2009年10月31日
両忘について
茶道は具体的に「一味」を出すことだ。
それには、作法を学び技術を修得し、
さらにその心を磨き「主客一如」の状況を生み出し、
「和敬静寂」を楽しむ。
茶の技術と心を極めても「一味」でない、
両忘といって、その心も技術も忘れろという、
それでこそ、自由で自在に「一味」が出せるのだと云う。
実に奥が深い。
現実の世界は、生と死、善と悪、愛と憎、苦と楽、主と客というように二元対立の世界だ。
我々は自分の立場や自分の好き嫌い、自分にとって都合の良いこと悪いことで、
一方を喜び選ぶともう一方を嫌悪するのがごく普通の判断だ。
自然とそこには迷いの心が生じる、
もし安心立命の生活を願うならどうするかというと、
「両頭共に断ち切る」ことだ。
両忘=相対二元の対立を意味する
「茶道極意」仙厓和尚の遺稿の中にある短編を紹介する。
『それ茶道は、心に在って術にあらず、術に在って心にあらず、
心術並び忘ずるところ、一味常に顕わるるなり』
心術を忘れ、はじめて『一味』の絶対的な味が顕れるのだ。
恩師小田切瑞穂先生に『色眼鏡』=二元対立のものの考え方をはずせ(捨てろ)といわれた。
当時は自分が見て考えてるのに、なにを馬鹿なこと言ってるのだ。
そんなことは出来ない思い込んでいた。
また生意気にも体験も見識も未熟な自分が、
先生は現実の対立の中で具体的に行動しないから解らないのだと決め付けていた。
でも今から考えると、それは間違いだと気づく、
何ごとも最初は技術をトコトン学び、そしてその心を学び、
その後に、さらに自分のものにするには『心術並びに忘ずる』ことで、
自在に心や技術、作法(ルール)にこだわらず、具体化できると解る。
還暦を迎え、恩師の言葉が身にしみる今日この頃だ。
皆さんは如何考えられますか?














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