2010年06月12日
遊ぶということ
遊ぶには五つの条件がある。
1)自発性がある
2)価を求めない(損得の計算がない)
3)楽しさがある(スポーツなど苦しい場面もあるが、最終的には楽しい)
4)共同性がある(パソコンのように一人ではしない、仲間で遊ぶ)
5)一定のルールがある(自然発生的に誰か一人のエゴがあれば、その瞬間不愉快になる)
天理教では『陽気遊山』といって、
神さまは人間が楽しく遊ばれることを望んで人間をつくられたという。
私は創世記に生きていないのでわかりません。
現在は証明されることだけが正しいと考える科学一辺倒の傾向があって、
神様の話なんかは証明できないから信じないという人が多い。
私はそうは考えません。
今人類に生きてる人は3000年前に生きてた人がいるでしょうか?
間違いなくそんな人はいません。
では、完全に否定もできないのではないかと考えるからです。
決して迷信的にとか、占的にという意味ではありません。
人間には目に見えないかも知れないが、
自然が調和にむかう不思議な現象を「神」といっていたとは考えれないでしょうか?
自然は必ず調和へ動くようにバランスを取ると考えるのは私だけだろうか?
仏教では九識を如来蔵識といってアラヤ識の奥に修行によって到達すると、
人間が肉体を脱し、魂に到達し自由で自在を得ると教える。(任運自在)
人間が肉体を得ると肉体から物事を考えざるを得なく、
『自我(エゴ)』ができる。
肉体から来る損得、好き嫌いに振り回されることになるのが普通である。
しかし、人間が肉体を離れ、
ほんとの自由と自在が得るにはこの「遊ぶ五箇条」を実践することである。
仕事ではできないが、自分ひとりの遊びのときはやれると答える人もあるでしょう。
しかし、仕事と遊びを分別しないで、
仕事の中で『遊びの五箇条』ができてこそ自在を得るのである(利他行)
みなさんは『遊ぶ五箇条』実生活の中でどうされてますか?














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