社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2010年08月07日

善行について

本音と建前がなくなった時代がテレビ時代である。
裏と表もなくなった時代といってもいい。

言い換えるとすべてが表の時代であり、ビジュアルな固定画像で考える余地がない自分ができる。
このことが『うつ病』と関係し、
自殺者3万人を超える原因のひとつと察するのは私だけだろうか?

裏とは『悩み』『苦しみ』『もがいてる自分』であり、同時に考える自分である。
この裏(本音)の自分には二つの自分がある。

1)動物的な本能的で感情的な未熟な現実的で利己的自分。
2)まだ開花していないが、咲こうと必死に生きる、
  未来への可能性に満ちた不安定な創造的自分。

私の学生時代はキエルケゴールやサルトル、マルクスの生半可な知識を振り回し、
友人とわけがわからないぐらい徹夜して激論を交わした。
お互い本音の自分をぶつけ合った。

現代は若者に思考することを停止させるぐらいに過剰に情報が氾濫してるといえる。
論語に人物や物事を洞察するのに、三つの段階があると教える。
1)視(目に見える形や状況)
2)観(目に見えないが、形や状況から主観的ではあるが直観すること=イマジネーション(想像)
3)察(自分が主観的にイメージしたものを相手や周りも溶け込むようにすること=クリエーション(創造)

「想像」と「創造」のちがいはお解かりでしょう!
想像=頭で考える主観性だ。(判断といってもいい見てる自分だ)
創造=実際に行動で環境成り人物なり仕組みなりをつくっていく客観性を引き出す行為だが、
   人間だから誤謬があるので修正しながら前進するのが原則だ。
   (決断して自己責任を取る覚悟の自分だ)

さて、考えるには『視、観、察』と進化させるが、行動の方向性が必要だ。
行動の方向を、
儒教では『積善の家に余計あり』、
また仏教では『善因善果』という因果の法則がある。

そこで重要なのは善行とは何かである。

白隠禅師の「坐禅和讃」には、
『布施や持戒の諸波羅蜜、念仏懺悔修行等、その品多き諸善行』
とお坊さんの修行内容を書いているが、

二宮尊徳さんは解りやすい。
『今やってることに打ち込みなさい、
 真剣に打ち込んでいると、
 仏性が輝いてきて
 次第に善行が積まれるようになる』

要するに、好きや嫌いや言わないで、
今、与えられたことを真剣にやる結果善行が出来る。
内の自分の心の姿勢の問題だと言い切る。
善行を分別して、外の世界に探すのではないのである。

自分で善行と思ってるだけで、思い込みんでる状態は、『動機善私心あり』になる。
しかし、今与えられたことに真剣に徹しきったら、
当然自分の価値観の分別を超越することになり、
結果、稲盛さんの言う『動機善私心なかりし』になる。

理屈でいくら解説しても真実ではない、
先ず、その方向で行動する気があること。
そして、できるように努力することだ。
まだまだ未熟な自分が恥ずかしいのが本音だ。

みなさんは如何考えられますか?