社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2010年06月30日

そろばん哲学

イエローハットの鍵山さんが若いころ手にし、
何回も何回も読み返した「座右の書」が下村湖人の『青春の思索のために』という本だ。

そのなかの随筆の一章に『そろばん哲学』が紹介されてる。
「人と物、人と人」の基本は「愛」であるという哲学だ。

そろばんだから合理的な拝金主義者の哲学かというとそうではない。
もっと人間味があり謙虚で品格がある。
人間関係と物を生かすことを考えておられる。

1)引き算と割り算は人間と人間との関係ではあってはならないと断言され、
 人生の営みは、すべて足し算と掛け算で行きたいといわれる。

こんな人物1)自分が大将にならなければ気がすまない人
     2)他人を批評してけちをつけたがる人
     3)そねみ深い人
     4)一言居士
白痴や怠け者はせいぜい人生の引き算だという。
ところが上記の人は人間関係を壊し、割り算する害だというのである。

この哲学のもっと奥深く面白いのは『一』と『ゼロ』は、
掛け算の人生にとって恐ろしい人間だと評す。
『一』は孤立主義で一になに掛けても一で孤立するのである。
もっと悪いのは『ゼロ』だ。なにを掛けても『ゼロ』になるから、
人生の裏切り者にである。

さて、掛け算の人生を送るには、人間は二から九の数字になれと教える。
誰でもなれるし、そこには「愛の計算方式」がある。

『一人前以上の体力とか知力を指すのでなく、
心に愛があればそれで二以上の力がでる。
なぜなら愛というのは自分だけのことでなく、
必ず二人以上の人間のことを考える力だからだ。

さらに、突っ込んでこの掛け算人生は人間と物の間でも、
愛を掛けると物が経済価値だけでなく、
物の中の生命を認め、愛を持てば、単なる物でなく詩ともなり宗教ともなるという。

宇宙のあらゆる物が、人間がその気になれば、もっと生かされるが残念ながら、
愛が足らないので足し算はできても、
掛け算になってないのが現実であるとおっしゃられる。

イエローハットの鍵山さんは12年掛け自主的に掃除をする風土をつくられ、
その倍の24年で全国、世界に掃除の会が伝播し自発的に発足された。
凡時徹底の影響力こそ、人間も物も生かす掛け算人生である。

自分の経営の現状を見ると、
ほんとに愛が足りないのだとつくづく考えさせられ反省だ。

皆さんはこの話し如何考えられますか?

2010年06月28日

「なんでも必然」こそが苦しみを開放する

私は偶然はないと考える。
私が想像してないことが偶然で、
予想したことが必然だと分けて考えないからだ。

良いことも悪いことも私に出会う人も、
起こってくるすべては必然だと思うようにしてる。

いや、そう考えたほうが自分が苦しくないからだ。(逆に言うと楽なんだ)

1)この親を選んだのも必然、(勝手に親が生んだと親の責任にしない)
2)この仕事をやってるのも必然、(私の天職と思い、好き嫌い言わず自分から好きになる)
3)この仲間や、仕事を通じて出会う人や友人もすべて必然(私の求める人と出来事を引きよせてる)
4)他人と過去は変えれないが、自分と未来は変えれると信じることが必然(成長したいので自己責任の原則)

モノの考え方の基本をここにおいて、
何もかも過去に自分が描いたような出会いと現実が起こってる必然だと解釈する。

現実は自分を中心に置くとプラスのこととマイナスのことの二つが起こる。
誰でも自分を中心にプラスな出来事はOKだ。
問題は自分にとってマイナスの人や出来事が起った時にOKを言えるかどうかである。
OKを言えない人は自分の考えがひとつだからだ。

答えは簡単だ。
OKだ。自分を中心に二つのものの見方、受け取り方をすれば良いだけだ。
1)私にプラスが起これば、まず『ありがとう』感謝して、
  いつまでも続くと思うなと引き締める。
2)私にマイナスが起これば、まず『ありがとう』と感謝して、
  今こそピンチをチャンスに変える絶好のチャンスと捕らえ、
  トコトン知恵絞って行動に転嫁し実現に向け努力する。
たったこれだけの柔軟な考え方受け取り方をもてばいい。

一般にどちらも受け入れるときには、「教師と反面教師」の二つという。
人生すべて必然と考えたほうが楽しくて苦しみはないに決まっている。

他人を責めたり、他人に責任転嫁することもない。
ただ、苦しみを解放しようとする人と苦しみに止まってる人がいることは事実だ。

皆さんは如何考えられますか?

2010年06月26日

欠野アズ紗さんの「愛について」講話

結婚、離婚を経験され、
独学で税理士の資格を取り、子育てをされ、
就職活動しても女性だから採用されず、
全く経験なしの開業、いっぱいの試練を乗り越えられてきた人の言葉を以下に書く。

「私は、私の人生にハンディキャップをたくさん与えられたことに、感謝します。
 たとえ、私が、どんな境遇に遭おうと恐れません。
 なぜなら、必ず宇宙の力が味方してくれることを信じているから。
 私の人生には、私に必要な『善きこと』しか起こりません。
 私に乗り越えられない苦難や試練を、神様は決して与えません。
 愛は、与えれば、与えるほど豊かに成り、大きく美しく大海のごとく、
 広がってゆきます。
 
 愛するということは、相手に期待したり、見返りを求めないことです。」

講話の要点は二つある。
1)絶対肯定の人生観。
 今、自分にどんなことが起こっても、肯定する。
 言い換えれば、起こったすべての出来事にプラス発想し、
 あきらめないで,マイナスに見えることでも、
 瞬時に考えをプラスに転換し行動に移すことである。
プラス発想=明るく前向き、肯定的、善意、思いたり、協調的、謙虚、努力、利己的でない。

2)絶対愛で行動する。
 欠野さんの文章の最後にある、「愛」は相手に期待しない、
 見返りを求めない態度での行動であり、行動をやり続ける意志が本物である。
 愛情と愛は違う。

私の母は今、認知症でケアーハウスに入ってる、私(次男)が世話して3年目になる。
母に結婚の時、反対され、それから30年は実家に行っても口も利いてくれない、
つっけんどんな態度をされ続けた。
もちろん、兄弟の子供が集まると、わが子供はのけ者にされ、差別された。

それだけでなく、嫌がることがわかってる内容の、のろいの手紙を何十通ももらった。
実の親がこんなことするか?
受け入れ難くいつも否定的に考えていた。

ところが、看病して一年たって、母のすべてを受け入れようと自分の心を変えた。
すると母は満面の笑顔になった。許すことは自分が許されることだと感じた。

こんな話を欠野のさんに聞いてもらったら、
『親の愛は絶対愛です』あなたが許す許さないというのではダメですとお叱りを受けた。
人間は愚かなもので、自分の価値観に合うとか合わないとか?という理屈で判断する。
それではダメだということだ。

あなたが親を選んで生まれてきたのだから、
絶対愛(無償の愛)を実践することであるとおっしゃる。(手厳しい評だ)

見返りを求めないで母の世話をさせてもらうことが大事だとおっしゃられた。
子供の時には母も見返りを求めないで育ててくれたことはまちがいない。
何か自分のなかに、目に見えないが宇宙の意志とつながったような電撃を感じた。

みなさんは親子の関係を如何に感じられていますか?

2010年06月23日

空について

般若とは仏の智慧をいい、五蘊とは肉体のことを言う。
肉体を持ってることで分別が生まれる。
善だ。悪だ、右だ左だ。
自分からモノを見る見方でも、
いつまでも右は右として固定してるかというと違う。
たとえば、自分にとって運動場は広い方がいいに決まってる。
狭い方は選ばない、
しかし運動場を掃除するとしたら狭い運動場がいいに決まってる。

言い換えると肉体を持つ自分は見方によって事実が二つになる。
実に立場や条件によって運動場も広かったり狭かったりする。
真理はそう頼りなかったら困るのである。
そこで肉体を離れて見る見方で、普遍的な概念はないかとなる。

それが「空」だ。
『空』=有無を超越した概念。
言い換えると自分を木にたとえると、その栄養は大地からくみ上げるのである。
この自分と言う木(肉体)を離れないと大地という自分のになれない。
(あくまでもイメ-ジである)
『心頭を滅却すれば火もまた凉し』という言葉があるように、
肉体を離れた世界のことだ。
人間は痛みも喜びも脳から指令される仕組みになってるから、
脳に「自分は大地だ」とイメ-ジをさせることにより、
善悪、損得、好き嫌いといったは分別を離れ(肉体をも離れる)
ニュ-トラルな心境(大地になって)で物事を客観化できるのである。

また、よく「天地と我は同根」という言い方をするが、
自然と同化する自分作りこそ『解脱』である。
善悪をとわず包み込む大宇宙の魂を持つことを良しとする文化でもあるのは、
これからの地球環境を保全する哲学には必要な見方に違いないと確信する。

皆さんは如何考えられますか?

2010年06月21日

薬師寺21世紀まほろば塾で学ぶ

昨日薬師寺まほろば塾が開催された。
演題は『品格ある生き方』で、
国家の品格を書かれた数学博士の藤原正彦先生だ。

先生によると西洋の合理論には無理があると否定され、
『情緒と形』という美的感覚を研ぎ澄まし、
惻隠の情=弱者、敗者への心配りのできる慈愛
これを中心に社会を形作ることを提唱された。

それは、華道、書道、茶道そして武士道の中に見出せると主張される。
武士道には儒教も神道も仏教、土着の習慣も含めての礼と作法があり、
イギリスの騎士道からくるジェントルマンシップに似てると語られる。

それは『名誉、恥、慈愛、勇気、惻隠の情、利他行』などなどから来る形、
作法なのだという。

私の幼いころ『母がいつも言ったのは』(決して母は哲学者でもなく学歴もない)
1)人様に迷惑をかけることはするな。
2)親を泣かすな。親に口答えするな。(ならぬものはならぬ)
3)ご先祖に恥かかすな。
4)お天道様が見てる嘘つくな。
5)強きをくじき弱きを助けろ。
6)自分勝手なことするな。
7)外で(立って)食べ物を食べるのははしたない。
8)いただきます、ご馳走様を言え。
9)目上の人には敬語か丁寧語で話せ。
10)履物は出船のようにそろえる。
11)挨拶は大きな声で明るくはきはきする。

これが常識として、物心つく以前から教えられた。
もちろん理屈を考えれるようになってきた思春期には、
反発はしたことはいうまでもないが、
母の教えで幼いときから育った私には、
先生の話に違和感もなく、むしろ同感、共感だ。

最後に、道徳とか倫理で自己規制する高貴な国を目指してほしい。
情緒は家族を愛し、郷土を愛し、祖国を愛し、人類を愛するところまで高めることが望ましい。
江戸時代は100万人の人口に3万人の役人しかいなかったのに、
家には鍵もかけられず、礼儀正しく秩序正しかった時代があったと締めくくられた。

西洋の『自由、平等,民主主義』には公理がなく、
各国がばらばらの価値で矛盾するから、
統一はできず論理に整合性がないと数学博士らしい苦言を呈せられた。

皆さんは如何考えられますか?

2010年06月19日

会社説明会に思う

6月は2回会社説明会を行った。

4~5年前の学生が聞きたい優先順位は以下の三つだ。
1)給与と休みはどうなってるか?
2)会社の業績と経営内容と今後の見通しどうか?
3)会社の雰囲気がどうか?

今の学生が聞きたい優先順位は以下の三つだ。
1)会社の雰囲気が自分に合うか?
2)会社の経営方針と独自性はあるか?
3)具体的にどんな仕事をするのか?

随分優先順位が違うのを肌で感じる。
やはり就職難の時代だということだろう。
学生が真剣に説明を聞こうとしてることが伝わってくる。

しかし、彼らに根本的に感じるのは二つある。
1)自分と言う人間は変わらないと決め、
それに合う仕事を探してるという探し方であること。
2)決定的に血の通った会話(コミュニケーション)をしないで機械的に話す。
初対面であったり、一定のルールがあって会話するという場面では、
情感を込めて自分を表現できない。(歌なら棒読みオンチ) 
学生の側から見れば緊張してるのはわかるが、
暗記したことを一方的に話すことは出来るという具合である。
人間同士の会話にならない。

もう今年で三年目になるY君の最終面接は面白かった。
時間に遅れてきて、話もちぐはぐだったので、
「君待たせて失礼だ」カンカンになって怒鳴った。
すると彼は申し訳ありませんとその場でふかぶか謝った。

これはとっさの動作だから本心が出てる。

きっとこの学生は素直だから成長すると思い採用したが、
入社して二ヶ月目に現場でまた叱った。
支持の意味もわからず必死に行動してるのはわかったが、
原因は指示の意味もわからず鵜呑みしたことにある。

この素直な行動力がお客さんを感動させてることは言うまでもない。
学歴でも知識の記憶の量でもない、ただ誠実に行動することだ。。
私の基準は人間として、
1)素直
2)熱き情熱100%
3)お役に立とうと努力する
4)行動力
5)明るく積極的
この5つのことができる人なら必ず成長すると考える。

稲盛さんは『考え方×情熱×能力』=仕事・人生の成果とおっしゃられる。
もちろん考え方はプラス100からマイナス100だ、だからマイナスの暗い、消極的、
不平、不満、愚痴といった考え方は掛け算だからすべてがマイナスになるということだ。

振り返って私はどうだったかというと、
どこでもいいと安易に名前がかっこいいと最初の会社は決めた。
でも半年でやめ、次は大学のゼミの先生を頼って、
命を預ける気持ちで紹介していただき、「何でもやります」と入社した。
それから5回は職業を変えた。
すべて、先輩やお世話になった上司の紹介という人の縁で仕事を決めてきた。
だからこそ、他人の恩は一生忘れないように胸に刻んできたし、
できるだけお返ししようと今もつとめてる。

みなさんは如何考えられますか?

2010年06月18日

経営を支える三つの基本精神

会社に来れば社員稼業、家に帰れば大黒柱(リーダー)である。
会社での経営(自分の仕事)も家庭の経営も共通するものがある。

1)強い意志
 どんなことがあっても、目標をなんとしても達成しようとする精神。

2)凡事徹底
 なんでもない細かいことをコツコツやり続ける精神

3)愚直
 報われることがすくなくてもただひたすら実践し続ける精神

もちろん、目標の数値化や方法や技術や商品の品揃え、サービス、
タイムリーな仕事のできる仕組みなど具体的にするべきことがあるが、
その行動を支えるための自分自身の心構えである。

もちろん近江商人の「三方良し」の精神で、
お客さんに役立ち、世の中のためになり、
自分もハッピーでなければならないことはいうまでもない。

「脳は筋肉だ」といったのは若き日にアメリカにわたったソフトバンクの孫社長だ。
道具だから鍛えれば鍛えるほど良くなると英語の辞書を一枚づつ暗記したら食べたという。
さらに、最近すごいビジネスウーマンが出てきた、勝間和代さんで、
十歳位で源氏物語を暗記してしまったというスーパーウーマンだ。
彼女は『心も筋肉だ』鍛えて固くて柔らかくつくれるというのだ。

とにかく、私のような凡人は「能力を出し惜しまず、才能を私物化しない」で、
利他行を誰にも負けない努力をして、
世の中の『ありがとう』をいっっぱい集めることに邁進するしかないようだ。

皆さんは如何考えられますか?

2010年06月17日

「GNH(Gross National Happiness)国民総幸福感」

皆さんはこの文字知ってますか?
GDP(国民総生産)ではありません。
GNH(国民総幸福感)というブ-タンの発展哲学である。

1976年代五回非同盟諸国会議のときにワンチュク国王(当時21歳)
の『GNHの考え方はGDPよりもより大切だ』と発表したことに端を発した。

物質的な豊かさも大事だが、
精神的豊かさも同時に進歩させなければならないと考えたからである。

その後、幸福度を数値化しようと考え、九つの要素で統計を取るようにした。

1)基本的生活
2)文化の多様化
3)感情の豊かさ
4)健康
5)教育
6)時間の使い方
7)自然環境
8)コミュニティ-の活力
9)良い統治

その結果ブ-タンの国土の26%は自然保護地区、72%は森林地区に成り、
ホ-ムレスや物乞いは居ない社会を実現した。
『あなたは幸せですか?』の問いに90%を超える人が『幸せ』と答えた。

一般的な社会の常識は『幸福』は主観的なもので科学的であったり、
数値化できない、また国際的適応ができないと考えられたが、
立派な九項目の基準で数値化して幸福な生活を表すGPI(真の進歩指数)を作った。

戦後、GDPを基準に、生産することが「善」で、モノの豊かさこそ大事だと考えられた。
そのため、効率や合理性が生産力を上げるという価値観を妄信してきた。
そろそろその価値観を根本的に見直す必要がある。

私にも答えはわかりませんが、向こう三軒両隣のコミニュティ-の再構築をし、
地方から昔の藩のように特徴のある習慣、
食文化なだなどを築きあげることのように思う。

自然と共生することで心は和み、
幸福や充実感を味わえることはまちがいない。

みなさんは如何考えますか?

 

2010年06月16日

社員稼業=リーダー稼業

この言葉は松下幸之助さんが言われた言葉である。
社員として会社に入社してたら会社の傘下に入って自分の自由が利かなく、
対等に意見が言えない受身な存在だと考える人も多い。

松下さんは互いが命令する側、される側と固定したものでもなく、
一丸となってベクトルをあわせて社業を発展させ、
お客様にお役立ちをするパートナーだと考えた。

社員の方々も、家に帰れば立派な家庭の経営者としてリーダー稼業である。

社員稼業=リーダー稼業(家庭)である。

『礼記』に曰く、

『学びて然る後に足らざるを知り、
 教えて然る後に困しむ(くるしむ)を知る』

意味=学ぶことによって自分が不足するものが解ってくる。
   人に教えるには、学ぶ人の二倍から三倍の労力を必要とし、
   人に間違ったことを教えてはならないと未熟な自分を思い知らされるのである。

近江は『三方良し』という商いの哲学を生み出したところ、
ここに近江聖人といわれる中江藤樹(陽明学者)先生が居られる。

若きころ聖人の儒学に触れ、自分も聖人になると知行合一を目指されたそうだ。
逸話にお父さんが雷が嫌いだったと言うことで『孝』のために、
墓石に自分の羽織をかけて孝行の実践をされたという。

さて、中江藤樹先生に『五事を正す』という教えがある。

1)貌(ぼう)=顔かたち
 愛敬の心を込めて、やさしく和やかな顔つきで人に接しましょう。
2)言(げん)=言葉使い
 相手に気持ちよく受け入れられるようにはなしましょう。
3)視(し)=まなざし
 愛敬の心を込めて暖かく人を見、モノを見るようにしましょう。
4)聴(ちょう)=よく聞く
 話す人の気持ちにたって、相手の話を聞くようにしましょう。
5)思(し)=思いやり
 愛敬の心を持って相手を理解し、思いやりの心をかけましょう。

これを知行合一で実践された人なのである。

私のような凡人は理屈は知ってるが実際行動がどこまでできてるか疑問だ。
自分で判断するのは主観的になるので、
他人に判断してもらうしか相対的には評価できない。
頂上のない山登りと心得、誰にも負けない努力する以外、
リーダー稼業をまっとうできそうにない。

皆さんは如何考えられますか?

2010年06月12日

遊ぶということ

遊ぶには五つの条件がある。

1)自発性がある
2)価を求めない(損得の計算がない)
3)楽しさがある(スポーツなど苦しい場面もあるが、最終的には楽しい)
4)共同性がある(パソコンのように一人ではしない、仲間で遊ぶ)
5)一定のルールがある(自然発生的に誰か一人のエゴがあれば、その瞬間不愉快になる)

天理教では『陽気遊山』といって、
神さまは人間が楽しく遊ばれることを望んで人間をつくられたという。
私は創世記に生きていないのでわかりません。

現在は証明されることだけが正しいと考える科学一辺倒の傾向があって、
神様の話なんかは証明できないから信じないという人が多い。

私はそうは考えません。
今人類に生きてる人は3000年前に生きてた人がいるでしょうか?
間違いなくそんな人はいません。

では、完全に否定もできないのではないかと考えるからです。
決して迷信的にとか、占的にという意味ではありません。

人間には目に見えないかも知れないが、
自然が調和にむかう不思議な現象を「神」といっていたとは考えれないでしょうか?
自然は必ず調和へ動くようにバランスを取ると考えるのは私だけだろうか?

仏教では九識を如来蔵識といってアラヤ識の奥に修行によって到達すると、
人間が肉体を脱し、魂に到達し自由で自在を得ると教える。(任運自在)

人間が肉体を得ると肉体から物事を考えざるを得なく、
『自我(エゴ)』ができる。
肉体から来る損得、好き嫌いに振り回されることになるのが普通である。

しかし、人間が肉体を離れ、
ほんとの自由と自在が得るにはこの「遊ぶ五箇条」を実践することである。
仕事ではできないが、自分ひとりの遊びのときはやれると答える人もあるでしょう。
しかし、仕事と遊びを分別しないで、
仕事の中で『遊びの五箇条』ができてこそ自在を得るのである(利他行)

みなさんは『遊ぶ五箇条』実生活の中でどうされてますか?

2010年06月07日

愛について

愛には二つある。
ひとつは見返りを求める愛だ(打算的、合理的な利己愛)
もうひとつは見返りを求めない無償の愛だ。(無心にして他を利する利他愛)

仏教では愛は『渇愛』といって、肉体を維持するだけの欲望の成長愛を否定してる。
しかし、他を救い、助ける愛を「慈悲」と表現し菩薩行として肯定してるのである。

人間は一人一人別個の存在であり、
私が食べたもので誰かの空腹を満たすことはできない。肉体的には!

ところが、お母さんは子供に無償の愛を注ぐが苦痛でなく喜びと感じる。
これはどこから来るのか?

人間の心の奥深くにある『魂』=良心、愛(利他心)があるからだ。

サルにえさをやると自分の分を食べる、残ると、食べ物を隠す。
仲間にやらなかったことに反省や後悔はない。
自分が生きるための『肉体的生存』がインプットされてる。

ところが人間は違う『反省』がある。
仲間を思う心や、公平にするという利他心の愛がある、良心といってもいい。
これは『生きる生存』であり、精神的な充足感が含まれる。

だから人間が「生きるということ」には二つの意味があるというのは本山博先生だ。

1)物質的肉体の成長
2)魂=愛(利他心)の成長

この二つを成長させることが大事だが、
1)は自己保存の利己心を養う。
2)は他人・モノを利する利他心を養う。

それには自己保存の利己心を2番にして、
モノと、人を信じて能動的に一体化する(主客合一)、

言い換えると、モノに人に乗移り、成りきることにより、
逆にモノが語りかける、人が導いてくれるというのである。

実際は一番の肉体的生存の利己心が利他心を成長させるのを邪魔する。
これが仕事、人生に苦しみ、悩み、迷いを起こすのである。

この一番の状態から抜け出せないのを私たちは子供といい、
2番にシフトとした人を大人と呼んでいる。

本山先生はおっしゃる、
利己心がでて来て、雑念にとらわれてもかまいません。
『利他行』に心を向け続け、行動することで解決し、
愛が深まり、魂が進化、成長すると語られる。

魂の進化、発展させることが、
私たちの仕事・人生を成就させること間違いなしと断言された。

皆さんは如何考えられますか?

2010年06月04日

丹田で考え行動する

男性は頭で考えるクセがあるが、
本来は丹田〔へそ下三寸〕に力を入れて考えると真知が湧き、行動力が出る。

江戸時代は文武両道といって、
「武」で腰を据え、丹田に力を入れることを学び肉体を鍛え、行動力を養う。
「文」技術的なスキルの技よりも、
人間学として理想の人間像を四書五経から生き方の基本を学ぶのである。

この基礎ができてから、
現代で言う科学、医学、経済学、数学、工学などの技術を学ぶのだ。

知識教育ばかりの現代では、技術論的スキルのみで、
人間の背骨になる精神の柱ができない体制になっていることが悲しい。

それだけではなく、情報化社会になってさらに精神の病である「うつ病」が蔓延し、
コミニュケ-ション拒絶の引きこもりが拡大してるのも精神不在の教育体制に原因がある。

さて、女性は子宮があるので、普通に丹田で考えることができるといわれるのは、
欠野アズ紗さん〔盛和塾 北大阪代表〕だ。

欠野さんによると、男は志を立てるが、女性は愛から考え始まるといわれる。
その「愛」には四つの愛がある。
1〕男女の愛
2〕子を育てる愛
3〕友情の愛
4〕すべてを超えた愛〔慈悲心〕
具体的な愛の発展段階だ。
『愛』という始発駅の終着は『感謝』だと断言される。

現代の女性は男性化して、脳で考え、丹田で愛から始め、考えなくなってきてる。
逆に男性が女性化して、脳で考え、丹田に力の入った行動のない屁理屈屋になったようだ。

欠野さんの『愛からはじまる』人生成就の言葉を紹介する。
1〕仕事は一番速く私を成長させるもの
 故にいついかなる時も喜んでその仕事をします。
2〕私に乗り越えられない苦難は、絶対に天は与えません。
 必ず乗り越えられます。
 故にいついかなる時もネバ-ギブアップの精神を大切にします。
3〕今あること、もの、人や状況が、私への「最上のプレゼント」です。
 故に心から感謝の気持ち忘れません。
4〕イヤな人、苦手な人は、私の心の底を見せてくれる鏡です。
 故に心の中で「ありがとう」のひと言を忘れません。
5〕私の原点の心は『両親への感謝』です。いつも心からありがとう。
6〕私は「喜びと感謝の心はワンセット」をいつも心に思い、
 楽しい毎日を過ごします。
7〕人を変えようとせずに、私が変わるほうが早くて楽です。

移動中の新幹線の車中に湧いてきた言葉だそうです。
人間学という木でいう根っこ(心棒)の学びを子供たちにして、
それから、いろんな学問を学んでほしいものだ.
思いたったら、吉日。
しっかり人間学を身につけ人類の後輩に伝える責任がある。

皆さんは如何考えられますか?
 

2010年06月03日

道を開くコツ

人間は神仏と動物の中間に生きてるから、
当然悩みと迷いが起こる存在なのだ。

思いを遂げることは人間として道を開くことだ。
思うことは誰でもできるが、成し遂げることは誰にでもできない。

逆境が準備され、弱い自分を強くしたいと思う願いがなければ行動しない。
最初から信念の強い人は居ない、
逆境を跳ね除けていくうちに、強い自分に成長するのである。

どんな人もどんな仕事もみんな素人から出発だ。
私も石材を学ぶのは人生ではじめてだった。
すべてが解らないことばかり、
困難や他人からの嫌がらせに合うと、
逃げ出したい気持ちと立ち向かいたい気持ちがぶつかる。
逃げて問題が解決したことはなく、ますます複雑で難しくなる。

そのときの私には、解決の方法も、何も頭にはない。
『やるしかない』断崖絶壁をイメージして自分を奮い立たせただけだ。
ただ、体当たりでぶつかっていくしか方法はなかった。

万古不易の言葉に『一源三流』というのがある。
「一源」とは誠実にやる。これを源にして、
結果『三流』を味わう。
1〕汗を流す
2〕涙を流す
3〕血を流す

現実にむかって、何の考えもなく無我夢中で立ち向かう。
もちろん不安でいっぱいであるが仕方ない。
1〕とにかく勤勉に24時間働くつもりで誰にも負けない努力する。
2〕ふりかかる困難に自分の力のなさを車の中で泣きわめく、
 または、成就した時の感動の涙をながす。
3〕血の小便を出すぐらいの過労、
血が通う仕事つくりに命を込めて一心不乱にやる。

もしこの逆境がなかったら、
私は自分のからを破ることの意味も、自分のことも解らなかったろう。
こんな未熟な私とともに志を共有する仲間と、
用命いただいたお客様がいなかったら、とっくに逃げていただろう。

『一源三流』という言葉は知りませんでしたが、
無我夢中で体験していた。
いつも『苦しみよ!よって来い』と叫んでいた自分を思い出す。

この経験はものの見方を変えました。
以前は人の欠点ばかりが見えていました。
たぶん自分を守ろうとする動物的意識が働くのだろう。
今は人の良さがすぐ見えるようになり、
志を高め逆境を創造して挑戦する姿勢でいる。

思いを遂げ、道を開くコツは仲間〔家族〕の支えに、
用命いただいたお客様への約束を実行する意思〔誠実〕、
傷つくことをいとわず、弱い自分へ挑戦する勇気が少しあればいい。
プロとして、もっとも大事なのはそれをやり続けることである。

みなさんは如何道を開かれたでしょうか?

2010年06月02日

ニーチェの言葉に学ぶ

ニーチェは虚無主義の代表者と思っていたが実は違うのである。
19世紀のヨーロッパはキリスト教道徳に絶対的価値を置いていた。
彼はそれに反発し、『生の哲学』を説きたかったらしい。
決して体系的ではないが、活き活きして、考えるヒントをくれる。

さて人間は不安や恐怖を自分でつくるが故に絶対的な価値を求めるのが常である。
金銭と利潤が絶対的価値の座に座ってるのが現代ではなかろうか?

仏教では『莫妄想』といって、妄想するなかれと厳しく観念を切り、
『今ここ自己』の事実の瞬時に生きることを教える。

さてここで、二つ、ニーチェのメッセージを紹介しよう。

『仕事は良いことだ』
職業は私たちの生活の背骨になる。
背骨がなければ人は生きていけない。
仕事に携わることは、私たちを悪からとうざける。
くだらない妄想を抱くことを忘れさせる。
そしてこころよい疲れと報酬まで与えてくれる。

最近は欧米の考えが入って、働くことが奉仕でなく、
神からの罰であり、遊ぶことが良いように考える若者が、
増えてきてるように思うのは私だけだろうか?

『恐怖心は自分の中から生まれる』
この世の中に生まれる悪の四分の三は、恐怖心から起きる。
恐怖心を持っているから、体験したことのある多くの事柄について、
なおまだ苦しんでいる。
しかし、恐怖心の正体というのは、実は今の自分の心のありようなのだ。
もちろんそれは、自分でいかようにも変えることができる。
自分自身の心なのだから。

そのとおりだと思う。
時間も空間も、心も身体もすべて自分が運転手なのだ。
それなのに人はまるで身体が主人、時間が主人で、
自分という主体は後からついていく受動的なものにして、
責任逃れして恐怖心を培養してるように思う。

この二つの彼のメッセージ
皆さんは如何考えられますか?