2010年04月02日
自分が逃げない限り夢は実現できる。
『一心の虚空はもとよりこのかた常住にして不損不減成り。』
(吽字義・うんじぎ)
空海はこの意味を次のように解く。
『どんなにこころが煩悩に覆われ、慢心がのさばっても、
悟りという絶対の領域はどこへも動かず同じところにとどまり、
壊れたり減ったりしてしまうことはない』
我々凡人は悟りの世界へ修行するわけではない。
自分の人生が幸福に持続することを願い、夢を抱く。
夢=悟りと置き換えることができる。
夢中にやってるときは不安や心配や恐怖がわいてこない。
ところが、夢中になるものがなくなった時、
「生きる」ことへの不安や恐怖が浮かび上がるように人間はできてる。
空海も悟りは逃げないことに気づき、
自分の心を外から見て客観化したのだろう。
空海の伝えたかったことは、
『自分が逃げない限り、夢は実現できる』
いつも逃げるのは、自分であり、夢ではない。
それは以下の三つの状態のときである。
1)自分が怠惰な気持ちに負けたとき。〔傍観者で主体性の無さ〕
2)コツコツやり遂げず、時間にせっかちになるとき〔忍耐力の無さ〕。
3)体とこころのリズムが狂ってもやろうと無理する時〔呼吸のバランスの無さ〕。
さて、江戸時代の沢庵和尚は死の間際に『夢』と大書し、
道元禅師も『夢中に夢を説く』といい、
信長は『人生五十年、天下のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり、
ひとたび生を享けへせぬもののあるべきか』
という謡い「敦盛(あつもり)」を好んだという。
空海は一心(悟り)は逃げなく、
今に集中して命がけに生きろ〔行動しろ〕と解く。
言い換えると、我々凡人にとっての『夢』は逃げないということである。
ここで現代の空海とまでは言いすぎだが、面白いエピソ-ドを紹介する。
その人の名は長渕剛である。
ある映画で、長渕と競演した哀川翔は長渕に演技指導を求め、
『長淵さん演技するのにどうすればいいですか?』
長渕はじっと哀川を見つめ、
『台本なんて、所詮作り事だ、せめて演技は心込めてやれ』
私たちの人生や。仕事のプランも未来のことで夢である。
しかし、計画を実行するときは、
せめて心込めて行動を積み重ねろということと同じだろう。
一流の人は見かけでは判断できない深い価値観をもってると感心させられた。
皆さんは如何考えられますか?














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