社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2009年12月03日

雨に思う

「晴耕雨読」という格言がある。
雨の日は本を読んで学び、天気の日は田を耕やし働くのだ。
天候に合わせて仕事を変える、言い換えると、天候に合わせて自分の行動を変えるんだ。

昔の人は、実に合理的に考えたのだ。
ところが昨今はこの合理性の意味が逆で、
天候を変え自分は変わらない論理だ。

実に味気ない仕事のやり方や生活を送ってるのだ。
たとえば、年中一定の温度に空調するから身体は弱くなり、
寒さ暑さを感じない感性になる。
音楽で言うと音程のない楽譜を演奏するようなものだ。

一方自分を変える世界は、
秋に成れば紅葉し冬支度する自然があり、
自然に動かされ変化する自分がある。

真っ赤に燃えるもみじがクヌギの黄色に美しい。
こころは感じて動く感動で一杯だ。
喜怒哀楽を全身で感じる喜びがある。

吟遊詩人の山頭火は雨を詠む。
「雨だれの音も年寄った」
天地と自分が一体だ。

自分を変えるという当たり前のことが今の人はできない。
昔の生活を知らないから、
現代生活から学んだ考えが当たり前と思い込んでるからだ。
そう思い込むことは仕方ないとしても、
生きていく上で一つだけ不便なことがある。

それは他人とのコミュニケーションだ。
天気によって自分を変えれないように、
いろんな考えの人によって自分を変化させて合わすことができない。
合わすことは相手に振り回されてることだと考え、
自分がなくなると思い込んでる節がある。

自分の主体について中国の鏡清禅師の問答にある。
禅師が弟子に「門の外はなんの音じゃ」と尋ねる。
弟子の僧は「雨だれの音です」と答える。
禅師は「人間という奴はあべこべで、
自分を忘れて外のものばかり追いかけるものじゃ」といわれた。

雨だれの音はこの自分のことだということだ。
そもそも自分がいなかったら雨だれの音なんかしないのですからね。

襌には「随所に主なれば 至るところ真なり」という言葉もある。
芯がしっかりして、
どんな状況にも自然のような表情豊かに対応ができるしなやかな人間が理想だ。
頂上のない山登りが人生だ。コツコツやるしかないようだ。

皆さんは如何考えられますか?