2010年05月17日
依存と相補
命のレベルで考えることを、仏教では教える。
しかし、現実の私たちは人間のレベルで考え行動する。
当然、損得、好き嫌い、善悪がある。
自分にとって都合のいいことを選択することが正しいと思い込んでる。
ほんとにそうだろうかと考えると、どうも違う。
すべてはつながってるからだ、仏教では因縁というが、
物事は連関してるということである。〔関係性でなり立ってる〕
依存=お互いが自立してなく、頼りあう関係だ。
相補=お互いが自立し、助け合う関係だ。
我々はこの両極端の間で生きてるようだ。
奈良の文化会館で、重度脳性マヒの子供たちの詩に、音楽をつける大会があった。
山田康文君15歳の詩だけは、音楽がつけれないということで朗読された。
命のレベルだ。〔一行かくのに二週間かかったそうだ〕
『お母さん、僕が生まれて ごめんなさい』
ごめんなさい お母さん
ごめんなさい お母さん
僕が生まれて ごめんなさい
僕を背負う かあさんの
細いうなじに 僕が言う
僕さえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろう
大きくなった この僕を
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
僕さえ 生まれなかったら
この詩にお母さんが、
『私の息子よ』山田京子
私の息子よ ゆるしてね
わたしの息子よ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱいいっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って歩くとき
肩に食い込む重さより
「あるきたかろうね」と母心
“重くはない?” と聞いている
あなたの心がせつなくて
私の息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを見守って
お母さんは生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわるほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこにあなたがいるかぎり
返歌に、ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
僕は生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな人の 生き方を
おしえてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
私たちは大地の自然の恵みをいただき、また身近な家族に支えられ、
仲間や、他人に知らず知らずにお世話になってる。
目に見えない世界に感謝することが先のように思う。
『感謝』の心が明日を開き、
『ありがとう』がこだまする世の中でありたい。
皆さんは如何考えられますか?














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