社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2009年10月30日

心を創るプロセスが人間の価値

先日、知人の葬儀に参列した。
戦後まもなく、菓子職人が仕事がなくなる状況下で一念発起し、
三重県から大阪・宗衛門町の地で和菓子製造を始められた方だった。

人間が老いて経験も社会的な地位も冨もできたら、
「稲穂のように頭をたれる」といわれますが、
将に、そんな人柄であると察する代表社員の弔辞に感動した。

権力と冨を得ると人間は腐敗するといわれる。
国民党の腐敗で中華人民共和国ができた。
著名な民間人が毛沢東に聞いた。
「もし今の政権が腐敗したら?」
彼は即座に答えた。
「我々は腐敗を防ぐ新しい手法を見つけた。」
しかし、長年権力の座に着くと、どうしても腐敗がはびこるのも事実だ。

一方でマスコミの批判の行き過ぎには注意が要るが、
批判があるから腐敗が少なくなってるのも事実である。

ある方が築地で老浮浪者を見つけ、
近くの交番に行って「心配ないですか?」と聞いたら、警官はこう答えた。
「彼は施設から逃げ出し、競馬はするは、酒は一級しか飲まないは、ですよ。」
付け加えていった。
「困ってると思って、善意で風呂に入れてあげたお家で、盗みを働く始末。」

権力者だから、マスコミだから、弱者だからという看板で人間を評価するのでなく、
心の創るプロセスがその人間の価値を決める。

代表社員の弔辞のなかで、
故会長が会社を見回りながら口癖のように言われたのは、
「私には責任がある、働いてもらってる人たちを幸せにする。」

人一倍信仰心が厚かった人で、常々社員の行動指針として教示されたのは以下の四つだった。

1)親孝行をする。(親あっての自分、先祖あっての自分を自覚すれば誰でもわかる)
2)感謝すること。(人間はひとりでは生きれない、だから人に感謝すること)
3)役に立つこと。(社会人として役に立つ仕事をする、和菓子は餡が命)
4)嘘をつかない。(誠実に接することが一番で、それを貫くこと)

この四つがどんな時もどんな状況でもできることが、
信用、信頼につながるのだと確信されていた。

ところが、もし何らかの事情で破ったら、
「許す」心が大事だと寛容の心を養っておられたそうだ。

将に、厚い信仰心を持っておられたからこそ、
神仏の振る舞いにも似た実践をされるようになったと察する。

人間は立場によって考えや意見も違う、善悪のありようも変わるが、

同じ今を生きる人間として不易で変わらない価値は、
この四つの実践ではないかと反省させられた。

皆さんは如何考えられますか?

2009年10月29日

メディア・リテラシーを持つ

工業化社会から脱工業化社会、そして今は情報化社会の真っ只中。
工業化社会では機械を扱う技術が求められ、
脱工業化の時代は、人間に対するサービスの技術が求められた。

ところが今は情報の鮮度、加工のやり方、発信の技術が求められる時代だ。
しかし、情報が本物か偽者かを見抜く能力が要る。

[メディア・リテラシー]=情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、
その真偽を見抜き活用する能力のこと。(情報評価・識別する能力)
「情報処理する能力」「情報発信する能力」に対しても使われる言葉だ。

インターネットによる個人の情報発信が出来るようになってる現在は、
公的機関やマスコミ(テレビやラジオ、新聞)雑誌、映画、音楽、書籍、
広告に口コミ、ブログも含むメディアが多様化してる時代だからこそ、
メディア・リテラシーを体得する必要がある。
要するに、自動車の運転免許ようなメディア免許書(見抜くために)がいる。

食事には食作法があり、接客には接客マナーがあるように、
私たちもメディアシャワーの影響にさらされ、
それを逆手にとって情報に強い自分を鍛えることだ。

受信側として、
1)身体的理解が必要だというのは境教授(桃山学院)だ。
要するに不快だとか気分が悪いという感覚を大事にすることで、
免疫ができメディア・リテラシーが高まるのだそうだ。
2)それとメディアを文字だけだったらと映像を消したり、
映像だけだったらと音を消してみたりして特性を理解して見抜くことだという。

逆に、作り手(発信側)として、
1)作り手が「これをしてはダメ」「これはいけない」という選択的な倫理観ではなく、
作り手の「優しさ」を必要とする。
言い換えるとプロ意識と人を愛する倫理観を持つことだと境教授は言う。
2)一方過剰な自己規制はメディアの自由を奪いかねないので、
受信側と発信側が相互に批判しあう社会を形成することが望ましいと結ぶ。

絵画の世界では贋作を見抜く方法は「本物しか見ないこと」といわれる。
メディアを見抜く前に本物の人間と接することが重要だ。
現実にはなかなか本物の大人物はいない。
そこで私は心眼を持った恩師と、
歴史上の人物をメディア・リテラシーの物差しにすることで、
メディアシャワーの防衛をし発信も誠実さを大切にしてる。

みなさんは如何考えられますか?

2009年10月27日

鳩山首相の所信表明を聞いて

読売新聞「理念だけでは物足りない」
日経新聞「意欲見えても中味あいまいな首相演説」
日刊工業新聞「理念実現のための道筋示せ」
産経新聞「所信表明演説・見えない政策の優先順位」
朝日新聞「理念は現実を刻んでこそ」

戦後はじめての政権交代が実現し、その船出の首相の所信表明だ。
国民はどんな国づくりをするのか、関心のない人はいない。

私も同じように深い関心を持っていたので50数分の演説を初めから聴いた。
「居場所と出番」「自律と共生」「コンクリートから人へ」
「経済合理性に偏った評価軸から人間のための経済」
人と人が支えあい役立ちあう新しい公共の概念の構築が友愛政治だ。

幸福とは「愛される、誉められる、役に立つ、必要とされる」事だと言う。
素直に聞けばすばらしい理念だ。

ところがマスコミは社説で取り上げ、上記のような見出しで表現してるが、
文章は辛口だ。
1)理念を云えば具体的行動がないと責め立て、
2)意欲があると中味がないと批判する。
3)道筋がわかっていたら、失敗をしない完ぺきな人生だ。

マスコミを鵜呑みにすると傍観者の批判眼はできるが、
主体的行動家にはならないように思う。

朝日新聞の「現実を刻んで」と今後の対応を見なければという論調には賛成だ。
もし私が首相だったらと考えるからだ。

ある相撲の力士が同僚の力士のことを、
「みなさん彼を応援してあげてください」と頼んで歩いている。
勝ち負けの世界なのにと不思議に思った人がいて、
「なぜ、応援するようなことしてるのか」と聞くと、
彼が強くならないと、自分の技量も上がらないからだという。

歌舞伎でも「成駒屋」などと掛け声が入る。
演じる役者も気合が入るとともに、
演技を知り尽くしてる人の掛け声にはごまかしが効かず、
演者は真剣勝負の気合が入るそうだ。

マスコミも論調によっては技量を挙げるために相手に強くなってほしいと願ったり、
演者を励ます掛け声のような上品な観客だろうか疑問だ。
あなたは実行する人、私は傍観して批判する人と最初から立場が決まっていて、
批判のエスカレ-トになってないだろうか?

もし自分が相手の立場ならどうするということ考えた上での批判こそ、
愛(思いやり)のある批判ではないか?

私も充分できてはいないが批判には愛(思いやり)がいることを忘れたくない。

皆さんは所信表明を如何考えられますか?
またマスコミの論調も?

2009年10月24日

西村恵信先生に聞いたこと

琵琶湖の東岸の能登川という駅の近くに、興福寺(臨済宗)がある。
この地に恩師小田切瑞穂先生の墓があり、お参りに行った。

もし、西村先生(元花園大学学長・現襌文化研究所所長)が居られたら、
話を聞きたいと思ったので念のために連絡したら、
午後から少し用事があるが、在宅だということだった。

お墓参りをしてると「おおーい」と声がして、
髭をはやした面立ちで私のそばにこられた。

人間も78歳になれば、かもし出すものが違うと直感で感じた。
そこで先生に質問した。
「今までで、一番いい年代は何歳でしたか?」
即座に、故松原泰道さん(友人)や画家の小倉遊亀さんのおっしゃった弁を引用され、
「70代が一番充実してよかった。」と証明され、「今日が一番若いし、幸福だ。」と断言され、
逆算人生論を展開された。

一般には人間は加算して年を数えるが、
先生曰く、九十歳で死ぬと決め、そこから逆算して歳を数える。
来年はもうひとつ若くなるという計算方式だ。

七十歳代になって、幸福の条件を四つ考えると、
1)お金がそこそこあること
2)元気でいること
3)友人がいること
4)趣味があること
これが現代的条件だという。
特に趣味が大事だ。
「君は趣味があるか?」と問われて、
「仕事です。」と答えたら、一笑された。

もうひとつ良い話しを聞かせてもらった。
ユング研究で有名な秋山さと子さんから聞いたそうだ。
男女の求める、理想的男女の深層心理だ。
男性は「グレートマザー(大母)」マリア様や、観音様を求めてるのだ。
女性は「オールド ワイズマン(老賢人)」何事にも一貫性のある人物像だ。

みなさんも旦那や奥様にこの理想を押し付けてないですかね?

帰り際にもうひとつ「孝行について」聞かせてもらった。

ある村で一番の孝行者がいた。
隣村にもいたので、早速その一番の孝行振りを見に行った。

隣村に行ったら息子はいなく、少しして山から帰ってきた。
そして、母親が桶の水で足を洗い、食事の支度をかいがいしくしてるではないですか。
何が親孝行だ。
親不孝じゃないか!?と考え馬鹿らしくなり、
帰ろうとしたが気になったので、戻って聞いてみた。
「親に足を洗わせ、食事も作らせ、どこが親孝行だ。」と切り出したら、
即座に答えて曰く、
「親がしたいことをさせてるだけだ。」
「俺が命令してさせたものは一つもない。」

親孝行とは仕事を取り上げることでも、
やさしく声かけることでもない。

みなさんは如何に親孝行してますか?

2009年10月21日

一水四見

私の頭が固いのは云うまでもないのですが、
仏教ではものの見方を諭す意味で、この言葉がある。

意味=水は絶対的な在り方はない。
   
四見とは心の状態で見え方が変わるのだ。
1)人道=さらさらした液体
2)餓鬼道=どろどろした血膿
3)畜生道=魚には住居
4)天道=きらめく瑠璃の大地

このように云う。
人間の心も10の段階があるというのだ。
十界=1)地獄界
   2)餓鬼界
   3)畜生界
   4)修羅界
   5)人間界
   6)天上界
   7)声聞界
   8)縁覚界
   9)菩薩界 
  10)仏界

一日の出来事の中で、我々凡夫の心の立ち位置は、この十界をめまぐるしく動くのが事実だ。

若い日々は回りの環境に影響受けやすく、感性も鋭いので、
感情的に振り回される自分がいたことを懐かしくもある。

さて、この十界をさらに、細かく微細に見ると、
十界に欲界、色界、無色界と三つあって、そのひとつずつに十界がある。
説明が難しいが、合計すると、一念は三千の心のあり方となるのだ。

京都大原の「三千院」の由来は、念が三千世界の心のあり方を示す所から名づけられた。

我々凡夫は自分の立場や自分の見方にこだわり、「我見」がなかなか離れないのが一般的だ。

奈良では、もっと具体的に「我見にこだわること」を解りやすく詠った句がある。

「手を打てば ハイと答える 鳥逃げる
   鯉がよりくる 猿沢の池」

こだわりを捨てる。
「云うはやすし、行うは難し」反省、反省、一生修行!

皆さんは如何考えられますか?

2009年10月20日

話し方のコツについて

ドイツオペラのエリカートさんは、
ドイツ語は「詩」
イタリア語は「歌」
スペイン語は「祈り」
フランス語は「愛」
英語は「ビジネス」
そして日本語は「人を敬う」のに適した言葉だと云う。

話し方のコツは、
1)「話したいことを正確に伝えることだ」
2)「あーいい話だったな」と余韻を残すことがキー。

まず、話しの前準備の基本は、
   1)言葉使いが20%
   2)態度が20%
   3)臨場性20%
   4)内容40%
この比率が黄金比だそうだ。

さて、話し方のコツを三つ紹介する。
1)サンドイッチのように話す。
最初に印象のある言葉を使い、たとえば「和顔愛語」と切り出したら、
その中にエピソードを入れて、最後に「和顔愛語」で結ぶ構成にする。
2)ひらがなで絵をかくようにはなす。
校舎の落成式で、校長がお礼の言葉を以下のように語りました。
「ふるさとは遠きにありて想うもの・・・」という句がありますが、
みなさんには「ふるさとは近くにありてつくるもの」
と思ってご協力いただきありがとうございます。
3)リズム感と安心感
歌舞伎や芝居の心得のある人は自然と身についてるのではないでしょうか?
また音楽は話し方には欠かせない条件だ。

話すことは伝えることだ。
日本語は「人を敬う」のに適してるから、出来るだけ敬語を使うと美しい。
その前に必要なのは「心を込めること」だ。

みなさんは話し方如何考えますか?

2009年10月19日

無用の用

音楽の楽譜は音を出す音符と音を出さない休止符が有る。
メロディーが美しいと聞くのが普通で、
休止符がうまく取って音符が生きてると考えるのは、
よほど専門家でないと考え付かない。

ところが、プロはメロディーの二分音符や四分音符と同じに休止符を大事にして曲を作る。
書家も同じように、最初は古典といわれる人の文字をまねをする。
文字を書き続け腕が上がってくると、
黒い墨の濃淡や余白とのバランスが重要だといって、奥が深い。

さて、「荘子」の中に、
「人が足で踏む地面はわずかだが、そうだからといってそれ以外を削ってしまえば、
 もはや地面として用は成さない」というくだりが有る。
これを「無用の用」というのである。

先日の朝日川柳に「ハンドルの遊びムダだと締め付ける」という皮肉めいた句が有る。

10月12日に大阪城ホ-ルで「大阪めちゃハッピー祭り10周年」が開催された。
10年前に「学び座」という映画が上映され、北海道の稚内の中学が荒れていたのを、
「南中そーらん」と銘打って、若者がそーらんを踊ることから、非行がなくなり、
校内暴力がなくなり、すばらしい学校になって行くストーリーだ。
これをこの会の代表の欠野あずささんが大阪でも開催しようと10年前に始まった。

今年は3500人の参加で、最終ファイナル11組が演じてくれるのがこの大阪城ホールだ。
勉強も大事だが、みんなで協力し、時をあわせ、心あわせ、汗かいて、
踊りに没頭する中に人間のふれあいや助け合いや、いたわりの心が熟成されたのだ。

現在、各々の住んでる地域で家族で、いっしょに夢中になってみんなと行動する行事が、
だんだんなくなり、息苦しい個人主義がはびこっているように感じる。

「大阪めちゃハッピー踊り」を見て、みんなが一心不乱に息を合わせ踊る姿に、
「無用の用」の大切さを感じ、涙が出るほど感動した。

皆さんは如何考えられますか?

2009年10月16日

ばん百話

「遊学の会」の会長、墫栄蔵さんが、
生前ベーカーズタイムズという業界紙に掲載されたものを、
大阪青年会議所の後輩の大橋陽一郎さんが製本された。

そこにはこうかかれていた。
「残念ながら五十一話で終わってしまいました、
 しかし、あえて「ばん百話」として表題を書かせていただきましたのは、
 残りの五十二話からは、ご縁のあった皆様方が作って頂き---」
という文章で、今も続いてるような気持ちにさせるのが胸を打ちました。

さて、その巻頭の文章に、
「味ある人間は自分を掘れ」と自ら学び続けられた、
誠実な学ぶ姿が目に浮びます、以下にその一文を紹介します。

   「味わく」
「掘れば水わく 富士山のてっぺんでも掘れば水がわく
掘らぬものだから千年水脈の上にたっても得るものは一滴もない

掘れ、掘れ、掘れば水わく
しかし、初めはにごり水だ。

これを捨ててもっと掘れ、
床を破って大水脈に達すれば、
たちまち大噴水して清水無限だ。

しかし、この冷泉をたっき破ってもう一つ掘れば
大温泉がわき上がり天地感動す。

人間もあったかい信味がわくまでほらねばいかん
つめたい心があったかくなり
きらいなものが好きになり
死の道が生きる道
多く失っても多く得ているのだ
人生は悪いことは一つもない
われにくるものはすべて恵み」

皆さんは如何考えられますか?

2009年10月13日

遺伝子スイッチONの生き方

遺伝子スイッチONの生き方はイチロー選手だというのは、
筑波大学名誉教授の村上和雄先生だ。

メジャーリーグに挑戦を決意した時、
インタビュアーが、
「自分の可能性が広がりましたか?」という質問をした。
イチローは
「器が広がったとは感じていない、
 器の中でどれくらい能力が発揮できるか。
 それが変わった」というコメントをした。
このときがスイッチONになったと村上先生は断言する。

人間の不可思議なのは、遺伝子にスイッチONになっても、
電灯のスイッチと同じで、ついたり消えたりするようにできてる。
だから三つの条件がないとONになりっぱなしにはならない。
1)物事に集中する人
2)持続性の有る人
3)常識に縛られない闊達さを持つ人
がその三つの条件の人だ。

さて、ON,OFFの基準は目を覚ました遺伝子が、
たんぱく質やたんぱく質を元にして酵素を作ることができる。
OFFになると酵素を作らないのだ。

このスイッチの決め手は「志・夢」なんだ。
「こうあってほしい」と、強く強く望めば100%可能になり、無限の可能性を引き出す。
要するに、遺伝子のスイッチONにすることができると言い切る。

人はこの心のあり方と環境によって、生きながらにして生まれ変わることができる。
その環境要因は三つある。
1)物理要因(熱、圧力、張力、訓練、運動など)
2)食物と科学的要因(アルコール、喫煙、環境ホルモンなど)
3)精神的要因(ショック、興奮、感動、愛情、喜び、恨み、信条、祈りなど)

心の持ち方でスイッチOFFにする六つの要因をマズロー博士は挙げる。
1)いたずらに安定を求める気持ち
2)辛い事をさけようとする態度
3)現状維持の気持ち
4)勇気の欠如
5)本能的欲求の抑制
6)成長への意欲の欠如

逆に村上先生は、よい遺伝子スイッチONに実行できる六つの要因を以下にあげる。

1)どんな時も明るく前向き
2)思い切って今の環境を変える
3)人との出会い、機会との遭遇を大切にする
4)感動する
5)感謝する
6)世のため人のためを考えて生きる

私には能力がありません、でも情熱は人一倍ありますので、
考え方の方向は背伸びしてでも、スイッチONに振舞うようにしているのが事実だ。

みなさんの遺伝子はスイッチONですか?

2009年10月07日

育てることについて

30歳ぐらいになると、仕事が自分でできるようになる。
すると次は部下の育成だ。
最初のころは教えるより自分でやったほうが早いので、
怒鳴りつけては自分がやってしまうのが、部下を持つ人の行動だ。
そのうち、やってもらおうと機嫌をとって寛大な自分を演じる。
誉めて育てる方法だ。
ところが、部下は勘違いして、逆に増長し天狗になる。
この態度を見て、逆に切れて、怒鳴りつけるようになるのが一般的だ。

そして、結論を出す。
人を育てるのは、
1)自分は向いてないか?
2)難しい?
という答えだ。
真面目な人で自分に嘘つけない人ほど、
人間嫌いを標榜したり、コミュニケーションを拒否する生き方になる。
これでは楽しくないのである。
人間が創った世の中で、人間のコミュニケーションを否定しては社会では傍観の立場しかない。

そこで、渋沢栄一は一個人の意見として、
「人間を鍛えるには、争いは決して排除するべきものでなく、
必要なものであると信じる。」と語っている。

それを説明するのに、二人の先輩人物像をあげて考えてもらうように提案してる。

1)何事にも寛大でやさしく親切、あくまで懇篤と親切と思って後輩を引き立て、
欠点失策があっても追求せず、敵に回ることもない寛大な先輩。
答え=後輩の奮発心を鈍らせることになる。要するに自律心を阻害する。

2)1とは逆に、がみがみ責め立て、常に後輩の揚げ足を取り、
一挙一動に隙を作らぬように心がけ、身の引き締まる先輩。
答え=寛大さや愛情がないのか疑わしいが、
自分に発憤心が起り、世の中を甘く見ない緊張感が出来る。

わたしも基本的に、争いは自分の弱さという内面へ向け、
他人や他社、他国のように、具体的に外に向けるのは否定だが、
渋沢翁は、育てるには両面を使い分けろということだ。

そのハンドルには判断の基準が大事だ。
社会人として「私心なく動機善」、「志」を基準にすることがルールだ。
スポーツのように仕事では厳しいが、
いったん仕事を離れたらラクビーのように「ノーサイド」だ。

パリ見聞で養った経済の知識で、現在の銀行制度を作ったのは渋沢翁だ。
翁が目指したのは「公益を目指す私利」近江商人の三方善しの中で世間善しが一番と考えた。
この志、動機善を貫くには二人の先輩を使いこなす度量と信念がいる。

現実は時々嫌われたくない自分(保身)が顔を出すのも人間の性だ。(私も反省)
肉体は後ろに目がなく、足も手も前を向くことが都合良く出来ていて、
過去へBACKするようには作られてない。
未来を切り開くのが人間である私の使命と生きてる実感だと確信する。

皆さんは如何考えられますか?

2009年10月06日

リーダーのあるべき姿

名経営者の松下幸之助さんは社員の一人一人も家に帰れば主人だ。
「リーダーである」と諭して、社員稼業と表現された。

まさに、我々は立場や集団が違えばリーダーの役割を果たさなければならないことがある。
今のような民主主義の時代には論語なんかは適用できないとお考えの人も多いが、
リーダーのあるべき姿を考えるのに少し紹介させていただく。

論語の泰伯大八「子曰く、民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず。」
昔、教わったのは、
政治の要諦=民には生活させるが、真実を知らせることはない。
為政者は馬鹿にしてる言葉だと思っていたが、
以下に紹介する二人の先生の解釈が正しい。

論語普及会の伊與田先生の解釈。
「民は徳を持って信頼させることはできるが、
すべての民に真実を知らせることは非常に難しい」

安岡先生の解釈は
「為政者の遠大公正な政策の意味を理解させるのは非常に難しい、
ときには不可能である。結局は民衆の良心を信じ、
徳を持って由らしむしかない。」

こういう意味になるそうだ。
リーダーは「信なくば立たず」だ。
現代は女性の主人も当然ある。

さらに、リーダーのあるべき姿として、子路が孔子先生に「志」を聞いた。
「子曰く、老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん。」
(公冶長第五)

意味は=私の志は年配の人は安心して暮らせ、同年輩の人には信をもって接し、
幼い子供がなついてくれ寄って来るような人物になりたい。

今の民主党がこんな世の中を創ってくれる人物の集まりか、
今後の行動が楽しみだ。

自分に置き換えて、言行がどこまでできてるか査定するとはなはだ恥ずかしい。

皆さんは如何考えられますか?

2009年10月05日

三方善しについて

三方善しは近江商人の考え方だ。
1)お客さんのために善し
2)世の中のために善し
3)自分のために善し
この順番に行動するということだ。
商人の仕事は「世の中のために役に立つ」ことだ。

これは商売だけに通じるものではないというのは、
近江育ちの政治評論家の田原総一朗さんだ。

「人の役に立つ」原則は人の心をとらえて離さないということ。
田中角栄氏は「箱根山 籠に乗る人、担ぐ人。そのまた草鞋を作る人」
といって社会にはいろんな仕事や立場があり目配りしたという。

竹下登氏は「汗は自分でかきましょう。手柄は人にあげましょう」
選挙で少し返してください(笑い)世の中は回ってるいるからだそうだ。

まずは、世の中にお役に立つことだ。
要領よく近道したり、自分を大げさに吹聴しても、
世の中の人は必ず見てると言い切る。

「人は誠意あるものを購入してるし、人は誠意ある人についてゆく」と結ぶ。
これは人間社会の不変の法則で本質的だ。

社会人の条件は「心技信」というのは森川先生だ。
信=人偏に言う(言ったことを守る)
これができる人は信じて用いられ、信用される。
必ず実現する人は頼られ、信頼される。

政治家が覚悟を示すために使う格言に「信なくば立たず」というのがある。
社会ではこの信を貫く人こそが志を貫く人だと信じる。
自分に置き換えたら、どれだけの得票が取れるだろうか?(10点かな?)

皆さんは如何考えられますか?

2009年10月02日

尊敬する人

私の尊敬する人は、23歳ごろに出会った理論物理学者の、小田切瑞穂先生(故人)だ。
「尊敬する人=依頼する人」と考えてた、未熟な自分がいた。
だから、解らないことは何でもかんでも素直に聞いた。

すると先生は、哲学的なことや科学的な分野は答えてくれるが、
実際の経済的なことや政治的な社会学になると、
根本的には人間の妄想だといって一喝、
具体的には答えてくれないのである。

未熟で全く無知な私は、尊敬するとは何でも答えてくれる人で、
ドラえもんのポケットのように考えていたから、大いに失望した。
先生のいないところでよく、不足や不満や愚痴ばかり言ってたいた。

独立自尊の精神の強い、ワタミの渡邉社長は、
尊敬する人=『キリストと孔子』と答え断言する。
いつも枕元に聖書と論語が置いてあり、毎晩どこかの箇所を読むそうだ。

渡邉さんによると、現実に生きてる人には『立派な経営者』や『魅力的な人』はいるが、
尊敬する人ではなく、
自分の求め描く『理想的な人』=『あるべき姿』を「尊敬する人」と考えると、
『キリストと孔子』であると答える。

これは実によい選択だと思った。
私のように『尊敬する=依頼する』になり、生きてる人だと、不平不満で愚痴が出る。
(人間は完璧ではないから)

渡邉さんは『尊敬する=自分を磨くあるべき姿』と考える。
言い換えると、自分の外に神を求めるというより、
自分という人間を、神に磨き上げようと行動してるように思える。

その理想とする人物が「でかい」ではないですか?
それと、自分の著書に書いて公言してはばからない覚悟がある。
もう参ったとしかいいようがない!!

今、私に「尊敬する人」はと聞かれたら、『釈迦と孔子』と答える。
現実にいない人だから、実生活では他人と比較せず、
「釈迦と孔子」と話すようにするから、人間関係の悩みは少なくなった。

しかし、渡邉さんのように『あるべき姿』として磨いてるかと問われれば、
見たとおりと答えるしかない。
やせ我慢を言えば発展途上人と表現させてもらう。(背伸び)

みなさんは「尊敬する人」どんな人持っておられますか?