんで、八尾の坊さん兼小説家だ。 瀬戸内寂聴さんを出家させた人でも知られている。 今さんに『人生とはなんですか?』と質問したら、 『冥土までの暇つぶし』と答える。 くよくよしたり、病気に悩んだり、怨んだり、怒ったり、ため息つかないで、 やりたいことやって、笑って楽しんでこそ暇つぶしだといいたいのだ。 なぜならば人間は元々ミニ太陽だからに違いない。 理屈で意味や、自分や他人と区別して考え過ぎ、 窮屈に生きることはない。 人間の知恵なんか高々知れてる。地球のほうはモット大きい、 それに身をゆだねて楽しく生きることが重要だ。 皆さんいかがお考えですか?

2008年09月28日

「使命と独立心は不自由から生まれる」

脳学者の茂木健一郎さんは言う。 『脳は幸福感を忘れない、逆に嫌なことは忘れるようにできてる』 女性の陣痛は大変苦しいらしい、ところが子供が生まれて喜びを味わうと、 幸福感のほうが記憶の上位になり快感ホルモンが出て苦しいことは忘れるそうだ。 だからまた子供が欲しくなるそうだ。 ある番組でアルツハイマ-で認知症の母が自分の息子もわからなくなるが、 息子とよく歌い幸福で一杯だったときの歌をピアノで引き歌ってると、 無表情だったお母さんが歌いだし表情に笑顔が出て楽しそうになってきた。 息子の母にたいする感謝の気持ちがピアノを弾かせ歌を歌い続けたおかげで幸福な記憶を呼び覚まされた。 喜びの日々を走馬灯のように頭で思い浮かべているのだろう、お母さんは幸福感に満たされ笑顔になった。 この番組を見て思い出したのは、二年ほど前に『鏡の法則』という本を読んだ時、 思わず母に感謝の気持ちを伝えたくなって手紙を書いた。 しかし、逆に母は心配して姉妹に電話し『息子は幸福に暮らしてるか』をたずねたそうだ。 母であることは子供に甘えられ無いと思ってるのだ。 「子供には世話にならない」を口癖のように、 自らは不自由の中で工夫して生きて70数歳まで働いた働きもんだ。 立派に子育ての使命を終え、子供たちに独立心の種も植えてくれた。 こんな理屈はもう関係なく、10分前の記憶も孫の顔も忘れるほど認知症が進行してきた。 何か恩返ししようと思う年齢になったら、 母はもう人間関係のつながりや社会性がわからなくなってる。 わたしの今できることは感謝することと、 過去の幸福だった思い出話を聞く相手ぐらいと食べ物の差し入れすることだ。 子を育てる使命と独立心はお金や時間、遊びを捨てて、 真面目に一生懸命働いてに生きてきた証だろう。 子供は親の言うこと聞くのでなく、親のやったことを真似るものだとつくづく考えさせられる。 考え方は合わないが、働くことを苦痛だと思ったことは一度も無い自分がいる。 この親の姿を次世代の育成という使命に燃え、独立心の種植えをしたい。 多くの人に伝えることと役立つことを喜びとし自分の幸福感にする。 それが親への直接ではない恩返しだと考えてる。 不自由を常と思い!!! 皆さんは御両親に対していかがお考えですか?

2008年09月27日

「ゆとり教育について」

ゆとり教育とやらで、学習時間を減らして、野外活動時間にする。 その結果塾通いが増えて、ゆとりどころか学力に格差ができ、 塾通いで、子供の遊ぶ時間が減った。 「ゆとり」というのは二つあると考える。 ひとつは時速200キロで走る車が100キロで走ることがゆとりだ。 すると、まずは自分の力が時速200キロかどうかをためすために、 勉強をしっかりして集中するのが自然だ。 勉強したい人に野外活動させるから塾に行かなければならなくなる。 もうひとつは自分の特性を知ることだ。 誰も彼もが勉強好きではない、中にはスポ-ツが好きであったり、 音楽や芝居が好きな子もいる。 この判断は難しい。 十代の若さで自分が客観的にわかるかどうかが問題だ。 ドイツなんかは小学校の5年生ぐらいで将来の進路を決める。 当然親も絡んでくるが、中学や高校でないので反抗期のまえだ。 職人としてスペシャリストになるか?大学に進学するか決めるらしい。 我々は石材業だが、ドイツはマイスタ-制度があり、 誰でも彼でも石屋さんになれない。 弁護士や医者のような資格がいるし、 法的には決まっていないが、いたずらな競合をしないように、店舗も一定の市場では出しにくい。 ゆとりは、単に子供をどう教育するかだけでなく、 社会にでて生活ができ、保守的でなく育成型の職業の環境整備ができてる事が重要だ。 何でもかんでも市場原理主義が正しいというのはいかがなものか? 『ゆとり教育』は『社会環境(生活基盤と業界育成型)』とあいまって考えることで、 解決の方向が見えてくるに違いない。現状は随分見直されてるようだ。 企業では人材配置は適材適所が理想だ。 そのために、現在個人の持ってる能力は活かしますが、 配置の転換を通じて新しい能力開発にも挑戦してもらったり、 全体的に社内研修を通じて才能の発掘にも心がける。 皆さんはいかがお考えですか?

2008年09月22日

「想像から創造へ」

朝日新聞に、こんな見出しの記事を発見した。 読んでみると、観光庁設立の文章にクスクス笑ったという。 『数値目標』『窓口一元化』こんな文字が書かれていたからだ。 観光資源の開発には『経済ではなく哲学を語れ』と主張するのは、 ドイツ文学者の池内 紀先生だ。 なんでも中央がコントロールすることが前提の考えだったり、 また、全国一律の観光を真似ることが効率がいいと考える経済優先の価値観はダメ。 お金ということから考える経済効率の良い観光ではなく、 ドイツやオーストリア、スイスのように、『面』で観光を考えることだという。 ライン川は川を中心にして、川沿いの町並み、背後の丘、 古城を全体として一体に観光開発する。 これは点として考え経済的効率の良い観光の見本を作り全国一律に運営することでなく、 個性を出す観光開発だ。これが観光の哲学だと主張する。 日本の観光は観光と同時に楽しみや、自分で創意工夫して空間でくつろいだり遊ぶことの演出がない。 足早に時間に追われ、効率を考えた無機質なものだ。(昔の農協の団体旅行のイメージ) 現実はお金の範囲しか実現しないのも事実だ。 量から質という唯物論的考えは現実的だが、 人間の創意工夫という自由を奪う。 今、日本にないのは、唯心(夢、哲学)的な未来のイメージを描き、 そのイメージに不自由でも工夫しながらつくりあげるプロセスを楽しむ考え方だ。 戦後貧困から脱し、ものの不自由な状況を打破し、豊かな社会を創ったように、 未来の夢や観光のイメ-ジの全体像を描き、 経済的にも時間的にも不自由があるが、 創意工夫の自由を持ち、自分で創りあげて行ってこそ発展進化だ。 『想像から創造へ』だ。 みなさんはいかがお考えですか?

2008年09月21日

「月命日・お参りの説教」

父がなくなって8年になる。 母が認知症でケアハウスにお世話になった今年3月から、 20日にお寺さんを迎え、月参りをしてもらう。 最初のころは、あまり話しはしなかったんだが、 少しづつ説教をしてくださるようになった。 仏教の話は興味深く好きなので、いつも楽しみに聞く。 今日は親鸞聖人の他力本願についての話だった。 親鸞聖人も若いころは自力にこだわり悟りを求めたそうだ。 ところが阿弥陀仏は求めなくとも良い、 阿弥陀仏は必ず往生させる働きをするということに気づかれたということだ。 阿弥陀仏に身をゆだね、信じきることだ。 「南無阿弥陀仏」を唱えるだけでいい、悪人も善人もみんな救う働きをしてくださる。 こんな話だった。 「自分がある限り100%信じきることはなかなかできませんね。」と質問したら、 住職は「生まれたら死ぬことは決まってるでしょう。だからみんな往生するんですよ。」 「往生することを信じるだけですよ。」 先月の話の続きで、以下のように話された。 「人間は二つに執着する。 1)死にたくない 2)幸福になりたい  実はこの二つはもう手に入っていて、決まってるんだ。  死ぬことも、幸福になることも!!!  決まってるのにわざわざ、どう生きるか悩み、死ぬ時期や方法を決めようと悩む。  今ここに幸福があるのに、他にもっとすばらしい幸福があるはずだと迷う。」 人間は無邪気で無知に生まれ、知恵がついてくるが、 この人間の知恵は自分の学びと体験の範囲で全体ではない。 仏の智慧はすべてみとおしの智慧だ。〔知恵(人間の浅知恵)<智慧(仏の智慧)〕 いつか死ぬこと、今、幸福であること、この二つを信じることが他力本願だそうだ。 みなさんはどう考えますか?

2008年09月20日

「心身脱落・道元」

『仏道をならうというは、  自己をならう也。  自己をならうというは、  自己をわするるなり。』     「正法眼蔵」 道元 人間の共通の土俵はなんでしょうか? それは、地球に住んでいるということと、 大体がよく似た体の働きをするし、心の働きもする。 しかし、この二つの取扱説明書がないのが事実だ。 また、人間なら心身のどの部分がよく磨かれているか、 人間によってちがうのを個性といっている。 だから、人間と人間が話すのは実に困難だ。 というのも全体がわかってないから自分が全体だと理解してることが多い。 そのため、他人を認めないということが起きる。 共通項がないと考える、自我=自己(角砂糖)は、 どうにもコミニュケ-ションができないと思い込む。 この自己を忘れる=『心身脱落』とは、 自我=角砂糖だ。 湯の中に入れると角砂糖は溶ける。 しかし、なくなったわけではない。 この角砂糖が溶けた状態を『忘れる』 無我=自己を忘れる=心身脱落と言う。 白隠禅師の『座禅和讃』では、 『衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて  水を離れて氷なく 衆生のほかに仏なし  -------略------- 人間の共通土俵は宇宙の法則でできているということだ。 その上で、個性だ法律だ、他人と俺は違うと区別しているに過ぎないということだ。 みんなが湯に溶けた角砂糖なら、誰とでもコミニュケションできるし、共有もできる。 阿吽の呼吸にもなれる。 衆生=仏(宇宙の法則) 宇宙の法則は潜在意識のレベルに達することみたいですね。 みなさんはいかが考えられますか?

2008年09月18日

「松下幸之助の使命(ミッション)に学ぶ」

松下幸之助は昭和7年5月5日を命知元年と名づけ、 実業人の使命(ミッション)について語った。 『宗教道徳の精神的な安定と物質の無尽蔵の供給とが相まって、  はじめて人生の幸福が安定する。ここに実業人の真の使命がある。』 こう高らかに語るのだ。 昭和4年には300人の中小企業だったのが、 昭和の9年には千数百人になる。 時代は戦争へ突入していこうとしている世の中だった。 最後に一言、 『我々の理想は高く、使命は遠大である。  したがって自分は諸君に要望することも、  ある場合にはきわめて峻烈であるかもしれない。  --------中略-------しかし犠牲になることを最上とせず、  我々が十分人生の幸福を味わい、人生を全うし、  なおかつ、時代を良くする事を理想としているので、  働く人々の労は酬いられることは当然だ。』 こう締めくくった。 今読んでも新鮮で活き活きし、確信に満ち、自信を感じる使命感だ。 逆に言うとこの使命が、自分の存在を志事(仕事)への情熱を、明確にしてくれたのだ。 貧困からの脱却は『ものづくり』からだと確信したに違いない。 ただ単なるものでづくりではない、宗教道徳の精神的安定がいるというのだ。 ここがすばらしい、行動の動機には自分の利益という私心が一切ない。結果としてあるが!! 人間の物心両面の成長発展を理想としてる。 人間である限り、使命(ミッション)とは物心両面の矛盾を原動力にすることだ。 松下さんは経営に関してもダム経営をすると良いといってる。 ある企業の社長が質問した『どうすればダム経営できますか?』 松下さんの答えは簡潔だ『ダム経営しようと思うことだ。』 人生も、仕事も良し悪しはその人の心の状態で決まる。 本当に自分が幸せになりたければ『使命(ミッション)』を潜在意識にまで到達させることだ。 俗に言う『寝ても覚めても』信念を持って、ことにあたることだろう。 私たちの使命(ミッション)は『心の豊かさ』『感謝と畏敬』を形にするために、 墓石・建築用石材の商品と、技術とサ-ビスの練磨を、お客様に提供をすることだ。 松下幸之助さんは実業人として、本質まで深く自分の命の燃やし方を考え実行した。 私たちもまた、使命実現に向け利他行に徹することだ。 皆さんはいかがお考えですか?

2008年09月16日

「笑いと無邪気と道」

『幼子の 次第次第に智慧づきて 仏に遠く なるぞ悲しき』 笑わなくなった大人は、テレビのお笑い番組を見る。 テレビは、イメ-ジ化された情報の発信としての顔と、 見るものの創造力や自発性を失わせる顔がある。 子供は大人の言うことを聞くのでなく、行いを真似る。 無邪気な子供の高らかな笑い声が聞こえないのも、大人の真似だ。 自分が失敗して『馬鹿だな俺』と一人笑う。 日常のチョッとした仕草に笑顔が出る。 こんな日常に、「和み」という言葉が合う。 情報化社会の現代は逆だ。無表情で笑わないのが日常だ。 無為自然を標榜する「老子」も、笑えるようなことこそ真理だと言う。 『笑ざれば以って道となすに足らず』 逆に言うと真面目くさったことは道ではない、理論に過ぎないといってるのだ。 音楽のように道には休止符も音符もあるのが自然だ。 また、体温や息づかい、行動のない理想を、言葉のみで組み立てる愚かなこととも受け取れる。 笑いと無邪気と道は、同じ線上にあるようだ。 皆さんはいかがお考えですか?

2008年09月15日

「常識を超えたら問題解決は簡単」

この世の中の常識は二つあります。 親父がいつも言ってました。 ひとつは『金の無いのは、首の無いのも同じや、お金儲けしろ(働くこと)』お金が第一や もうひとつは『約束守り時間に遅れるな、言うたことは必ず実行しろ。信用されるには』 全くこのとおりで、社会に出、大会社に就職しお金たくさんもらえるように、 小学校から塾通いをはじめ、有名校に行くため猛勉強する。 社会の常識は競争と信用がキ-ワ-ドだ。 約束が守れなかったり、勉強(仕事)ができず競争に遅れをとった人はどう解決するのか? 一般にその解決方法は三つある。 1)『戦うこと』どんなことしても勝つことだ。   嘘やごまかしというル-ル違反したら刑務所にはいる。   戦うことばかりする人にはどんな心が生まれるか考えると、   仲間にも心は打ち明けないし、他人を信用しない心ができる。 2)『逃げ出すこと』勉強なら落ちこぼれることだ。   積み重ねの努力をしないことだ。   逃げ出すことばかりする人はどんな心が生まれるか考えると、   何をしてもながく続かず、点々とする。会社なら転職を繰り返す。 3)『我慢をし続けること』問題を解決するのでなく、我慢することで先送りしてるだけだ。   大半の人はこの方法で問題解決してるのが現実だ。   我慢し続けることばかりする人は、生活があるからか、   頑固なため、聞く耳持たないので社会的知識なく、   また心から自分をさらけ出さないので親友がいないため、   次の仕事を探す情報も勇気もなく我慢する。   そのタイプ人はどんな心が生まれるか考えると、人の話は右から左で聞き流し、   頑固で自分の考えに沿ってしか行動せず、上っ面はあわせてるが、   基本は自分流(スタイルにこだわる)を変え無く、進歩発展が無い一匹狼風になる。 このほかには、仙人のように、世の中そのものを否定し、 競争も信用もしないと高所から物事を見るだけで、人と関わらない生き方をする純粋無垢な人もいる。 上記が常識的解決だ。 これから紹介する二つの方法は自分がハッピ-になり、人格もどんどん成長し、 問題解決はすぐ出来、なんとストレスも0%という優れた方法だ。 4)四次元的解決方法だ。『気にしない』I DON'T MIND.   決して相手を無視したり、仕事や、やらねばならないことから逃げるのではなく、結果を気にしない。   ベストをつくすだけ。こんな心境を作るんだ。 5)五次元的解決方法だ。『気にならない』THERE IS NO PROBLEM。(どこにも問題が無い)   これは最も難しい、基本的に問題にしないということ。   逆から言うと、世の中は理不尽で不平等で不合理だと最初から考えていることが重要だ。   イレギュラ-がレギュラ-だ。だから問題は無いのだ。   事態が何が起ろうがそこが出発点で、考え行動するから解決へ導かれるというわけ!!お解かりですね。 これは小林正観さんが『100%幸せな1%の人々』という本に書いてある。 4),5)実行しないと99%の幸せになれない人々に入るのかな?? これは大変だ、即実行するしかない。1%の人々にはいる資格を取るには!!! 皆さんはいかがお考えですか?

2008年09月14日

「仏と神を信じますか?」

宗教は自由だから、誰がどんな信仰をするのも良いことだと考える。 ところが、この神仏は人間の心の内にあるのか外にあるのかが問題だ。 親父が若いころ、戦争に負け自暴自棄になって仏壇をほかしたことがあると母に聞かされた。 私が4,5歳のときに、病弱だったことも手伝って、 母はたんすの上に乗る小さな仏壇を買って拝んでいた。 かまどのとこにも神棚が合った。 不思議とそれから生活がだんだん良くなったように思うのは気のせいかもしれない。 しかし、親父は『神も仏もない』とののしっていた、 その後の生き方も虚無的で博打におぼれたりもしたが川柳が好きで救われた。 自分の青春の大事なときを奪われて悔しかったのだろう、 やけになっていたようだった。 私が20過ぎごろ増築した時仏壇を入れ法事が始まったと記憶する しかし、良く考えると若さの浅知恵だ。 自分の描いてた理屈に収まらないことが起こった(戦争) 自分が起こしたわけでもない、だから他人を怨み、 自暴自棄になり信じるものを失ったのだ。 でもよくよく考えると、自分の考えた理屈に、神仏が収まるはずがない。 神仏は大調和、大和楽だ。春夏秋冬めくるめく司ってる。 極端に違わないが時々はビックリする災害も起こる。 遺伝子の研究で第一人者の筑波大学名誉教授の村上和雄さんは、 この地球を調和たらしめてる存在を「サムシンググレ-ト」と呼んでいる。 私は『神、仏』『サムシンググレ-ト』があると信じてる。 それも自分の内にだ!!!!ここが重要だ。 「臨済録」に『求心やむところ 即無事』 要するに、自分の外に神仏を求めてはいけない、自分の内側に神仏がいて、調和を自覚することだ。 特に禅では意識のおき方を胸や身体のあちこちに置き全身感じるんだ。 情報化社会の現代人はいつも大脳新皮質(前頭葉)に意識を集中するからうつ病になる。 考えないこと、感じること。五感のあちこちの心を運びころころ動くので心だ。 だから感覚が研ぎ澄まされ、直感がひらめく(宇宙と交信し法則を感じる) セネカは『幸福なる人生は何か?心に不安がないこと、不動の内的平安があること』 こう語ってる。 『神仏』・『サムシンググレ-ト』を信じる人もいるが、 科学好きな現代人は迷信や非科学と否定する。まだ解らないものと別扱いして不可知として置いておく。 そんな外に向かう知恵はメ-テル・リンクの青い鳥と同じでどこにもない。 ヘルマンヘッセの『山のあなたの空遠く、幸い住むと人が言う------』 これもまた、どこまで探しても幸いはない。 なぜなら自然は人間の生みの親で、大調和が法則だ。 だからすでに自分の内にあるのだ。 オ-ストラリアのアボリジニや、 アメリカインデアンのように自然交信ができる人間は宇宙の法則を生活の基準にしてる。 現代人の浅知恵では宇宙の法則をを壊して狂わす、だからエデンの園から追放されたのだ。 現実は人間の屁理屈で狂う(宇宙の法則にのっとらないと存続しないが行き過ぎて狂う)が、 常識を全く否定してるのではない、間違いを犯すことを前提に自分を客観化(外から見る)することだ。 だから私たちは作り出した社会は不完全で、 良識(常識+宗教心)で宇宙の法則に合致させる努力をして軌道修正する必要があり、 宇宙の法則に沿うように行動することが仕事だ。 皆さんはいかがお考えですか?

2008年09月13日

「逆説の十か条」ケント・M・キ-スⅡ」

1997年7月マザーテレサが亡くなった。 マザ-の生涯を書いた『マザーテレサ語る』ルシンダ・ヴァーディー編纂 その中に、ケントが書いた逆説の十か条の8つが書かれていた。 その最後のページには『カルカッタの孤児の家の壁に書かれていた言葉』と記されていた。 友人から聞かされたケントはビックリしたそうだ。 その後彼は大学の学長を辞め、名誉と権力、お金のある地位を退き、 執筆と講演活動に、使命感と目的を持って活躍することにしたそうだ。 30年の歳月を経て世界の中で伝えられたこの言葉の続きを以下に書こう。 『逆説の十か条』 6)最大の考えを持った最も大きな男女は、   最少の心を持った最も小さな男女によって撃ち落とされるかもしれない。   それでもなお、大きな考えを持ちなさい。 7)人は弱者をひいきにするが、勝者の後ろにしかついていかない。   それでもなお弱者のために戦いなさい。 8)何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。   それでもなお、築き上げなさい。 9)人が本当に助けを必要としていても、   実際に助けの手を差しのべると攻撃されるかもしれない。   それでもなお、人を助けなさい。 10)世界のために最善を尽くしても、    その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。    それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。 さて日常の常識とは逆ですね。 今の社会の常識のキーワードは二つだ。 社会のキーワード1)競争            2)信用(約束を守る) これが常識です。結果、個人が孤独になり、 いつも競争に負けないかおびえ、不安な精神状態になる社会だ。 ケントのすばらしいのは常識を否定してるのではない、 常識に負けない生き方をし、意味を見出そうとしてることだ。 「良識=常識+宗教心」  ケントは常識だけでなく、人間の持ってる良識を呼び覚ますことが目的だ。 宗教心とは人間が根本に持っている『譲る心』『許す心』『犠牲心』といった、常識とは正反対の心だ。 戦後、この宗教心が希薄になってきたように感じるのは私だけだろうか? 個人主義は結構です。でも相手も受け入れ認める個人主義ならすばらしいが、 自分を押しとおす個人主義はわがまま主義、利己主義だ。 宗教心の根本は、イスラムであれキリスト教であれ仏教も、身体と心は神仏からの預かり物だと教える。 現実はどうだろう? 自分のものと思って好き勝手に使ってないだろうか? 自分に振り返ったら反省しなければならないところが多い。 だからといって我々凡人が、マザーテレサのように、 全てを捧げる生き方ができるかといえば、時間がかかるか? ケントのように全てを捨て即実行する人もいるだろう。 マザーテレサのように出来ないと言って、自分の可能性を閉ざしたくない。 しかし少なくとも、常識と良識のハイブリッド人間としてのバランスを追求することは出来る。 いや、そんなに真面目くさらず、笑顔で楽しむことができるといいな!!!!! 皆さんいかがお考えですか?

2008年09月12日

「逆説の十か条」ケント・M・キ-ス」

ケントが1968年ハバード大学にいる19歳のときに書いたものだ。 当時の題は『リダ-シップのための逆説の十か条』だった。 アメリカの学園も狂っていたし、日本も60年安保闘争や70年安保闘争の狂った時代だった。 他人が評価してくれなくても、正しいことを、良いことを、 真実であることを常に実行してみないかという挑戦として書かれた。 これは狂った世界で生きることの意味を発見するキーワードなんだ。 時代が奴隷制でも封建制でも、資本主義でも人間が作った世界は狂っているということが前提だ。 だからこそ逆説なんだ。 『逆説の十か条』 1)人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。   それでも尚、人を愛しなさい。 2)何か良いことをすれば、   隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。   それでもなお良いことをしなさい。 3)成功すれば、うその友達と本物の敵を得ることになる。   それでもなお、成功しなさい。 4)今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。   それでもなお、良いことをしなさい。 5)正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。   それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。 今日はこの5つを記すことにする。 ケントは世の中を狂ってると受け取ってることだ。 もし神が世の中を創ったとしたら、なんと不合理で不平等な狂った世界だと断定する。 だからこそリーダーシップを発揮して良くしようということだ。 ところが、我々の今の常識は違う。世の中は平等と自由が当たり前で、 狂ってなんかないということから考えている。 当然、何を見ても聞いても、愚痴と不平と不満が真っ先に出て来るのだ。 今の社会を一言で言うと『競争と信用(約束を守る)』これが常識だ。 だからお金が一番、約束守ることが掟だ。それ以外はみんな間違いだ。 この二つを手に入れる極端な人は友達も裏切るし、嘘もつくし、親切にもしない、 馬鹿正直は馬鹿のうちと批判されるから正直に言わない。 自分が得する知恵(利己的)だけを使って、損する智慧(利他的)は使わない。 これ常識? ほんとにそうだろうか? 心理学者のアブラハム・マズローは、 『人間の成長にとって、愛はビタミンやミネラル、たんぱく質と同じくらい不可欠である』 みなさんはケントの逆説いかがお考えですか?

2008年09月09日

「笑売繁盛」

こんな風に色紙に書くのは松竹芸能の、故・藤山寛美さんだ。 商道=笑道だとつくづく感じる。 商いは徹底した利他行をするからこそ信用されるのだ。 365日休み無く、舞台に立つほどの役者魂の持ち主だ。 「怒りは無知、泣くは修行、笑うは悟り」という言葉がある。 いつでも、なんでもニコニコ笑うことができるのは天才か馬鹿だ。 普通は泣いたり笑ったりで、面白おかしく暮らすのだ。 江戸時代の禅者で、有名な白隠さんがいつもニコニコされてるので、 「どうしていつもニコニコ笑ってられるんですか?」とたずねたところ、 「わたしも人間だ、腹は立ってる。しかし、叱るか諭すか思案してる。」 こんな普通の感覚がないと、ほんとに笑えないとおっしゃる。 マークトウェインは『ユーモーの秘密の源は悲しみだ』という。 テレビ番組では、お笑いばかりがゴールデンタイムを閉めている。 笑わせるのは、ほんとに至難の業だ。一発芸で消えていくお笑い芸人がほとんどだ。 笑いのセンスは、悲しみをとことん知り尽くした芸人にできる業だろう。 長くブラウン管にでてる、たけしやさんま、 それに紳助には、お笑いの神さんでも憑いているようだ。 紳助がある番組で、円広志が『夢想花』のヒット以来売れなくなったとき、 『お前は背筋を伸ばして歩くな、モット頭を下げて歩け。』という手紙を送った。 当然怒った円は、生のラジオ番組に乱入し、怒りをぶつけた。 その絡みが面白いということになり、円に番組依頼が殺到した。 紳助の、売れない歌手の悲しみをわかっての手紙だった。 今の円広志があるのは、紳助のおかげだそうだ。 みなさんは、お笑いをいかが考えられますか?

2008年09月08日

「居酒屋で見つけた言葉」

『辛いことが多いのは感謝を知らないからだ  苦しいことが多いのは自分に甘えがあるからだ  悲しいことが多いのは自分のことしか解らないからだ  心配することが多いのは今を懸命に生きていないからだ  行きづまりが多いのは自分が裸になれないからだ』 お酒を飲むときは少し気分が高揚し、一般的に他人や環境が悪いというのが相場だ。 手っ取り早いストレス解消だが、飲みすぎると身体には負担が残る。 酒は楽しく飲むのが基本だ。 「酒は飲んでも飲まれるな」は親父の口癖だった。 この言葉を見た瞬間、「親父が見てるのか」と思いドキッとした。 自意識過剰なのか自分に言われているような気がして、 ストレス解消どころか酔いがさめた。 「口は禍の元」と昔から言うように、 言葉には言霊がある。 『ありがとう』『感謝します』『ツイてる』 と『笑顔』をいつでもどこでも実行できると幸せが団体で寄ってくるらしい。 費用は一切かかりません。 仏教でも「無財の七施」といって、費用のかからない布施の方法がある。 1)慈眼施=優しいまなざし。 2)愛語施=優しい言葉を使う。 3)和顔施=柔らかな顔つき、表情をする。 4)心施=暖かい心使い。 5)身施=自分が相手の代わりに身をもってする。 6)床座施=席を譲る、後進に道を譲る。 7)房舎施=宿を貸す。 以上の七つだが、基本の布施は三つだ。 1)財施=ものや金品をやる 2)法施=正しい法を解く 3)無畏施=恐怖心をとる とにかく幸せになりたければ、感謝からはじめ口を慎むことがことが寛容だ。 みなさんは感謝で楽しいお酒飲まれてますか?

2008年09月05日

「一人前になる・松永安左エ門」

「電力の鬼」といわれた方だ。 逆境こそ人物を作るといわれた。 『実業人として一人前になるには三つの節を経験しなければダメだ。 浪人、闘病、投獄の三つだ』といってる。 浪人=肩書きが通用しない、ほんとの友人とそうでない友人を区別する。 闘病=死と向き合うことで生の大切さ、ありがたさが解り、感謝の念が沸く。 投獄=やや奇異だが,闘病に似て極限状態を経験することだ。 この三つを乗り越えることで、 世の中の理不尽も不平等も受け入れ、尚かつ『志』を失わないで挑戦する心構えが出来るという。 大事なことは理屈に合わない出来事を受け入れることだ。 自然の災害もそうだし、他人からの災難もだ、自らの病魔もだ。 理屈の整合性ばかりに心を奪われていては本質(目的)を見失い本物の一人前になれない。 考えもしないことが起る。これに対応してこそ一人前だというのだ。 言葉の魔術師とも言われるシェ-クスピア-は歴史劇のリチャ-ド二世の中で、 『不幸というものは、耐える力が弱いと見ると、そこに重くのしかかる』とい名台詞がある。 普通に生活する我々も大なり小なり、挫折やこのような三つの体験はある。 幸福になるには耐える力が必要だ。この力が一人前にしてくれる原動力だ。 仏教では『忍辱』(ニンニクと読み〕といって、 辱も外聞もなく耐えることだと六波羅蜜(大乗仏教の修行徳目)には書かれてる。 皆さんはいかが乗り越えられたのでしょうか?

2008年09月04日

「学ぶということ」

経営指南の達人の船井幸雄さんは、世の中を生きぬくには、 『社会』と『人間』の二つを研究し、学びなさいと断言する。 特に『社会』は生き物で変化する(人間と自然が作り出すからだ)。 だからその根底の資本主義と生活様式の変化を、 川の流れのようにつかむことが大事だ。 もうひとつは『人間そのもの』の研究だ。 人間は、人間が作り出せない宇宙の贈り物だ。 言い換えると、潜在意識の中に宇宙の法則を持っているし、 生かし方によれば神業もできる。 さて、この二つを研究し、学ぶことにより実際に活用してこそ生きてくる。 今般創刊30周年になる『致知』という雑誌の特集に、 『心学のすすめ』という記事を見つけた。 心学=心を磨き、性格を練り高め、人格を向上させる学びである。 この雑誌では心学を上記のように断定する。 王陽明の『伝習録』に『世の学を講ずるものに二つあり』、 『これを講ずるに身心を以ってする者あり、これを講ずるに口耳を以ってする者あり』 要するに自分の身と心を使って、体当たりで実践して自分を磨く実践派か? 口先だけで知ってるだけの物知り派か?ということなんだ。 歴史の人物の中の中江藤樹や二宮尊徳、石田梅岩は実践者だ。 日本の経営者にもすばらしい人物がたくさんいる。 京セラの稲盛さんも『志を高くし、経営を伸ばせ』といつも檄を飛ばされてる。 ミッションを明確に、学んだことを現実の中で活用してこその学びだ。 一歩でも近づきたい、すばらしい人物になりたいと願い、行動することからはじめることだ。 先日24時間マラソンを完走した、吉本芸能のエドはるみさんは、 このマラソンの挑戦の意味を「幾つになってもいつからでも夢に挑戦し、実現出来る」と断言し、 113キロメ-トルを走りぬき、『皆様に感謝します』と謙虚に頭を下げた。 40歳過ぎる遅咲きの芸人の身体からにじみ出る心の叫びであり、感謝と喜びの表現だ。 わたしも挑戦できる環境にあることに感謝し、エドさんに負けないでがんばりたい。 皆さんは学びを実践の中でどんな風に生かされてますか?

2008年09月03日

「地方自治のモデルをつくる=ミッション・片山善博(前鳥取県知事)」

1994年4月より鳥取県知事を2期8年勤められた。 元々は自治省(現総務省)の役人だった。 一昨日の福田首相辞任の根本は何か? 片山さんはズバリ「政治にミッションがない」と言い切る。 平成に入って首相の平均在任期間は1年2ヶ月だ。 小泉さんだけが6年5ヶ月在任した。 良くも悪くも郵政民営化というミッションがあった。 今なら 1)対米政策 2)日中外交 3)資源問題 4)環境問題 このような国家としても課題に取り組むミッション(使命)が必要だ。 しかし、後期高齢者医療、障害者自立支援、社保庁の問題といって、 どちらかというと地方自治で行う仕事の問題がテーマで、根本的政策がなかったという。 ミッションを進めていくには既得権を持った議員との戦い、 年功序列で仕事を阻む役人との戦いは避けられなかったと実体験を語る。 批判、愚痴、不平不満、暴漢に襲われることもあるだろう。 しかし、ミッションが根本にあれば、はねのけられる。 その方法は 1)透明化 2)全体の情報の共有でズレを無くす 3)無駄を無くす このことを着々と進めることだと言い切る。 そして地方自治の新しいモデルを実現したかったと熱く語る。 そこには、戦ったものの断定の言葉があり、 評論家や学者の空虚な言葉ではなかった。 久しぶりに、戦ってるリーダーの、背筋がしゃんとした話しが聞けて爽快だった。 歌舞伎役者は観客が創るという。 観客の『掛け声』や拍手で役者魂に火がつき、芸を磨くんだそうだ。 よき政治リーダーを育てるのは国民だ。 使命感の持ったリーダーに声援を送りたい。 みなさんはどう考えられますか?

2008年09月02日

「商道塾・中村隆俊先生の話」

現在「商道塾」の塾長として企業の指導や講演活動で、 『商道は人間道』というご自身の『商いの心』を全国で伝道されている。 松下電器の人材開発センタ-営業研修所所長を勤め上げられ、 松下幸之助イズムをさらに進化させられた方だ。 最近学んだ中では 1)経営理念の大切さと 2)行動のあり方だ。 経営理念と自分の生きる価値を同心円的になるようにすることが、 やりがいとなり人間的にも成長すると断言される。 経営理念=1)会社の存在意義、意味         2)経営の目的、目標         3)経営のものさし(判断基準)手段、方法を生む この三つだ。 個人に置き換えたら 1)誕生の意義、意味 2)生きる目的、目標 3)手段や方法、ものさし となる。 さてこの理念を実現するのは『行動』だという。 行動には二つの条件がいる、ただ闇雲に行動するのではない。 1)行動=『鷹の目』と『蛇の目』を持って行動せよ      現場、現物、現実の中で行動するが、      ヘビはどうしても弱視で体感はするが、みとおしが利かない。      そこで、鷹の目で全体像をつかんで行動することが大事という。      「大局は大胆に、小局は繊細に」 2)行動=仕事は未来志向でやれという。これには三つのものさしがある(皆さんはどれでやってます)      1)志事=未来志向で創造的行動      2)仕事=現在思考で行動が作業      3)死事=過去の成功パタ-ンにこだわり、事実に合わない過去思考行動 我々人間は自己保存本能というのがあり、繰り返し同じことすることが安心で、 過去に引きずられる傾向がある。(ここが気をつけるポイント) 行動はこの理念を証明する手段だ。行動なく夢や理念は実現しないと言い切られる。 さらにもし奇跡があるとすれば、自分のたてた目標に向かってコツコツ凡事を徹底することだと。 『行動』と『凡事徹底』これがキーワードだ。 みなさんは夢実現いかがなさってますか?