2009年12月01日
人物観察法について
現代、コミュニケーションが難しいといわれるのは、
生まれ育った共同体が破壊され、共通の話題やルールがなくなったからだ。
経済が発展するということは、
全国どこでも何時でも誰でもが実現できる地域の壁を越えた流通のしくみがいるからだ。
自由にどこにでも行けるし、誰とでも付き合える世の中になってうれしいかと言うと、
実は逆で、誰もがコミュニケーションに不自由を感じてるのだ。
そこで、2500年前の中国春秋戦国時代の孔子様に教えてもらうことにする。
「論語」の中に、人物を自分の目で見抜く方法が書かれている。
「子曰く、その以いる(もちいる)ところ視、その由る(よる)ところ観、
その安んずるところを察すれば、人いずくんぞ廋さん(かくさん)や」
視=その人の外部に表れた行為の善悪正邪を相すること。
観=その人の好意はなにを動機にしているものなるやを篤(とく)と観ること。
察=その人の安心はいずれにあるや、何に満足して暮らしてるやを知ること。
上記のような三拍子の人物観察が出来れば、
結果その人の真人物が明瞭になり、
如何にその人が隠そうとしても。隠しえられるものでないと断言する。
だから、外部に顕れる行為が正しく見えても、
その行為の動機になる精神が正しくなければ、
その人は決して正しい人であるとは言えない。
また、外部に現われた行為も正しく、
これが動機となる精神も正しいからとて、
もしその安んずるところが、飽食暖衣逸居するにありというようでは、
ときに誘惑に陥って意外な悪をなすかもしれない。
だから行為と動機と満足する点が三拍子そろって正しくなければ、
正しい人物ではないということだ。
これは他人に騙されないようにする人物観察法であると同時に、
自分の人格形成の条件でもある。(表裏一体)
2500年前は周の武王のすばらしい政治体制が終わり、
春秋戦国時代の奪い合いの世界に入り、
それを目の当たりに見た孔子先生の生活の中から出た知恵が「論語」だ。
世界は東西冷戦こそ終わったが、
情報化社会で国家の壁もなくなり、
情報、金融が世界中を駆け巡り、
昨年のリーマンショクにより、ファンドが金融暴走する経済戦争の時代だ。
世界が経済優先の戦争状態であるからこそ、
コミュニケーションの基本となる人物観察法を身につけ、
真人物と付き合い楽しい人生や仕事を送り、
世界が相互扶助の平和を実現することだ。
それには、人間を知ることから始めるのが基本だ。
私にとってはどこまで孔子先生の観察法が身につくか大きな課題だ。
皆さんは如何に考えられますか?














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