社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2009年08月30日

能面におもう

能は何のためにあるか?
それは「顧客のうれしさ」だというのが世阿弥だ。

そのために「体と用」
用=見掛けだけ真似るのでなく、
体=その本質に入り込んで理解することが大切だと言い切る。

ここが実に能の奥義だ。
能には能面をつける。
鏡の間という部屋でつけるのだが、
自分が自分でなくなっていく、放心したようになるらしい。
不思議だ。

能面を「中間的表情」といい、未完の美という。
すなわち待機の姿勢だ。静止だ。

能面は舞うことによって完成される宿命を負ってるからだ。
まさに能面に命が吹き込まれるのが舞うという行動だ。

私たちが仏像に向き合うときいつも感じるのは、
あの中性的な無表情さを見てると仏像はいつまでも、
自分から遠い存在だ。
仏像は面倒な理想主義者で、無感情な理論主義者にしか見えない。

しかし、仏像に喰らいつき、
いや仏像に飛び込んで入っていくと動き出す。
仏を感じる、仏に操られる自分があらわれる。
これが「入我我入」ということなのか?

仏像もあえて無表情なのは未完を意味するからだ。
見る側の人間と仏像が一体になる橋渡しは行動だ。

仏像に決まった表情があれば、
見る人一人づつの個性を映せないからだ。
能面が未完の美であるのも、
演者が自由自在に変化を持たせ顧客を楽しませる所以だ。

熱意と主体的行動で自分に成りきる。
使命と志を明確に自覚し!!
仏像は私たちに「抜苦与楽」を諭すのが目的だ。
「苦を追えば苦が逃げる 楽を追えば楽が逃げる」と格言にあるように、
その教えは、自分から周りのあらゆる物を生かし「行動すること」だ。

逆だと解ってるが、
完成の仏像と思い込んで見て屁理屈こねる自分がいる。

皆さんは如何考えられますか?

2009年08月28日

転依 (てんね)

北海道家庭学校の、礼拝堂の正面に書かれた二文字が『難有』だ。

「難有」=人生には困難、難儀、辛いこと、苦しいことが一杯あるという意味だそうだ。
これを逆から読むと、「有難」(有り難い)だ。

現在の経済状況は、100年に一度の不況だから『難有』だ。
これをひっくり返えせば『有り難い』となり、
このひっくり返す行動こそが、生きることを意味するのだ。

生きることは決して、楽なこと、自分の得することを選択することではなく、
事実を謙虚に受け止め、自分の努力と智慧と行動で好転させることだ。

仏教の唯識では『転依』(てんね)といい、
物の見方を、自己中心の煩悩と所知から離れ、心を大転換させることを意味するのだ。
人間的な苦しみを開放させ、「楽」を実現する心の転換を言う。

あらゆる困難を乗り越えた、体験からとらわれない心を獲得するのだ。
理屈では解るが、理不尽な難儀にあってとらわれる心に縛られ、苦しむ自分がいる。

皆さんは多くの難儀を如何に乗り越えられてきたでしょうか?

2009年08月25日

手紙~親愛なる子供たちへ~

ある友人から「手紙」という歌詞が送られてきました。
88歳になる母は認知症が進み、被害妄想も出てきてる。

今日も病院に見舞いに行くと「自分のバッグの紐を誰かが引き裂く」
「モノがなくなる」こんな風に被害妄想的になる。
自分でやったことを忘れ、誰かにされたと思い込んで苦しんでいるんです。

事実は違うと解ってるが、いっしょに付き合って探し、
「バッグはまた持ってくるよ」「モノはまたでてくるよ」というと、
少し安心したようになり、なにを探してたか忘れる。(短期記憶の喪失)

もし母に手紙が書けたら、この歌詞と同じことを書くだろうと思った。

       「手紙」~親愛なる子供たちへ~
年老いたわたしが ある日 今までのわたしと違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴紐を結び忘れても
あなたにいろんなこと教えたように見守って欲しい
あなたと話すとき 同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結果を どうかさえぎらずにうなずいて欲しい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は
いつも同じでもわたしの心を平和にしてくれた
悲しいことではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい
楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着がえさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを
悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ出来なくなるかもしれない
足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけでそれだけで 私には勇気が湧いてくるのです
あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ
愛する子供たちへ

皆さんは如何考えられますか

2009年08月21日

情報化社会のビジネスライフモデルについて

時間は誰にも平等だ。
もちろん体格や生活環境は違うのは事実だが、
時間を自分の道具のように使えたら、自分の夢や志を実現できる。

フランクリンの言葉に、
「時間を浪費するな、なぜなら時間こそ人生がそれによって、
 つくられる材料なのだから。」

さて時間には四つあるというのは勝間和代さんだ。
1)消費の時間(重要で緊急)
2)投資の時間(重要だが緊急でない)
3)浪費の時間(重要でないが緊急)
4)空費の時間(重要でも緊急でもない)

さて、彼女によれば3)浪費の時間と4)空費の時間の多い人は、
仕事や生活を考え直さなければならないという。

実際にこの四つに自分の行動分析をすると良く解る。
実は彼女は上司から仕事が断れず、夜の12時まで毎日働き身体も心も疲弊し、
ストレスの解消に酒、タバコ、テレビゲ-ム(頭を休める)、間食、
過度な人付き合いを重ねてきて、34才ごろ、十二指腸潰瘍、
メニエール病を発症し、軽いうつ病になった。

そんな時、中山正和さんの本に出会って「三毒追放」を知ることになった。

1)怒らない、2)妬まない3)愚痴らない。
この三つを実行しようと思ったら、
時間を味方にしなくてはいけないことに気づき、
仕事を再チェックしてみたら、「念のため仕事」が実に多いことが解った。
「念のための仕事」=質問されたら用意しとく、総て答えれることを前提の仕事だ。
本来なら、「後で調べて答えます」といっても良いことだ。

そこで従来なら、目標に向かって、
何となにをやるべきかという「TO DO LIST」を書くのを、
逆に「NOT TO DO LIST」
やらないことを見える化するリストを作った。

そこで、やりぬくために仕事のやらねばならないリストではなく、
やらないリストをつくるのだ。
その真っ先は、タバコをすわない、酒を飲まない、テレビゲ-ムで時間空費しないと書き出した。

朝も無理して5時起きしない、また夜も夜更かししないと書き出して、
残った時間で効率よく、仕事するリズムをつくったそうだ。
完全土日は家族と過ごせるようになったそうだ。
だが、本をたくさん書き、テレビや政府の機関の会議に出たりもしてる。

特に週に2回2時間は必ず汗をかく運動をする。
これは身体が資本なので貸借対照表に記載だそうだ。
公認会計士らしく、身体を鍛えるのは長期的な設備投資と考えるそうだ。

実に面白い。
情報化社会の時代のひとつの生き方のビジネスライフモデルではないだろうか?

皆さんは如何考えられますか?

2009年08月17日

娘からのメール・自立の兆し

今日、写真家の故土門拳のインタビューの逸話が長女から送信されてきた。

そしてコメントに、
娘『ありのままにいるのも個性、外見だけでなく内側を磨きます』

随分大人になったと感心した。

彼女は友から学ぶことがうまく、いろいろな個性の人と付き合ってる。
付き合えるのは、彼女は隠し事のない、素直な性質だからだ。

親からもらったもの(いいこと悪いこと100%)を受け入れ、
自分の内側(人格)を磨くことに気づいた。
「内側を磨く」ことという言葉は反抗期を脱皮し、
精神的に社会人として自立する兆しだ。
大変嬉しく思った。

多少はリップサービス的だとは解っていても、実に親ばかな自分がいる。
実際は親係の甘えたで、思っただけで何もしていないのだが!!

(メ-ルの中味)
さて、写真家の故土門拳にインタビューでこんなこと聞きました。
「土門さんは、ひとつの作品を完成させるのに、何十枚、何百枚もの写真を取られるそうですね」

「はい、そうです」
土門さんが答えると、インタビュアーはこう言います。
「そんなにたくさんの写真撮るのなら、
 その中に1枚や2枚はいい写真があって当然だと思うのですが・・・」

それを聞いて土門さんは、こう答えます。
「そういうことですね。誰でもたくさん写真を撮れば、
 1枚ぐらいはすばらしい写真が撮れるのは当たり前のことです。」

なるほどという顔をしているインタビュアーに、土門さんはこう続けます。
「ところで、あなたはその当たり前のことできますか?」

つまり、1枚の写真のために、何百枚もの写真を撮りますかと尋ねたのです。
さすが、インタビュアーも困った顔をしてこう答えます。
「いやわたしには、とてもできないでしょうね」

それを聞いた土門さんは、こういったそうです。
「そうでしょう。私は、ただその当たり前のことを、やってるだけなんです。」

「素」の自分を受け入れ、虚勢も張らず媚も売らず、
自然に当たり前をやっていくことが解ったらしい。

皆さんはこのインタビュー如何考えられますか?

2009年08月14日

「錬身抄」中村天風

中村天風さんが松下幸之助さんに出会い、
見所のある事業家だと見抜き、「お金を貸してあげようか!」といったら、
松下さんは「ありがたいが自分で何とかします」と断ったという逸話が残ってる。

現代のすばらしい経営者では、
直接面識はあったかどうかわからないが、
京セラの稲盛和夫さんも多大の影響を受けている。

この「錬身抄」の付録のペ-ジに『働きの人生哲学』というのが書かれてる。

「働く」第一義は、
1)人間本来生まれつきの役目と自覚し、絶対的に断定すること。
2)この洪大な自然賦与の大恩恵に対する恩返しすること。
(人間は自然の恵みで生き、自然の分身としてのエネルギ-体を貸与されてる)

第二義は、
「何のため」「かんのため」という相対観念で、いわゆる『当て目』をつけて働く、
働き方だ。
この考え方ははっきりダメ!!!といってる。
生まれてきたら自分の使命を果すことだ。必ずどんな人も役割があるという。

中村天風は相対観念を持つと心構えが以下のようになると説明する。

詳しく言えば、出世のため、家族のため、自己のため、極端には老後安楽のため、
モットひどいのは食わんがために働くんだという人すらある。
食わんがために働くというのは、
何のことはない『食わんがために生きてる』というのと同様である。

この「なんのために」という相対的に働く「当て目」が違ったら大抵の人は、
やけ気分になり絶望し、失望からくる消極感情の発作で「働き」に対する観念が、
低下して、積極的にはならなくなる。
相対観念が実現されない時、
人間は自らの意志で誰にも負けない努力をすることがあほらしくなり怠ける。

人間本来は働くことによって回りの人々を喜ばせ感激させることで、
陽気で、明るく、朗らかに積極観念を持ち続けることができる。
この積極状態を維持することが幸福の条件だと断言する。

凡夫のわたしは「なになにのために」と考えて窮屈に生きてると思わざるを得ないが、
付け加えて、屁理屈を言うとすれば、
相対的だが『何々のために』が大きい、
業界や世界や地球を考えてると自己弁護する自分もいる。(矛盾)

天風さんの心境には程遠いことだけは確かだ。
なかなか大我(無我)にはなれないな!!!!

皆さんは如何考えられますか?

2009年08月13日

お盆に思う・許す心

お盆にお墓参りするのは無意識の習慣的な日本の文化だ。
なんと国民の7割がお墓参りする。世界でもトップだ。

仏壇の位牌を拝み、お墓で骨を拝む。
この儀式は儒教の『招魂再生』だというのは加地伸行先生だ。

線香を焚いて、天にいる「魂」(精神、ご先祖の御霊)を呼び寄せ、
地に埋葬されてる骨を酒を巻き呼び寄せる「魄」と合体して再生するという考えだ。
『魂魄』=儒教では精神も大事だが体(白骨)もその器として大事と認めてる。

仏壇には本尊と位牌があるが、
無意識に位牌を大事にするのはこの儒教の考えによる。
お盆にはご先祖の御霊を迎え入れると合体し福禄寿を授かると考えられる。
福=命が伝承するように子供を授かり。
録=飯や物品が入ってき生活に困らない。
寿=健康で長生きできる。

さてお墓参りして、とても不思議な気持ちになるのはわたしだけだろうか?
というのも、おじいちゃんやお父さんが眠ってる墓の前にお参りしていると、
故人、ご先祖の良いことしか思い出さないのだ。
憎んだり、怒ったりする心が出てこないのが不思議だ。

それは『許す心』が出てくるからだ。

父がなくなって10年になる、
一生懸命働いた姿ばかりが記憶に残ってる。
認知症の母に言わせると博打で借金したとか、
いろいろ苦しめられたらしいが、自分のことしか考えない気楽な人やといい、
今になっては良い思い出で、憎しみの感情はないという。

人間は、
1)『自分が傷ついてるとき、他人を傷つけようとする』
2)『許したことを口に出さなくても。ただ許す気持ちになるだけで、身体は健やかになる』

チベット仏教に有名な説話がある。
二人の僧が、監獄を出て数年後初めて会いました。
監獄では看守達からひどい拷問を受けた二人です。
『彼らを許したかい?』一方の僧が聞きました。
『許すものか!絶対に許さない』もう一方の僧が答えました。
『そうか、君はまだ監獄にいるのだね』

許すというのは過去の出来事を消し去ることでも相手を自由にさせることでもありません。

『許す』=奇跡の薬(お金も要らず、効果絶大の副作用なしの薬)

『自分のために許すのであって、許しは自分を癒すこと、自分に力を与えること』

アウシュビッツの生存者エヴァ・コ-ルがナチスに対する公の言葉 

許すことによって、心にためた悪意や怒りを放出し、
心に自由を得ることができると断言される。

お墓の前ではできるが、生きてる人にできるように成れば、
自分がモット自由になるかな!!

皆さんは如何考えられますか?

2009年08月12日

自転車に乗って運転する=生きること

最初に自転車の乗ったのは6,7歳だった。
大人用の大きい自転車を買ってもらったのは、
小学校4年生の時だ。

身体が小さくうまく運転ができず、こけることがしばしばあった。
自転車の能力が自分の運転技術と筋力より勝ってるからこけるのだ。

さて、この自転車乗りは人生と同じというのは町田宋鳳さんだ。

人間なら誰でも頭を打ったり、痛い目に遭ったり、挫折もし、
恥じもかき、ときには自らの命を絶ちたいと思うことがある。
こんな人間の状態を鬱(うつ)といい、大なり小なり誰にでもある。

自転車に乗っていて、チェ-ンが外れてしまうことだ。
チェ-ンをはめるというのは、前のギア(心)と、
後ろのギア(体)のかみあわせをよくすることだ。

あせらず、目の前のことをひとつづつ丁寧にする。
それでもチェ-ンが外れるのはチェ-ンがたるんでるからだ。
チェ-ンとは生活態度だ。
それを調整すれば、2度とチェ-ンはずれることはないという。

この調整が自己コントロ-ルだ。
1)前進したい欲望(社会に役立つ志に高める)に時間割りをいれること。
ここで大事なのは性急にならず10年先を見つめ毎日少しづつ積み重ねる、
凡時徹底の計画をつくる。(欲望は生きるエネルギ-だ)
自分の心も体も徐々にスピ-ドを上げ、徐々に下げることで、
チェ-ンがたるまないように自転車(心と体)を使うことがコツだ。
(自分の体と心を大事に使い愛する人しか他人は愛せない)
2)朝早く起きることが健康の秘訣だ。
「健体康心」は、腹八分と早起きが原則だ。
本能的な欲望も適切な生活リズムのなかで体のバランスを生み出すこと。

さらに突っ込んで、
人間の「康心」について注意しなければいけないのは、
自己中心的になることだ。

このときには、1)自分を守ろうと不安と恐怖心が湧いてくる。
2)自己実現を性急に急ぐあまり先行きがうまく行くか心配になる。
この心のあり方を常に積極的で明るく陽気にし、
不安、恐怖、心配、を追い払うことが最も重要だ。

自転車(人間)の取り扱い説明書がないので、
「乗りこなせてる」と断言できない自分がいる。

昔の格言に、
『勇気は常に勝利をもたらし、恐怖は常に敗北を招く』
まずは、自分を信じて「乗りこなそう」と思うことからだ。

皆さんは如何考えられますか?

2009年08月11日

正費は美徳

101歳になられる松原泰道さんはこうおっしゃる。
「消費は美徳」ではなく「正費は美徳」だ。

国民全体が自分の好き勝手に消費することが正しいと考えるのでなく、
どう消費することが正しいか考えて消費することだと主張される。

経済活動は生産と消費だ。
この関係は不可分だ。
消費が増えると生産が増える、生産が拡大すると企業の業績が上がる。
もちろん利益も出るし、次の設備投資もして経済が雪ダルマのように大きくなる。

果してこの循環が正しいのか?
よりよい物がより安いが正しいのか?

どんどん回転率が上がり、『稼ぐに追いつく貧乏なし』
というようになってないか?

消費の量だけを増やす経済機構でなく、
量と質を楽しむ速度と適正な価格を選択できる経済機構が求められるのではないだろうか?

100年に一度の不況は、
正しく消費することの意味を考え直すいいチャンスだ。

その基本的条件は近江商人の『三方よし』が基準だ。
『売り手よし、買ってよし、世間よし』にするには如何にするかを考える。
もうひとつ付け加え、『四方よし』だ。

エコブームの現在、「地球によし」を根本に考えなければならないからだ。
矛盾するようだが、この実現に知恵を絞ることが、地球に生きて生活する人間には必要だ。
競争と信用の資本主義社会で、助け合う競争をし、
疑う人間関係でなく、信じあい助け合う人間関係を作ることだ。

自然と共生といいながら、自然を食い荒らすのでなく、
各々の国の理想のライフスタイルに関わる議論が必要なように感じる。

みなさんは正費の条件、如何考えられますか?

2009年08月09日

自分を見つめるチェックリスト 『十少十多の健康訓』

仁木謙三さんの『十少十多の健康訓』

1)食うこと少なくして噛むこと多くせよ。
2)乗ること少なくして歩くこと多くせよ。
3)着ること少なくして浴びること多くせよ。
4)悶ゆること少なくして働くこと多くせよ
5)怠けること少なくして学ぶこと多くせよ。
6)語ること少なくして聞くこと多くせよ。
7)怒ること少なくして笑うこと多くせよ。
8)言うこと少なくして行うこと多くせよ。
9)取ること少なくして与えること多くせよ。
10)責めること少なくして誉めること多くせよ。

人間の本能は三つある。
二つは他の動物と同じだ。
1)自己保存本能(自分を中心に守ることから考え行動する=利己心)
2)種の保存本能(自分の家族や子供を守り育て保存する行動=家族利己心)

三番目だけが特別な本能がある。
3)社会保存本能(他人から誉められたい、認めてもらいたい、
         ありがとうを言われたくて行動をする=社会利己心)
この三番目の本能=社会に役立つ行動をする=人のためだから利他心のことだ。
個々人は常に、お役立ちの競争をするから、社会が進化発展するのだ。

だからこそ、10番の責めるより誉めることが重要だ。
しかし、個人としては進化発展に目が向きすぎて(実行は主体性が必要で自分中心と利己心になる)、
ついつい相手の欠点に目が向き、
真剣に力を振り絞ってないと責める言葉を発してしまうのが現実だ。反省!!反省!!

仁木さんの十か条をチェックすると、
自分の採点では5割しかできていません。
他人を叱責することより、後5割ができるように自分を磨くことだ。
未来の時間を味方にして、今からでも遅くない。

皆さんは何割できてますか?

2009年08月06日

自分で限界を決めるな・渡邉美樹

「小さな自分から今すぐ抜け出す」
こんなサブタイトルの『使う論語』という本を書いてるのは、
ワタミの渡邉美樹社長だ。

わたしも論語は判断に迷った時に読み返しする大切な座右の書のひとつだ。

事業に立ち向かう若き自分の気持ちは、『捨てるものはない』が、信念だった。
ちっぽけな自分はあったが、技術も知識もまっさらで何もなかったからだ。

何も知らないことが「自由に学べること」だったし、感謝もした。
逆に知らないことが「生きることへの恐怖感を湧き起こすものだ。」ということも解った。

だから自分に対して限界などはない、
学び続けることが生きることだと言い聞かせた。
出来ないと言う言葉もない、
時間さえあれば出来ると信じて自分を洗脳してきた。
「過去を見ない、弱音ははかない』が鉄則だった。

論語に『冉求曰く、
    子の道を悦ばざるに非ず。力足らざるなり。
    子曰く、力足らざるものは、中道にして廃す。今汝は画(かぎ)れり」
      (雍也)
意味=孔子の弟子である冉求(ぜんきゅう)が言った。
   「わたしは力不足で先生の説く生き方を実行するのが難しいのです。」
   孔子は言った。
   「力の足りないものが、途中で挫折して中止することになるのはやむをえない。
   しかし、今の君は、自ら見切りをつけている」

要するに、自分を自分で決めつけ、挑戦する前に無理という答えを出してるのは、
本質的に負けてることだ、逃げてる限りは人生は何も始まらないということだ。

こうして決め付ける人の共通な条件は、
1)自分の能力を出し惜しみして、自分の能力を解っていないこと。
2)仕事に夢を持ってないことが原因だ。
渡邉社長は以上のように分析し、

「自分の棚卸し」をしなさいと語る。

たとえば「5年後に経営者になりたい」という夢を持ったら、
今の自分の教養、知識、技術が足りないことが解るでしょう。
あるいは経験、財産、人脈も十分なはずがないでしょう。
このように現実を知ることからはじめることだと指南するそうだ。

「夢に時間割を入れろ」といわれるのも納得だ。

無我夢中で前を向いてやってきたが、
もう一度自分の棚卸しをやりなおし、
夢(志)に時間を入れ直すことをしようと思った。

皆さんは如何考えられますか?

2009年08月04日

良寛さんの気楽に生きるコツ

ある日村人が良寛さんを訪ね、相談した。
『わたしはいつも人に気兼ねしています。
 どうすれば気兼ねしないようのなるでしょうか?』

良寛さんは笑顔を浮べてこう言いました。
『人がつんとしていたら、自分もつんとしていればいい』

ところが、人間は回りに溶け込もう、気に入られようと、
八方美人を演じるのはまだ信念の固まらない、
若いころなら誰でもある。

年齢は定かでないが、この村人も周りに合わせようと考えたのだろう。
ところが良寛さんはあわすどころか、同じ態度をすることをすすめた。

良寛さんは「自らの心をその場に据えること」と教えたのだ。

『災難が訪れたならば、災難に遭えばいい。
 死が訪れたならば、死ねばいい。
 逃れることのできない事態に遭遇した時は、
 あわてずに、その中で天命を待つという落ち着いた心構えが、
 災難を逃れる最もすぐれた方法だ。』という。

また別な言葉で表現すると、
『楽を追えば楽が逃げる、苦を追えば苦が逃げる』

この村人は、下記の2、の考え方をしていたのだ。
1)状況に自分を置いて、そこから智慧で適応し方を考え、解決し行動する。

2)自分はそのままで、
  回りの環境や周りの人が自分を受け入れ、変わることを考えてるのだ。  

格言にある『他人と過去は変えれない、自分と未来は変えれます。』

事実に飛び込めば、
気兼ねなんかする必要はないとい言いたいのだ。
「八方美人」卒業したほうが気楽に生きれそうだ。

皆さんは如何考えられますか?

2009年08月03日

アタマとココロ・谷川俊太郎

朝日新聞の8月の詩に谷川俊太郎さんの「アタマとココロ」が掲載されていた。

    『アタマとココロ』

「怒りだろ?」とアタマに訊(き)かれて
「それだけじゃない」とココロは答える
「口惜しさなのか?」と問われたら
「それもある」と歯切れが悪い
「憎んでるんだ」と突っ込まれると
「うーん」とココロは絶句する

アタマは言葉を繰り出すけれど
割り切るコトバにココロは不満
コトバで言えない気持ちに充電されて
突然ココロのヒューズが切れる!

殴る拳と蹴飛ばす足に
アタマは頭を抱かえてるだけ

   谷川俊太郎

ココロの不満はいくら言葉にしても、
物で満たそうとしても癒されません。
自分が虚心に心をニュートラルにすることだ。

唐代の詩人の韓愈が詩にまとめた。

『人平不語 水平不流』

人、平らかなれば語らず
水、平らかなれば流れず

意味=人は平穏な状況にいると言葉は語らない。
   水も平らかなところでは流れない。
   逆に、心に不満を感じるから、人はもの言うのだ。

御釈迦さんは法句経の中で、
人の心のなかには不満や非難はたえないものだから、
それを「口にしてはいけない」と禁じ、

逆に、他人の不満の声を受け入れて、
それを自分の智慧や心を磨く糧にしろと諭す。

続けて御釈迦さんは、
『ただ誹(そし)られるだけの人、また誉(ほめ)められるだけの人は、
過去にもいなかったし、未来にもいないだろうし、現在にもいない
ただひたすら心をニュートラルにすることに集中しろ』という。

わたしは欲望が多いので、ムカッと来ることも多い。
若いときはどっちが正しいかと相手が誰であろうと戦ってきた。
しかし、最近は少し大人になって、
「感覚的にムカッときた時は、自分の価値観こだわってるからだ。
 相手の意見を聞け、そして相手を100%受け入れ!」
 と呪文を唱え実行するようにしてる。

しかし、実際にできるのは3割ぐらいで、
7割は自分の感情が出てしまい、反省だ。
修行が足りません。

皆さんは相手を100%受け入れることできますか?

2009年08月01日

学問の目的・安岡正篤

『学は己の為にす
 己を為る(おさむる)は安心立命を旨とす
 志は経世済民に存す
 志を遂ぐるは学に依る
 学によって徳を成し材を達す
 成徳達材を立命とす」

意味=人は自分を創るために学ぶのだ、
   どんなこんなんにも動じないように自分を為めていく。
   それは利己のためではない、世のため人のために自分を役立てるためである。
   自己の徳を大成し(成徳)、自己の才能、能力を錬磨・向上させていく(達材)。
   これが学ぶことの本義である。
   成徳達材によってゆるぎない運命を創っていこう。

安岡先生はまた、学びには 師と友との同志的結びつきが不可欠だと考えられていた。
それゆえに、全国師友会を結成して練成の場とされたのだ。

もちろん聴講に学んだなかには政治家も多かった故に、
歴代の首相の指南役とまでささやかれるようになった。

王陽明の陽明学、日本の第一人者は中江藤樹だ。
彼もまた、
『古来聞き難きは道,天下得難きは同志なり』
と語る。

ただ生活するのには面倒くさい理屈は要らない、
むしろ、具体的な技術(やり方)があれば良いのだと考えるのが一般的だ。

しかし、次から次へと新しいことや苦しみがやってくるのを解決しながら前進するには、
具体的なやり方を考えれる道具が必要だ。

原爆に代表される戦争の道具ではなく、
また、愚痴や怒りや嫉妬という感情という意識の道具でもない。

やり方を自分で考え出し創りだす事だ。
それは『智慧』=宇宙の法則(目に見えない)だ。
考えて、考え抜き潜在意識にまで到達し、『智慧』を引き出すことだ。

それには、謙虚に学ぶことだ。
言い換えれば、学ぶ目的は平和に解決する道具を持つことだ。
これはどんな人の潜在意識の中にも備わっているのだが、
引き出すコツを知らねばならない。(後日詳しく書く)
簡単には考えるスタンスの違いでも理解できるので以下に記述する。

競争と信用が資本主義の根本だ。
だから、
1)競争=奪い合う智慧でなく、与え合う智慧を出し、
2)信用=疑いあう智慧でなく、信じあう智慧を出すことだ。
事実はひとつだが、人間の考えるスタンスが現実を地獄にも極楽にもするのだ。

総てに『学ぶ心』を持って、自ら学び行動し、
与え合い信じあう仕組みの世の中が実現することを念願し実践することだ。

皆さんは如何考えられますか?