2010年03月23日
自他不二について
私の好きな言葉の一つで、座右の銘だ。
どんな人も自分と言う「我」がある。
三歳ぐらいから意識してできた自分だ。
この「我」があるから対立するし、一方では他人の「我」あることで自分を自覚する。
私たちは『同類中生』、類は類を持って集まるごとく、似たもの同志になる。
この中にいると個人としては対立しないが、
自分のグループは認めるが他のグループは認めないとなり、
派閥ができるのだ。
日本の政治が派閥政治といわれるのは同類が集まるからだ。
国際的な対立も人種や国によってグループがあり互いが認め合わなく戦争となる。
道元禅師は「正法眼蔵」の三十七品菩薩分法には『異類中行』の実践と言う。
自他が対立しない絶対を得るには、異類の中を行き、
異類の中に自己を投げ入れ磨くことだと断言する。
分別しない自分が生まれることで、異類〔他人、他国〕の「我」を認め100%受け入れて、
なお自分の主体があることができ、他人と融合した状態になる。
まさに『自他不二』で、自分と他人に境目がなくなることだ。
これは理屈だ、現実はこの状態を実現し、自分が成りきることだ。
青森県恐山院代の南直哉さんは、
「人間存在は意味と価値が抜けて生まれてくる」が故に、
異類に飛び込んで異類とぶつかり実践の中で学んで行くことを『生きる』といい、
分別を超えて『自他不二』を味わい自分の生きてきた意味と価値を見出だすことだという。」
自分ひとりの決断などちっぽけなもんで、
回りの縁と自分が求める因とがなんとなく結合し育まれるという。
この人間の意味と価値を「魂」といい、
生まれたばかりの「魂」は『無力で、無意味』だが、
他人によって、人間としての意味と価値を、
気づかされることはまちがいないと断言する。
そのホームベースは100%安心して喜んでくれる母の存在にある。
絶対安心だ。
自他不二の実践こそが未来を開き、個々人の意味と価値の自覚が深まるに違いない。
すばらしい禅師の説法をどれだけ実践してるかと問われると恥ずかしい限りだ。
目標を定め、一歩づつ前進することができることに感謝。
人生や仕事は頂上のない山登りだからこそ、希望がある。
皆さんは如何考えられますか?














.gif)





