2010年06月07日
愛について
愛には二つある。
ひとつは見返りを求める愛だ(打算的、合理的な利己愛)
もうひとつは見返りを求めない無償の愛だ。(無心にして他を利する利他愛)
仏教では愛は『渇愛』といって、肉体を維持するだけの欲望の成長愛を否定してる。
しかし、他を救い、助ける愛を「慈悲」と表現し菩薩行として肯定してるのである。
人間は一人一人別個の存在であり、
私が食べたもので誰かの空腹を満たすことはできない。肉体的には!
ところが、お母さんは子供に無償の愛を注ぐが苦痛でなく喜びと感じる。
これはどこから来るのか?
人間の心の奥深くにある『魂』=良心、愛(利他心)があるからだ。
サルにえさをやると自分の分を食べる、残ると、食べ物を隠す。
仲間にやらなかったことに反省や後悔はない。
自分が生きるための『肉体的生存』がインプットされてる。
ところが人間は違う『反省』がある。
仲間を思う心や、公平にするという利他心の愛がある、良心といってもいい。
これは『生きる生存』であり、精神的な充足感が含まれる。
だから人間が「生きるということ」には二つの意味があるというのは本山博先生だ。
1)物質的肉体の成長
2)魂=愛(利他心)の成長
この二つを成長させることが大事だが、
1)は自己保存の利己心を養う。
2)は他人・モノを利する利他心を養う。
それには自己保存の利己心を2番にして、
モノと、人を信じて能動的に一体化する(主客合一)、
言い換えると、モノに人に乗移り、成りきることにより、
逆にモノが語りかける、人が導いてくれるというのである。
実際は一番の肉体的生存の利己心が利他心を成長させるのを邪魔する。
これが仕事、人生に苦しみ、悩み、迷いを起こすのである。
この一番の状態から抜け出せないのを私たちは子供といい、
2番にシフトとした人を大人と呼んでいる。
本山先生はおっしゃる、
利己心がでて来て、雑念にとらわれてもかまいません。
『利他行』に心を向け続け、行動することで解決し、
愛が深まり、魂が進化、成長すると語られる。
魂の進化、発展させることが、
私たちの仕事・人生を成就させること間違いなしと断言された。
皆さんは如何考えられますか?














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