社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2010年07月30日

北海道日本ハムファイターズの経営

私はスポーツは観戦を楽しむより、自分でやるのが好きだ。
なぜなら、観戦を楽しむより選手のひた向きなプロの生き方に興味があり、
「自分ならこんな時どうする」また「筋肉強化にはどんな練習がある」「食事のバランスは」
など具体的な自分に取ってと考え、実行することが好きだからだ。

ところが、今回球団のオーナーである大社 啓二さんの経営の姿勢を聞く機会があり、
新庄、ダルビッシュを輩出した球団の熱き思いがなければ実現しなかったことに感動した。

従来の球団は企業球団で広告が主な目的だ。
世界球団を見て歩いたオーナーはそれではいけない、
球団は自主経営をして独立することであるという信念から、

地域球団へ飛躍させるための本拠地を北海道に求めた。
これには三つの基本理念と組織がある。
1)球団理念(存在の意義)=地域球団としてスポーツコミュニティーをつくる。
  A.公共性を有し、こころと健康を提供し地域社会に貢献する
  B.青少年への健全な娯楽を提供
2)経営理念(経営の心構え)=経営に尽くすことで利益を上げ、
                   社会に必要な存在として持続継続的な発展をもたらす。
  A.「食べる喜び」、時代を画する文化を創造し社会に貢献する(日本ハムの食育)
  B.「幸福」と「生きがい」を求める場を想像する。
3)行動指針(行動の心構え)=ファンサービス第一主義
  A.地域=共生と共栄
  B.ファン=勝利と感動
  C.スポンサー=価値向上(モノ、サービス)
  D.出資者=理念実現
このすべてに具体的に貢献し、心動かす感動、体動かす健康を実現するため、
地域のメディアや食育活動を展開し、環境に配慮する行動を具体的に推進する。
1)その組織は全員が連帯し、理念を共有して当たる。
  A.チームは全力疾走であきらめず感動の試合をする。
  B.フロントはお客さんを満足させることを最優先にする。(お客第一主義)

結果お客さんの満足は→利益→働くものの生きがいを実現する。
そのためには 1)知名度 2)認知度 3)好感度の創意工夫がいる。
現在は体育→食育→環境育へどんどん飛躍、躍進中である。

さて、食事は選手にとって筋肉作りやスタミナには欠かせない重要なことだ。
日本ハムには栄養管理士が24時間電話をオ-プンにしてアドバイスするようになってるそうだ。
ある選手が夜の10時にコンビニの前から食べたいもののカロリーや添加物を言って、
食べてもいいか?きいてる。
管理士の答えは『今の時間に食べること事態おかしい』とぴしゃりと叱るそうだ。
一群の朝食は定食でなく、バイキングで自分で取るそうだ。
もちろん管理士から個々人の必要なカロリー、栄養素のメニューを渡されている。
自分で量は計るが、良く食べる人が健全で一流の選手だそうだ。(二日酔いでは食べれない)

一流は自分の食事や練習に厳しくなければなれないことだけはわかったが、
自分も仕事はお金を稼いでいる以上プロに違いない。
しかし、野球選手のように真剣に食事や筋肉強化を考えて日々過ごしていない。
言い換えるとまだ成長する余地があるということだ。(負け惜しみ)

皆さんは如何考えられますか?

2010年07月29日

「本気で言えると」清水英雄

 『本気で言えると』

「いらっしゃいませ」が
心から本気で言えるようになると
足が一歩前に出るようになるんだな

「ありがとうございます」が
心から本気で言えるようになると
頭が一段と低くなってくるんだな

「またのお越しをお待ちしております」が
心から本気で言えるようになると
からだ全体が大きく前へ
進むようになってくるんだな

   清水英雄


友人からこんな詩が送られてきました。
今年の初めに友人と約束したことがあった。
「一週間のうちで火曜日の昼ご飯を抜くことで健康になろう。」

二ヶ月で八回は守れたんですが、
知らず知らずのうちに火曜日も食べてしまって、
体重は変わらず中性脂肪、尿酸値が基準以上、
体調も万全とはいえない。

友人は今も続けていて健康は万全だそうだ。
この詩を読んでる自分が口惜しい。

そこで始めたのは運動だ。
先日デューク・更家の質のいいウォーキングを習った。
もう一週間は続いている、約45分から60分だ。
5000歩から7500歩ぐらいだ。
質のいい歩きをすれば、一万歩にこだわることはないというのだ。

自分で決めたことだ。
チェッカーは妻だ。
一番厳しいチェッカーで手抜きはできない。
ちなみに彼女はクーラーの中でごろ寝で、
『時間よ』とタイマーのように言ってくれる。

「言うほうが楽やな、自分でやってみろ」と自分のことなのに腹が立つ。
言ってくれる人に感謝するくらいでないと、
本気が充満していないと気付く今日この頃だ。

みなさんはどんなこと本気と言えますか?

2010年07月27日

経営理念について『幸福創造カンパニー』

われわれの会社の理念は『幸福創造カンパニー』だ。

幸福とは自分のうちから感じ体感するもので、外にあるのではない。 ヘルマンヘッセの『山のあなたの空遠く、幸い住むと人は言う・・・』 という詩にあるように、若いころは外へ求め迷うのも事実だ。 働く意味もまた考えると奥が深い。単にお金のためと単純に考えた時期もあった。

中小企業家同友会の新聞に中山化成〔有〕の専務が お金のためだけだと思って経営していたが間違ってると気づき、 解りやすく、社員とともに作る会社をイメージして決意された。

経営理念 お客様〔得意先および仕入先〕には安心を、従業員にはやりがいを!!
1〕最高の商品を、最高の形でお客様へ提供します。
2〕何事も感謝の心を忘れず、心から『ありがとう』といえる人間になります。
3〕誰もが自分の意見を発言でき、自律した人間集団になります。
というものだ。

感服した。 「なります」という表現が進行形で好きだ。 人間は完璧ではないが理想を追い求めるところに自分の人生が創られると確信する。 何か同志がいるみたいで元気が出る。

皆さんはいかが考えられますか?

2010年07月25日

幸福について

幸福になりたいのは万人の願いだ。
幸福になるには、
「幸」=他より与えられたもの(身体、両親、環境)
「福」=自分の努力と苦心で得るもの(自ら行動し勝ち取る)
このもともと持っている「幸」に気付き感謝し、
切磋琢磨して自分で「幸」を磨き、引き出すことが「福」である。

だから、仏教では『菩薩行』をしなさいという。
菩薩行には二つある。
1)喜捨(喜んで捨てる、わが身を捨て奉仕し、金品を差し出す)
2)布施(財施、無為施(恐怖心を取る)、法施(正しいことを解く)、
  身施(自分の身を差し出す)

こんな行為ができるのはよほど馬鹿か、覚者かである。
私たち凡人は、自分の都合で自分が得するときのみできるのが普通である。

安岡正篤先生の言葉に、『人間を変える』
『人間を変えるような学問でなければ学問でない。
 その人間とは、他人事ではなくて自分のことである。
 他人を変えようと思ったならば、先ず自分を変えることである。』

志が自分を縛るなら捨てればいい、
志が自分を自由で自在にするなら持てば良い。
GOとSTOPを自在にする人を菩薩という。

菩薩行=自分を変えること。

本気で幸福になりたいなら実行することである。

私は本気が少ないから頭で解っていても、
行動となるとできてないことが多いと反省しきりである。

皆さんは如何考えられますか。

2010年07月23日

健康の定義ご存知ですか?

WHO、世界保健機構という世界的機関では『健康』の定義を七つ定めてる。

1)なにを食べても美味しい
2)よく眠れる
3)すぐに疲れを覚えない
4)こころよい便通がある
5)風邪気味でない
6)体重が変わらない
7)毎日が楽しく明るい

1から6までは身体の健康ですが、7の心の健康も入ってるのである。
日常生活で肉体を使いすぎたら睡眠と栄養で解決するが、
機械が発達した現代では、肉体的な疲れより、
精神的な疲れのほうが多いのが実情だ。

ショッピングによる気分転換や、ウォーキングや水泳などによる運動、
カラオケや赤提灯で一杯飲む、映画や音楽を聴いたり、
友達とのたわいもない会話などを、うまく日常生活に組み込んでいかないと、
毎日が楽しく明るいようにはならない。

薬師寺の故高田好胤管長は、「般若心経」を一言で語れといっておられた。
ある日ふっと口から出たのが、
『かたよらない心 こだわらない心 とらわれない心
 ひろくひろく もっとひろく
 これが般若心経 空のこころなり』
このこころが仏の心であると同時に、我々凡夫が誰もが持っている心でもある。
いつもこの心が出せる人が毎日を楽しく明るく暮らす心の健康な人でもある。

自分で努力しないと仏の心に出会えないように、
健康もこの7つを自分でコントロールできてこそ手に入るのである。

私は健康な身体に恵まれたので、具体的に継続して健康のためにやってることはなかった。

いまさらながら、健康はあるものでなく創るものであることに気付いた次第である。

皆さんは如何考えられますか?

2010年07月21日

心の健康が一番

イマニエル・カントはドイツの大哲学者である。
彼はこんな言葉を残してる。
『幸福はモノに求むべからず、心に求めよ』

彼が大哲学者になれたのは自分の身体にあった。
彼は生まれながらのくる病(背むし)で、喘息もちであった。
親としては何とか身体を治したいと医者に見せたのは言うまでもない。

ある日、町に来る巡回医者に少しでも苦しみをやわらげたいと見てもらいに行った。

医者は『気の毒だな!身体を見ただけのことだ。だがあなたは、心はどうでもないだろう。
      苦しい辛いといったところで、この苦しい辛いが治るものじゃない。
      あなたが苦しい辛いといえば、おっかさんだっておっとさんだってやはり苦しい辛いわ
      ね。
      言ってもいわなくても何にもならない。言えば言うほどみんなが余計苦しむだろう。
      苦しい辛いというその口で、心の丈夫なことを喜びと感謝に考えればいい。
      身体はともかく、丈夫な心のおかげであなたは死なずにいきてられるんじゃないか?
      死なずに生きてるのは丈夫な心のお陰なんだから、
      其れを喜びと感謝に変えていったらどうですね。
      そうしてごらん。私の言ったことが解ったろう。もし解らなければ、あなたは不幸だ。
      これだけがあなたを診察した私の、あなたに与える診断の言葉だ。
      解ったかい。薬はいりません。お帰り』

カントは『心は患っていない、それを喜びと感謝に変えろ、とあの医者は言ったが、俺は今ま
     で、喜んだことも感謝したこともない。それを言えというのだから言ってみよう。
     そして心と体とどっちが本当の自分なのか考えてみよう。
     それが解っただけでも、世の中のために少しはいいことになりはしないか』

健康はあるものではなく創るものだ。
それは心が決める。

易経では『健体康心』といって健やかな体と安らかな心を自ら養えと教える。

極め付きは至道無難禅師の言葉だ。

『迷いとは此の身に使われ、悟りとは此の身を使う』

此の身に使われ主体性をなくさないように努力はするが、まだまだできてない私。
しかし、カントは背むしと喘息のわが身を使いこなした人物に間違いはない。

皆さんは如何考えらえますか?

2010年07月20日

幽霊を考える

幽霊には三つの特徴がある。
1)髪を後ろに長く引いている。
2)両手を前に出し垂らしている。
3)足がない。
これにはちゃんと意味がある。
結論から言うと『今・ここ・自己』に生きることの逆の姿を表現してるのである。

意味=1)済んだ過去のことをいつまでも引きずってる姿。
     2)未来を取り越し苦労して心が前のめりになってる姿。
      3)心が過去や未来に馳せ、心ここにあらずの姿。
「莫妄想」=妄想するなかれ、
これも全身を今に置け、頭を過去や未来にうろうろさせるな、
今を『あるがまま』に受けとめ生きることを教える。

『あるがまま』を頭で考えると、
すべてを受け入れる態度で、
大変受動的に生きる姿勢であると考える人が多い。

その処し方は、回りの現象に振り回され、
自ら関わらないことだと考え違いしてる。

言い換えると、「何もしないこと」自分からは行動しない、
傍観者の自分を主体とする虚無主義の態度だと思ってる。

其れは違う。

『あるがまま』に腹が座るというのは、
宇宙の法則に自分の心をシンクロ(共時)することである。
仏教用語で言うと『涅槃寂静』である。
この状態は静かであると表現するが、
「止まっている」ことではない。

この地球は太陽の周りを自転しながら公転してる。
そのスピードは時速1200キロメートルが音速(マッハ)であるが、
なんと地球は時速1670キロメートルで自転し、
太陽の周りをなんと、90マッハで回ってるのである。

人間が宇宙と一体化することはこの速さを体感し、
共時できるなら、『静』とは『動』であり、
感じて自ら行動すれば、『動』は『静』である。

『自性天真』という言葉が言い表すように、
天の意志を自分の意志と同じと感じ、
行動することが『他力本願』が主張するところだ。

幽霊は逆説的に私たち凡夫に自分の生きる立ち位置を教えるのである。

皆さんは如何考えられますか?

2010年07月18日

中庸を養う

2000年に入ってマスコミを騒がしてるのはライブドアのホリエモン、
モノ言う株主の村上ファンド、最近の中小企業のため日本振興銀行を設立した木村剛さんだ。

このすべてが、警察沙汰になる結末になった共通項は何か考えたい。
その答えは、
『心の成長は人間の歩く早さ、経済の成長は瞬時に世界に届く光ファイバーの早さのギャップ』

この人たちを肯定的に評するなら、志は高かっただろうが、
最大の欠点は経済を実際にやる人の「心の成長」スピードを考えれてなかったのが原因であると考える。

言い換えると、経済行為が単にお金を稼ぐことが目的でなく、
生活を豊かにし幸福に暮らすリアルな生活のスピード感があったかどうかである。

経済活動のなかでの金融がイギリスのロイドが言ったように、
『バンクはバンド』の役割の範囲内での活動でなければならない。

経済学では商品には使用価値と交換価値がある。
使用価値とは商品を生活で活かして使っての価値である。
一方、交換価値は決して生活を豊かにするんでなく、
「お金」というなんでも変える持ち運びに便利なもの交換が目的である。

「お金」を持つ人は何にでも変えれるので自由が手に入るものだと錯覚する。
そこに人間の欲望が絡むと生活を豊かに楽しむことが二義的になり、
お金を獲得することが一義的になる。

元来自由は規律とセットでなくてはならない。
使用価値と交換価値のバランスを欠くと志は良くても、
最後には違法な行為へ曲がってしまうのである。

2500年前の儒教の教えの『中庸』の中に、

『中は天下の大本なり、和は天下の達道なり。
 中和を致して天地位し、万物育ス。』

訳=中はすべての人のこころの根本であり、
  和はすべての人の等しく歩むべき大道である。
  その中和を極めることによって、
  天地もその特質を良く保って、
  万物生成化育してやまないのである。

情報化社会のもってるスピードの落とし穴に無意識はまってしまう現代に「違和感」感じませんか?
皆さんは如何考えられますか?

2010年07月16日

信じれる自分をつくる。

親兄弟は信じれるのが一般的だが、
それに裏切られて信じられない人も世の中に入る。

そんな経験の持ち主に他人を信じなさいといえるだろうか?
ではそんな人が信じれるのは何かといえば『宗教』である。

『宗教』はすべてに平等で差別しないことと、
現状の自分をそのまま絶対肯定してくれることである。
人間だから良いも悪い面もあるに違いないが、
信じれる対象を与えてくれるのが『宗教』である。

逆に言うと自分を100%認めれると信じる安心が、
結果、無意識に自分を信じることになり、
自分100%肯定の大安心が得れるのである。

『信じれば安心し、安心すれば脱力する』

イチローがメジャーリーグで活躍するあの脱力したフォームは、
誰にも負けない努力の結果ではあるが自分を信じてるからできるのである。

私が、ここ一番の本番であの脱力ができ、
練習の時のように軽く打てるかと考えると、
あのフォームをコンスタントにはできると言い切れない。

イチローが宗教をもってるかは知らないが、
少なくとも練習によってできた自分を信じる力が脱力させてることは確かである。

コンピュータの発達した現代は対人関係に悩みストレスから病気になる人が多い。
バーチャルな世界での自己実現がリアルの世界ではできないからだ。

リアルな世界では「努力と時間のモルト」が必要充分条件であるからだ。
バーチャルの世界のように瞬間移動はできない。

リアルな世界で、他人を信じれないのでなく、
瞬時に自己実現しない現実(リアル)に自分自身が失望し、
自信喪失し努力をあきらめるのである。

10年先20年先の成長した自分を楽しむ心の余裕と、平凡なことを非凡にする、
積み重ねの努力を忘れないで『信じれる自分をつくる』ことである。

緊張=信じてない肉体の反応(はじめてのこと、知らない人、はじめての場所)
弛緩=信じてるという肉体の反応(すべてを受け入れてくれる身内や親友、同志、宗教)

どんな時も弛緩(リラックス)できるには、
六祖慧能禅師の言う『禅定』の実践である。

『外、相を離るるを襌となし、内、乱れざるを定とす』
(外界で何があっても其れを気にせず、心の中でいろいろ妄想を持たず定まってる)

なかなか、こんな心境になれないのが今の私。

皆さんは如何考えられますか?

2010年07月13日

格物致知・格人致知で志を公益まで高めよう。

「格物致知」は陽明学で使われる言葉である。
物の本質はモノそのものに成りきり格(いたる)と、
モノから法則や性質を教えてくれ真実に達するということである。

ならばと私が考えたのは人間を知るには、
『人間』そのものに飛び込んで振り回されたら、
その人物の性質、価値観、遺伝子など、
本質が理解できるにちがいないと考え作った造語『格人致知』だ。

松下幸之助さんは経営とは二つの要因があるとおっしゃられてる。
1)見える要因=商品、技術、工場、組織、体制である。
2)見えない要因=経営理念、哲学、方針、考え方やプラス発想、情熱である。
見える要因は自分の外の世界のことであるが、
見えない要因は自分の内(生きる姿勢)のことである。

経営にとって、モノの研究とともに人間の研究が大事である。
「会社」は三方良し(売り手良し、買い手良し、世間良し)が実現しなければ存在が許されない。
「働く人間」も三方良しでないと社会人としては存在ができなくなるのである。

1)前向きで、やる気があって、プラス発想する考え方を持つ人間
2)何事も情熱を持ってトライする勇気と行動力の人間
3)従事する仕事の技術的な能力、知識がある人間

京セラ稲盛和夫会長の三方良しは、
『仕事の成果=考え方×情熱×能力』であるといわれる。

働く人の利益について考えるとこれも三方良しである。
1)私益(自分が利益すること)
2)共益(業界なり会社が利益すること)
3)公益(お客さんが商品やサービスを買って利益すること)

この三つの利益が矛盾しないように智慧を絞り行動し、
自らの志を高め磨くことである。
そのために現在ISO品質や環境、それに5Sに取り組み挑戦してるところである

しかし、私益に拘ってしか考えなかったり、
私益と共益しか考えない視野の狭い自分に挑戦し、
公益という大きな視野から考え共益を果たし、
同時に私益も確保できる経営が「三方良しの経営」であると確信し、
誰にも負けない努力を実行してる最中である。

具体的には、私たちは今、環境に取り組み地球と共生し、
後世にすばらしい地球を残す心意気でエコ活動とし、
「ストーンマイレージ」やCO2の排出を抑えるエコドライブなどに、
取り組んでいる。

みなさんはこの取り組み如何考えられますか?

2010年07月12日

ミドルライフの時代こそ成熟社会

一億総中流意識といわれ時代は三十年前になるであろうか?
1985年のプラザ合意以降円高容認の内需拡大政策により、
日本中が土地は必ず上がるという土地神話に踊らされ、
バブル経済を生み出した。

1989年ベルリンの壁が崩壊するとともに、
バブル経済も崩壊していくのである。

その後、1990年代を経済は「失われた10年」といって金融の再編と目標のない迷走を続け、
2000年に入って、バーチャルな世界が時代の牽引とばかりにネットバブルが起こすのである。
その先鋒だったのはライブドアのホリエモンだ。

時代の天才起業家のようにマスコミは扱ったが、
虚業は虚業として崩壊の道を歩んだ。

「スローライフかファーストライフ」というような二者択一の選択しかないのは、
社会が成熟していないように考えるのは私だけだろうか?

イタリアでは10年も前になるだろうかスローフード運動が起こり、
マクドナルドやケンタッキーのようなファーストフードを攻撃し、
ヨーロッパでは経済優先のファーストフードを否定する動きもあった。

成熟社会とは多様な生き方が受け入れられ、共存する社会である。
もちろん、「自由と規律」を自己責任で引き受ける覚悟があることと、
同時に品格ある社会を実現するのである。

言い換えるとすべてが一律に人間を中心に平等でなく、モノによって基準を決め、
収入も、消費税もライフスタイルによって違いを演出することができる自由がある。

ことわざに『分相応』と昔から言われるように、
私のミドルライフの定義は自己責任である。

その条件は四つある。
1)比べない自分
2)妬まない自分
3)怒らない自分
4)愚痴らない自分

この四つから自分を解放する過程に幸福感があると信じるからである。
すべてを他責にしないで自己責任を原則にすることが、
ミドルライフを生きれる権利を持つことになる。

これは理想論過ぎて、利己心や欲望の多い人間には出来ないというなら、
このまま富める者と富めない者が二極化することを批判せず、成り行きに任せるしかない。
そして、品格のない国民に成り下がることを悔やまないことである。

私は政治に関わる大きな仕事をしたこともなく、
自己責任で「三方良し」をものさしに、
お客さんのお役に立てばと「商い」をしてきたにすぎない。
人間からの視点だけでなく、政治の仕組みからも提案することがフェアーなので、
以下にたとえ話風の稚拙な考えを披露する。

政治とは何かをイメージすると、
政治=川の堤防の高さと方向であり、
国民=水そのものの質と量である。

政治
高さ=できるだけ低く情報が開示され透明であること。見える化する。
方向=あるべき国の姿(ブータンのようなGHP幸福を基準に)分かち合える社会の姿。
ビジョンの明確化だ。

人間
質=ヤマメや鮎がいていつも新鮮を保つように流れてる。(自己革新)
量=国民一人一人が自己責任を自覚した自主性を育む。(自覚、自立、自主)

政治という仕組みと自分の環境を良くしようと自己責任原則の国民との双方が、
社会をより良く創造し、地球とも共生しながら共存できると確信する。

皆さんは如何考えられますか?

2010年07月08日

「敬天愛人」について

これは西郷隆盛さんの座右の銘といわれてるものである。
日本人は農耕民族で西洋的なアイデンティティーという自己形成がない。
自然のまにまに、みんなと協調し生きることが是とされる民族だ。

戦後民主主義に育った私は自分の好き嫌いをはっきり言うことを、
良しとしない空気の中で育った。

「和を持って尊し」ではないが目上の人には従順で、
若い年下の人には同じ目線で話し、協調性抜群な自分であると思ってた。

ところが母の愛はいつも性格の良い面を言わず、
依頼心が強く、意志薄弱だと反対の面をついてくる。

私の心の中で、『自分が育てておいて母はおかしくないか?』
そう人を悪く決め付けなくてもいいではないかと思って、
反抗していたのがトラウマになってるかもしれない。

極め付きは『言い方があるだろう』『人は誉めて育てるもんだ』
という調子で自分の未熟さを時間かけてワインのように熟すことを考えない、
若い時代があったのは事実である。

そんなことから手っ取り早いのは真似することだと考え、
自分よりできた人物を指導者に決め真似することにしてきた。

ところが指導者も人間ですから、
最初は良いのですが、深く付き合うと良い面の裏側が見えてきて、
自己正当化するために悪い面を批判的になるのが人間(私)の性である。
ついにそこで人間関係を自分から壊してしまうことを何度も繰り返したのが事実である。

しかしこの言葉にであったとき、人間は自然の一部である故に、
「天」を敬い、師とし、
何もかも栄養に変える深い愛(利他心)が「地」であることに気付いた。

「天」は24時間照らし続け、私が迷わないように先まで見えるように光ってるし、
「地」は好き嫌い(利己心)でなく、「愛」(利他心)であり、
「愛」は良いものも悪いものも受け入れ栄養に変え、
私に「愛」を与えてくれるのである。(未熟な私をそのまま肯定する偉大な力が愛)

こんな風に「天」を敬い、判断の師とし、
人間同士は愛(利他心)を実践し活かしあえば、
この社会が住みやすい世の中になると確信する。

自分のできる小さいことからコツコツ凡事徹底しかないようだ。

皆さんは『敬天愛人』如何考えられますか?

2010年07月05日

行動に移せない原因

私たちは何かを実現するには「行動という手段」をとらないと現実化しない。
どんな人もわかっているのだが、実行できないのは二つの理由がある。

1)具体的に方法が考えられないし、思いつかないからである。
これを克服する方法=1)うまくやってる人のマネをする。(恥ずかしさを捨てる)
         2)他人に直接やり方を聞く。(馬鹿にされても気にしない)
         3)自分で本や、参考書で調べて方法を見つけ出す。(時間があるとき)

2)失敗に対する恐れである。
「1)」で書いた具体的方法を行動するときの自意識過剰が壁になる。
A)失敗したら他人からおかしな目で見られるのが怖い(そこまで君を見つめてないことを知ること)
B)他人ができてるのに、失敗した自分が見られるがかっこ悪い(むしろ挑戦する姿勢を誉める)
C)未熟な自分の姿を見られるがイヤである(未熟だからこそ体験通じて熟するのが人生の時間)

人生は失敗して当たり前です。むしろ『失敗は美徳』である。
ではどうすれば行動がすぐ出来るかというと、
1)日ごろから整理整頓する。(整理が目的ではありません。あくまで行動がすぐ出来る手段である)

行動に移せない人の三大特徴は
1)回りの環境や他人の責任にして非難する人
2)めんどくさがりやな人
3)後でいいとすぐ処理しない人

感即動の人でない人である。
言い換えると計画の中に自分をはめ込んで、
感じて行動することを良しとしない人。
または、努力の嫌いな人。
努力はするが頭だけで行動しない人も同じである。

基本は「知、情、意」のトライアングルが三方善しになることが望ましい。
知=課題の本質を突き詰め、解決のための方法が自分で考えられる自責の自立した人である。
情=自分の表現が情感に溢れ、理屈だけのシンプルなものでなく文学的、音楽的、絵画的に演出ができる人。
意=まさに行動をあきらめないで志を持って行動する強い意志力のある人。

これはあくまでも理想の条件を書きました。
私にできてるかと問われたら、

結果の成果を見ていただいたら、
その範囲でできてるとしかと答えようがない。
自分でできてると主観的に決めても仕方がないのは言うまでもない。
人生・仕事は頂上のない山登り、前向きに楽しむことが得策である。

皆さんは如何考えられますか?
 

 

2010年07月04日

夢(志)とバーチャル(仮想)のちがい。

工業化社会では物という具体的な対象がある。
それは商品だ。
商品には二つあり具体的な品質と利便性の良い商品と快適なサービスである。
言い換えれば商品の 1)生産の品質 2)時短 3)生産性の向上を、
素材や仕組みを含め改善することに邁進してきた。

この世界リアルな世界で現実的、具体的で目に見える世界である。
私たちは100点満点の理想(夢・志)を掲げ、
現実の失敗や誤謬という事実を、
誰にも負けない努力で克服することの達成感が人生観であった。

しかし、これだけITが発達した情報化社会の現代は、
努力しなくてもよいバーチャル(仮想)な世界がある。
ここが若者の心の成長を阻害してることを、
大人は伝えねばならない責任があるように思う。

さて、アブラハム・マズローの自己実現理論はリアルな世界しかない時代のものだ。
1)生理的欲求(人間の本能的欲求)
2)安全の欲求(安全性、経済的安定、健康、良い暮らし)
今アフリカで飢餓に苦しんでいる人はこのことを満たすことに生涯を送る。
3)所属と愛の欲求(情緒的な人間関係、他者に受け入れられ、孤独と社会的不安から開放される)
現在は経済的過当競争やオタクが多く人間関係が結べず孤独と社会的不安感でうつ状態の人が多い。
4)承認(尊重)の欲求(自分が集団から勝ちある存在と認められ尊重される。
これには二つあって、低いレベルと高いレベル、低いレベルは名誉欲や金銭欲だが、
高くなると自己信頼感、自立性といったものが他者から評価されるよりも自分自身の評価を重視する。
5)自己実現の欲求(自分の持てる能力や可能性を最大限発揮し具現化したいと思う、行動の動機)
後のマズローはこの上がると12人のサンプリングで研究したのは「自己超越の欲求」だ。
いわゆる「悟り」ですね。

今回は欲求がテーマでないので後日詳しく書くが、
情報化社会では3)所属と愛の欲求から4)承認の欲求を待たずに(飛ばして)、
5)自己実現の欲求に行くことができる。

それはバーチャルからリアルへ、クリックひとつで実現するインターネットがあるからである。
バーチャル(仮想)は夢(志)とどこが違うかというと、
物事をひとつづつ修得する努力、人間の信頼を10年掛けて築く努力がいらないのです。
コンピュータとお金さえあれば簡単に自己実現するのである。

このように思ってしまってる若者には二つの特徴がある。
1)夢(志)をリアルの世界にもたないから思考力が停止する。(気遣いが解らない)
2)所属と愛の欲求が満たされてないと感じ、
 コミュニケーションするのに異常に緊張し、孤独と社会不安が増幅し忍従の心が育たず、
 切れたり、自傷行為をするのである。
 大事なことは自分が帰属することを喜ぶことと、
  同時に大きな『愛』で受け入れる風土が仲間や共同体や社会に必須なように思う。

この実現の具体性は仕組みだ精度だマニュアルも目安にはなるが、
『同じ釜の飯を食う』って、寝食をともにし、
美味しいものは美味しいと同じように感じることから始めることではないだろうか?

皆さんは如何考えられますか?