2010年05月03日
当たり前の基準
斉藤一人さんの言葉に『感謝の反対は当たり前』と言うのがある。
1)健康が当たり前だったら、病気すると腹が立つ。
2)病気が当たり前だったら、健康に感謝する。
こう考えると、自分はどこに基準を置くかで「感謝になるか?」「当たり前で腹立つ」かだ。
1〕親が子供の面倒見るのが当たり前だったら、面倒見ない親に腹が立つ。
2〕親が子供の面倒見れないくらい働いてたら、子供は感謝する。
また、当たり前の基準の質もレベルの高いのからレベルの低いのまであるので、
感謝するかはその人の育った環境によったり、主観的価値観で違う。
こんな分別ばかり気にしても仕方がない。
自分にとって一番幸せになる「当たり前の基準」は、
『どんなことが起っても=ありがとう』と感謝することだと結論付けた。
自分の外の世界を評価して基準をつくるのでなく、
自分のうちの世界を基準につくればすべてに感謝できると解った。
自分にとって良いことが起ったり、良い人と出会えば教師として感謝する。
逆に自分にとって悪いことが起れば、反面教師として感謝するのである。
言うは簡単だが実際行動できるかが問われるのが現実社会だ。
高村光太郎の詩のように、
『僕の前には道はない 僕の後ろに道ができる-----』
こんな風に答えるしかない。
自分の命を思いきり使って行動し、
まだ見ぬ『未見の我』に出会いたい。
可能性は自分で開くものだと思うからだ。
昨日の朝礼でT君が、「私は日本一番の営業になりたい」と言ってました。
失敗や挫折した時に、なりたい自分にまだなってないと自分を励ますそうだ。
彼の当たり前は『志の高さ』なんだと感心した。
皆さんは如何が考えられますか?














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