2009年12月13日
奪い合えば戦争、与え合えば平和
もう三十年も以前の話だ。
月に一度恩師小田切瑞穂先生が会社に来られ全社員に講和してくださってた。
ある日の講和は「地獄・極楽」の話だった。
白板に一メ-トルの高さのイスに、一メ-トル離れて人々が向き合い、
一メ-トル下に金銀、食物が一杯ある(地球には元々ある)絵を描かれた。
そこで、一メ-トルの箸でつまむとどうなるかを以下のように解説された。
1)「地獄」=自分の口に先に入れようと必死になるが、
長すぎて口に入らずぼろぼろ下に落ちてしまってガリガリの人たちが並んで描かれてる。
(利己心優先の行動も考えも同じ)
2)「極楽」=相手の口に先に入れてあげようとして「どうぞ」と差し出す。
ぴったり口に入り、今度は相手が「何か要りますかね」と訊ね、
一メ-トル下の食べ物を取り与えてくれ、
丸々と太った布袋さんのような人たちが並んで描かれてる。
(利他行優先の行動も考えも同じ)
さて、1)のように奪い合えば世の中は殺伐と対立し個々人が孤立し地獄を作ることになる。
逆に2)のようにお互いが相手のことを優先し、思いやり与え合えば平和となる。
元々自然は私たちを養うすべてモノの根源だから、
このように言えるし自然に感謝だとも付け加えられた。
どんな人も平和になることを望まない人はいないに違いないが、
利他行の考えと行動が出来るかできないかが疑問だ。
もちろん私もだ。
襌の話に面白いのがある。
洞山和尚(807~869)が雲居和尚に「君の名前は、何だ」ととうと、
「ハイ、雲居です」
洞山はなた質問した。「それは生まれたあと出つけられた名前だろう。
私が今聞いてるのは、お前がまだお母さんの胎内で生きていたときの名前だ」
雲居は答えた。
「そのときの私は名前がなかった」
洞山は言った。「その名前のない母の胎内の自分と同じ生命で、
今日もこうして生きておられるのだぞ。名前のついた自分も大事だ。
が、名前のつかない自分は、もっと大事だ」
私は名前のついてない自分を大事にするように意識してるのですが、
名前のついた自分に振り回されることが多い。
皆さんは如何考えられますか?














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