社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2010年03月27日

青い鳥は自分の中にいる。

「徹子の部屋」という黒柳徹子さんのトーク番組を見てると、
『アフガンの王女』らしき絵画がバックにある。

今年94歳になられる堀文子さんの絵画だろう。
彼女は戦争を体験し、女性の自立や自由の制限された時代に生き、
画家を生業〔職業〕に生きると決め、ご主人をなくされた後、
1960年から世界の歴史をたどり海外旅行し、
1967年にはものつくりは自然の中でと大磯に転居され、
いつも自らに戦ってこられた。

『もし、もたれるならイスの背もたれ・・・』
という茨木のり子さんの詩を思い出すが、
凛とした生き方なのに、押し付けがましく説教くさくない絵画だ。

その後もバブルの世の中に嫌気をさし、
1987年にイタリアのトスカーナにアトリエを構え、
77歳ではアマゾン、
80歳でペル-、
81歳でヒマラヤ山麓に出かけ描く。

私はつくるといっても絵画や詩や音楽ではない。
石材を加工・販売というごく普通の経済活動を通じて仕事をし生業としているので、
『美』と真剣に向き合ったことはない。
どちらかと言うと『善』と向き合ってきた。
経済活動では二宮尊徳の言う、
『道徳のない経済は罪悪、経済のない道徳はたわ言』という、
善行、利他行のあり方や表現には深く考え、自らの試行錯誤を今もし続けてる。

いろいろ人生を旅した彼女が『青い鳥は自分の中にいる』と語る。
その理由は画に対する彼女の姿勢にある。

『絵を生業とすることを選んだ私があるが、人間よりも自然現象を記録したいと、
 花や木、山などを主に描いてきた。絵なのだからそのと通り描く必要はないのに、
 科学者の目のように正確に描写にこだわりながら』
『心に響く美しいものを記録しながら』とつづられている。

私の印象深い絵はご自身がヒマラヤ行って、
2001年に描かれた幻の花『ブルーポピー』だ。
美しいだけではない、高齢にも関わらない現地に行かれる行動力と、
みずみずしさに表れる感動の心に脱帽だ。
絵に自己主張のないがゆえに画家の芯の強さを感じる。
『善』もキット自分の中にあるに違いない。
美しいものに出会ったときの感激、感動、感謝を忘れないで、
生業である「仕事」への夢を実現すべく、
自分の中にある『善』に磨きをかけたい。

みなさんは「美」如何考えますか?

2010年03月25日

不幸せからの開放へ

『人は、自分で選び、巡らす考えによって、
 自分をつくりあげています。

 人の心は、人格という内側の衣と、
 環境という外側の衣の双方の、熟練した織り手です。

 これまでのあなたは、それらの衣を、
 暗闇と苦悩の中で織り続けていたかもしれませんが、
 忘れないでください。

 それらはそもそも、光と喜びの中で織られて、
 しかるべきものなのです。』
 
    ジェームズ・アレン

この光とは仏教では『智慧』、喜びとは『慈悲』だ。

「智慧」を鍛えるには、辛抱強く自分の怒りや憎しみやと言う感情と戦い、
    自分の心を『素直』に真っ白にすることでしか得れない、
    自分の怠け心や自分の利益を優先するこころに負けないことだ。
    好きなことを愛するとこまで高める努力が必要だ。

「慈悲」は利己心を2番にする訓練だ。
    他人のためにすることを一番に考え行動する利他行のことだ。
    他人が喜ぶことで感動し、感激し、感謝する自分をつくることだ。
    これにも誰にも負けない努力がいる。
    嫌いなもの、損すること、汚いものを避けない努力が必要だ。

さらにジェームズ・アレンは語る。

『人は、自分の心を
 粘り強くコントロールし続けることで、
 やがて、すべての物事を正しく、
 ありのままに見ることができるようになります。
 
 そして、すべての物事を、正しく、
 ありのままに見ることができるようになったとき、
 人は、この上もなくおだやかな心を手にし、
 人生のあらゆる不幸から開放されるのです。』

現実の私は、100%不幸から開放されているかといえばNOだ。
100%目指して自分づくりへ出発進行だ。
皆さんは如何考えられますか?

2010年03月23日

自他不二について

私の好きな言葉の一つで、座右の銘だ。

どんな人も自分と言う「我」がある。
三歳ぐらいから意識してできた自分だ。
この「我」があるから対立するし、一方では他人の「我」あることで自分を自覚する。

私たちは『同類中生』、類は類を持って集まるごとく、似たもの同志になる。
この中にいると個人としては対立しないが、
自分のグループは認めるが他のグループは認めないとなり、
派閥ができるのだ。
日本の政治が派閥政治といわれるのは同類が集まるからだ。
国際的な対立も人種や国によってグループがあり互いが認め合わなく戦争となる。

道元禅師は「正法眼蔵」の三十七品菩薩分法には『異類中行』の実践と言う。
自他が対立しない絶対を得るには、異類の中を行き、
異類の中に自己を投げ入れ磨くことだと断言する。

分別しない自分が生まれることで、異類〔他人、他国〕の「我」を認め100%受け入れて、
なお自分の主体があることができ、他人と融合した状態になる。
まさに『自他不二』で、自分と他人に境目がなくなることだ。
これは理屈だ、現実はこの状態を実現し、自分が成りきることだ。


青森県恐山院代の南直哉さんは、

「人間存在は意味と価値が抜けて生まれてくる」が故に、
異類に飛び込んで異類とぶつかり実践の中で学んで行くことを『生きる』といい、
分別を超えて『自他不二』を味わい自分の生きてきた意味と価値を見出だすことだという。」

自分ひとりの決断などちっぽけなもんで、
回りの縁と自分が求める因とがなんとなく結合し育まれるという。

この人間の意味と価値を「魂」といい、
生まれたばかりの「魂」は『無力で、無意味』だが、
他人によって、人間としての意味と価値を、
気づかされることはまちがいないと断言する。

そのホームベースは100%安心して喜んでくれる母の存在にある。
絶対安心だ。

自他不二の実践こそが未来を開き、個々人の意味と価値の自覚が深まるに違いない。
すばらしい禅師の説法をどれだけ実践してるかと問われると恥ずかしい限りだ。
目標を定め、一歩づつ前進することができることに感謝。
人生や仕事は頂上のない山登りだからこそ、希望がある。

皆さんは如何考えられますか?

2010年03月19日

掃除のこころ

5S活動をしだして二年になるだろうか?
だんだん会社がきれいになってきた。
5S最後のSは『躾』だ。
日本電産の永守社長は6Sで『作法』にまで高めることだと言い切られる。

さて、陶芸家の河井勘次郎の言葉に、

『一人が光る。皆が光る。何もかも光る』がある。

「どんなに汚いところでも、粗末なものでも奇麗に磨けば、
それなりに光を放ってくる。

それをコツコツやった人は光を放ち、
そのひたむきな姿を見て、賛同する同じ志を持つ仲間が現われる。

続けてるうちに、いつの間にかみんな光ってくる。
さらに、それを徹底していくと、ついに回りの何もかもが光りだす。

まず、自分からなにも求めず無心で行うことが尊く、大きな働きを生み出す。」

こう語るのはイエローハットの創業者の鍵山秀三郎さんだ。

トイレ掃除を始められ、みんなが自発的に行動するまでに、
10年はかかったとおっしゃってた。

最初はトイレ掃除してるのに知らん顔して鍵山さんを跨ぎトイレする。
でも自分の修行として続けられた、誰に強制することなくだ。
今では、手の空いたものが車の掃除も自発的にやるそうだ。

私はみんなでやるからできるが、
一人でコツコツ10年続けれるかは疑問だ。
間違いなく三日坊主だ。

さて、「掃除のこころ」は4つの『私心をなくす』効果がある。

1〕汚いものを嫌う自分が無くなる。
2〕汚したものを攻める心を持つ自分が無くなる。
3〕労力を出し惜しむ怠惰な自分が無くなる。
4〕知識や経験や立場や年齢にこだわる偉そうな自分が無くなる。

やり続けるところに、新しい自分の未来も開けると確信する。

皆さんは如何考えられますか?

2010年03月15日

克己について

24歳で女子プロゴルファーの宮里藍の練習は大変高度だ。
彼女の強さの秘訣は二つある。

1〕メンタルトレーニングをしていることだ。
どんなに冷静なプロでも、ミスショットしてボギーになったり、
ダブルボギーになると、次のホールに気分を切り替え、
新たな気持ちで過去を忘れて望めるかといえばそうではない。
そこで彼女はイメージトレーニングと呼吸をゆっくりし立ったままの瞑想をやる。
ほんの1、2分だ。ふるさとの山河を思い、楽しいことで頭を一杯にするそうだ。

2〕スロー打法、一分間かけてワンスイングするのだ。
これは太極拳に似ていて、筋肉がよほど強くなければ同じ姿勢ができず、
からだの芯がブレない練習だ。

こんな練習法をあみ出すことで、自信がつき気分の切り替えが早くなったそうだ。
優勝のためには修行僧のように「克己」をするのだ。

西郷南洲の遺訓集にも「克己」のことが書かれてる。
己には二つある。
1〕自分勝手でわがままな己
2〕1の己を反省し自分を諌めよとする己

この二番の己を創るには努力がいるのだ。
自分の『4つの心』をなくせと言うのだ。

その4つは『意、必、固、我』だ。
1)意=私利私欲の浅はかな自分の意
2)必=意を実現しようとするこころで暴力的エネルギー〔怒り〕だ。
3)固=意にこだわり意に閉じこもる心だ。〔他人を一斉受け入れない愚かなこころだ〕
4)我=自分の意のほかは何も見ないようにする心だ。〔心の闇に自ら引きこもるのだ〕
他人を思いやったり、他人を理解しようというこころを放棄する最も無責任なこころだ。

宮里藍はこの四つの心を克己してるのだろう。
先日の試合で不成績だったが、優勝者にハグしてる姿があった。

年齢は関係ない、一芸に秀でた人はこのプロセスを体験し、
強靭な精神力と技術を自らつくってるのだ。

私も4つのこころと戦ってるが、
宮里藍にはほど遠いことだけは確かだ。

皆さんは如何考えられますか?

2010年03月14日

孔子が生まれなければ良かった!!

先日、通勤電車に乗りあわせた女子中学生が、
期末テストの勉強について話していて、
孔子という名が耳に入ってきたので聞いていた。

A子『孔子が生まれて、日本に難しいこと伝えたから、
   勉強しなければならない。孔子が生まれなければ良かった。』

B子『そうやな、テストにも出ないし、勉強もしなくていい。』

A子『これ落としたら落第かな!?オ-ル1やと落第?』

B子『オ-ル2はセ-フやが、1と2混じってるのは微妙!』

見方は二つある。
肯定か否定かだ。
自分を振り返ると肯定だ。
自分の目を自分が見れないように、人間は批判して自分を知る動物だ。

しかし、いつまでも批判のみをすることでは、大人にはなれない。

大人と子供のちがいは簡単だ。
子供=外に完全なものを求める。〔依存心、他責〕
大人=内に理想を求め実現しようと行動する。〔自立、自責〕

極端に表現すれば上記に記したようになる。

しかし、人間は
1)動いてる。
2)変化してる。
3)あらゆるものと連関してるのだ。

現実はこの矛盾を飛躍させながら、揺らぎながら成長する。

臆病な時は子供にかえりたいと願い、
志や使命、希望に燃えるときは大人へと飛躍を願う。

最も大事にしたいのは孔子でなくてもいいが、二つの必要充分条件がある。

1〕自分の人生に希望、使命、志を持つこと。
2〕怠けないこと。〔自分に〕

私の若いころは、一方では他人や社会を批判しながら、
一方ではまるで世界中を手中にした理想論〔主観的〕を語る。

友達からは行動の伴わない理想主義者だとレッテルを貼られた。
具体的とは行動することだ。
淡々とした道や上り坂、下り坂があるが、
ひたすらに歩き続けるところに道は開ける。
どんなことがあっても希望の火は消さないことだ。
自分のために!!!

彼女達の方向はまだ定まらないが、若いエネルギーを感じた。
皆さんは如何考えられますか?

2010年03月09日

人間方程式

先日、曹洞宗の青年部の主催の『襌をきく会』に参加した。
町田宗鳳さんという広島大学の教授の講演があった。
元は臨済宗で禅を学んでおられた人だ。

講演の中で、はじめて聴いた言葉がこの「人間方程式」だ。

「人間方程式」
人間の価値=知識+体験+徳〔利他行〕
人間の幸福感=(知識+体験+徳)×ありがとう〔感謝〕

「感謝」には三段階あって、

初級=プラスのことに感謝
〔自分の好き嫌いや損得のプラスだけ〕
中級=普通のことに感謝
〔親に養育してもらうこと、友達、空気、太陽大自然の恵み、健康、etc.〕
上級=マイナスのことに感謝
〔自分にとって都合の悪いこと、病気、親がなくなる、仕事がなくなる、嫌なことや損すること苦手なこと〕

上級になると反面教師として考える脳の習慣がいるが幸福感100%になると断言する。
現実は、なかなか受け入れられないが、事実を受け入れ前向きに考え行動する感謝だ。

さて、この「人間方程式」を完成させる秘訣には二つの大事なことがある。

1〕『愚』に生きることだ。
無知の『痴』でなく、賢ぶらないで知識をひけらかさない普通の振る舞いだ。
宮沢賢治の『雨にもまけず、風にも負けず・・・』
この詩の締めくくりにもでてくる『愚』だ。
謙虚でひた向きで、一生懸命に生きる普通の人だ。

2〕怠け者はダメ。
京セラの稲盛さん流に表現すると『誰にも負けない努力』だ。
誰にも負けない努力は、
1)24時間やり続けることでなく、
2)不休不眠でぶっ倒れるまでやることでもない。

植物のようにどっしり地に足をつけて、
夏の暑さにも、冬の寒さにも負けなく、
嵐にも柳のようにしなって、
雑草にも負けず太陽に向かって伸びるけなげな命のがんばりを言ってるのだ。
損得、好き嫌いを言って不足の多い人間に諫言する言葉だ。

怠けないことは良いが、
方向として二つへ向かうことが人間にとって大事だと付け加える。

1)クリエイティブにする。
要するに仕事も人生も楽しくする方法を自ら考え、魂を開放すること。
物心一如=造ったものが自分という考え。
行為的直観=モノになってモノを見る(西田幾多郎)

2)今の行動に心と体を一つにする。
行為に心がある、だから愚かなまでに丁寧に生きることが必要充分条件だ。
特別なことはしてはいけないと語り、
この重なりが多い人ほど幸福だと断言する。

しかし、人間は悲しいかな否定語が頭の中に持ち上がる、
消しても消しても否定語が出てくるとき、
三つの感情を想念することがセルフコントロールの鍵となる。
1)楽しい
2)嬉しい
3)有り難い
これが否定語の「特効薬」だ。
知ってるだけでは意味ないので実際やってみることにする。
さて何点取れるだろうか?

皆さんは如何考えられますか?

2010年03月04日

「夢」「志」と「悟り」は同じだ。

バンクーバー冬季オリンピックで、惜しくも銀メダルを獲得した
女子フィギャースケートの浅田真央ちゃんは悟った達人だ。

私なら、最後の失敗を悔やんで『悲しみ』を友達に、
自責と同時にあの時の氷のリンク、監督、自分の足に責任転嫁して怒りたくなる。
自ら絶望を引き寄せて、一歩も前に行くことを考えない自分になる。

ところが彼女は違う。
四年後のソチ・オリンピックへ目標を向け、
新体操の柔軟さも取り入れると『笑顔』満面だ。

「悟り」というと坊さんを想像するが、そうではありません。
希望(欲望肯定)の中にこそ『私』を捨てることができることを教えてくれる。
言い換えると『捨てる』のでなく『コントロール』できるのだ。
それは人生・仕事に『夢』『志』を持つことと同じだと語りかけるようだ。

真央ちゃんが次の「夢」金メダルへ向かって、
事実を受け入れ飛躍させ挑戦するということは、

まず健康管理の第一は食べ物の量と質、
次は睡眠と精神的緊張感の緩和の訓練、
さらに毎日の技の練習を数時間やり続けることだ。

まるで坊さんと同じ生活のようだが、
必然的に健康と充実した心を得て楽しんでるから続けられるのだ。

『夢』『志』を実現するのは自分だ。
『夢』『志』は逃げることはない。
いつも実現しないのは、自分が『夢』『志』から逃げるからだ。

1)自己実現を急ぎすぎ諦めて逃げる。
2)他にもっと自分にあった夢があると迷って逃げる。
3)夢なんか持っても叶わないと最初から逃げる。

何かの縁で今ある、
この仕事・人生にトコトン打ち込むことから夢が膨らむ。
小さい時からスケートで優勝を積み重ねオリンピックの『夢』に膨らんだが、
真央ちゃんだって、上記の否定的三つの自分と葛藤し戦った結果、
「夢」を持ち続けたのだ。
是を『悟り』といわずして、どう表現する。
イチローも同じだ。メジャーで選手として存在したいために、
子供はつくらないし、
健康管理のため決まって野菜たっぷりな奥さんのカレーを食べる。

今からでも遅くない。
強く強く、具体的に「夢」「志」を持ちなおし高め、
私も実現に向け発射オーライだ。

皆さん如何考えられますか?

2010年03月02日

「学ぶこと」について

「学ぶ心」松下幸之助

「自分ひとりの頭で考え、自分ひとりの知恵で生み出したと思っていても、
 本当はすべてはこれ他から教わったものだ。
 教わらずして、学ばずして何一つ考えられるものでない。
 幼児は親から、生徒は先生から、後輩は先輩から。
 そうした今までの数多くの学びの上にたってこその自分の考えである。 


 学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師だ。
 語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、先輩の厳しい叱責、
 後輩の純情な忠言、つまりこの広い宇宙、この人間の長い歴史、
 どんな小さなことでも、どんな古いことでも、宇宙の摂理、
 自然の理法がひそかに脈づいている。 


 「学ぶ心が繁栄へのまず第一歩なのである。
これが「道を開く」という著書に書かれている。

現代を生活する私にとって、
「学ぶこころ」が湧くために以下の三つの疑問を解決する必要がある。

1)何のために学ぶのか?
2)何を学ぶのか?
3)どうして学ぶか?

1)何のために学ぶかについて、
荀子が「本当の学問というのは、立身出世や就職のためでなく、
『窮して困(くる)しまず、憂えて意〔こころ〕衰えず、
 禍福終始を知って惑わざるがためなり』が学問の第一条件だといってる」

それは『知命と立命』だ。
知命=艱難辛苦に直面した時にたじろがない、迷わない人間になること。
立命=『自ら靖んじ、自ら献ずる』内に向かっては心安らかになり、
外に向かって役立つ利他行をすることと教える。

2)なにを学ぶか?
これには三つある。自分学、人間学、社会学だ。
自分学=木にたとえれば,木の大きさや、実の大きさといった枝ぶり、
     技術や知識といった能力で目に見える具体的なこと。
人間学=木にたとえれば、根っこの部分で何のためにという、
     『知命』『立命』だ。目に見えない命のレベル。
社会学=木にたとえれば、木の植わってる土壌や光の具合といった環境だ。
    仕事で考えれば、社会の仕組みだ。
    人間で言えば回りの人や自然環境に感謝することだ。〔謙虚さを得る〕
3)どうして学ぶか?
これはやり方だ。
第一には、1)すばらしい人物に直接学ぶことが一番だ。
       2)それがかなはない場合は、すばらしいと思う人の書に学ぶ〔古典〕。

第二には、学んだことを自分の体験を積みながら学ぶこと〔実践〕、
     目的は実生活に生かされることだ。

人生の艱難辛苦、喜怒哀楽などあらゆるものを体験することで知行合一の境を行動できる。
人生は頂上のない山登り、理屈でなく実際に「できること」が大事だ。
反省、反省。
行動して、現実に生かされてこその学びだ。

みなさんは如何考えられますか?

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