社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2008年11月30日

「芳村思風さんの言葉」

感性経営を指導される芳村思風さんは奥が深い。 愛とは「どうしたらいいのだろう」と、よりよい方法を探しながら、 悩む心、考える心のこと。 その揺れ動く心が愛である。愛は結論でなく心遣いです。 さて、わたしはこの解説が奥深く哲学的だと考える。 というのも、仕事そのもののとらえ方や、 仕事上のお客さんとの関係や部下と上司の関係に置き換えることができるからだ。 思風さんによると、 「どうしたらよいだろう」と問うのが感性であり、問い続けることが愛なのです。 「こうしたらいい!」と答えるのは理性。 答えを持つことは大切。でもその答えに縛られないこと。縛られると対立する。 理性は縛られると違いを受け付けない。成長も止まる。 「こうしたら喜んでもらえる」と思った瞬間。押し付けになる。 受け入れなかった時「こんなにしているのに・・・」となってしまう。 どうしたら相手に喜んでもらえるか、努力している姿に愛があることです。 人間を愛するということは、短所を含めて、不完全な存在を愛することです。 愛は、結論ではありません。 理性に縛られず、理性を手段能力として、『問い』続け、努力し続けること。 相手のことを思い続けることに愛がある。 私流だが、この理性と感性を二宮尊徳流に「感性なき理性は罪悪、理性なき感性は戯言」 と置き換えて考えると、一つ一つの事実にハイブリットな判断が要求されるということだ。 現実は答えが用意されているのでなく、 その場で自分が判断し、やってみるのだ。 判断の良し悪しは事実が判定してくれる。 だからわからない未来が楽しいのだ。 愛についての基本はマザ-テレサの『愛の反対は憎しみではなく、無関心だ』 みなさんは芳村思風さんの言葉いかが考えられますか?

2008年11月27日

「ユーモアの達人・釈迦」

こんな風に書くと御釈迦さんの事を茶化してるのかと叱られそうだが、 実は違う。 逆に我々が近寄りがたい御釈迦さんに勝手に妄想してるのだと思える。 三法印の中に「諸行無常」という教えがある。 無常とは変化する事実だ。逆は永遠だ。(凡夫はいつも永遠を求め苦しみを作る癖がある) 御釈迦さんはそんな難しく抽象的には言いません。 事例1 我が子を亡くして悲しみ苦しみのどん底にいて自暴自棄になっていた母親が、 『御釈迦さん子供を返してください』とすがる。御釈迦さんは即座に『わかりました』と答え、 『では、この村で死人を出したことのない親を連れてきなさい』といいました。 それを聞いた母親はこれで苦しみ悲しみから開放されると、 直ちに一件づつ聞いて回りましたが、残念なことに一軒もありません。 御釈迦さんの元に返ってきたときはすでに、 自分だけでないことに気づき事実を受け入れ、「無常」を知ったそうだ。 もうひとつユーモアたっぷりな話を紹介する。 事例2 御釈迦さん本人を目の前で誹謗、中傷するバラモンに出会う。 バラモンがののしり罵声を浴びせ終わるのをまって、こう切り出す。 『あなたはどう思いますか?』バラモンはいぶかしげに『はあー』と答える。 『自分の家に友達とか親戚とか、あるいはお客さんが時々来たりするでしょう?』 バラモンは『はい』『ありますが、それが何か?』と答える。 御釈迦さんは続けて質問する。 『もしたくさん御馳走を作ったのに来る予定のお客さんが現れなかったら、その食事をどうしますか?』 するとバラモンは『御馳走なので、私と家内と子供たちで食べます。』と答えた。 すかさず、『今あなたはわたしに誹謗、中傷、非難などの接待をしましたが、 残念ながら私はそれを受け取りません。ですから自ずとその誹謗、中傷、非難は あなたと奥さんと子供たちでお受け取りください。』 これをユーモアの達人でなくなんと言うのだろうか? みなさんは御釈迦さんに堅苦しいイメージ持ってませんか?

2008年11月26日

「学問のすすめ・福沢諭吉」

『天は人の上に人をつくらず、人の下に人を・・・・・・・・』 このくだりは誰でも記憶にあり、人間の基本的権利として、 生命を尊重し、財産を守り、個人の名誉を重んじること。 他人がこの権利を侵すことができないと、 「独立自尊」を高らかに唱えるのだ。 言い換えると『自分で自分の心を支配し、他に頼りすがることがないこと』と言うことだ。 福沢翁は 『自由とは自分の分限(能力・立場)をよく心得、 天の定めた道理に基づき、人間の情を大事にして、 他人を妨げず、一身の自由を守ることである。』という。 鎖国から開国し西洋文化を受け入れ、混乱の中での主張だ。 また翁は自由とわがままは違うと力説してる。 そのものさしは『他人を妨げるな』だ。 母がよく言ってた『他人に迷惑かけるな』につうじる。 最近、家庭教育も学校教育も『他人に迷惑かけるな』という教えが消えたようだ。 個人主義だ個性だと叫ばれるのはよいことだ。 しかし、相手を受け入れる忍耐強い努力がなければ、自分のことも認められないのが普通で、 個人主義はまさに独立自尊の精神を養わないと、存在があやういと思う。 140余年前の文明開化の時期と現代の世相が、ダブって見えるのは私だけだろうか? 学問には二つある。 『道の学問』=自分を鍛える人徳形成、哲学、文学、歴史学、思想 『芸の学問』=食うための技術を磨くこと、法律、医学、科学、芸術 この両立が本来の学問だが、知識偏重教育になり、私利私欲に走りがちだと叱られてるようだ。 また、生活に貧富があったり、強弱があるのは、「働き」が違うという。 人の働きには大小、軽重がある。 学問も人の働き、芝居も、人力車を引くも。 この働きを向上させるには『高尚な人』でなければならない、 高尚な行動が出来ないからだという。 自分の生活ぐらいは自分で出来、 さらに世のため人のためにやるぐらいでないとダメだという。 文字の一つ一つに活力と前向きさがほとばしる勇ましく、前向きな人だ。 みなさんならどう感じられるでしょうか?

2008年11月24日

「結婚披露宴に参列して」

昨日平安神宮で弊社勤務の清水君の結婚披露宴に参列した。 紅葉のすばらしい季節の京都は観光客で一杯だった。 定刻の四時に新婦の友人の司会で始まった。 新郎は羽織袴、新婦は白無垢に白い角隠しをつけて入場だ。 上品な中に華やかさと落ち着いた雰囲気のある宴であった。 明るく笑顔のある家庭を作りたいと抱負を司会者から紹介された。 互いに助け合い、励ましあうすばらしい家庭を作ることと確信する。 そのキ-ワ-ドは『愛』だ。 これは目に見えません。 だからこそ大事に育てなければならない、自分が自分でだ。 木の根っこが見えないように、土の下に土台として深く、大きく張ってる、 この根っこを手入れすることで、木は実をつけ、大きく茂るのだ。 根っこは大地から栄養を運ぶ必要不可欠のものだ。 人間の心も同じだ。 身体は大地の恵みで食物を食べることで育つが、 はっきりとした意志がいる。体の作用といってもいい。 この作用は根っこの心が発信源だ。 その心は言葉として表現され意志となる。 意志は言葉になり、所作、立ち居振る舞い(態度)として身体で表現される。 心=愛(慈悲)=利他心(他人を第一に思いやること)は直接表現ができない。 この根っこに気づき、仏の心や神の心とシンクロにシティ-(共時)するとき、 こころは澄み、利他行が喜びになる。 結婚とはお互い「思いやる心」を学ぶためのものではないかと改めて思った。 宴も終わり神宮内の披露宴会場を後にしたのは7時前だった。 みなさんはいかが思われますか?

2008年11月22日

「未来が変わる。」

「未来が変わる=自分が変わる」だ。 では、自分がどう変わるのかだ。 その条件は3つある。 1=たとえなんであれ何かを一生やると決めることだ。覚悟した瞬間変わるんだ。   今の仕事でもいい、具体的に掃除でもいい、挨拶を必ずするでも、ハイと返事をするでもいい、   まず今を100%受け入れて覚悟をするだけだ。   何か他に自分に合うことがあると考えた瞬間、迷い悩み、未来は変わるどころか、逆に過去に戻る。  2=どんな行動をするかが次の課題だ。できるだけ呼吸のように行動することだ。   あせって、早く走りすぎてもダメ、逆に休憩しすぎてもダメだ。   あくまでも呼吸のように吐く息を意識すれば吸うのは勝手にすえる。   吐く息とは利他行が一番ということ。与える行動が一番だ。   結果必ず自分にも与えられる。ここを逆にしては未来は変わらない。 3=時勢に合うことだ。時代は変化する。これを感じ創意工夫を加える努力と意志がいる。   その価値創造が決めてだ。時勢のタイミングに会わないものは自己満足の何ものでもない。 この三方良しが整うことが未来が変わることだ。この判断のものさしは『現実』(事実)だ。 どんなに自分の頭で考えて創意工夫しても、時代に早すぎ、遅すぎてはダメだ。 ここが人生仕事の厳しいとこであり、また誰にでもチャンスがあるところだ。 「覚悟」は時に揺らぐのも人間の性だ。 古来、禅では外からの八つの風に動じてはいけないと諭す。 『寒山詩』に「八風吹けど動ぜず」とある。 世間から吹く八風とは何かを教える。 1利(り)=意に叶うこと 2衰(すい)=意に反すること 3毀(き)=陰でそしること 4誉(よ)=陰でほめること 5称(しょう)=目の前でほめること 6譏(き)=面と向かってそしること 7苦(く)=心身をくるしめること 8楽(らく)=心身をよろこばすこと 自分にとって嬉しいことも嫌なことも動じないというが、 感情をださないニヒルを言うのではない、 (ニヒリズム=知行合一せず、頭のなかで調和をつくり行動と絡まない思考のみ、無表情になる) 喜怒哀楽の感情を出しながら動じない。 まさに車のニュ-トラルの状態を一度通過して、前進もバックも自由ということだ。 『動中静 静中動』という態度だ。 私にとって現在の仕事でやりぬくと覚悟したの40歳の時だ。 その後も八風には引っかかる自分があるからこそ、未来の時間が与えられてるのだろう。 みなさんはいかが考えられますか?

2008年11月20日

「リーダーシップ考」

リーダーシップは親になるのと同じだ。 だが、これには三段階の時期を心得ねばならない。 言い換えると、子供が大人になる段階と同じだ。 モンテスキュウーの『法の精神』によると、 教育には三段階がある。 1〕親の教育 2〕学校教育 3〕社会教育 しかし、最後の社会教育を学び成長していく時期は、思春期と重なる。 この時期は、親の教育と学校教育を否定し、 自ら体験し学んだ社会を、体系化しようと自分の価値観を創造し、育み苦しむ時期だ。 これと同じように、部下に対しても三段階がある。 一般に、仕事における三段階を『守』『破』『離』という。 『守』=上司から仕事のやり方手順を真似る時期だ。     この時期には自分の意志が確固となく、遵う時期だ。(親の教育の時期) 『破』=この時期はある程度自分でできる段階になり、上司と報告、連絡、相談を密にし、     上司のアドバイスを参考に、自分の仕事のスタイルを作る時期だ。(学校教育の時期) 『離』=さて、最後の自立の時期だ。ここが一番大事だ。上司を尊敬して自立するか?     上司を蹴飛ばして自立するか?(社会教育の時期) うまく旅立たせるには、上司自身が自立する時期だと考えることだ。 『守』=親の教育『破』=学校教育までは寄り添ってるんだ。 ところが、『離』=社会教育の時期は思春期と同じで、寄り添われると嫌な時期だ。 だから接し方には技術がいる。 『守』『破』の共依存関係から脱却し、互いが自立する。 だから、100%部下を受け入れる態度で接し、 同時に上司(親)として、100%自立することだ。 上司(親)が自立するということは、自分自身の志をもっと高く、広く、深かくすることでもある。 母親なら娘と、父親なら息子と格闘があるのが一般的だ。 この時期の非行は、社会への不安や、大人になることの責任への恐怖からくるのだ。 答えはひとつではないが、 上司(親)がどっしりと、部下(子供)を信頼することが寛容だ。 自分の常識をはずし、部下の常識を受け入れ、じっと見守る態度がいる。 『負けるが勝ち』ということわざのように、部下の価値観をまずは受け入れることだ。 必ず立派になることを確信し、互いが真剣に向き合う大きな愛をもって!!! これは方向性だ。現実は、まだまだ自立できない未熟な大人の自分がいるのも事実だ。 だから人生・仕事は奥が深く、未来の時間はどんな大人に成長するかの証明で、楽しみだ。 みなさんはいかが考えられますか?

2008年11月19日

「努力考・本田宗一郎」

本田宗一郎さんは世界のホンダを創った創始者だ。 大変職人気質の仕事好きの人だったらしい。 非常に現実的な人で、努力について「努力と徒労は違う」と力説される。 徒労=仕事の中に能力を活用したり、方法をえらばないことだ。    言い換えるとそれは道楽になる。 努力=創意と工夫がある。    しかし、努力には意志がない、努力が価値を認められるのは、    その時代の情勢にもっとも緊急の効力を生んで始めて認められる。 この現実に役立たねば努力じゃないと言うリアリティーには脱帽だ。 本田さんのものさしは現実だ。 ややもすると我々人間は逆のものさしで自分を計る。 現実ではなく理屈を物差しにする。理屈はガイドラインとして必要だが、 現実を閉じ込める物差しにはなりえない。 なぜなら、自然のほうが理屈より先に生まれ(存在)、 人間の理解よりはるかに大きな法則を内在して大自然の調和をならしめている。 人間はその一部を学んだにすぎない。 すべては事実が先生だ。 禅では『今・ここ・自己』なりきれという。 江戸時代の白隠禅師はこの今は『因果一如』と言い切る。 今=過去から見れば結果、未来から見れば原因 この二つが含まれてるのが『今』だ。 だから、現実を良くし、物心両面の価値を創造する意志がいる。 皆さんはいかが考えられますか?

2008年11月15日

「「恥」を知る文化に自信を!!」

大阪の平野区にある瑞興寺さんという真宗大谷派が出している機関紙『鬘囀|』 (ひっくり返ってること)の第295号の中にグロ-バルスタンダ-ド(世界基準)に、 合ってない日本はダメだと世界から批判され、 日本でも欧米風が正しいとまかり通る世の中になってることを憂うる論説を発見した。 日本伝統の『恥』の文化を大切にし、自信持って欲しいというのが結論だ。 そのためには、行動は全く難しく考える必要はないというのだ。 キワ-ドは三つの実行のみだという。 『もったいない』『罰当たり』『みっともない』 これだけの日本語で自分を育てるには充分だと言い切る。 1、『もったいない』はモノなら大切に、人の親切には感謝する、ありがとうを表す。 2、『罰当たりは』天につば吐けば自分に帰ってくる、お天道様がみとうしや等、        天を畏敬する気持ちを持つことで、        人に対しても思い上がらず謙虚になるということだ。 3、『みっともない』電車の中で化粧する、たちながら食べて歩く、私たち世代は必ず家に帰って、         食べなさいと躾られた。また電話もそうだ、         みんなの居るとこから居ない場所に出てかけた。 世界では、いろんな場面で違う習慣にぶつかるかもしれない、 でも其れが文化という個性だし自信を持つことだという。 格言に『郷に入っては郷に従え』というのがあるように、 ことさら、意地を張る必要はないが、 グロ-バルスタンダ-ドはどこの習慣に合わせてるのか疑問だ。 今の日本文化、逆になってませんかと問いかける。 実に簡単でわかりやすい説法だ。 子供は親の言うことを聞いて成長するのではありません、 親の行動を見て、成長するのだと問いかけられてるようだ。 親として自分の行動を振り返って、 『恥』を知る行動ができてるか自問自答だ。 教育委員会が悪いだの、政治が悪いと他人に責任転嫁していないだろうか? 学校教育も社会も創ってるのは一人一人の私たちの行動だ。 だからといって、聖人君子という理想を押し付けているのでもない、 親として、一社会人として誇りと自信を取り戻し、 『恥』を知る文化を育んで欲しいというという熱いメッセ-ジだ。   皆さんはいかが考えられますか?

2008年11月14日

「人間的魅力は中庸を心得る。」

人間的魅力の条件があるとすれば、どんな人か考える。 それには4つの条件がある。 1)幅広い興味を持ち自分を磨く人 2)お金に対する執着がなく利己的な行動をしない人 3)常に拡大再生産が正しいと思い込んで挑戦する人 4)人が好きで優しく、自分に厳しく、自分なりの価値観を持ってる人 簡単に書くとこんな人物像になる。 ところが、こんな人は病気にかかりやすいのだ。 行き過ぎという病気だ。 是にかかると、 1)何でも知ってるが、どれも是も中途半端で焦点が絞れない人となる。(集中は自分の力の発揮でもある) 2)自分がお金が欲しいと思ってないから、なんでも大衆化すること、大量化すること、安いこと、   公平が先に立って、価値創造(ベネフィット)の知恵と創造力に欠ける人となる。   (創意工夫と行動こそが富の源泉、価値創造) 3)うまく行かないことが想定されず、   いつも攻めようとし過ぎ、質を無視し、見た目を重要視し、   量や数字の拡大にこだわるいいカッコしいで、   プライドが高い人となる。(攻撃と退去のバランスが真の勇気) 4)人間が好きだから、嫌われないように、人に苦言を言ったりせず、   また自分の価値観に注意し諫言する人を嫌う傾向になり、話を聞かない。   または自信過剰になり独裁的になってしまう人となる。(鬼手仏心で叱るは利他心) さて人生が楽しいのは行き過ぎが解らないことだ。 言い換えると未来の自分がわからないことだ。 自分は正しい、自分は間違ってないと自信を持ちすぎることが原因で病気になるのだ。 四書五経の中の『中庸』に、 『喜怒哀楽のいまだ発せざる、これを中と謂う。発してみな節に中(あた)ることを和と謂う。  中なるものは天下の大本(たいほん)なり、和なる者は天下の達道なり。  中和致して、天地位し、万物育成す』 人間を超えた宇宙の法則を『中』と謂って、発してみな節に中るはと書かれているのは、 人間は宇宙の法則に遵って、人の道を歩むことを和と謂うのだ。 アクセルとブレーキのコントロールを、現実の中で実行しろと教える。 『中和』すれば天と人が統合、統一し、万物が生成発展するということだ。 理想と現実の間が分裂、遊離がないというのが本当の人間らしい姿であるが、 理想に偏りすぎると空想的になり、現実に偏りすぎると堅くなり進歩がない。 諫言をしてくれるすばらしい友や部下、仲間を大切にすることと、 逆に夢を語ったり志を夜中まで突き詰めたりする人も大事だ。 理屈でわかってるが人情(感情)が邪魔して、聞けなく、受け入れない、 逆に夢や志が語れない自分がいるのも事実だ。 少しは理想が先んじるほうがバランスがいいに違いない。 とはいえ、一人の人間がすべてできないから、いいパートナーに気づき尊敬することだ。 案外近くにいるのではないだろうか? 皆さんは理想派ですか、現実派ですか?

2008年11月11日

「多事争論・筑紫哲也」

TBSのニュ-ス番組に『筑紫哲也NEWS23』で、 キャスタ-を勤め、番組の中の「多事争論」は、 時事問題を自分なりの切り口で語るので大変楽しみにしていた。 ところが先日訃報が報道され、まことに残念に思った。 彼の報道姿勢に、二つを感じていたからだ。 1)報道をできるだけ偏らず客観的な態度を貫くこと。 2)民主主義と言論の自由を大切にし、世界の発展を希求する態度と啓蒙だ。 たぶん多事争論で語ったと記憶するが、 選挙の投票率の低さをまるで自分の責任のように表現することには驚いた。 『報道に携わる一員として、  民主主義の発展の根幹の選挙権を行使することをテレビを通じ呼びかけたが、  この低い投票率に終わったことに、私の無力さを感じる』 このような趣旨だったと思う。(正確ではない) さらに彼は資本主義も民主主義も基本は信頼でつながっている、 この根本が壊れたら成り立たなくなると憂えるのである。 現実の社会が1000年も昔からあって、 すべてが当然と思い込んで生活する自分から見ると、 鳥肌がったった。 1900年、二十世紀初頭は世界は戦争の世紀だった。 このときに民主共和国は3カ国に過ぎない、 ところが現在の世界は190数カ国ある中で180数カ国が民主主義を標榜してるのだ。 (数値は正確ではありません) 日本も1945年以降の話だ。 この自由に話せ自由に行動できる社会の根本はみんなが信頼できることを前提にしてる。 今経済的に起こってるのはこのお金の信用をバックにマネ-ゲ-ムをしたことが原因だ。 多事争論を戦わすことは大いに結構だが、 目的はより良い住みやすく楽しい安全な社会の実現だ。(すばらしい未来像の姿) 是はお互いに約束守り信頼する、 個々人が公の国なり集団の担い手という自覚した人格を前提にするのだ。 筑紫さんはこの根幹のぶれない報道をされた人物だと思う。 改めて自分に国を作ってる一員と言う自覚があり、 社会に貢献する大人としての行動が出来てるか問う次第だ。 皆さんはいかが考えられますか?

2008年11月08日

「「無事」とは」

こんな言葉を見つけました。 『真剣だと知恵が出る  中途半端だと愚痴が出る  いいかげんだと言い訳ばかり』 知恵には二つの顔がある。 ひとつは自分のいる外側(環境)を理想郷(志)を実現するという知恵、 もうひとつは自分の内側の心を平穏に無事にする知恵だ。 両方の知恵が必要だが、 外側については衆知を集め、自ら学び具体的に行動し一歩づつ現実化させる。 時間はかかるが、コミュニケーションを盛んに、協力しあって達成する。 さて、問題は内側をどうするかだ。 自分の心の制御は自分がやるのだが、 どうしても、周りの環境や人に求めてしまうのが人間のおろかなところだ。 一休禅師は 『仏とて外にもとむる心こそ  迷いの中の迷いなりける』 と表現され、 道元禅師は 『冷暖自知』と熱い寒いは自分で体験しろと突き放す。 日蓮上人は 『極楽と言うも地獄と言うも  外にはそうらわず  ただ我らが胸の間にあり  これを悟るを仏と言い  これに迷うを凡夫と言う』 自分の内側を自分で調和させれる人を『貴人』と言って、 『無事是貴人』と表現され、求心やむところに無事があると言うわけだ。 外に求めないことだが、逆を行動することが多い自分がいるのが事実だ。 反省あるのみだ。 外には与える「利他行」に邁進することだ。 江戸時代の至道無難禅師曰く 『仏は慈悲して慈悲知らず』 ごく自然にできる人には慈悲の言葉はいらない行動で実践されてるからだ。 年を重ねることは肉体的にはどうしようようもないが、 『無事』を実現するには年を重ねることは楽しみを得ることでもある。 いや、独りよがりだろうか? 皆さんはいかが考えられますか?

2008年11月07日

「3分間スピーチ」

一ヶ月ほど前から、朝礼時に社員一人に3分間スピーチをやってもらってるが、 事前に指名されることは少なく、突然だったりするので思いついたことや、 即座にまとめる力が要求されるので、本音が出て面白い。 今日はNさんの話だ。 東京にコンサートに行って夜中のテレビ番組の話だった。 関西でも日曜日の午前7時30分から企業の新しい取り組みなどを紹介する番組に、 『がっちりマンデー』というのがある。それをもじった『ざっくりマンデー』なる番組だそうだ。 スターバックスのこだわりはカップにしるしがある、 それはお客さんの要望にすべてイエスというためだそうだ。 コーヒーの温度や出来具合だ。 また、機能的な事務機にグッドデザイン賞を取った話もあった。 なんとそのデザインの評価は『セクシー』だ。 実に楽しく面白いヒントを提供してくれる話だった。 話のまとめはどうなるか聞き入っていたら、以下のように切り出した。 「どこの企業人も一生懸命相手(お客さん、仲間)のためにアイデアを出し実行してる、  まさにわが社の『利他行』の実践と同じだ」と締めくくった。 働くのは何らかの形で人のために役立ちたいと思ってるし、 またそれが自分の存在感でもあるという。 だからこそ『ありがとう』の言葉を大切にし、 会話の前にまず『ありがとう』だと言ってスピーチを終えた。 実に考えさせられるスピーチだった。 五日市さんのイスラエルのおばあさんの手紙に、 『心の持ち方って大事よ  だけど、もっと大事なのはね  言葉の使い方なの  どんなことを口に出すかで  あなたの目の前の状況が  変わってくるし  あなたの心も変わってくるよ  本当よ』 人間は言葉によって考え、言葉によって行動する。 口から発せられる言葉は間違いなく自分自身の人生を創っていく。 イスラエルでも日本であっても、 いろんな関わりの中で、どんなに結果が自分の思いと違っても、 まず『ありがとう』から口に出すのが幸せへの入り口のようだ。 皆さんはいかが考えられますか?

2008年11月06日

「幸せで豊かな人の十か条・小田真嘉さん」

幸せは誰でもなりたい、ではいったいどうすればなれるかが問題だ。 この十か条はそんなテストなのだ。 まずは、できてるか、できてないかを自分で計り、 本気で幸せになりたいなら、実行以外に手はない。 『幸せで豊かな人の十か条』 1、仕事に最善を尽くすが、家族にも尽くしてる人。 2、人の上にたつことよりも、人の役に立つことが好きな人。 3、話をするのも好きだが、話をじゅっくり聞ける人。 4、今さらと思うよりも、今からと燃える人。 5、成果を期待するよりも、成長を楽しめる人。 6、自分の成長以上に、他人の成長を歓べる人。 7、割に合う仕事を探すよりも、自分に合う仕事を創る人。 8、勝ちにこだわるよりも、価値に生きる人。 9、合理的に働くよりも、個性に生きる人。 10、遠くの夢を見ながらも、足元の幸せを見つけられる人。 私は最初の一条から反省だ。 すべてを実行するまでには随分時間がかかりそうだが、 未来を楽しみにできそうだ。 皆さんはいかがでしょうか?

2008年11月05日

「われ損の道を行く」

商売の基本のように教わったのは遠い昔のことのようだ。 『われ損の道を行く』を実践するのが王道だ。 松下幸之助さんは『儲けるのでなく儲かる』ことだというのも、同じ意味だ。 「儲ける」は自分を中心にした考えだが、「儲かる」はお客さんが選んでくださるようにする。 相手の要望や要求を満たすために、一生懸命働くことが前提だ。 言い換えれば利他行だ。 「け」と「か」天と地ほど違うのだ。 また、日本人は農耕民族でもあったため、天災や飢饉を経験してるので、 『十働いて、八もらって、六使う』のが近江商人の言う三方良しになる。 二割は税金だ。今でも1500兆の国民はお金を持っているのは日本独特だ。 加工貿易で資源のない日本は物づくりや、世界中を相手に行商をするのが国の成り立ちだ。 経済の基本といっても過言でない。 ところが働くことの美徳が欧米化されて、いまや六割働いて、八割もらって、十割使う。 これでは国がつぶれてしまう。働くことを喜び、感謝することが大事だ。 「働く権利があり、学ぶ義務がある」と考え、国や国民のためになり、喜ぶのが本筋だが、 「自分以外の人や国からもらって当たり前が権利で、 その範囲の義務を、自分で主観的(勝手に)に決めてすればいい」と考える傾向はないだろうか? 自分が先に行動することを利他行という。 結果は十割ではない、三割でいい、しかし後の七割は目には見えないが心の根っこ(徳)を太らせてるのだ。 「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉があるように、人間の行動には無駄はない。 「われ損の道を行く」といわれたのは、前ダスキンの社長の駒井さんだ。 「お役立ち」といわれるのは松下さんだ。 お二人の経営者は「お役立ち」「損の道を行く」を実践し、 世の中の指示を受けられたことは間違いない事実だ。 どの業界でも、時代の要望にあった商品やサ-ビスを研究し提供することだが、 目に見えないが哲学が経営の根本になければ、真の発展にはならないと確信する。 皆さんはいかが考えられますか?

2008年11月04日

「利益について」

世界は金融恐慌状態だと、毎日のように新聞やテレビなどを賑わせてる。 こんな時だからこそしっかりと、利益について考えておかないといけない。 欧米でも利益には三つある。 1)ベネフィット(BENEFIT)=何かのためになること  たとえば本を読んで何かのためになる。  価値創造を含み、世のため人のためという広義の意味、  また物心両面の利益(価値)ということだ。 2)プロフィット(PROFIT)=利益だが投機性でなく、具体的ものつくりや、  経営の組織つくりという、ソフトも含めての利益だ。 3)ゲイン(GAIN)=投機的利益だ。  言い換えると宝くじや、パチンコのような利益で、  一部の人の利益は多数の人の損で成り立つものだ。 今回の利益は、世界的な金余りが生んだ悲劇だ。 まさにゲインの利益に走りすぎた結果だ。 国民の富の分配まで二極化し、富める者と貧しきものを出現させた。 だから、絶対にだめだといいたいのではない。 スポーツのように一定のルールがあればいいと思う。 アメリカの新古典派の経済学は、何もかも自由でよいとする危険性があった。 しかし誰もそれを予測し、ストップをかけれなかったのが歴史的事実だ。 これを教訓に、新しいルールを、世界が協力して作って欲しい。 住友の家訓に 『我が営業は時勢の変遷理財の得失計り、弛緩興廃することあるべしといえども、  苟(いやしくも)浮利にはしり、軽進すべからく』 と投機的利益を慎めといってる。 「バンクはバンド」といったのはイギリスのロイドだ。 基本は、金融は産業と産業を結んだり、また産業と商業と結ぶバンドなんだ。 アイスランドを始め世界中が、お金の魅力に負け、ゲインをやってしまった。 真面目にものづくり、商業をやってきた人たちが、再生してくれることは間違いないが、 浮利を追わず、物を作ること、商いをすることに本物の汗をかき、 働く生きがいと誇りを実感する事が大事だ。 皆さんはいかがお考えになりますか?

2008年11月01日

「どうしたらやる気が出るか?」

NHKの茂木さん(脳科学者)の「プロフェッショナル」という番組で、 やる気について以下のようにまとめられていた。 やる気の定義=目標を達し報酬を得ること。        1〕達成感、満足感(自分に自信)        2〕報酬=1、何かの法則を知る。               2、金品を得る。               3、他人に役立つことで感謝と尊敬される。               4、畏れる気持ちがなくなる。 この4つが共通してることだが、個々人の個性によって違うのも事実だ。 さて、個々人の違いで大きく三つのタイプ人を想定してみて、解決を解き明かす。 1)目標のない人。   尊敬できる良き指導者を持つこと。   またはこうなりたい、こうありたいと自分で思い描く人物(イメージでもいい)を持つこと。 2)目標はあるが集中が出来ない人。   小さな成功体験を積み重ねることで脳はやる気になるんだそうだ。   辛抱強く続けることにより、集中力を作り出せる。(継続は力といいますね) 3)人付き合いが上手な人は脳がやる気になる。   ただし、人の欠点を探すマイナス思考でなく、人の良いところを探し誉めることだ。   注)めったやたらに誉めると嬉しくない、良く叱られてる人に誉められると嬉しい。    人を叱るというのは、自分に利己心があればできません。    良くなって欲しいという心からの愛情がなければなりません(親心のように)。    また、人参(金品)ぶら下げるような叱り方はテクニックですので偽者だ。 さて、やる気のある人とは1〕目標を明確に持ち、積極的で強い意志力と誰にも負けない努力をし、             2〕目標に集中するが、身体は柔軟にリラックスできる人             3〕人付き合いが上手で、他人の長所を良く観察し、自分に取り入れ、              また素直に喜べる陽気な人だ。 以上の三つの条件を備えてる人のことだ。 こんな人を育てる前に自分がこんな人になることが一番早い。 部下に求めるより自分が変わらなくては!!!!! 皆さんはいかが考えられますか?