社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2009年12月07日

「知」のハイブリッド人財の時代

司馬遼太郎の「坂の上の雲」がNHKで上映されている。
明治10年代の秋山真之、正岡子規や夏目漱石、が一緒に学び、
明治27年の日清戦争へ向かう人間のドラマだ。

秋山は自ら海軍を志願し軍人となる。
当時の男子は志ありきの学びだ。

身分の差や貧困という現実があり、外国文明の圧力があり、
日本は富国強兵を柱に、西洋に追いつけ追い越せの社会的機運という背景だ。

その時代にあって、「和魂洋才」を標榜し、
技術と精神のあり方の区別をきっちりして受け入れた時代でもあった。

私は現代も同じだと考える。
情報化社会(インターネットによる情報の世界化)という外圧、
日本の和の精神や自然を敬う心と共存させる時代だと察する。

現代流のハイブリッド=「和魂洋才」だ。
今鬱病が日本に蔓延してるのは、豊かになったからだ。
自ら世の中に貢献し世界を学び、
なにを生業(職業)として生活基盤を作るかを考えなくてよい風潮がある。
言い換えると「志」が必要ない時代になったのだ。
「志」ではなく「自己実現」を第一義にと考える時代だ。

なぜなら「志」は他人があっての自分を認めている。(相互的)
しかし、「自己実現」は自分の思ったことが現実になることだけだ。(自分的)

だから、他人が邪魔だ。コミュニケーションがうっとうしいのだ。
「若さ」という性急性(亀井勝一郎の言葉)の欲望が、
コミュニケーションが出来ないことを加速化させている。

社会は他人と自分で成り立ってるので他人を排除できないのが事実だ。
それでも自己実現を優先すると、
秋葉原の事件のように無差別に人を殺戮し暴走するか、
引きこもるかの二つの安直な方向しか選ばないのも事実だ。

物質を豊かにすることは貧困からの脱却を願った先人の努力だが、
同時に「志」を持って生きることまで奪ってしまった。

さて、「知」のあり方には二つあり。
1)インテリジェンス=ダチョウやニワトリのように歩いたり走ったり、
地面を確実に「ダッダ」「トットット」と走る「知」(受験勉強の暗記知)
2)インテレクト=ワシやツバメのように歩くことは出来ないが大空を突っ切ってとぶ「知」
         (生きるための創意工夫の知)
インテリジェントは測定可能な能力だが、
インテレクトは大空だけに道がないので測定不能だ。

秀才といわれる人はインテリジェンスといって、
答えのある解答しか出来ない「知」の持ち主で、
何が起ってもうまくやる臨機応変さのインテレクトの生きた「知」ではない。

どちらの「知」が良いではなく、
時代が求めるのは「知」のハイブリットを深め広める人財である。

皆さんは如何考えられますか?