社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2009年07月29日

六波羅蜜道について

小乗仏教の実践徳目は八正道だ。
日本に入ってきた仏教は大乗仏教で、
実践徳目は、タイトルの六波羅蜜道だ。

日常のお墓参りや仏壇のお参りに、お花や、ロ-ソク、線香をたむけるには意味がある。
仏教では我々迷える人間は六道の道に生き、迷いや悩みが多く苦しむ。
そこで苦からの開放の実践として六波羅蜜を考え出された。
これを積み重ね行じたら、菩提心が出て、心安らかになると教える。

さらに、仏になるには四つの段階、(声聞、縁覚、菩薩、仏)と順番に悟りの位がある。
六波羅蜜を行じる世界を六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)といい、
我々凡夫が生きる迷いの世界を表現してる。
仏教では、仏の道の四段階と六つ総てをあわせて、十界と名づけられてる。

さて、この六波羅蜜を具体的な品物で表し、
日常の実践徳目として行動するのに忘れないように考えられてる。

六波羅蜜は
1知恵=ロ-ソクを供える→愚かなくらい心を愛の知恵で明るくする道
2精進=線香を供える→怠け心をなくす道
3持戒=香を手の平に塗って体を清める→行いを正しくして、悪事を避けて善事に励む道
4禅定=ご飯を供える→散りやすい心をまとめて安定させる道
5布施=お水や茶湯を供える→物惜しみをする心をなくして、感謝の心で社会に尽くす道
6忍辱=お花を備える→怒りやすい心を静める道
この六つの心ができれば、亡者も拝む人も救われるということになる。

さらに、これを行じることの意味を付け加えると、
1)布施と持戒は「ハイ喜んで」と自我を出さず、好き嫌いを言わず、
損得なしで行動する根本的な徳目だ。
2)忍辱(にんにく)と精進(しょうじん)は外部から繰るいろんな傷害を防ぐことができ、
3)禅定と知恵は生死の恐怖からのがれる武器となるのである。

さて今年もお盆の季節になろうとしてる。
日本の文化を生み出した、茶道や華道のなかには、この心が作法として確立されてる。

仕事・人生は頂上のない山登りだが、一歩づつ登ることしかなさそうだ。
自分の仕事・人生を振り返ってみると、途中下車の多いことだ。反省、反省!!!

みなさんは六波羅蜜道を如何考えられますか?

2009年07月27日

居安思危(安きに居りて危うきを思う)

唐の太宗の時代に「貞観政要」という本がある。

みんな力をあわせ政治に取り組んだ苦心談の記録の中に、
魏徴(ぎちょう)という側近の太宗に向かい語った言葉が「居安思危」だ。

孫子の兵法には「治にいて乱、乱にいて治」というのがあり、
治世で世の中が安泰の時は乱を思って政治に当たるということだが同じ意味だ。

逆に、不況を乗り切れるのは、好況時に心を引き締めて経営したものだけが、
淡々と現実の問題を解決し、尚発展を遂げることは間違いない。

魏徴(ぎちょう)の語った、
「国が危殆に瀕したときは、優れた人財を登用し、その意見に、
耳を傾けますが、国の基盤が固まってしまえば、かならず心に緩みが生じます。
そうなると、臣下もわが身第一に心得て、君主に過ちがあっても、
あえて諌めようとはしません。
こうして国勢は日ごとに下降線をたどり、
ついには滅亡に至るのです。
昔から聖人は『安きに居りて危うきを思う』
のはこのためであります。
国が安泰な時ほど、いっそう心を引き締めて政治にあたらねばなりません」

人間というものは面白いものだ、安泰を追っかけて得れば、
危機を生み出し、危機を乗り越えては、また安泰をつくりあげる。

こんな繰り返しのなかで、
世の中に流されないのは、志を持っている人だけだ。
自分の使命を果たすことを支えとすることがブレない信念を築く。

京セラの稲盛和夫さんは『志を高め、経営を伸ばせ』と、
いつも我々を指導くださる。
現実は志が低いが、低いが故に志を高められる自分がいる。
未来を信じて、『可能性はある』と自分で自分に言い聞かすのが現実だ。

みなさんは如何考えられますか?

2009年07月24日

暑中見舞い

モラロジーの勉強をされてる小川様より暑中見舞いもらいました。
廣池千九郎さんが大阪の企業家に話された言葉だと書いてくださった。

1)今困ってる人は恩知らずの人である。
2)心配のあるのは欲があるからである。
3)人を救いたいと思えば商売ぐらいはついでによくなる。
4)力で得たものは必ず力で滅ぼされる。
5)欲で得たものは必ず欲で滅ぼされる。
6)恩返しに関係ないことは一切だめである。
7)滅びないものは神様からいただいたものだけである。

自分の都合のいい事には感謝しますが、
都合の悪いことに感謝しないのが人間の分別だ。

親父がなくなって今年で10年になる。
20日が月命日で毎月、浄土真宗・西願寺の住職に御参り参ってもらってる。

生きてるときには価値観が違う、理想の親父でないと100%感謝できない分別の自分がいた。
最近は命を与えてくれたとこまで下がれば100%感謝するしかない自分になれた(無分別)。

人間は、背の高さや筋力や体験が違うから、価値観も違うが、
命のレベルまで深いところから考えれば、
考えの違うことなんかは問題ではない。
逆に違うほうが学べる。

金子みすずの詩に、「私と小鳥とすずと」

「わたしが両手をひろげても、
 お空はちっとも飛べないが、
 飛べる小鳥はわたしのように、
 地面を早くは走れない。
 わたしがからだをゆすっても、
 きれいな音はでないけど、
 あの鳴るすずはわたしのように、
 たくさんうたは知らないよ。
 すずと、小鳥と、それからわたし、
 みんなちがって、みんないい。」

親父を受け入れることで、他人を100%事実(未成熟)のまま受け入れ、
学ぶことが面白くなった。

少し見方が広くなったようにも感じる。
(いつもできてるわけでないのと自分も未熟な発展途上人と自覚してる!)
これも毎月、月参りしているおかげだ。感謝、感謝!!!

みなさんは100%事実の他人を受け入れ、生かされてますか?

2009年07月22日

友について

御釈迦さんにお弟子さんが質問した。
「人生において、友が大事ですか?」

御釈迦さんは即座に答え、
「友がすべてだ。」とおっしゃった。

立派な友人に恵まれるのは、人生の幸福である。
人間を磨くのは人間しかないのだ。
しかし、どんな相手を友人に選ぶべき迷うところだ。

与謝野鉄幹は「友を選ばば書を読みて、六分の侠気(きょうき)、四分の熱」
頭が良くて、筋を通し、情熱がある人を友とした。

さて、孔子はもっと現実的な選び方をする。
「益者三友、損者三友」といって、
付き合って益になる人三人、損する人三人いると断言する。

「直を友とし、諒(りょう)を友とし、多分を友とするは益なり。
 便辟(べんぺき)を友とし、善柔(ぜんじゅう)を友とし,
 便佞(べんねい)を友とするは損なり」

ためになる友は
1)剛直な人
2)誠実な人
3)教養のある人
ためにならない友は、
1)易きにつく人
2)人当たり(ざわり)ばかりいい人 
3)口先だけうまい人

さて、独立自尊の精神を尊ぶ福沢諭吉は、「友が多いと人生100倍になる」と言い切る。
「道同じからざれば相与(とも)に謀(はか)らず」(論語より)
といって、積極的だ。

人とは交わって胸襟を開かないと解らないと言い、
「交際する要諦は、心を開いて活発にし、多芸多能を心がけ、
 いろんな人と接することだ。学問の友、商人の友、
 あるいは書画の友、将棋の友・・・・・・・悪事以外ならどんな人も」

「世間には人間が溢れてる、人は鬼でもなければ蛇でもない、
 ・・・・・・・恐れず遠慮しないで、心情を丸出しにして素直に付き合うべきだ。」と断言。
実にさっぱりした前向きな人だ。

私も、みんな友という考えで人間を信じることでは、福沢流に近いが、
孔子のように基準を持ってなかったのが今までだ。

みなさんの友の選び方如何考えられますか?

2009年07月20日

「憤」は一流へのエネルギ-

「憤」= 1、なにくそ負けてたまるか
           2、感動し、感激する

森信三先生は
「休息は睡眠以外は不要という人間になること、すべてはそこから始まる」

これは言葉の上で実際にできるかどうか疑わしいと考える私がいる。
ところが一流の人を観察してると、「仕事と遊びと学び」
このトライアングルに分け目がないのだ。
すべてが一体になってる。そして幾つになっても学び続けるのだ。

有名な話だが、イト-ヨ-カ-ド-の創業者の伊藤さんは、誰と話すときも、
必ずメモを持っておられ、解らない時は相手に電話で質問し、対応をされたそうだ。

自分自身が発憤するの「憤」こそ自分自身だと言うのは孔子だ。

「憤を発して食を忘れ、楽しんではもって憂いを忘れ、
老いて将に至らんとするを知らざるのみ」孔子

この「憤」の原動力に火をつけて邁進すると「出会い」がある。
森信三先生に言わせると「出会い」は、

「人間は一生のうち逢うべき人に必ず逢える。
しかも、一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎないときに」

良いことで良い人なら出会ってもいいが、
悪い人や悪いことに出会いたくないと考えるのが普通の分別だが、
現実はどちらもやってくる。

「憤」は、なに苦礎(なにくそ)で、苦が基礎だ。
悪いことや悪い人に出会うのは努力しないで、
楽を手に入れたい時に出会うようだ。

だから逆に、
誰にも負けない努力をしてる時は、
良い人と良いことしか出会わないのも事実だ。

楽は苦を乗り越えるという努力してこそ手に入るということだ。

そういうことだから、「憤」の二番の意味の感激、感動も自ら行動した結果だ。
さて、自分に置き換えると理屈はやめて行動する以外に手はなさそうだ。
厳しい-!!!

みなさんは何に「憤」を感じ、実行されてますか?

2009年07月14日

郷ひろみの言葉

「他人と比較することは、
 無意味な劣等感とつまらない優越感しか生まれない。
 自分の中で、
 是をやったら5年後10年後自分がどうなってるか?
 創造して作り出していくのが楽しい。」
   by 郷

彼が今も第一線で活躍してる意味は、いつも自分を磨き進化させてるからだ。
一流の人には一流の哲学があり、それを実行してる。

誰が言ったか記憶にないが、最高の言葉と思うので紹介する。

「他人と比べないが、天と比べる自分がいる」

「人」の声に振り回され生きるのが人間だ。
「地」の声は環境条件で、振り回されるのも致し方ないのが人間だ。
「天」、人、地は天にしたがって変化させるもので振り回されるものではない。
だからこそ天の声を聞くのだ、比べるのだそうだ。

まだまだちっぽけな自分がいて、
人の言葉や回りの環境の良し悪しが、
自分の行く手をさえぎってると錯覚してる自分がいる。

積極的に楽しむ自分を二番にして!!!!

「共感は全世界の人間を親族にする」
といったのはシェークス・ピア
この共感を得るには私欲から描く夢の野望でなく、
誰かの笑顔のために描く夢=志でなければならない。
「志」とは天の声だ。

皆さんは如何考えられますか?

2009年07月13日

仕事・職場・家庭・大人について

仕事はやらされてると思ったら苦痛だし逃げたくなる。
だから、仕事=志事と考える。

1)仕事=仕事を通じて自己を磨く場だと考える。

職場で自分はこれだけしてるのに会社は何もしてくれないと対立的に考えると、
腹がたって、やる気がなくなってくる。

2)職場=会社が何かしてくれる場所ではなく、
     自分が何かをするすばらしい舞台だと考えると楽しくなってくる。

家庭で、いいお父さんを演じる場所だと考えると苦痛に感じる。
また逆に養ってると考えると重く孤独な存在になる。

3)家庭=自分が仕事に集中できるのは妻のおかげ、
     家の事やってくれてるおかげだと感謝すると絆が出来る。

大人になろうと自分つくりに我を張って生きると協調性のないはみ出しもんになる。
逆に協調性だけ気にしたら、ストレスで苦痛になる。

4)大人=自己の確立ができた人でなく、
     上手に自己の捨て去り方を知ってる人のことだ。
     苦しさと楽しさを循環させることを知ってる人だ。

仕事も、職場も家庭も、自分が大人としてうまく行かない時がある。

こんな言葉が応援する。

「花の咲かない寒い日は 下へ下へと根を伸ばす」
うまく行かないとなげくことはない。
人生に無駄なし。
根っこが深く太く伸びてるんだから!!!!

みなさんはこのテ-マについて如何が考えられますか?

2009年07月12日

悲為抜苦・慈為与楽

慈悲=苦しみ抜いて、楽しみ与える。
仏教は生きてる人間のためにある。

こう語るのは二度も死に掛けた千葉にある長寿院住職の篠原鋭一さんだ。
一度目は3歳のころで、戦地から返ってきた父が病死、母は絶望し入水したが助かった。
二度目は42歳のころ、くも膜下出血、8時間に及ぶ手術後の激しい痛みに悲観して、
自殺しようと考えたが怖くなった時、友人が「お前のことは助ける心配するな、仕事もお金も」
といってくれた時うれしくて涙が溢れ、孤独の中で俺は一人でないと自覚した。

同事行=「いっしょ」ということ(一人ではない=孤独)が大事だ。
四国八十八箇所を遍路する人は必ず「同行二人」と書かれてる。
弘法大師さまと二人連れということだ。

人間が行き詰る時は、
1)自分のことしか考えない時
2)目先のことしか考えない時
だそうだ。
だから逆にすれば行き詰らないのだ。
1)相手のこと考える(利他行)=絆、縁
2)遠い未来のことを考える(志、目的)=希望
このように物事を考えれたら、一生の時間は短いはずだ。

さて、この篠原さんのところに21歳のやくざが人生、
嘘ばかりついて生きてきて、死にたいとやってきたそうだ。

そこで、「生きたいか」と問うと、「生きたい」と返答したので、
廊下磨きの修行をさせた。
最初はイヤイヤだったが、そのうちピカピカに磨いた。
周りの人たちも誉めた、
そこで彼がやってきて「和尚もういいでしょう、ピカピカです」

和尚は即座に「磨くことが目的、ピカピカになるのが目的でない」一喝した。

本人はわかったらしく、黙々と磨きだした。

さて、卒業の時が来た。
今までついた嘘を書けと和尚に紙を渡されたら、一時間もたたないうちに書き上げ持ってきた。
「まだあるだろう」というと、三時間後にまた書いてきた。
「まだあるだろう」というと一晩かかって、分厚い本になるぐらい書いてきた。
目には涙の後があったそうだ。

苦から開放されたのだ。磨くことを心から解り、
何事にも一生懸命打ち込みことで解決することを学んだ。
もう孤独ではない。
与楽が与えられたのだ。

楽しいものを探すのでなく、何事も真剣にやれば楽しい。
自分から楽しくすることが生きることだと解ったのだ。

皆さんはこの住職の話し如何考えられますか?

2009年07月09日

親切について

中国のことわざに、

「ある人に魚を一匹与えれば、
その人は一日食える。
魚の取り方を教えれば、
その人は一生を通して食える。」

相手の希望をかなえるだけでは、相手のためにならない。
親切というのはやさしさの垂れ流しではない、
相手のため思った「厳しい親切」もある。

昨日、同志社大学の教授、浜矩子先生の話を聞いた。
今後の経済状況はどうなるかだ。

多分、派遣社員を切ったり、外国人を切ったり(欧米)の雇用の調整時代になる、
次に通貨の大波乱が起こると予測される。
アメリカのドルが崩壊し、一ドルが50円になるのではという話だ。

話の方向は新聞でみなさんもご存知だ。
問題は解決の方法だ。

そのキ-ワ-ドは二つあるとおっしゃられた。
1)一人はみんなのために、みんなは一人のために
(デュマ・三銃士より)
2)あなたさえよければ!
(自己愛を超えた隣人愛へ)

文明が肉体なら、文化は心(考え方)だ。
経済を政策のみで解決することは限界がある。
心(考え方)の転換こそが明るい未来の扉を開けるということだった。

経済は人間がする、だから人間の心(考え方)が経済活動を決定すると結ばれた。
まさに仏教的な心身一如の話だ。

我が意を得てうれしかったが、実践となると個人にゆだねられる課題だから、
普及に時間がかかるが、一人でもいいから行動していこうと思った。

みなさんは身の回りの人はじめ世界の隣人に親切してますか?

2009年07月05日

「強い心」 中村天風

丸大ハムの会長の小森嘉之さんが20年来続けておられる、
小森塾に誘ってもらった。

「中村天風に学ぶ」ということで、
二人の講師の体験談を交えた話を聞いた。

その中で具体的に「強い心」をつくる方法があると断言された。
天風さんの言葉そのものを書くことにする。

『心を強くするには体を強くしなければ駄目だ、という考えが、
今から五十年前にはあったな。こういう言葉があった。
「健全な肉体にあらずんば、健全な精神宿る能わず」。
よくない言葉だよ。もしも健全な肉体にあらずんば健全な精神宿る能わずならば、
体の丈夫な奴は、みな心が強い筈であります。ところが真理は厳粛です。
その体ってものは、心が強くなければ決して強くなれない。
心をおっぽり出しておいて、心はどんなに神経過敏でも、
肉体だけがどんどん強くなるてぇことは絶対ない。
健全な肉体は健全な精神によって作られるのであって、
健全な肉体によって精神が作られるのではない。

もうひとつ千歩ゆずって、身体が強ければ心が強くなるとしましょう。
そんな心が頼りになりますか。なぜかというと、体の強い間だけの強い心だもの。
身体が弱くなってしまうと、心も弱くなってしまう。
そんな心ならあってもなくても同じじゃないか。不断、常日ごろ、
なんでもないときにはなんでもなくてよいのであります。
身体が丈夫で、どこもどうもないときには、心が弱く手も強くても関係ない。
病や運命の悪くなったときに、それは負けない、打ち負かされない、
しいたげられない強さと尊さを持った心がほしいのです。
その心は体を当てにして作ったものではありません。』

この強い心をつくるのに「観念要素の更改」という具体的方法がある。
それは潜在意識に働きかけ、プラス発想するという方法だ。

具体的には自分の潜在意識にある積極(プラス)の考えと消極(マイナス)の考えを、
口癖のように「言霊」=積極言葉を使って、
自己暗示かけ潜在意識をプラス言葉で充満させるのだ。

実にシンプルでだれでもできる。

実際にがんを克服した話や30億の借金を8年で返済した事話を聞いた。
その二人に共通するのは、
1)感謝の心
2)歓喜の心(ポジティブな心)
という心の健康を作った結果、体の健康、会社の健康を作ることができたと力説された。
自分を省みると、
この二つの心が充分発達していないことに気づかされた小森塾だった。

皆さんは強い心、具体的にどうして作ってますか?

2009年07月04日

姜 尚中(カン・サンジュ)の対談より(NHK)

NHKの日曜美術館のコメントをやっておられる。
ク-ルでカッコいいダンディ-な教授だ。

「悩む力」=「生きる力」だという。
ダンディ-とはなんですかと問うと、
「余裕を持つこと」と答える。

どんな意味ですか?と問い返すと、
「どんなに苦しくても、どこかで自分を笑えること」と答える。

それは「自分にないものを対象化して、抱きしめて横着に生きること」
「あまり迎合もせず、萎縮もせず」とさらりと返答する。

右だ左だ、生きるだ悩むだと決め付けた時を生きるのでなく、
「時」を信じることだ。

旧約聖書に「すべての技には時がある」

どんな人間も悩むことに疲れる、言い換えると生きることに疲れる。
そんな時「鏡で自分の顔をしっかり見て、自分の名前を呼び、誉めてやる」

疲れ悩む時にも、必ず「時」は来る。
その時は「悩む力が生きる力に変化し、絆と希望を求めるのだ」

「絆と希望」は生きる力の根源だと断定する。

是こそが人間を悩みから解放へ導く原動力だ。

人間として生まれ、わたし達は自己愛から始まり、親子愛、次に兄弟姉妹愛だ。
姜さんの言う「希望と絆」は「隣人愛」に目覚めることだ。
人間として国境を越え、人類愛へと進化する大人の愛が「隣人愛」だ。

大変意味深い彼の言葉には悩みぬいてきた重みがある。

500年前の儒学者の王陽明は自分の学問を立てるのに、
「百死千難」の体験と悩みぬいた結果だと言い放つ。

軽々しく理解したと言わないでほしい、
実践して語ってほしいと、
学び手に突きつけるのが正義(志、誠)を貫く「知行合一」だ。

姜さんの格調高い言葉にもそんな体験が見え隠れすると感じるのは、
わたしだけだろうか?

皆さんは如何考えられますか?

2009年07月02日

老子の三宝

十七条の憲法の第二条に「篤く三宝を敬う、三宝は仏法僧なり、
四生の終帰、万国の極宗なり、何れの世 何れの人か この法を貴ばざらん・・・。」

とあるように仏教では仏を宝にし、その教えたる法を実践する(僧)ことが大事だ。

さて、老子の三宝を以下のように語るのは加島祥造だ。
1)慈愛、母の愛
2)倹約、節約、足るを知る
3)世の中の先頭に立たぬ

是が老子の無為自然だ。
若いときにはどうしても、この生き方には賛同できなかった。
忍耐を強いるだけの弱い人間の生き方に見えた。


実は老子の生き方は本当の知恵を出す人でないとできない行動だと、
最近気づいた。

加島さんの訳をそのまま引用すると、
「世の中で一番ソフトなもの たとえば水や空気とかんがえていいが、
それらは最も固いもの、たとえば岩を突き動かし、割り、
やがてこなごなにしてしまう。
なぜって 水や空気のような柔らかいものは、隙間のないようなところにも入り込み、
働くからだ。それはいわば、形のない「無」が、形のある「有」の中に入ってゆく時のあの働きだ。
・・・・・・・・、未知の人は、知識やモノを溜め込まないで、深く知っていること、分けるが、
それは汲めば汲むほど満ち溢れるんだ。
本当の道の知恵とは、人々を傷つけず、養い育てるものだ。
だから道の人は、まず、争わないんだ。」

あらゆることに磨かれてない子供の自分は「愚かで 怠け者で 欲張りだ。」
生活(生きるを活かす)の中で体験を経て、いろいろ解決して行く中に、
子供の自分を引っ込めることができるに違いない。(真剣に生きたらだ。)

すると、老子のようにほんとに強く、
人を許し受け入れ、それに身をゆだねることができ、
ほんとの知恵が湧きいずるに違いない。
まだまだ無為自然になれない弱い自分がいる。
皆さんは如何考えられますか?