社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2009年11月28日

もったいない(MOTTAINAI)

この言葉は日本文化の価値観で、
「森羅万象に対して、慈悲、感謝、畏敬の念をもって接する」ことを意味する。

今期の大阪石材の計画実現の中でいつも大切にする基準だ。

環境分野で初のノーベル賞を受けたケニアのワンガリ・マータイさんの提唱で、
世界の共通語として運動されてる。
国際的な意味=1)REDUSE(消費削減)
       2)REUSE(再使用)
       3)RECYCLE(再利用)
       4)RESPECT(敬意)
という概念で普及されている。

幸田露伴が「努力論」の中で幸福になるには「幸福三説」の実行だとといている。

幸福三説=惜福(せきふく)、分福、植福

1)分福=福を分け与えることですね、お土産などもらいますと近所に配りますね。
2)植福=福の種を植えることでボランティアやモノやお金を差し出すことですね。
     役立つ行為(仏教で言う布施です)
3)惜福=もったいない精神だ。
詳しく書くと、与えられた福がたとえ小さくても、これに感謝し、これを大切にし、
取り尽くさず、汲みつくさない。(自然の恵みを人間のエゴで貪らないことだ)

今、文明は転換期に来てるというのは田村正勝教授だ。
市場原理主義、金余りから来る金融資本主義(ファンドの暴走)という近代文明は、
1)合理的科学主義
2)工業的生産の効率主義
3)民主主義政治
この三つで運営されて発展してきたのは間違いない。
そして人類はすばらしい成果も得た。
1)迷信、自然の驚異
2)貧困
3)独裁政治といった三つの面から開放された。
反面なくしたモノも大きいと語る。
1)自然の破壊
2)地域共同体の破壊
3)精神文化の破壊
今こそ、
現実を見つめ地域の文化と共同体の再生を新しい形で取り組むことが必要だと希望を語る。

今、民主党政権は「事業仕分け」を政治指導で行なっているが、
新しい社会の基本が人間中心の絆を大事にする方向であってほしい。

皆さんは如何考えられますか?

2009年11月24日

三蔵法師に見る松下幸之助の考え

玄奘三蔵法師の名はよく知られてる。
それは如意棒を持って、空をとぶ孫悟空の物語で有名だからだ。

実は玄奘以前に有名な三蔵法師は十歳で四百万語を暗誦したという鳩摩羅什(くまらじゅう)だ。
羅什は天竺(インド)の人で、家は代々国の宰相だった。
350年に生まれ、402年から409年に逝去するまでに74部385巻の名文を訳してる。

さて、三蔵法師の三蔵とは
経蔵(きょうぞう)=お釈迦様の教えをまとめたもの
律蔵(りつぞう)=戒律に関するもの
論蔵(論蔵)=経蔵と律蔵に関する解説書並びに研究論文のこと

この三つを言う。
縦糸は「経」、横糸は「論」、それを実践する行動規範が「律」

松下さんは経営でこの三つを実践された人だ。
経蔵=「根源」
   松下さんは非常に現実主義者だから、「無」から「有」は生まれないが、
   必ずその元がある。それを「根源」と呼んだ。
村上和雄先生は「サムシンググレート」と呼ばれる。
自然の理法だ。天地の働きだ。
元々エネルギ-があるが人間は自分の我欲で見えない、
「素直な心」で無心になれば理法が教えてくれると考えた。
だからこそ、「自己中心主義」を排除し、「派閥経営」にもならなかった。

論経=衆知を集めるだ。
   松下さんは横糸にいろんな人の意見を聞いた。
   そして公明正大の透明な経営をした。
   だからこそ、「身内だけの正義」「談合の正義」が排除された。

律蔵=人間に誠心誠意を尽くす実行の人だ。
   普通のことをやりつづけることだ。
   1)熱意を持つ
   2)努力をする
   3)思いやりを持つ
   4)自分のことより他人のこと、他人のことより社会のことを考える
   5)信念を持ち、信念に生きる

経営の神様は普通のことがやり続けられる人だ。
商売を見る前に人間を見て、汗をかき、涙流すごく平凡な人だ。

私にこの三つがで来てるか質問されたら、現在進行形だと答える。
点数は自分ではつけられない、
なぜなら自己肯定して100点をつけるからに違いないからだ。
他人の評価に任せるしかない。
評価は気にならないが、なにを役立つことしたかが大事だ。
頂上のない山登りをコツコツ歩く勇気だけはある。

皆さんは如何考えられますか?

2009年11月22日

「千引石(ちびきいわ)」ってな-に!?

日本で最初の墓石だ。
日本神話の古事記ではイザナギの命が先立たれた最愛のイザナミの命を慕って、
黄泉の国(あの世)の入り口、黄泉比良坂(よもつひらさか)から入って会いに行かれたが、

イザナミの命のあまりの姿に引き返してきて、
桃を投げ千人の人で動かした石を出入り口に投げ、あの世とこの世を分ったのが、
「千引石」で「道反の大神」(みちかえりのおおかみ)とも言われる。
現在は島根県の東出雲町にある。

さて、出雲にはもうひとつ最古のものがある。
それは神話によると相撲の発祥の地だ。
垂仁天皇の時代、
出雲でノミノスクネとタイマノケハヤがたいしたとい伝承が相撲の起源とされる。

相撲は日本の国技であり文化だ。

その最高にすばらしいスポ-ツマンシップは行事の掛け声にある。

「はっけよいのこった」=「発気良残手」だ。
意味=気を発して、最後まであきらめるなまだあの手この手が残ってるがんばれ!!

スポ-ツはル-ルがあって勝ちを競うゲ-ムだ。
だから西洋のラクビ-のように試合は勝ちにこだわるが終われば、
「ノ-サイド」といって勝ち負けにこだわらないで仲良くするのがスポ-ツマンシップだ。

ところが世界で相撲だけは試合中に「劣勢の人」を応援する掛け声がある。
勝ち負けを競っているのに、どこか人間味があり劣勢の人を励まし、
精神的にハンディキャップを当てえるんだ。

実に日本文化らしく、
勝ち負けを超えて劣勢者に掛け声をかけ応援する、
勝ち負けという対立した感情を中和させるように包み込んでしまうのだ。

今、日本には良い悪いの二元的価値観が幅を利かせ、
あいまいな「いい加減の湯加減」、
料理の塩の「塩梅」(あんばい)という塩加減がなくギスギスした文化になってる気がする。

仏教では「中庸」といって、
右左に偏らずバランスのよいところを探して生きることを意味する。
(サシで計って真ん中ではない)
以心伝心や思いやる察する、気遣いや心遣いがなくなってきてるのかな?

皆さんは如何考えられますか?

2009年11月19日

松下幸之助さんは「天」に誉められた。

朝シャンの流行は10年ほど前になるが、
今朝は、朝シャンでなく朝風呂に入って身体を目覚めさせた。

風呂が奇麗に掃除されていて大変驚いたので、
誰が洗ったか確かめたら、三女だった。

親から「ありがとう」と誉められたら喜ぶに違いない。
しかし「ありがとう」を言う親は誰に誉められるのか考えた。

子供に言ってもらうことを期待してたが、
親が誉める人、子供は誉められる人と思い込んでいるのと、
親の行動は当たり前で、
もっと立派な親がいると要求こそすれ、
誉めて感謝する余裕などなく無理だ。

母親なら父親が母親を誉める。
母親は大人だから父親を誉め、互いに敬い助け合う。
しかし、母親が子供と同じ立場に立つなら、
父親は誰が誉めるのか疑問が残る。(逆も同じ)

父親は「天」(おてんとさん)が誉めてくれるので、
誰かという「人」ではなく「天」だ。

ここが面白い。

母親は子供に誉めてほしいと思って育ててはいない。
良い子に育つようにと願いを込めて無償の愛で育てる。

逆に子供から誉められたら、照れくさくて母親でなく一人の女性になる。
男も社会では全く同じだ。

子供がいるから親になるように、
社会では部下が上司にしてくれるのだ。

直接誉められたら照れくさく、上司でなく一人の男になる。

経営の神様といわれた松下幸之助さんも、
「人」から誉められようと行動したのでなく、
行動の結果「天」に誉められたのだ。

ことわざに「天網恢恢 、疎にして漏らさず」というのがある。
「天」は見逃さない、誰からも誉められない行動を!!

私には誉められないと行動しない逆転してる自分がいることも確かだ。
反省、反省!!


皆さんは如何考えられますか?

2009年11月16日

江口克彦さん(PHP研究所社長)幸之助さんを語る。

「まほろば塾」が11月15日薬師寺で行われた。
元々松下幸之助さんが故高田好胤管長に、
「戦後の日本は経済は順調に伸びたが、このままでは日本人の心がおかしくなる」
こういわれて、当時黛敏郎さんや各界の人が集まり「まほろば会」を作ってられたそうだが、
高田好胤さんも亡くなり休会になっていたのを新しく塾にして、安田暎胤長老が塾長で引き継がれた。

今回のゲストが、23年松下幸之助さんにお仕えした江口さんだ。
実に楽しく身内が語る口調で大変親近感を覚えたので、記憶したことを紹介する。

人物像1.(積極的で事実を肯定的に受け取る)
新聞の批判的な記事に一言、
「批判はそれはそれでいい、これでわしも有名になる」実に前向きだ。
マスコミがインタビューで、
「苦労したことはありませんか?」と一代で築いた創業者に質問すると、
松下曰く「苦労したことありませんな!」
「大変だったかも知れんけど、今ここにいるから乗り越えたので苦労ではなかった」と、
過去を気にしないし、くよくよもしない。
さらに、「苦労やと心配しても、心配しなくても、結果は同じや」
「それやったら心配せんほうが良いに決まってる」と屈託なく答える。

人物像2.(周囲の人のことを考え役立つように振舞う)
新幹線で、高槻在住の会社の社長が同じ車両のななめ向かいに松下さんを発見。
話したいがどう切り出して良いかわからないのでもじもじしていたら、
奥さんが「みかんでも買ってきてあげたら」さすが、かみさん(神)だと思い実行した。
幸之助さんが京都で降りられるとき、「先ほどはありがとうございました」と礼を言って降りられた。
しかし、新幹線を降りて、その人の窓まで来て、新幹線が出発するのを見送られたそうだ。

また、エレベータなどに乗ると、必ず女子事務員さんに声をかけられたそうだ。
決して商売でお客様第一主義だからでなく、人間に礼を持って接せられたそうだ。
もちろん江口さんが報告に上がり仕事を終えた時も、
松下病院に入っておられて、部屋のドアまで見送ることも欠かされなかったそうだ。

人物像3.(人の話を聞く)
「おもろいな!」
「君賢いな!」
「何か教えてくれることないか?」
「そういう考え方あるな!」

この繰り返しが対話だったそうだ。
しかし、十回に一回ぐらいはアドバイスするそうだ。
だから、相手は気持ちがよく成るのは当たり前だ。
「批判されない」
「反対されない」
「説教されない」
この三つを守られていたようだ。
ある日「君、大学作ろうとおもてるから調べて」と、
90歳になろうとしてる幸之助さんが言われたそうだ。
もちろん「これからですか、理事長になるんですか?」と訊ねたら、
「学校で生徒になって学びたいのや!」こう答えられたそうだ。

私のような凡人は死ぬことばかり考えて不安や心配を勝手に作り出し、
利己的に保守的な自分になってることに気づかない愚かさがある。

90歳になっても生きることへの情熱を持って挑戦される姿こそが魅力の根源だし、
世の中に利他行する前向きさの人物像だと感服して聞いていた。
生きることを楽しんでるのか?
死ぬこと恐れて生きてるのか?
それが問題だ。

皆さんは如何考えられますか?

2009年11月15日

無分別の智

現実を説明するには三原則が良いのは三次元だからだ。
縦横高さに時間を加えると四次元で、人間だけを考えると進化してきた人類の歴史だ。

さて日々私たちは人間とかかわりコミュニケーションをする。
また自分に人生の経営を含め仕事なりの経営をやりこなさねばならない。

まず第一に、人間関係に必要な話し方についての三原則を紹介する。
1)共通の関心事
2)共通の価値観
3)共通の言葉
この原則を話す対象(一人でも大勢でも)つかんで話を組み立てると、
コミュニケーションは抜群だ。
もちろん話法の細かい技術はいる。
たとえば、相槌のタイミングや声の強弱や構成をサンドイッチにすることも重要だ。

次に紹介するのは人生仕事の経営の三原則だ。
1)ポリシー(信念、理念)=やりたいこと
2)マーケティング(相手、お客の層)=やっていいこと
3)マネージメント(仕組み、役立つ喜び)=やれること

この原則に照らせば個人的には自分を客観化でき、
他人も理解し受け入れることができる。

人生や仕事の経営で言えば、
どんなスキルを身につけ協力者を探し、計画実施すれば必ずうまく行くに違いない。
さらに、四次元の時間軸の歴史を研究することは、
現実をさらに飛躍するアイデアが出て、未来を切り開く重要な学びになる。

ここで、重要なポイントである心の置き方を考える。
それは、現実に行動するわたしたちにとって、
日々の苦楽の二元の世界を超えて、
「日日是好日」を実現させる心の平常心を得なければ実現しないからだ。

そのヒントに、苦難と貧困の道を経て大成された吉川英二さんが晩年、
「楽しい所に楽しみ、楽しくない所にも楽しむ」と、よく書かれた心境に見出す。

それは、損得、好き嫌い、善悪の二元の世界を超え、
善を善として活かし、悪を善に活かす、
「無分別の智」を体得、実践することだ。

私にはまだまだ遠い心境だ。

皆さんは如何考えられますか?

2009年11月09日

健康について

健康には二つある。
一つは体の健康、
もうひとつは心の健康だ。

最近は身体のことばかりでサプリメントや運動をどうするかに偏りがちだが、
心の健康こそ大事だが、やり方がわからないのが実情でなないだろうか?

さて今日は薬について仏教が語ってることに耳を傾けることにする。
お経には一番い良いとされる薬を『全薬』次は『中薬』三番目が『下薬』と言う。

『全薬』=『善薬』だ。いわば特効薬で病気に一番効く薬だ。
『中薬』=薬屋さんで買う薬のことだ。
『下薬』=麻酔薬や、睡眠薬、麻薬といった毒になる薬だ。

この『全薬』とは何かというと『食べ物』のことだ。
毎日きちんと食べ物を食べるだけで身体は健康に成ると教えてるのだ。

『食べるとは人をよくする』と書く。
僧侶は自分より遠い命を食べると良いとされている。
だから草食を重んじられる。
油分についてはゴマを食するそうだ。

単に食べ物の量や種類を気をつけるだけではなく、
心から感謝して食べることを重要にするのが僧侶だ。

昔、みんなそろって晩御飯や朝ごはんを食べるときは、
必ず『頂きます』『ご馳走様』で終わり両手を合わせた。

最近は自分のお金だから、いただいてるのではないという屁理屈があって、
『頂きます』を言わない人もいるそうだ。

その心構えの食事作法を紹介する。
『対食五観の偈』(現代語で訳したものにします)

1)この食事の材料を調達し、
調理してくださったかたがたに、心から感謝いたします。

2)この食事を頂くにふさわしい自分なのか、
よく心に問うて考えます。

3)この食事を、心を正しく保ち、
貪りなどの邪念を払うために頂きます。

4)この食事を、心身を養うための良薬としていただきます。
美味を求めてではありません。

5)私の願っている仏道修行を全うするためにこの食事を頂きます。

そして、我々も日常神様と仏さんに炊き立てのご飯を先に供えるように、
僧侶は朝のお粥を箸で一つつまんで小さなサラにいれ、
これを飢えと渇きに苦しむ餓鬼に分け与えるものとして自分が食す前にやる。

物質としての科学的なことも大事ですが、
心から願って食事をいただくところに、
健康が来るのだと改めて昔の習慣のよさを実感する。

皆さんは如何考えられますか?

2009年11月08日

心の三福田

11月7日は、奈良薬師寺の山田法胤管主の晋山式が執り行われ、
三千数百人が参列された。

その晋山式の記念品として『百八の智慧』と題された本を頂いた。
その中にある『心の三福田』を紹介する。

福田=良い行いの種を蒔く田んぼで、功徳の収穫がある。
   常に耕しとかないと、
   風に乗って舞い降りる雑草に負けないようにすることが大事。

三福田とは『敬田』『恩田』『悲田』だ。
どんな人もこの三つの田を耕すことで、
実り多い人生を得ること間違いなしだと仏教では説く。

1)『敬田』=昔の人たちは、お正月とお盆には『神さまとご先祖様を大切に』初詣やお墓参りに出かける心。
これが『敬う』という耕し方だ。

2『恩田』=両親を始め、学校の先生や、何か困った時に助けてくれた人に感謝する心。
これが『恩を思う』という耕し方だ。

3)『悲田』=恵まれない人、困ってる人などにご奉仕する慈悲の心。
これが『気の毒に』と思える心を養うという耕し方だ。

省みると私が今日生きてるのは、
1)この大自然からの恵みで生かされ、この身は親が産んでくれたのだから、
神様やご先祖を『敬』わないわけに行かない。

2)病気で夜中に医者のところへ走ってくれた親がいて、
医者の見立てがよく救われた恩ある先生がいて、学問を導いてくれた先生や、
仕事で困った時に助けてくれた恩人がいた。
だからこそ『恩』返せることは目標があり幸せだ。

3)未来の若者や、今困ってる人や、恵まれない人をさげすむのでなく、
かわいそうにと一緒の気持ちになる。
そんな人々に布施行を実践することが自分のやりがいや生きがいにもなる。

小さな時から身体に染込み三福田を耕していれば、
迷いを去ることができると説かれる新管主だ。

皆さんは如何考えられますか?

2009年11月05日

『敬』について

男女共同参画社会基本法という法律がある。
橋本龍太郎内閣総理大臣が第142国会(平成10年2月16日)の演説で、
『個人の幸福と社会の活力をともに叶えるには・・・』
個々人が助け合い支えあうのですが、『男は仕事女は家事と育児・・・』
ではダメだというのであるが、この法律を作る促進になった話だ。

この時代は人権が叫ばれた社会背景があったにしても、
この真意は女性を消費者の一員として、
経済に参加させることが目的のように思えるのは私だけだろうか?

安岡正篤師は『日本の父母に』という本に以下のように書かれている。

『家庭というものは、夫婦親子の共同生活の場に過ぎぬとする、
 そんな機械的あるいは動物的なものではない。
 もっと精神的なもので、父母を分けて言えば、
 父は子供の敬の的、母は愛の座であることを旨とする。』

もちろん片親もあるが、その場合は両方兼ねねばならないこともある。
さてここで取り上げたかったのは、
『敬』だ。
安岡先生曰く、
『敬するから恥ずる、恥ずるから慎む、戒める。』
この気持ちが主体になるとき、道(人生)に徳が出来ることだと断定され、
この『敬』『恥』の二つの心が、動物と人間の限界線だとおっしゃる。

戦後なくなったのは1)敬う心、2)敬語だと感じる。
男女を差別することはダメであるのは真理だが、区別は必要だ。

特に男性が男らしく子女子をかばい助ける気風が希薄になった。

西郷隆盛さんの座右の言葉に『敬天愛人』がある。

幼いころ悪いことすると母は、
『お天とうさんに叱られる』と言ったものだ。
天に畏敬の念を持つ躾だ。
同時に天地の恵みで生きる人間には信頼を寄せ互いに活かしあい、
仲良く助け合い愛することが人間道だと諭したのだろう。

今日認知症の母を見舞って、
意識して『敬』の心で『礼』をもって接した。
満面の笑顔が返ってきた。

皆さんは如何考えられますか?

2009年11月04日

反省について

先日、論語を教えておられる村下先生と一緒に食事する機会があった。
78歳の高齢だが、お酒もたしなまれ、食事は好き嫌いなく、なんでも食べられる。

だが日ごろから健康に気をつけられていて、
事務所に出られるのに、二つ手前の駅で降りられ、
一日に10キロは歩かれるようにされてるそうだ。

『人生において一番大切にしなければいけないことは何ですか?』と質問すると、
先生は即座に『反省』と答えられました。

論語の学而第一に『曽子曰く、われ日に吾が身を三省す、
         人の為に謀りて忠ならざるか、
         朋友と交わりて信ならざるか、
         習わざるを傳うるか』

意味=曽子は自分の行いを一日に何度も反省し、
そのことをしないように省き(はぶき)、
世の人の為に真心をもって行動し、
友と真実で嘘がない交際をして、
知らないことを知ったかぶりしないで、
自分の学んだこと、体験したことだけを伝える。

ほんとに学ばれてる方は謙虚で、以下のように語られた。
「まだまだ行き過ぎたり、気配りが足らなかったりすることがある」
さらに、「言い換えると反省は飛躍のための屈伸だ」ともおっしゃった。

弓を射るとき、
1)まず矢を引く(これが反省で的(目標・志)をいる矢の準備だそうだ)
2)そして、手を離すと、矢は目標に向かって一直線で飛ぶ。

この引きが弱かったら、矢のスピ-ドは落ちるし、
遠くへとばないのだとおっしゃられた。

考えてみれば、目標を見て、ただ闇雲に走ってきた方が多く、
後ろに引く反省が充分なされないで今まで来たようだ。

『ハット!!!』気づかされた思いで恥ずかしくなった。

反省とは後ろ向きで暗いイメ-ジで、
なんとなく捕らえていた私には『目からうろこ』だった。

皆さんは如何考えられますか?