塩川正十郎さんこと塩爺の話を聞く機会があった。
彼の発言で有名な話に省庁の埋蔵金を評して、
国の財政が逼迫してるのに「母屋ですき焼きを食べておる」と皮肉った。
関西人特有のズバッと表現するがひょうきんな口調で憎まれない人柄だ。
そのときの話は世界が官僚型民主主義か,民衆型民主主義か、
伝統を重んじるか、開放的か?
自由経済か、計画経済か?で世界は立場や発展段階が違うということだった。
さすが、政治家だと思った。彼はさらに付け加えたのは、
「最近の政治家はこんな根本的な考え方を議論しなくなった」
政治家は民衆に迎合する振りして、官僚が好き勝手やってるというのだ。
しかし今後、必ず軌道修正され発展するのだろうということだった。
鎖国から開国し明治を生み出した志士達は吉田松陰塾の人が多い、
松陰が塾をやったのは2年ほどだが、
弟子が来ると必ず言ったのは、
「教えることは出来ませんが、ともに講究していきましょう」だ。
一番教師は誰からも学び、誰よりも学ぶ人のことだ。
個々の人間が宇宙のひとつの星だとしたら、
それは太陽の光と熱を受けて、
1)生かされてる存在だ。
2)太陽を完全無欠の不老不死の存在として学ぶ理想だ。
松陰は時代を開くべく、密航を企てたりして理想の国つくりを夢見たのだろう。
その意味では明治の志士達の太陽であった。
太陽には裏表がない、
その光(智慧)と熱(愛情)を浴びる星(人間)には裏と表ができる存在だ。
人間にとっては太陽のような存在こそが理想であり、
自分の長所短所を自覚する「ものさし」でもある(客観化)。
人間である以上は太陽になれないが、
理想(志)という太陽がないと生きれない存在であることも事実だ。
理想(志)は人間の光(智慧)と熱(愛情)を引き出す原動力にもなる。
お釈迦のようにすべての欲を捨て、
与えることだけができるには人間には時間と体験と修練がいる。
修練(努力)することによっては太陽の働きができる。
しかし、個々の星達(人間)に軌道(方法)があるのが宇宙だし人生だ。
仏教では「南無阿弥陀仏」=ナムアミタ-パと読み=無量光、無量寿と訳す。
理想を性急に求め「現実とは違う」と捨てることでもなく、
現実は汚いものだと決め付け、現実に埋没しエゴに徹し、理想をないがしろにすることでもない。
現実的に光(智慧)と熱(愛情)を具体的に働かすことで、
相手(周りの人々)や環境のためになり、
同時に自分の人生の軌跡ができる行動となるのだ。
お役立ちの行動(利他行)こそが修練の目的だ。
皆さんはいかが考えられますか?