社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2010年03月31日

イチローの打率は神業

先日友達が病気になったのでお見舞いに行った。
決まり文句は『早く元気になって』である。

ところが、他の友人が『自業自得』であり、
日ごろの自己管理ができてないからだとずけずけ言った。
確かに、食べ過ぎ、飲みすぎ、寝不足という自己欲望からくる責任はあるが、
そういってしまったら身もふたも無く、人間関係も壊れるのである。

この「自業自得」を仏教では自己責任だけでは解かない余裕がある。

大前提は誰にもまけない努力をした結果、
機械的に計算すると3割3分が最高の点であるという受け取り方である。
だから、イチロ-の打率が実に神業だ。

しかし、なぜそう考えれるのか疑問に思うのは私だけだろうか?

さて、人生を航路を生きていると三つの状況があるという。
1〕「自業自得」=すべてが自己責任
2〕「自業他得」=自分が行動するが他人が得すること
3〕「他業自得」=他人が行動するが自分が得すること

世の中は機械的に三分の一になることはないが、
少なくともこの三つの状況が考えられると解く。

自分を中心に考えるクセのある私は、
自業自得だけと思い込んでいた。

だから、結果が100%で無いなら、
『行動するか?行動しないか?』を無意識に悩み、
人生において自分が主体的に行動しない時か、
悩んで何もしない時かしかないことになる。
私の心身が生かされず。実にもったいない。

現実は行動しなければ夢は実現しない。

さて、こう考えるとイチロ-は努力家であり神業を成し遂げてることが解る。
イチロ-から見れば、1割や2割の結果しか残せないのは、努力が足らず、
『やる、やらない』で悩み、
自分を出し惜しんでる人間ということになる。

『仏教では自分と他人を切り離しなさいと教え、
自分と他人は同じだとも教えるのである。』

こんな矛盾したことが考えられるかと疑うのだが、
これが智慧を出す根本だという。

さて、「自業自得」以外の二つを以下のように解く。

2〕「自業他得」は『利他行を優先する』考えで、自主的で積極的な志を持ち、
  回りの役立つ人間になること。

3〕「他業自得」は『感謝を学ぶ』考えで、自分がひとり立ちできるのも父母の無償の支援が
   あり、友人や同僚など金銭的にも精神的にも他人から支えられてる自覚ある人間になる
   こと。

「自業自得」だけなら、すべての関係が経済的なギブアンドテイクの「取引関係」になる。
仏教の「慈悲の心」は無償の行為、すべてを許す行為である。

現実の私は仏教の奥深い『智慧』と『慈悲』の教えとは遠い存在であることは確かである。

皆さんは如何考えられますか?