2010年07月08日
「敬天愛人」について
これは西郷隆盛さんの座右の銘といわれてるものである。
日本人は農耕民族で西洋的なアイデンティティーという自己形成がない。
自然のまにまに、みんなと協調し生きることが是とされる民族だ。
戦後民主主義に育った私は自分の好き嫌いをはっきり言うことを、
良しとしない空気の中で育った。
「和を持って尊し」ではないが目上の人には従順で、
若い年下の人には同じ目線で話し、協調性抜群な自分であると思ってた。
ところが母の愛はいつも性格の良い面を言わず、
依頼心が強く、意志薄弱だと反対の面をついてくる。
私の心の中で、『自分が育てておいて母はおかしくないか?』
そう人を悪く決め付けなくてもいいではないかと思って、
反抗していたのがトラウマになってるかもしれない。
極め付きは『言い方があるだろう』『人は誉めて育てるもんだ』
という調子で自分の未熟さを時間かけてワインのように熟すことを考えない、
若い時代があったのは事実である。
そんなことから手っ取り早いのは真似することだと考え、
自分よりできた人物を指導者に決め真似することにしてきた。
ところが指導者も人間ですから、
最初は良いのですが、深く付き合うと良い面の裏側が見えてきて、
自己正当化するために悪い面を批判的になるのが人間(私)の性である。
ついにそこで人間関係を自分から壊してしまうことを何度も繰り返したのが事実である。
しかしこの言葉にであったとき、人間は自然の一部である故に、
「天」を敬い、師とし、
何もかも栄養に変える深い愛(利他心)が「地」であることに気付いた。
「天」は24時間照らし続け、私が迷わないように先まで見えるように光ってるし、
「地」は好き嫌い(利己心)でなく、「愛」(利他心)であり、
「愛」は良いものも悪いものも受け入れ栄養に変え、
私に「愛」を与えてくれるのである。(未熟な私をそのまま肯定する偉大な力が愛)
こんな風に「天」を敬い、判断の師とし、
人間同士は愛(利他心)を実践し活かしあえば、
この社会が住みやすい世の中になると確信する。
自分のできる小さいことからコツコツ凡事徹底しかないようだ。
皆さんは『敬天愛人』如何考えられますか?














.gif)





