社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2010年05月20日

私塾に思う

江戸時代は「士農工商」の身分階級があった。
特に江戸の庶民文化が花咲く元禄時代は、経済的に発展していた。

ところが、商人は一番身分が低く、お金そのものも卑しいものとされ、
特に天下の台所、大坂では経済人五人が集まり「懐徳堂」という私塾が開校された。

他にも「合翠堂」、「適塾」、「松下村塾」、
ここかたらは民間学者も輩出し、
明治維新をなしあげた人達がいる。

この時代の基本は、武家の子弟が学問をし剣術をするのが一般的で、庶民はしない。
私塾は「三奪の教え」といって、「職業、年齢、学歴」を問わないのである。
庶民の間では『三脱の教え』と洒落て言ったそうだ。

やる気のある者が、この門をたたき、学問で身を立てるチャンスだと考えたのだ。
今の私塾の目的はこの「三奪」で世の中に役に立つ人物を育成してるか疑問だ。

学問が数学、物理学、地学、文学などなどに細分化され、
正解を答える入試試験に合格する教え方になっていないだろうか?

学問の根本は世の中に役立つことを旨とした「四書五経」のような、
目に見えない精神的支柱を作ることが第一義であり、
そのために、各分野に通じる学びを深めることだ。

試験には答えがある、それを見つける学びで、
融通性が利かない人材を輩出して何になるのだろうか。

現実は違う。
人生や仕事に置いて、正解を探すのでなく、
正解を創って行く創造的な人物を育てることが最重要課題である。

「情報化社会」の次に来るのは、
「創造化社会」だというのは姜 尚中〔カン サンジュ〕教授だ。

創造化社会を生き抜くには「哲学」がいる。
単に、自分個人の利己心を満足させるためだけに学ぶのなく、
世のため人のため自然のためという志を高めて、
正解を導き出す創造力のある人物が求められる。

私塾が学歴獲得の記憶勉強に終わらないで、
『三脱』で機会の平等が与えられ、
どう生きるべきかを学べる道場になることが望ましい。

皆さんは如何考えられますか?