2010年04月16日
懐徳堂100周年供養に参加して
4月3日に上本町にある誓願寺さんに、
懐徳堂100周年の供養に行ってきました。
現在は大阪大学が中井家から資料をすべて寄贈され、
懐徳堂の運営がされてるようだ。
この寺には井原西鶴の墓もあり、現在も法要がなされている。
供養ですから仏式でやりましたが、
懐徳堂は江戸時代の享保9年〔1724年〕に大坂商人五同志が、
三宅石庵先生を招き民間学問所としてスタートしたときは、
朱子学や陽明学ごっちゃにまざっていた。
その後、幕府公認となり朱子学を基本に明治2年〔1869年〕まで続いた。
当時は江戸の昌平校をしのぐ時もあったという。
明治44年〔1911年〕中井天生が漢学者西村天囚の発議で再興した。
その100周年に当たる。
当時は士農工商という身分階級があり、
商人のお金儲けは下衆っぽいと考えられてる時代背景だった。
だからこそ、本当の商人道は『利のもとは義なり』といって、
約束を守り、筋道が通し売買する。
社会の経済流通のお役立ちで、
お金儲けは世間にお役立つ正当なもので、
武士の「録」と同じだと、真剣に四書五経を学んだのである。
ここに、商人道として恥ずることがない教養も身につけて行った。
特に儒教の中でも基本となる『仁』思いやりを実践する『礼』を重んじ『義』を貫いた。
紫式部は『源氏物語』の中で、『和魂漢才』といって、
和の魂をもって諸外国の学問を身につけるのが一番良いと書いたように、
江戸時代にはすべての階級が学んだといえる。
明治に諸外国から来た人々はこんなに礼儀正しく、
親切で相互扶助のできる日本人に感動したと記されてる。
私の幼いときにも、『おはようございます』『いい天気ですね』
『お先におやすみ』『お先にどうぞ』『いただきます』『いかがですか』など、
相手を気遣う言葉かけが普通だった。
丁寧語や敬語が自然と使われた。
もちろん不条理なこともあったことは事実だが、
「世間体」第一で「和」をもってまとめていくのが、
日本文化の人と人の仲良くする掟だった。
今風のアイデンティティーは欧米の社会背景の言葉で、
ごく最近の戦後の20年代~40年代生まれの人には自然と、
他人のことを自分のことのように考える風土があった。
今、この風土が崩壊し、世間体を気にするしきたりが形式化し、簡素化の方向にあり、
地域のコミュニティーが崩壊してきて、新しくそれに変わるものができていないのであろう。
実際、お正月にしめ飾り、葬儀の弔い方、喪に服すなどの習慣が大きく変わってきてる。
私は今こそチャンスだと思う。
もう一度歴史に学び、助け合いの新しい人間関係つくり、
一人一人が活気と希望に満ちた明るい表情の風土をつくりたいものだ。
まずは自分から!
皆さんは如何考えられますか?














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