社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2009年02月28日

「地球村・同志社大学浜教授」

今朝の新聞に『私たちは地球村の住人』というタイトルの文章を見つけた。 私と感じるところが同じなので書かせてもらう。 教授によると、 「グロ-バル化で地球はつながった。 地球の裏側にいる人にも手を差しのべられるようになったのに、 国家の枠に引きこもり自分のことしか考えられなくなった。」 今こそグロ-バル・ビレッジ〔地球村〕という発想がほしいと語る。 どう実現するかについて、精神論が要るという結論だ。 デュマの『三銃士』に『一人はみんなのために、みんなは一人のために』 を引用し、人間の浄化が求められると締めくくる。 昔から『仏作って魂いれず』ということわざがあるように、 グロ-バル化の時代の仕組みだけを整えても運営できない、 心意気や、魂、人間らしさが出てこないと輝かないと断言する。 私なりに、もう一歩突っ込んで考えるなら、自利利他行の実践だ。 これは茶道の文化に織り込まれている『主客一如の精神』だ。 亭主は正客に一番いい道具で季節の花や食べ物を提供する、 これには三つの利他行がいる。 1〕相手を『察する感性』 2〕相手を『思いやる気持ち』 3〕自分の持ってるすべてから相手に提供する道具や、季節の料理と演出を『創造し実行する行動力』 これが「お任せの心」なんだ。 お任せは相手に対する全幅の信頼がいる。 「信じる」という我がいるのだ。 言い換えると「信じる文化」だ。 食材も何もかも無駄なく使え、合理的な文化といってもいい。 ところが、欧米流のメニュ-方式は自分のほしい雰囲気、食べ物を選ぶ文化だ。 確かに、今の瞬間の気分や体調に合わせる自己中心という我のいる文化で、 本人は満足だが、すべてを取り揃えておく無駄が生じる。 互いが信じあうという本来の心遣いを学び、 本来の無駄のない循環型経済の実現が望まれる。 単に精神論で解決するんでなく、 利休の生み出した茶道の文化に、 本当の合理性と心遣いを感じるのは私だけだろうか? みなさんは地球村の発想に立って精神のあり方どう考えられますか?

2009年02月26日

「西郷隆盛のことば」

『世人は取れば富み、与えれば失うという』      西郷隆盛 世人は取れば富み、与えれば失うという。 なんと言う間違いだろう。 農業にたとえよう。 けちな農夫は種を惜しんで蒔き、秋に取入れを座して待つ。 もたらされるのは、飢餓だけである。 良い農夫は良い種を蒔き、その上、手入れを惜しまない。 五穀は百倍もの実りとなって増え、有り余るほどの収穫を得ることになる。 ためることだけに執心する者は、収穫することを知っているだけで、植えることを知らない。 だが、仁政を行う者は植えることに精を出す。そのために収穫は、求めずとも訪れるのだ。 さて、損得勘定で自分に利益することばかっり考えた行動は損するということだ。 もし、ほんとに自分が利益したければ、まず損することだ。 知恵も行動も、心使いも出すことからはじめることだと西郷さんは言う。 「呼吸」も「出入り」も自分から見ると出すほうが先になってる。 だからこそ、世の中が循環するのも事実なんだ。 100年に一度の不況だと世の中は騒がしい。 貯金しないで皆さん使ってくださいということが声高に叫ばれてる。 みんなが使わないと経済が循環しないで、日本丸が沈没することになる。 率先垂範してみませんか?みんなの動き見てからですか? 皆さんいかが考えられますか?

2009年02月25日

「仕事、人生の目的について」

目的とは何のためかだ。 自分のためだというと利己主義(自己主義)といわれることは間違いない。 でもあえてそういいたい。 こんな話がある。 イチローがヒットを増やし活躍してるがマリナーズは負けてばかり。 そんな時、目的が自分のプレーに集中して成績を伸ばすだけで、 チームのためになっているのかと悩み、尊敬する王監督に相談した話だ。 王監督は即座に、 「自分のためにプレーしなさい、すると結果チームのためになる」と断言された。 この意味が深いのだ。 『最初からチームのためにというのは言い訳ができるよ』ということだ。 決して利己主義を肯定してるのではない、 選手なら選手を100%やりきってチームに貢献しろということだ。 私たちは社会という世界で、他人と共に生きているのが事実だ。 言い換えると、家庭にしろ、会社にしろ、社会にしろ世界もチームだ。 自分の役割に徹しきることが結果チームのためになる行動が出来ることだ。 ここでは甘えは許されないという『掟』だけがある。 これが大人だし、プロだ。 プロとは職業的、専門的という意味だ。 職業的とは自分の役割でお金をもらうという意味でもあり働くことだ。 反対語にアマチュアという言葉がある、 意味は素人、趣味であることをする人とある。 少なくともお金をもらってる以上はプロだ。 どんな人も最初からプロではないことも事実だが、 資本主義社会では自給自足生活をしない限りはお金が必要な仕組みだが、 だからといって、金が大好きな守銭奴になることを進めるつもりはない。 むしろ儲かるという字を考えると、 儲=信+者と書き、 信念のある人のことで、社会に役立つ人だから信者ができる人だとも考えれる。 要するに世の中に役立つ人であり、その人がいると側(はた)が楽=働くだ。 ここで、もうひとつ目的に必要なことを付け加えたい。 イチローが考えたチームのためにどうするべきか悩むことの意味だ。 目的にはみんなのためにという夢・志が大きくなければならないと考えられる。 それは自分がみんなに認められ、喜ばれてることを通じて、 自分の存在や尊厳〔自分にしかできない存在〕を確認する意味でだ。 これも究極は自分の成長のためだが!!! お金はあくまでも手段に過ぎないが、 人間は知らず知らずに手段が目的化する動物でもある。 目的と手段が一如(同時)かどうか、チェックが必要だ。 皆さんはいかが考えられますか?

2009年02月23日

「どう行動する。」

アメリカ発の経済的厳しい状況を、どう行動すればいいのかと悩まれてる人も多い。 そこで先人の知恵ある言葉を思い出すことにする。 松下幸之助さんの言葉 「常識は大切に、しかし新しいものを生み出すには、  常識から自分を解放することも、また必要である」 この言葉は核心的で、挑戦的、行動的な響きがあり感服だ。 これは苦難を感じ乗り越えてきた人の自信に溢れてる。 創造し変化することが進化だ。 私たちは今、変化しなければならないと解っていながら、 常識に縛られていないだろうかと考えさせる。 さて次にはダーウイン〔進化論〕の言葉を紹介する。 「強いものが生き残るのでなく、  賢いものが生き残れるのでなく、  唯一変化できるものが生き残る」 自分を変化させ適者になることだ。〔適者生存〕 環境の変化を敏感に感じ取ってである。 ところが強くなりたいと筋トレし、 賢くなりたいと受験勉強している人間は滑稽だ。 変化を生き抜くためには、 フランク・A・クラークの言葉を心に刻む必要がある。 『人は自分に賛同してくれる人といると快適だが、  自分に賛同しない人といると成長する。』 実際に行動できてること書いてるのかと叱られそうだ。 皆さんは今をどう行動されてますか?

2009年02月20日

「凡事徹底・鍵山秀三郎」

鍵山さんはイエローハットを創業され業界第二位の上場会社にまで育てられた。 お話を聞く機会があった時の第一印象は、非常に謙虚な人で、 丁寧に話される、柔和な表情の持ち主だと感じた。 そのときにトイレの掃除をやり続けられてることを通じ、凡事徹底とは何かと話された。 凡事徹底について 誰にでもできる簡単なことを、誰にも真似できないほど徹底して行う姿勢だと断言された。 凡時徹底の絶対条件は三つだ。 1)すべてに行き届いてる。 2)その人の主義と行動が迷うことなく一貫している。 3)すべてのものを生かしつくす。 私がこのブログを書き始めたのは部下の日報のコメントからだ。 部下は上司の指示で日報を書いてる、 それにコメントもしないで返すのは失礼だし、 一生懸命行動してるのに申し訳ないと考えたからだ。 全員に肩をたたき、励まし、ご苦労さんと言いたいができない。 せめて一生懸命仕事した毎日の日報には目を通し、 志や人間として磨いていくことへの楽しさを、伝えられたらいいと考えただけだ。 私のできる凡事徹底だ。 こんなに続けられたのは、 日本の女子バレ-の監督柳本晶一さんが言った言葉が、頭にあったからだ。 『手を離しても、目を離さない。  目を離しても、心を離さない。』 仕事も人生も、誰がやってるかといえば人間だ。 すばらしい仕事を仕上げる前に、人間を創る事が大事だと常々考えている。 心を離さない経営こそが、私の目指す経営だ。 鍵山さんのように徹底できてるかは、いささか疑問だ。 こうしてブログを書く機会を与えられたことによって、 いつも見過ごしてることに気づいたり、 自分の不得意なことに関心を寄せることができ、嬉しい。 ブログを書く事で生活に良いリズムができたり、 物事を客観的に見たり書いたりできたのも、嬉しい限りだ。 まだまだ、発展途上だが、改めて感謝したい。 『ありがとう』『ありがとう』『ありがとう』!!!!

2009年02月15日

366日目のブログ

前回のブログで一年の365件書くことが出来たが、 365件書くのに約一年7ヶ月かかった。 今日は二年目の第一日目となる。 さて、このブログはあくまでも自分がぶれないように言い聞かせるためが目的の日記だ。 決して説教がましく書くつもりは無い、 改めて人間には希望や志が必要不可欠だと確信する。 なぜなら、自分を自分で元気付けモチベ-ションをあげることができたからだ。 だから、できてない自分がある。 未来の自分を書いていたのかもしれない。 「言葉=行動」が理想とすれば、 言行一致してない未熟な自分がいることが事実だ。 言行一致といえば江戸時代の王陽明の陽明学だ。 当時は幕府御用達、林羅山の朱子学は『先学後行』を自負していたが、 元来学問は実学でなければ空論だということで盛んに陽明学が普及する。 京都では石門心学なる実学が石田梅岩により一般人にも学ぶ機会も生まれてくる。 さて「老子」は手厳しい、「言葉」というものを以下のように語る。 『真実の言葉は美しくない、美しい言葉は真実でない、  正しい言葉は聞こえが良くない、聞こえが良い言葉は正しくない』 若いときは老子は「無為自然」とか言って虚無的に思えて好きになれなかったが、 最近は実に深いと感じるようになった。 自分がこうありたいと願う「老子」の言葉を紹介して第一日目とする。 『優しくなりなさい、そうすれば勇敢になれる  つつましくなりなさい、そうすれば広い心になれる  人の前にいかないようにしなさい、そうすれば人を導く者になれる』 今後の課題だ。

2009年02月11日

「楽行有益」

御釈迦さんの修行は生半可ではなかったようだ。 たとえば 1)身体中に蜂蜜を塗って、蟻にたからせるとか。 2)片手をあげたまま下ろさないとか。 3)つめや髪の毛を切らないとか。 4)茨の中で寝るとか。 こんなことやると当然、身体が反応して熱がでるんだ。 この熱を「タパス」といって、インドのバラモン教では良しとされたんだ。 宇宙の最高原理を神格化し、ブラフマンが苦行して、 この世をつくったと考えられていたからだ。 当時はこの苦行に耐えられなく死んで行った人も多かったようだ。 そこでお釈迦様はとことん苦行した自分を否定されたんだ。 これはなかなかできない、自分の行動を否定するより、 自分は正しいというのが一般的だ。 しかし、それには理由がある。 1〕自分はこれだけやった、お前はどれだけやったという競争心が芽生える。 2〕また、苦行しないで適当にやってる奴に軽蔑心が芽生える。 結果的修行がエスカレ-トして、心は汚れて行くと考えられた。 修行を否定してるのではない、苦行が目的化することに対する否定だ。 あくまでも目的は『安心立命』だ。 「苦行無益」と御釈迦さんが言われたのにはこんな意味がこもってるのだ。 だから、これを逆にすれば『楽行有益』なのだ。 禅の『無門関』に、『遊戯三昧』という言葉がある。 ゴルフ三昧、仕事三昧、音楽三昧、その瞬間浸りきり、成りきることだと解く。 真面目に遊ぶことが寛容のようだ。 矛盾しないかと? いやいや、このいい加減さが中庸だ。 楽行有益=遊戯三昧 みなさんは楽行やってますか?

2009年02月10日

「天幸(てんさい)と人幸(じんさい)」

自分が悪いことに出会うのに、 自然なら天災、人なら人災というのであるが、 ほんとはすべてが「天幸」と「人幸」だ。 1)道を歩いていて水を引っ掛けられ、   不用意とはいえ人災だと相手に『怒り』の感情が起こる。      だが、考えようによっては水がかかったおかげで、立ち止まって休憩でき、   そのままだったら今通った車と事故になったかもしれないとなり人幸〔じんさい〕だ。 2)傘の用意を忘れ、木立のない野原で、急に雨が降り出すと、   自分の不注意、準備不足を責め、人災だと自分に『怒り』の感情が起こる。      だが、考えようによっては、相手が人でなく天〔大空〕で、   手も届かないし、声も聞こえないのであきらめる。   または自分が農夫だったら恵みの雨と天幸〔てんさい〕だ。 『人災を人幸にでき、天災を天幸にできるのが人間の特権だ』 ものの見方考え方で言えば古くから奈良県では、    『手を打てば、ハイと答える 鳥は飛ぶ 鯉が集まる猿沢の池』 旅館の仲居さんがあわただしく仕事し『ハイー』、 鳥は、しばしの休憩を楽しんでいたのにビックリし、 鯉は食事時と間違って群がってくる様子が眼に浮かぶ。 「人間の世界」で考えると息が詰まって生きにくいが、 「天の世界」に生かされてることを創造すれば、 今、生きてることが不思議で感謝だ。 今、今、今!! 皆さんいかが考えられますか?

2009年02月07日

生死即涅槃・道元禅師

『しかのみならず、生死はすなわち涅槃なりと覚了すべし』 正法眼蔵 道元さんはこんな表現をする。 生きて煩悩にまみれ、 仏祖の教えに少しでも近づこうと努力すること事態が涅槃だと教える。 だから「莫妄想」=妄想するなかれというのだ。 妄想を取り去るにはまず妄想を突き止めることだ。 妄想には二つある。 ひとつは誇大妄想、もうひとつは被害妄想だ。 自意識の強い人(エネルギ-の大きい人)はこの振れが大きく、思うようにいかなく苦しむんだ。 1)外に向かい怒りという姿となり現れ、 2)それが内に向くと自信喪失となり不安と恐怖という姿になる。 まずは、このように自分が自分の心に振り回されてることに気づくことだ。 次にはその自分の心を方向転換させるのだ。 アクセルとブレ-キを作って、この燃さかる命=(執着という)に方向を与えるのが寛容だ。 誇大妄想は=志・夢=自分という車のアクセルになる。 被害妄想は=自省(仏教では懺悔〔サンゲ〕)=自分という車のブレ-キになる。 被害妄想や、誇大妄想は自分の燃えさかる命のエネルギ-であると同時に、 生きてる証でもあるのだ。 この自分で作ったアクセルとブレ-キをさらに宇宙の法則(ダルマ・サムシンググレ-ド)へ、 高度に進化発展させる旅が一人一人の人生だということだ。 解ったような事言うなと、お叱りを受けそうだが、 現代病のうつ病は誇大妄想=志にエネルギ-発散する行動がなくなってるから起こる現象だと考えるからだ。 昔は節句に祝し、みんなでお酒を飲んで発散し、 また秋には五穀豊穣の祭があり、若い人が発散する場所はたくさんあった。 現在も学生時代には運動会やクラブ活動を通じ、 共同生活のアクセル、ブレ-キを自然と学ぶのだ。 ところが、今は満ち足りすぎて便利すぎ、 努力する必要がなく、志をもつ必要性がないのだ。 そこで、心がいつも閉塞してしまうのだ。 一方、世界のGDPの三位を占める経済規模になった中国は、 いまや発展途上とはいえない。 古い共同体の発散方法も伝統としてあり、 新しい豊かな生活を生み出す志と活気がある。 すなわち志=誇大妄想があるんだ。 道元の時代も現代ほどではないが、 妄想にに取り付かれ、 誇大妄想や被害妄想を志や自省に自ら変換(仏教では転悟)できない人もたくさんいたようだ。 私の周りで純粋で素直で自意識の強い人=(エネルギ-の一杯ある人)が、 自分をどう操縦して良いかわからず、うつ病になってる人が多い。 私は人がうつ病でなく、国がうつ病だと感じてる。 国が世界のために新しい志に燃える目標を持つ時だと考えてる。 私たち国民と国は表裏一体だ。 国の新しいプランや方向が明確になれば 国民一人一人も希望に満ち、溌剌と活き活き生きる国に再生されることは間違いない。 また逆に国民一人一人が日本だけの志でなく、 グロ-バル化してる世界のなかでの自覚ある世界レベルの志に目覚めることが必要不可欠だ。 皆さんはいかが考えられますか?

2009年02月07日

たこ梅〔日本橋・大阪〕2

日本橋のたこ梅にて、おでんを肴に一杯飲んでほろ良い気分で李白を想う。 おおらかで伸びやかな気分にひたって、ふと思い出した。 『李太白集』に、 「飛流直下三千尺 疑うらくは是れ銀河の九天より落つるかと」 本当に詩仙といわれる人物だ。 盧山の瀑布を見て、 水は銀河より三千尺落下すると吟じる。 この李白にかかれば人間の心のこだわりがちっぽけ過ぎる。 我を張って生きることが自分だと妄想しているのが実態だ。 参った、参った、スケ-ルが違いすぎるのが実感だ。 みなさんはこのスケ-ルの大きさどう感じますか?

2009年02月05日

「たこ梅〔日本橋・大阪〕」

この名前は大阪ミナミの『おでん屋』さんの名前だ。 この店の特徴は三つある。 1)ひとつはおでんのネタだ。 鯨のさえずり〔鯨の舌の肉〕を食べさせてくれる。 これが油が乗って最高だ。 2)もうひとつはお土産用に最適な名物がある。 それは「たこの甘露煮」だ。 これがまた絶妙な味だ。 3)極めつけは錫の徳利だ。 初代梅次郎さんが大阪では有名な錫専門店の半兵衛さん〔錫半〕と合作で作った、錫の徳利だ。 少し重いが燗がさめにくいようにしてある。 錫は傷つきやすいが、使い古されると妙に模様化して、徳利に味が出てくる代物だ。 現在は4代目になるらしい。 年配のおでん通らしい、なじみのお客さんで一杯だった。 何年ぶりだろう。一人でふらっと入ったのは! 会話する相手もいないので、 一杯やりながらお客さんの飲み方や注文する言い方やネタで、 職業や社会的地位、優しいとか厳しい人柄だとか、 人物を想像しながら人間ウォッチングだ。 酒好きの李白の詩の『独酌』に私と月と影法師と吟じ、決して一人じゃないと楽しむ。 今日のこの風景を彼ならどう吟じたろうと想像しながら、生中一杯とお酒一合を楽しんだ。 皆さんのお気に入りのお店はどんな店でしょう?