社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2008年10月29日

「夢は人を動かし、人生の充実をもたらす」

Qちゃんこと高橋尚子さんがマラソンランナーを引退する。 中学生からはじめた走ることが、世界のナンバーワンのランナーになった。 でも簡単に世界一が取れたのでもない。 走っても走っても成績の伸びない時もあったという。 そんな時、先生が『花の咲かない冬の日は、下へ下へと根を伸ばせ』という言葉を贈られ、 彼女はこんな言葉で励まされ、人生には無駄はないとのだと確信し、 あきらめず練習し続けたそうだ。 多分このまま続けるか?やめるかという葛藤があったに違いない。 でも彼女は花が咲くまであきらめない道を選んだ。 『ご苦労さん、夢を与えてくれ、ゴ-ルの後のさわやかな笑顔もありがとう』 こう語り掛けたい。同じ時代を前向きに生きる一員として!!! 「夢は人を動かす、夢が叶うまであきらめないことだ。」 今苦しくてつまんないと人生に背を向けるのは、 『苦しいから辛いのではなく、夢がないから辛いのだ』 こう語りかけてるように感じるのは私だけだろうか。 決して他人事ではない、何かをなしとげた人は自らに夢を描く。 それは自分が決められることだ。 どんな小さなことからでもいい、決して世界一だけが夢でない。 私が大切にしている色紙に薬師寺の故高田好胤管主の味のある字で『不東』と書かれてるのがある。 これは玄奘三蔵法師がインドで仏典を学んで帰るまでは、 東にある我がふるさとへは帰らないという決意だ。(あきらめないこと) たぶん故高田管主も薬師寺の伽藍復興を写経勧進で遣り上げる夢の決意の言葉だったに違いない。 亡くなられる前に良く色紙に書かれたのは魏の曹操の詩だ。 『老驥伏櫪  志在千里  烈士暮年  壮心不己』 簡単に言うと、年老いた馬が厩にいるが、志は千里先にあり、 やる気は衰えてないと情熱がほとばしる詩だ。 夢は人を動かし、人生の充実をもたらしてくれると確信する。 みなさんはどんな夢お持ちですか?

2008年10月28日

「つくり笑いの進め(エンボディメント効果)」

最近良く目に付くのはストレス、プレッシャーの解決法という記事やテレビ番組の特集である。 現代のような高度に発達した情報化社会では当然なテーマなのかもしれない。 さて、人生を前進させ生きる限り、ストレスやプレッシャーはなくならない。 では、一体どう対処すれば良いのか問題だ。 誰もが知りたいのはこの解決方法だ。 古来格言に『笑う角には福来り』などと笑うことが一番良いとされてる。 ニューヨークではスマイルセラピストなる職業もある。 最近は脳科学が発達し、どんどん笑いこそ副作用のない特効薬だと証明されてきている。 基本は脳が外界を感じ、身体に指令を出すと、 楽しいことにはリラックスして笑いという運動へ転化され、 表情を作り快感ホルモンを出すという仕組みになってる。 脳のインプットは感覚、感性で、アウトプットは運動(行動、動作)だ。 さて解決方法だが、 1)エンボディメント(身体性)効果 これは脳が指令を出すのなら逆に「つくり笑い」を自分からすれば 脳が錯覚して楽しい環境を感じた時と同じように快感ホルモンを出し、 リラックス状態が作り出せるという理屈が成り立ち、自分でコントロ-ルする方法だ。 (現在ではイメージトレーニングなども広義に考えればこのことだ) 2)もうひとつは集中力を高めることが必要だ。 プレッシャーに負けるというのは集中力がない(意識がばらばらで分散する)ということだ。 言い換えると自意識過剰で失敗を恐れたり、 誰も気にしてないのに見られてるんではないかと考えすぎの人だ。 集中力の欠く精神状態はいくら「平常心になれ」と心で叫んでも、 感情に振り回され平常心にはなれない。 精神の問題は精神で解決するのでなく、身体(行動)で解決するのだ。 たとえば、イチローだ、必ず同じ動作でバッターボックスに立つ、 右手を高らかに上げ、構える。 この一定した行動が集中力を高め、周りが気にならなくなるのだ。 一般的には自分が良くなりたいと思うから『悩む力』がでてくる。 しかし、ほんとに良くなりたかったら『悩まない力』を身につけ、 ストレス、プレッシャー解決法を会得することだ。 決して回りの人間や、自分と会話する目の前の人を無視するんではなく、 集中力がありながらリラックスでき(子供は集中=緊張となる)、 周り(環境も人も)が気にならないような状態を作ることだ。(アイドントマインド気にしない) 人生・仕事が楽しく陽気に暮らせること間違いなしだ。実行実行!!!! みなさんはどんは解決方法をお持ちですか?

2008年10月25日

「何かすること」

どんな人も失敗はしたくないと考えるのが一般的だ。 だから成功についての条件を考える。 成功する人のキ-ワ-ドをあげると、 1)志のある人 2)努力の人 3)楽天的な人 4)積極的な人 5)利他行のできる人 6)思いやりのある人 7)行動力のある人 実は成功したい、そんな人になりたいと言うキ-ワ-ドではなく、 本心は頭で考えてるだけで実行しようと思ってるわけでもない、 人には性質があって、できることとできないことがある。 だから、成功するにはこんなにたくさんのキ-ワ-ドはいらない。 たったひとつでいい、成功とか失敗を考えることでもなく、 自分に傷つくことを恐れる事でもない。 『何かすること』 今の問題を解決するには、今の状態では解決できない。 今本当に必要な答えは、自分がいる枠の中にはない。 枠の外にこそ本当の教えと答えがある。 世の中には二つの人種しかいない。 ひとつは、成功も失敗もする人 もうひとつは成功も失敗もしない人 『成功の反対は失敗ではなく、何もしないことだ』 みなさんいかが考えられますか?

2008年10月24日

「夜食は愛情印のおにぎり」

数週間前総務の机の上に電気炊飯器がおいてあるので不思議に思っていた。 次の日午後4時ごろ台所を通りかかったら、 ご飯の出来を見てる総務の女性がいた。 そばには、ふりかけの「ゆかり」が見えた。 時々、展示場、工場の製造や彫刻の状況を見に回リ現場の現状を教えてもらう。 そのとき、ある幹部から『おにぎり助かりますわ』とはずんだ声で喜んで報告をくれた。 やはり、そうだったのかと思い当たった。 工務部長に事後報告を聞いたら、最初はパンを買っていたそうだ。 これではお腹がもたないということで、総務を始め、内勤の女性郡が協力して、 『愛情印のおにぎり』をつくってくれたそうだ。 幼いころ、遊びで怪我したら。消毒し赤チンをぬってくれ最後に『痛いの痛いの飛んで行け』 と母が傷に手を当てしてくれたのを思い出した。 このひと手間が無償の愛だ。 自分の持分の仕事以外に助け合ってつくってくれた女性人に心から感謝だ。 世の中はギブアンドテイクが常識だ。 でも、ギブアンドギブンと一方通行の無償の行為だから感動するのも事実だ。 現場の人たちが喜んでくれてることで、作ってくれた女性人は喜んでくれてると察する。 色んな部署でこんな助け合いができてるのを肌で感じる。 改めて人間万歳、人間は性善説だと確信する次第だ。 みなさんも目に見えないが手当てで感動されたことおありでしょう!!

2008年10月23日

「三方良しこそ問題解決のコツ」

売り手良し、買い手よし、世間良しの三方良しが『商』の根本哲学だと考え、 発展させたのは近江商人だ。 しかし、売り手と買い手、企業と世間は利害が対立するから理想論だと決め付ける人もいる。 世間の『競争』という利己的な面からの一方的な見方ならそうだが、 もう一方で、約束を守るという『信用』の側面から見ると、 互いが目に見えないが信じるからこそ成り立つ利他的見方も必要だ。 今回の世界の金融危機はリ-マンブラザ-スが信用を悪用したサブプライムロ-ンに端を発しだ。 今、アメリカ議会ではCEOに利己的商品を作ったとして責任追及がなれている。 たとえ話をすると、『お金がない』とする。 問題解決の方法は三つだ。 1)お金を借りるか盗む。 2)支出を切り詰め始末する。 3)仕事を倍にして日夜働くか、仕事の効率を上げて収入を増やす。 もうひとつ方法があるとすれば、お金のない世間に転居することだ。(仙人になる) もうお解かりでしょう。近江商人は3番の解決をしてきたのだ。 一番の解決方法は直接的で解り易いが、「お金」の問題は「お金」で解決しないのだ。 ここが近江商人のすばらしいところだ。 もしお金が欲しければ(売り手)お客さん(買い手)を喜ばすことを実行する。 自分のうちの問題はお客さんという外の問題解決をすることで結果得られるものだと考えるのだ。 これをモット拡大解釈すると、 自分の幸せは他人を幸せにすることだし、 今、実現したい問題は未来に希望と志(夢)を持て行動することで時間の枠を超えることが解決だ。 自分のうち側の問題は外の問題を解決し、外の問題はうちの心を知足にすることで収まる。 近江商人の哲学は今も我々の心の中で生き続け、 問題解決のコツを教えてくれると同時に発展的で創造的な生き方を示唆してる。 皆さんはいかが考えられますか?

2008年10月21日

「5勝4敗1引き分け」

この確率を考えた人は人生・仕事の達人に違いないと驚いた。 誰がこんな比率を言ってるのかというと、ジェロの『海雪』の作詞家の秋元康さんだ。 実にすばらしい比率だと感服した。 というのも、勝ち負けの社会だから勝たなければ生計も立たない、 でもかっこいいのは、勝ちひとつあれば良いというのだ。(足るを知る) さらに引き分けがひとつとするところは、粋な人としかいいようがない。 もし仮に9勝1敗だったら、他人から妬まれるだけでなく、 嫌がらせされるかもしれない。 逆に1勝9敗なら馬鹿にされ信用されないから、 はじき出され、相手にもされなく、無視されるかもしれない。 現実は1勝ですから、 生活もできるし、人からも極端に誉められることもないが嫌われない。 また極め付きに良いのが1引き分けだ。 これがあるから未来への挑戦や向上心が出てくる。 極端に理想が高いわけでもない、ひとつに勝てばいいだけだ。 勝てば2勝、負ければトントンになる際どい1引き分けも実に現実的だ。 仏教では「中庸」が正しく、その方向は八正道の実践だと小乗仏教では言う。 具体的にどうするかとなれば、抽象的で具体的行動をどうするかわかりにくい。 ところが秋元流は、実に解りやすい実践的な比率の距離感だ。 コミュニケーションの達人の黄金率だといっても過言でないと、驚く私がいる。 凡人の私はついつい、100対0の極端なコミュニケーションに走り、 白黒、勝ち負けをはっきりする『正しさ』の会話になり、『楽しさ』の会話が上手くできない。 『窮鼠猫をかむ』の格言のように、 行き過ぎると自信を超えて高慢ちきになり、 逆に相手を追い詰めて、逆切れされるかもしれない危険性もあるのが事実だ。 秋山流はまさに中庸のいい加減な、バランスの良いコミュニケーションだ。 これが実践できると、自由でさわやかな楽しい人生・仕事ができるコツを得る。 みなさん一度やってみる勝ち(価値)ありませんか?

2008年10月18日

「一生学ばざるを得ない楽しみ」

北京オリンピックが終わったかと思うと、 金融危機と地球は大変ドラスティクな様相だ。 『世界は舞台、人は俳優』とシェークスピアが表現したように、 その時々に、主役を演じる人、脇役の人がでてくる。 こうして歴史は新しい一ページを記録する。 オリンピックも金融のアスリートたちも、競争に勝つことが使命だ。 元来怠け者の私は、競争より、自分にしかできない価値(勝ち)を求めた。 たぶん弱虫で、おろかな性質なのだ。 だから人生・仕事に三つのキーワードを選んだ。 『苦』『損』『危険』だ。 理由はいたって簡単だ。競争率が低いからだ。 社会人になって、自分で決めたのは最初の就職だけだ。 これも、別に目的があったわけではない。 当時建築が盛んだったから関連業種、名前がかっこよかったからという二つの理由だ。 たった半年で退職して、たまたま相談相手がいなかったので、 ゼミの先生だった学長に、就職依頼したのがキッカケで今日がある。 出会いが運命を開くと、つくづく感じる。 ほんとのキーワードは『楽』『得』『安全』を選びたかったが、 みんな狙うので競争率が高く、避けざるを得なかったというのが本音だ。 だからといって、自分の人生や仕事を振り返って、 愚痴や不平や不満を言いたいのではない。 逆だ、確かに人生・仕事の入り口は競争も少なかったが、 海のものとも山のものともわからない、危険が伴う仕事だ。 そのため、毎日真剣に取り組まないと仕方ない状況に追い込まれた。 不安も行き過ぎると『どうにでもなれ』と開き直れるんだ。 居直るのは諦めることで、そうではなく、 あくまでもやり抜くまでは諦めないと心に決めてた。 不思議なことに10年もすればこの状況に慣れてきて、適応力がつく。 マラソン選手のランナーズハイ(快感ホルモン)を感じるようになる。 いまだにキーワード、『苦』『損』『危険』は変わらないが、 真剣に体験を積み重ねたおかげで、社会を生き抜くのに免疫力がついた。 副作用ならず副産物に、どんなに嫌なことがあっても辛いことがあっても、 『働くことが苦』と思わなくなった。目の前の困難から逃げない姿勢も身につけた。 ありがたいことだ。 しかし、結果、一生学ばざるを得ないことであり楽しみでもある。 みなさんは競争に勝ちますか?それとも価値増すか?

2008年10月17日

「勇気が原因、自信は結果」

ヒューマン・リソース研究所所長の鈴木民二さんはこう語る。 人は失敗を恐れる、失敗することによって何かを失うと思うからだ。 要するに、自分にとって損する、ムダと考えるからに違いない。 本当にそうか疑問だと問題定義される。 失敗を恐れるものは何事もできない。 平凡な生き方、無難な生き方、消極的な生き方を好む人たちだ。 偉業を成し遂げる人間は失敗を決して恐れない。 ここにある人の経歴を紹介する。 22歳=事業に失敗 23歳=州議会議員選挙に落選 25歳=再度事業に失敗 26歳=恋人の死に直面する 29歳=神経の病を患う 34歳=5年で三度の下院議員に落選 46歳=上院議員に落選 47歳=副大統領になろうとするが失敗 51歳=アメリカ合衆国大統領となる この人物の名はアブラハム・リンカーンだ。 『失敗は成功の母』といわれるのは、成功より失敗のほうがより多く学べるからだ。 リンカーンは成功と失敗を繰り返しながら、 困難を乗る越える力を養い、一歩一歩魅力を高めた。 未来という見えない世界を「不安」ととらえ、尻ごみするか、 見えないからこそ、やり方次第ではチャンスをつかめると期待に胸はずますかだ。 まさに自信という結果は勇気という原因がないと獲得できないのだ。 逆に、失敗は一見ムダなように思えるが、積み重ねることにしか自信は手に入らない。 効率を最重要と考える現代の世の中に必要なのは、 ムダとのバランスをとることだ。 老子は『無用の用』が大事と語りかけるのも、 行き過ぎたり、偏った心の働きに警鐘を鳴らしてると思うのは私だけだろうか? 皆さんはいかがお考えになりますか?

2008年10月16日

「天・人・地」

『人法地、地法天、天法自然』    老子 天人地の順番があると言うのは老子だ。 人は地に従う、地は天に従う、天は自然に従う、 自然=道だ。 こういうことなんだそうだ。 地=1)好き嫌い、損得を何でもの見込みただただ受け入れることが出来る性質だ。    2)何もかも受け入れ、堆肥に変え栄養を与え生き物を育てる。 人はこの二つの性質道理に自分を作ることだ。 天=1)あまねく照らし全体がわかるように地図を与える。    2)地の栄養分に光と熱を与え命をはぐくみ育てる。 自然=道といい、宇宙を作った法則だ。これをサムシンググレートというのは、 筑波大学名誉教授の村上和雄先生だ。 科学と宗教は全く別々の両極端なものでなく、 同じ土俵にある同一のものだと信じて疑わないという。 科学は証明され応用ができる技術(細胞ひとつ人間は一からつくれない) 宗教はサムシンググレートの働きであり、信じることだそうだ。 信じること=人間の智の源と断言される。 先生によると遺伝子はガン遺伝子のような利己的な遺伝子もあるが、 逆に譲り合い助け合いの働きをする利他的な遺伝子もあり、 この二つがバランスよく機能することで、 人間をはじめとする生物は生存のための内部環境が整うのだと考えられる。 ところが、この説明書なしにこの世に生まれる人間は頭で考えることを重要視するあまり、 この加減がわからないのだ。 他の動植物はすべて遺伝子上でコントロールできるように組み込まれている。 (食事も種の保存の期間や方法も) 老子の語る順番は古いが、意識化で考える人間にとってはよい説明書ではないだろうか? 天地の間の恵みで生かされてる自覚をもち、 人間をはじめ命あるすべてのものに感謝の念を忘れない謙虚さが必要だ。 皆さんはいかがお考えになりますか?

2008年10月15日

「自然、必然、当然」

武者小路実篤さんの書に「自然、必然、当然」と書かれたのがある。 私なりの解釈では考え方の三通りをおっしゃってると察する。 たとえば、風邪をひいたとする。 1)物の道理として解釈する考え   薄着、寒かった、疲労という物理的な元でなったと考える。   実にシンプルだが、科学的と称する人はこのように考えがちで、心の状態の影響を排除する。 2)人の道理として解釈する考え   もう少し深く考えると風邪のウイルス説は知ってるが、原因を人に求める。   あの人が無理な仕事をさせたからだとか、あの人にうつされたと、   あの人の作った(環境)仕組みのためだとか、   他人が元でなったと考える。   身体でも何でもだが具合の悪いことが起るとみんな他人のせいにする考えだが、   副作用を伴う、憎しみ、恨み、腹立ちが湧いてきて、口げんかならいいが争いにまでなる。 3)自然の道理(宇宙の法則・天の道理)で解釈する考え   ウイルスも人からうつされたことも解ってるが、なぜそんな関係ができたのか、さらに深く考える。   これはなるべきしてなって必然だと考えると、   自分の心の隙や不足を反省するし、身体も休めるチャンスだと考えることができる。   自分自身の言動に問題があり、他人に問題はないので、自然、必然で当然の結果だと考える。 この三番目の解釈する考えが、自然に逆らわなく人間が成長発展し、苦しみから解放される考え方だ。 ところが人間は、 逆の言動をして我を張り自分の言動は悪くないと考え、 不足と不満を持つから、当然不幸を作り出す結果とになる。 もちろん他人から『どん突かれる』ことがないように用心深く、 相手に言わせて、自分から主体的な責任ある行動はしない。 武者小路実篤さんのように『自然、必然、当然』と考えることが幸福な結果が得られる。 事実を自然に必然と受け入れれば、心は大きく寛大になり、柔らかく愉快になるのが当然だ。 みなさんは『自然、必然、当然』どう解釈されますか?

2008年10月12日

「あなたの中の最良のものを・マザ-・テレサ」

「あなたの中の最良のものを」 人は不合理、非論理 利己的です 気にすることなく 人を愛しなさい あなたが善を行うと 利己的な目的で それをしたといわれるでしょう 気にすることはなく 善を行いなさい 目的を達しようとするとき 邪魔立てする人に出会うでしょう 気にすることなく やり遂げなさい 善い行いをしても、おそらく 次の日には忘れられるでしょう 気にすることなく し続けなさい あなたの正直さと誠実さとが あなたを傷つけるでしょう 気にすることなく 正直で誠実でありなさい あなたが作りあげたものが 壊されるでしょう 気にすることなく つくり続けなさい 助けた相手から 恩知らずの仕打ちを 受けるでしょう 気にすることなく 助け続けなさい あなたの中の最良のものを 世に与え続けなさい けり返されるかもしれません でも、気にすることなく 最良のものを与え続けなさい みなさんは、この詩を読まれていかが感じられますか?

2008年10月11日

「断定の想念・坂村真民」

昨年末になくなられた宗教的詩人で『念ずれば花開く』を自分の真言として、 詩を書き碑を全世界に建立された人だ。 そのうちのひとつが大阪・茨木市千提寺の、まだま村にある。 村長は立花之則さんだ。 縁あって、『念ずれば花開く』の碑の建立を手伝だわせていただいた。 そのときの除幕式の講演の中でおっしゃられた言葉が『断定の想念』だ。 みなさん、もし癌になったとする、解決には三つの方法がある。 1)癌に負けず戦って治そう。 2)癌が治ればいい、良くなりたい。 3)癌は治った。 一般的には2)の解決方法で、お医者さんにも頼り、家族の世話になる。 自分も半信半疑で未来がどうなるか不安な気持ちと恐怖感がある。 なぜなら生きたいと思うからだ。 さて厄介なのは1)の解決方法の人だ。理屈で戦いをいどむのだ。 退治するくらいの勢いで、頭で敵を作って戦う。苦しいだけだ。 見てる周りも苦しくなるし、本人が苦しくなると回りに苦しさを吐く。 坂村真民先生は違う。 3)の過去完了にして飲み込んでしまうことだ。 言い換えると『信じること』そう思い込むことだ。 思い込みは祈りへ、質的に変化する。 また、自分自分からお任せの捨て身になる。 癌は治ったのだから、思い煩うこともなく、普通に暮らす。 ポジティブだから免疫力も高くなる。 医学ではプラシーボ効果という。 先生が伝えたかったのは、 トラブルの元凶は『不安』『心配』に支配された、心の働きだということ。 だから、『自分を信じること』と言う、ぶれない、 腹の据わった心を創ることこそが、「断定の想念」だと伝えたかったのだ。 生きたいから、前進するのにトラブルがあると、『不安』『心配』がでてくる。 しかし、死ぬまでは生きれると自信を持てば、悩みは無いということだ。 白隠禅師は『死を見徹すれば 真の大丈夫』と言い放ってる。 皆さんは『断定の想念』いかが考えられますか?

2008年10月10日

「無一物中無尽蔵」

中国の禅の祖師は達磨禅師だ。 五祖弘忍禅師だが、ある時六祖を選ぶのに、 今まで学んだことを書きなさいと弟子全員に申し付けた。 もちろん超エリ-トは神秀上座だ。 神秀=「身はこれ菩提樹、    心は明鏡台の如し、    時々に勤めて払拭して    塵埃をして惹かしむること莫れ」 身体も心も常に鍛え磨きをかけるという優等生の答えだ。 ところが、当時、米つきをしていた弟子の中でも下位の慧能に仲間が面白がって書けといった。 慧能=「菩提、本(も)と樹無し、    明鏡も亦、    台に非づ本来無一物    何れの処にか塵埃を惹かん」 元々樹もなけれな心も無い、人間は無一物や、無いものに埃とる作業は無い。 慧能は自分の与えられた米つきの仕事に全身全霊打ち込んで徹しきることだといい。 自分の全生命をかけてやり遂げることだ。 自分の中にあるそうした力を信じきることだと言い切る。 自分だ他人だ、迷いだ悟りだということが無く、「苦」もない。 とらわれない、こだわらない、偏らない心になると断言する。 「無一物中無尽蔵」 創業間もないころ、恩師小田切瑞穂先生になんどとなく聞かされた話だ。 当時は深い意味は解らなかったが、 とにかく裸になって体当たりすれば無尽蔵に得れることは間違いないと考え、 呪文のように唱えると、見えない未来の恐怖心が払拭され、何か勇気が湧いてきたのを覚えている。 今でも、『裸になれ』『人間本来無一物、無一物中無尽蔵』と、 自分に言い聞かせると必ず勇気が湧いてくるのが不思議だ。 みなさんが信じて道が開ける言葉はどんなのを、お持ちですか?

2008年10月08日

「口は禍の元(ことわざ)・愛語よく回天の力(道元)」

五日市さんのイスラエルのおばさんからの手紙に書いてあった内容。 『心の持ち方は大事ですよ  だけど、モット大事なのはね  言葉の使い方なの  どんなことを口に出すかで  あなたの目の前の状況は変わってくるし  あなたの心も変わってくるの  本当よ』 五日市さんのコメント 人間は言葉によって考え、言葉によって行動します。 口から発せられる言葉は間違いなく自分の人生を作ってる。 さて、「ありがとう」「感謝します」「ツイてる」の三つの言葉で会話ができたら、 きっとすばらしい幸運がやってくること間違いない。 日本では口については「沈黙は金、雄弁は銀」と評され、 寡黙な人ほど腹の座った決断力のある人物だと考える傾向がある。 ところが、『只管打座』と黙って座れと言い切る道元禅師が口について、以下に語ってる。 『愛語よく回天の力あることを学すべき』 一般的に仏教では愛は執着ととらえる(利己的エゴ)のだが、 道元の愛語は自分に振り向かせるための利己的なものでなく、 慈愛に満ちて、他人を救う愛情のある言葉を使うことで、 「回天の力」になるということだ。 良寛さんも道元を尊敬され、この愛語を非常に大切にするが故に、 無邪気な子供の中に愛情の姿を見出し『毛毬坊主』となった。 自分のことばかりしゃべりすぎる自分勝手な利己主義も困りますし、 何も自分からしゃべらなく、なにを考えてるかわからない態度は不信感を抱く。 会話はほどほどに、いい加減に、呼吸のように話すのが良いとは解ってるが、 普通のバランスを保つのが難しい。つい熱が入るとしゃべりすぎるのは私だ。 口は禍の元ですか?それとも幸運の元ですか? どちらを使いますか、皆さんは?

2008年10月06日

「『陽気に遊ぶ』ことが人生・仕事の目的」

人生・仕事の目的は『陽気に遊ぶ』ことだと教えるのは天理教だ。 ところが、真面目な日本人は『遊び』は罪悪だと考える傾向がある。 仕事を笑いながら楽しくするのでなく、黙ってやることが常識だと考えてる。 また効率が悪いということで、私語も厳禁だ。(しゃべりすぎて仕事にならないのも困る) 西洋風に仕事とプライベートは分けるのが当然とでも言いたいのだろうが、 どこからどこまでが仕事でプライベートかを線引きできないのも事実だ。 人間一人だから時間で区切るしかないのだろうが、 中味まで「仕事の自分」と「生活する自分」をジキルとハイドみたいに分ける器用な人もでてくるから、驚きだ。 不器用な私にはできない。(仕事も私生活も同じ対応だ) ビジネスだからルール(分業だから周りに迷惑になるという意味で)を守らないと進まないが、 人生・仕事の目的である陽気に暮らし遊ぶことのほうが楽しい現実を生み出すので重要だ。 お金をもらってるから仕方ないという義務感を目的に考え仕事する姿勢に、変な違和感を覚える。 義務感で仕事することを反対するつもりはないが楽しくない働き方だ。 『陽気に遊ぶ』をテーマに生産性を上げることが出来れば最高だ。 そこで、松本 滋さんの『遊びの哲学』5つの条件を紹介する。 1)遊び=自発性がある。(好き嫌い言わずに、自主的に、「ハイ喜んで」と進んでする) 2)遊び=価を求めない。(損得抜きで利益が目的ではない。それ自体に意味を見出す)              仕事=遊び=使命=喜びというように考える。利他行だ。 3)遊び=楽しさがある。(欲得抜きで遊ぶので、苦しいことがあっても楽しいの塩味だと思える)              マラソンのランナーズハイかな!!  4)遊び=共同性がある。(一人で遊ぶのでなく大勢で共同していっしょにやるから楽しい)              今、はやりのインターネットは遊びではない、なぜなら一人でできるから、              鬼ごっこや、缶蹴り、グループサウンド、芝居 、サッカーなどなど。 5)遊び=一定のルールがある。(ゴルフもそうだし、ボウリングもだ、ルールがなければ楽しくない。)                 もしルール違反した瞬間、喧嘩になる。野放図で無秩序ではないことだ。 ここで学ぶのは何かというと1)フェアプレイの精神2)自主性3)共同性だ。 言うなれば社会性だ。みんなでゲーム的にルール決め楽しく共同生活をすることを肌で学ぶ。 今の子供は知育に偏り、一人で孤独と戦い、共同性より他人と比べる競争ばかりだ。 本当にかわいそうだが、遊びを肯定するバランスの良い環境で育ってない。 大人の責任だ。だけど、気づけば創りかえれば良いのだ、自分たちの手で!!!! 私たちの小学校時代は学校から帰ったら家にいなかった。 『遊びの哲学』を肌身で学んできた。 だから学生時代の遊びはもっぱら、フォークソングのバンドを組んだり、スポーツにのめりこんだり、 または、学生運動に社会を変えると棒を振り回し、意気がって遊んでいた。 卒業したら、何も勉強してなかった自分に気づき、 申し訳ないから学ばねばならない羽目になったというのが本音だ。 学校も世の中も会社もモット『遊びの哲学』を入れて、 陽気に暮らしながら、学び、仕事する職場の実現が神様の喜ぶことだと松本さんは断言する。 情報化社会の現代人は科学万能主義を唱へ、 理屈の整合性ばかりを見つめ、自分で苦しく悲観的な環境を創ってる。 良いことを行ってると思い込んでるのだが、 すべてが逆に創られているようだ。 皆さんいかが考えますか?

2008年10月04日

「勘と度胸の経営」

科学万能社会の弊害は『勘と度胸』を信じなく、理路整然を好む。 要するに理屈にあってることが良いことと考える傾向がある。 平成の元年のバブル崩壊後は職能性賃金で年功序列が悪いと理路整然と語られた。 現実はどうだ。 技術が頼りの日本は技術も伝承されず、人材に愛社精神も育たず、企業倒産が増えた。 一方働く側も派遣労働者(2000万人)に格下げされてしまったのが日本の現状だ。 本当にすばらしい技術、人材を育てる土壌より、 企業も働く人も目先のお金儲けばかり求めることを理路整然と計画し実行した結果だ。 逆に『勘と度胸』はまるで馬鹿の象徴のように思われてきた。 ところが、信越化学工場社長の金川千尋さんは違う。 1)『易きに就かず、狭き門より入れ』 たとえばという、強い需要家がいた時、そこにどんどん売っていけば楽だ。 しかし、勘と度胸の経営は逆だ。困難でもあっても、他の有望な新規客を見つける。 論理的に理路整然としてることだけをやるんではないのだ。 先を見てる勘というべきだ。 2)『需要家にフアンをつくるのは義理と人情だ』 化学業界は環境変化の激しい業界だ。米国子会社のシステック社はわずか10人だが、 基本は『義理と人情』の営業だ。 将来有望だが今困ってる会社を見つける、ここに大胆な『義理と人情』での支援をする。 これが金川流だそうだ。利他行をやらないでファンはつけれない、でもビジネスだ。 失敗もある。度胸がいるのは当然だ。 いまさら声を大にして『勘と度胸』といわなくても、 事業が継続してる会社にはこれがある。 人間の『気』のようなものだ。でも分析する『意』がいらないわけではない。 順番からいうと『気』が一番だ。 13期連続最高益を出し続ける社長は証明してる。 人間が人間のために人間によって経営があるからこそ、 『勘と度胸』の大事さがわかってる人だ。 わたしも同感だ。 この奥に潜むのは一番は「利益は求めること」でなく「与える行動だ」ということだ。 皆さんはいかがお考えになりますか?

2008年10月03日

「還暦・感激・サプライズ」

「HAPPY BIRTHDAY」のケーキです。
還暦のお祝い(集合写真)

毎月月初に、本社で全体朝礼を行う。 ISO14001(環境)を取得していることもあって、 季節の鉢花を、誕生日を迎える人にプレゼントしている。 10月は4人(私を含めて)だった。 みんなの前に出てきてもらい、 バースデイメッセージに励ましや感謝の言葉を一言書いて、 鉢花をプレゼントする。今月はバラの花だった。 わたし終えて、その場で待つようにと言われ、待っていたら、 内海局長からバースデイメッセージの漢詩を読んでいただいた。    贈耳順還暦翁    年六十而六十化    伊昔紅顔美少年    年々歳々花相似    歳々年々人不同 今年は『つちのえ子』の年に当たり60年に一回だ。 この漢詩のように、人不同だから、 子供のように無邪気に61歳をスタートさせたい。 プレゼントの鉢花は1メートルはあるサボテンだ。 花言葉が気が利いてる。『情熱(パッション)』だそうだ。 おまけに、30人前あるビックなバースデイケーキも出てきて、 還暦・感激・サプライズ。 みんなの心からの祝福は、支えられ生かされてる人生の実感でもあった。   ありがとう!!ありがとう!!ありがとう!!

2008年10月01日

「川の流れのように」

美空ひばりの晩年の名曲だ。もちろん秋元康さんの詞だ。 作詞家、TV番組企画、映画監督と幅広く活躍されてる秋元康さんは、 『人生は一筆書きのようだ、仕事も点でなく線となってつづられていく、 自分だけのもので、またあるマニュアルを追うだけでない。 自分の勘を信じること、直ぐに答えがだせなかったら、 タイミングをつかむまで自然に待つ、川の流れのように』 実に自由で自在に楽しく人生を送られてる姿に感服だ。 仏教では『一切皆苦』だと諭し、行動が大事だと教える。 でも『苦』から説明されると、 生まれてこなければ良かったと思わせ、 自分を縛ることを由とする苦行主義と間違ってとらえてしまう。 お釈迦様は「苦行無益」といっておられる。 さて、現代流に楽しく生きるために『苦』を定義する。 『苦』=自分の思い(主観)と事実(客観)の不一致の状態に起こる心情だ。 『苦』の解決方法を二つ紹介する。 1)自分の思い(主観)を変えないで、事実(客観)を変えると一致して苦は消滅する。 たとえば、『顔にしわができる』→『若くありたい』(思い・主観)→整形する、化粧する(事実を変える) 2)自分の思い(主観)を変えて、事実(客観)を変えないで一致して苦は消滅する。 たとえば、『顔にしわができる』→『若くありたい』(思い・主観)→『年相応だ』(主観を変える) 一般には、無意識にハイブリットな判断を下し喜怒哀楽を生きてるのが事実だ。 ところが、苦しみ解消するだけでなく、 最高に楽しく生きるには1番か2番のどちらの解決方法を選ぶかと問われれば、 答えは2番だと教えてくれるのが秋元さんだ。 ちっぽけな自分を捨てて、事実(客観)の川の流れに身を任せ、楽しく生きることを由とする。 それには1)素直に生きること      2)自分の勘を信じること。この二つの条件が大事だ。 川は大海に向け流れる、人生行路歩いていると新しい事実(客観)に出会う。 出合った事実にワクワクどきどきしながら、真摯に向き合った時、 自分の潜在意識にある新しい面が引き出てきて、自分もビックリやら感動したりする。 決して世の中に流される受身の人生観ではなく、積極的な捨て身の人生観だ。 川の流れのように生きてこそ楽しい人生だと語りかけられてるようだ。